回復、反撃
「ハインツ」
「どうされますか!」
アリスが名前を呼べば、ハインツは少しだけ前に出た。胸に手を当てて、主君からの命令を待機している。
アリスは考えている瞬間もみせず、すぐに返答をした。
「四桁ほどまで減らして」
「お言葉ですが、アリス様! 私の力でしたら殲滅も可能です!」
「うんうん、知ってるよ。ハインツは対軍と対人特化だもんね」
知っているも何も、アリスがそのように作り上げたのだ。軍を率いて戦うために。数の多い人間の兵士をより良く、より多く狩り殺すために。
ハインツとてそれを理解していたが、まるで自分が与えられた能力を活かせないと言われているようだった。
主人に信頼されないというのは、忠誠心の高い部下にとって致命的だ。決してアリスがそのことを忘れていたりするなどと、不躾に思ったわけではない。
「でしたら、何故ッ!」
「うーん。猶予かな。考える時間」
「どちらにせよ殺すのでしたら、そんな時間は要らないのでは?」
「うん? あぁ、ごめんエンプティ。訂正しよう。祈る時間だ」
疑問に思ったエンプティが口を挟めば、アリスは笑顔で言った。
残された短い時間で、神に懺悔をする時間を与えてやる。
彼女達には走馬灯すら見る時間もあげない。
だからこの、アリスが用意するという〝考える時間〟というのは、優しい優しいアリスからの贈り物。
――慈悲だ。
今までの短くも儚い、大して実りのない人生に祈りを捧げ、生きてきた時間に感謝をする時間を与えてあげる。
遠方にいるかいないかも知らない家族へ別れを告げて、国でも何でもないこんな田舎の小さな国で虚しく死んでいくことに嘆くときを。
「流石はアリス様ですわ♡」
「へへーん」
エンプティに褒められて自慢気に笑うアリス。
それを見てエンプティもニコニコとしている。素晴らしい振る舞いを見て、嬉しく思わない部下がいるだろうか。
しかしそんな余裕もないのが一人。
同じくアリスを微笑ましく見ていたのだが、その人物――パラケルススが苦痛で声を漏らした。
「……う、ぐ、」
「! パラケルスス?」
「……すみません。やはり辛いので、自分だけ帰国してもよろしいですかな……」
「あぁ、ごめん。体に回ってる
ユータリスと同じように、再び〈転移門〉を開いた。
この時ばかりは〝自分でルーシーを探せ〟とも言えるわけもなく、アリスが先に門の中に入る。
そして適当な兵士を捕まえて、こちら側へと呼んでくる。
アベスカの誰もが敬愛するあのパラケルススの、ここまでに衰弱しきった状態を見れば――アベスカの兵士は血相を変えた。
「こ、これは!?」
「出先でトラブルにあってね。ルーシーのところまで、連れて行ってもらいたいの」
「お任せください! 担架をお持ちしますか!? い、いえ。兵士をもっと呼びましょうか!?」
「……問題ありません。肩を貸して頂ければ十分ですぞ」
「分かりました、では行きましょう」
パラケルススは兵士に支えられて、門の奥へと消えていった。
最早アベスカでのパラケルススは、アリスに次ぐ現人神のようなものだ。民の笑顔を取り戻して、あのライニール国王の汚職を公にした。
アベスカに仕えている兵士達で、パラケルススにネガティブな感情を抱いているのは全くいないと言ってもいい。
先日まで出張していた面々はまだまだだが、今呼んだ兵士のように誰もが慕っていた。
だからこの状況で何も言わず、疑うことなく彼の手助けをした。
アンデッドなのだから、ゾンビなのだからこうなって当然。魔物なのだから、魔王の部下なのだからやられてしまって当たり前。
そういった考えは全く存在しない。
あのパラケルスス様が、ここまでやられてしまっている。誰かは知らないが、こんな酷いことをするだなんて。
――きっとあの兵士の中では、そういう感情が渦巻いていたに違いない。
パラケルススが入ったのを確認すると、アリスはすぐさま門を閉じた。
そしてそれを見ていたハインツは、先程の命令を実行せんと動く。
「では! 私は相手軍を蹴散らして参ります!」
「よろしく~」
ハインツは小屋から出ると、ぐっと背中に力を入れた。すると黒い龍の翼が生えてくる。
そしてそのまま勇者の仲間率いる兵の方向へと、素早く飛んでいった。
アリスはハインツが龍形態になっている様子や、空を飛んでいる姿は見たことが無かった。
しかしこうして不自由なく扱えていることから、他の幹部たちのスキルや形態と同様に問題はないということだ。
そのことに少しホッとする。
パラケルススやユータリスと違って、相手がそれなりの戦力を持っていても、ハインツであるならば心配は必要ない。
特に相手が人間なのであれば、余計に心配しなくていい。ハインツは対人特攻。人という種族に対して、強い攻撃力と耐性を有している。
だから無事に翼を展開して、空を飛んでいったハインツを見送れば、すぐに視線を部屋の中へと戻した。
「では私はどうしましょうか?」
ユータリスもパラケルススもアベスカへと送迎が完了し、ハインツも命令遂行のために小屋から出払った。
エキドナはこちらへやって来て、ずっと外で見張っている。
残る幹部はエンプティだけだ。
「……パラケルススがこの小屋に逃げてきたのも、きっと見られてるだろうね。襲ってこないあたり、こっちの状況を把握しきれてないんだと思う」
「ならば監視が、そのあたりに潜んでいると?」
「多分ね。パラケルススも探知系の魔術を持ってる。あれだけの手負いで、探す余裕もなかったんだろうね」
アリスがそう分析すれば、いつもはパラケルススといがみ合っているエンプティですら落ち込んでいる。
つい先日までお互いに罵り合っていたというのに、そこにいるのは馬鹿にしてくるゾンビではなかった。
傷を負って、三途の川に立たされた仲間。
いつものように軽口を叩けることなど、出来るはずもない。
「魔力も微弱でしたから、当然ですね……」
「そういった常日頃の冷静さも狂ってただろうね」
「……では索敵及び、潜伏兵の殲滅ですね?」
「小屋周辺でね」
きっとまとまっているであろう兵士達は、今頃ハインツによる蹂躙を受けているはずだ。
だがパラケルススを監視するために、この周囲に残った兵士達はまだまだそのあたりに潜んでいる。
アリスからすればそんな雑兵程度、傷さえつけずに無視することだって出来る。
しかしこれ以上かけてやる慈悲はない。
何と言ってもこの戦闘で、勇者もといパルドウィン王国にアリスの存在が判明してしまうだろう。
詳細は伝わらずとも、これから勇者の仲間の一人を殺すのだ。
己の仲間を殺せる強者が存在するのだと知れば、あちら側も相応の警戒を行うというもの。
それにそれだけ警戒される予定だというのに、誰か一人取りこぼしてしまってまた余計な情報を与えてしまえば面倒だ。
じわじわと勇者達の命を奪いたいアリスにとって、与える情報が多いほど目標達成が難しくなる。
今のこの場でアリスの存在を知ったのであれば、それら全てを殺すのみ。
「かしこまりました。それでは行ってまいり――」
「ちょ、ちょっと!」
小屋から出ていこうとするエンプティを、アリスがガッシリと取り押さえる。
アリスに触れられたことに喜びつつも、なぜ止めたのか理解できないエンプティは困惑していた。
「はい?」
「なんでエンプティ本体が行くのさ」
「? ですから、殲滅に……」
「スキルがあるでしょうに」
「〝あれ〟は低レベルのスライムしか、生成出来ませんが……」
パラケルススがホムンクルスを作れるように、エンプティはスライムを生み出すことが出来る。
最大で150レベルのスライムを生成でき、それぞれが戦闘能力を有している。
攻撃方法はエンプティのスキルが一つ、〈
大抵の人間であれば、エンプティが向かわずともこのスライム生成スキルで、その場を制圧することが可能だ。
「100レベルもあれば十分でしょ」
「左様でしょうか?」
「あのねえ……」
この世界において、100レベルを超えると英雄と称される領域だ。
冒険者で言えば最高ランクの五ツ星と言っても過言ではないし、国を任せられるような強者と称しても良い。
言うならばこの戦場にやって来ている兵士は、100レベルにも到達していない存在だということ。
であれば200レベルのエンプティが出向かわなくとも、そのスキルで生み出した適当なスライムで十分なのだ。
「じゃあ言い方を変えよっか、そばで守ってくれる?」
「はい♡」
納得のいかないエンプティに向かって、そう言い放つ。
愛するアリスからそう言われてしまえばエンプティも否定できず、即座にスキルでスライムを生み出した。
作り出したスライムは、二体。
スライムと言っても、ブニブニとした液体が生まれているわけではない。
そこにいるのは、エンプティの面影が所々に確認できる美女二人。血色が悪く、辛うじて人間と言える色をしている。
そしてエンプティが設定したレベルは100だった。この場をどうにかするには十分だろう。
何より使い捨てなのだ。戦って死のうが何の問題はない。
「小屋近辺に潜んでいる人間の殲滅よ、行きなさい」
美女スライム二人は、その言葉を聞いて黙って首を縦に振る。
エンプティからの命令を受けると、即座に小屋から飛び出した。
探知の魔術や技術も持っていないため、まずは探すことから始まるのだが――さほど時間はかからないだろう。
「うんうん。このスキルも、ちゃんと使えてるみたいだね」
「お気遣い有難う御座います、アリス様」
(ちゃんと私好みでかわいいし、って言うのはやめておこう。調子に乗りそうだ)
アリスはスキルを見て感心するとともに、エンプティが無意識的に生み出したスライム達が好みであることに気がついた。
しかしながらそれを今言うのは非常によろしくない。二人きりでエンプティを褒めてしまった場合、何が起きることやら。
流石にこの緊急事態で、そういった行為をしようとするはずはないとは思うが――アリスは〝最悪〟を想定して黙っていた。
「エキドナに状況を聞こうか」
「はい」
そう言ってアリスが入り口に向かい、小屋から出れば、ヒュンと風を切る音がする。
アリスの顔面目掛けて飛んできたのは、一本の矢。
魔術の付与も、何もないただの矢だった。
しかしそれはアリスに当たるはずもなく、何かに弾かれてカランと地面へ落ちていく。
落ちた先には既に数本の矢が転がっていて、アリスに限らず外で待機していたエキドナも、ずっと狙われていたのだと知った。
アリスが直接狙われたことに気付けば、エキドナは嘆かわしい声で喋る。
エンプティも、攻撃されたことに怒りを覚えている。
「あぁ、アリス様、アリス様……」
「チィッ! 人間風情が……! アリス様!? やはり私本体が行くべきではありませんか!? スライム達よりも早く潰して……」
「私には傷が付いていないんだから、落ち着いて……」
フーフーと鼻息荒くするさまは、スライムや美女というよりも闘牛のようだ。
どうどう、とエンプティを制止しつつエキドナに状況を尋ねる。
「それで、エキドナ。何回か狙われた?」
「ええ、はい……。ですが1本たりとも、当たっておりません、おりません……」
「だろうね。探知せずとも、大したレベルじゃないのはよく分かるよ」
来たばかりの時は、冷静さを欠いていた。
周りに誰が見ていようといまいと関係なかった。とにかく傷ついた我が子をどうにかしたい、そしてそんな状態に陥れた勇者の仲間を殺してやりたい。
そんな気持ちでいっぱいだった。
落ち着いてきた今、改めてあたりを見渡せば――周囲を取り囲む兵士が雑魚であると理解できる。
本当にスライム程度で踏みにじれる弱さだ。
「ということは、低レベルの分際で……!!」
「まあまあどうどうよしよし」
「むふふん」
(アリス様、日に日にエンプティ様の扱いが上手くなってらっしゃる。素晴らしいわ、素晴らしいわ……)
何を言っても何をやっても怒り狂うであろうエンプティ。
そんなエンプティを鎮静するように、アリスはワシャワシャと撫でてやる。それはまさに犬猫に対する扱いだった。
しかしながらアリスから撫でられたエンプティが、どんな扱いだろうと嫌がるはずもなく。
美しい顔を歪ませて、ヘラヘラと喜んでいる。
エキドナは、創造後からすぐ暴走気味だったエンプティを知っている。
だからそんなエンプティを上手にあしらうアリスを見て、密かに感動していたのだった。
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