減殺

 上空からの景色は、眺めがいい。

デモンストレーションにピッタリのいい天気だったらしく、空が澄んでいる。周りを見渡せば微かにアベスカの城や魔王城だって見える。

 バサバサと翼をはためかせて、上空で風を浴びているのはハインツ・ユルゲン・ウッフェルマンだった。

眼下に捉えているのはあの勇者の一味。パラケルススが言っていた通りその周囲には、多数の兵士が待機している。


 とは言っても上空で彼女達を見つめている、ハインツにすら気付かない。


「ここから見ると虫のようだな! 私の存在にも気付いていないか!」


 ハハハ! と豪快に笑うハインツ。

彼らに空を飛ぶという手段はないのか、警戒しているのは陸上だけだ。

 数万の兵士があたりを警戒し、中央に集められた勇者の仲間一人と、それを囲うのは熟練した兵士達。

地面に紙を広げて、詳しい段取りを話し合いっている。

 それらの兵士ですら、空を飛んでいるハインツに気付いている様子も見られない。


 アリスに命令された以上、このままのんびりと人間を眺めているわけにはいかない。

相手がこちらに気付いていないのであれば、親切丁寧に教えてやるのが礼儀というものである。


「〈光矢ライトアロー〉」


 ハインツが魔術を唱え、空中を撫でる。

するとハインツの目の前には、百本や千本では収まりきらないほどの大量の光の矢が生成された。そしてそれぞれが強大な魔力を帯びていて、一撃必殺を確約する力を持っていた。


 ハインツは躊躇うことなく、それらを地上へと降らせた。

 輝く光属性の矢が地上へ降り注ぐと、辺り一帯に砂埃を生み出す。

あまりの威力に丈夫な木々も折れていく。樹木が生い茂っていた大森林は、徐々に姿かたちを変える。

上空からでも聞こえるほど悲鳴や驚きの声がこだましていて、声を吸収する森の中――木々があれども、そこでの混乱はよくわかった。


 ハインツが生成した〈光矢ライトアロー〉の残弾がなくなれば、攻撃音が消えてより多くの人の声が耳に届く。

砂煙も晴れていき、兵士達の死体が多数転がっているのが確認できた。

 ざっと人数を数えるのであれば、1,2万程度は減ったことだろう。

ハインツとしては低ランクの魔術でここまで死ぬとは、喜ばしことでもある。元々人間に対して高火力を発揮できるスキルを所持ているため、当然の結果とも言える。

 が、しかしハインツには、アリスから賜ったスキルが多数ある。

それを発揮できないというのは、少々寂しいというもの。


「この程度の魔法でくたばるとは、スキルを使うほどでもないのか!」


 残念そうにそう言えば、未だ死んでいない少女と目が合う。

ハッキリとした敵対の意思を目に宿している少女は、今やっとハインツの存在に気が付いた。


「うん!? まずいな! 彼女はアリス様への献上品として殺せない!」


 とは言えこのままの調子で上空から〈光矢ライトアロー〉さえ落としておけば、相手の数が減らせる。それだけで済むならば、なんと楽なことだろう。

しかし今と同じ方法では、勇者の一人だけを避けて矢を当てるというのは、非常に効率的とは言えない。


 どうするべきか、と考えていると――地上が一瞬だけ光った。深く考えずとも、何かの魔術を使ったことはすぐにわかった。

放たれた魔術は、真っ直ぐにハインツを狙っていた。

 人間からすれば、物凄い速さで放たれた魔術だろう。気付いた時にはかわすことすら難しい。

しかしながらハインツには、それを避けられる機動力を持っている。

 空中だというのに器用にかわしてみせれば、陸地にいる者達は驚きを顔に浮かべている。


 今回は回避が出来たとは言え、流石にパラケルススをあそこまで衰弱させるだけある。当たっていれば、それなりにダメージを受けただろう。

もっとも、人間から受けるダメージを軽減できるハインツにとっては、大した痛手にはならない。

 そうは言えども、既にパラケルススが醜態を晒しているのだ。これ以上アリスに心配と不安を覚えさせ、そして受けた命令を完璧に遂行できないとも言える。


「となれば、地上戦か!」


 そうと決まればハインツはすぐに地上へ降りた。〈光矢ライトアロー〉にて均された土地に着地する。

地上戦を決めたハインツは、即座に翼を収納した。軍服は穴一つ残らず修復され、いつもの人間形態のハインツへと戻っている。

 眼前では勇者の仲間の少女、そして残った兵士が彼女を取り囲んで警戒する。

見たこともない存在に対して、恐れているのだ。


「……何者、ですか……」

「どうも、勇者殿!」

「……くっ……」


 少女・マイラの問いに対して、ハインツはいつもの調子で答えた。

想像よりも遥かに上回る――大きな声で叫ぶハインツを目の当たりにして、兵士もマイラも警戒を強める。

こればかりはハインツの通常運転なのだから仕方がない。


「私はハインツ・ユルゲン・ウッフェルマンッッ! 我が主に命令を賜り、ここにいる兵士を減らしに来た者だ!」

「なに、を……言ってるの……ね?」


 マイラは何を言っているのか全く理解できなかった。

我が主。兵士を減らしに来た。

どこをとっても理解できない。

 それもそうだろう。彼女達が知っている中で一番強いのは、オリヴァー・ラストルグエフ。勇者である。

そして魔族の頂点に立った魔王は、そのオリヴァーによって制圧された。


 だからこんな、人を蟻のように扱う魔物を知らなかった。


「先程見ただろう!? あれで1万は減ったはずだがッ」

「なんの……魔術を使った! この……、化け物!」


 たまたま矢を外れた者、己の魔術でなんとか防いだ者。生き残った兵士の理由は様々だ。

しかしながら生き残った彼らも、全てが幸運に思えるほどだった。

 ハインツの放った〈光矢ライトアロー〉を、全く知らない魔術だと認識したからだ。

本来の〈光矢ライトアロー〉とは違う、異次元並の効果を持つ魔術だった。

万単位で、光の矢を生成できる魔術なんて知らなかった。上位互換である魔術でも、せいぜい数十本だ。


「何と言われても、見てわからなかったか!? 〈光矢ライトアロー〉だっただろうッ」

「う、そだ! 光矢ライトアローに……あんな威力も数も不可能……ね!」

「ふむ! 嘘をついているわけではないのだがな!」


 目の前で仲間の命を奪ったのは事実だというのに、信じてもらえないということを理解出来ないハインツ。

人間は時として知識の範囲を超えると、事実を受け止められないのだと学習をした。


「み、みんな! 気をつけて、あいつはやばい、です!」

「えぇ……分かってますよ。どうもまずい空気が漂っている」

「気を引き締めるぞー!」


 マイラは、普段のオドオドとした様子を捨てて、声を張り上げて注意を促した。

兵士達もハインツの尋常ではない力量を把握出来ていたのか、お互いに固まったり、強く武器を持ち直したりしている。


 ハインツもそれを見て感心する。愚かで脆弱な人間であれども、こうして団結して強者に立ち向かおうとするさま。

それは評価に値するのだ。

 かと言ってそれは、ハインツが見逃してやる理由の一つにすらなれない。

ハインツは敬愛するアリスから、命令を受けて来ているのだから。


「未知なる相手に警戒を怠らないッッ! それはとても良いことだぞ、人間達よ! しかし数を減らすよう言われているからなッ、仕方ない!」


 ハインツは兵士達に向けて、手をかざした。

何かまた見知らぬ魔術を放たれるのではないか、と誰もが警戒している。魔術を使えるものは防御魔術を展開したり、盾を取り出して己を守ったり。

 しかしハインツが扱うのは、魔術などではなかった。


「――〈統率者リーダーシップ〉ッ!!」


 唱えたのはスキル、〈統率者リーダーシップ〉。

一言で説明するのならば、人間を従属させられる魔術だ。

人の中の認識を操作し、上に立つ存在を書き換える。人間の為に戦う彼らの考えを弄り回して、自身の上官はハインツであるという認識を植え付けるのだ。


 マイラも兵士も混乱した。唱えたものが魔術であるか何であるかも分からない。

聞いたことのないものだった。

光線が放たれるわけでもなければ、先程同様大量の矢の雨が降るわけでもなかった。


「マイラ様! あれは!?」

「し、らない! しらない!」


 そんな彼女達と裏腹に、スキルは発動する。

ハインツに近い場所に立っていた人間の百数人が、ガックリと項垂れる。

突然様子がおかしくなった仲間を見ながら、他の兵士達は困惑するしかない。効果もわからず対処のしようがないのだ。


「ほう! 想像以下のレベルだなッ! どうせ殺すのだし、このまま強化バフを掛けてもいいだろうッ――〈龍の鼓舞ドラゴンズ・ボイス〉ッッ!!」


 〈統率者リーダーシップ〉には、オマケの効果として配下となった人間のステータスを閲覧できる能力がある。

人間のステータスを確認すれば、圧倒的に弱い存在なのだとハインツは気付いた。

 正直このままでは、きっとたいした戦いにならないだろう。

アリスから頼まれた数を、減らすのは難しい。何と言っても配下にしたのは、百数人程度。残り2万弱ほどいる兵士を減らすには、余りにも数が違いすぎる。


 だからハインツはその戦力を大幅に強化するために、〈龍の鼓舞ドラゴンズ・ボイス〉というスキルも併用する。

仲間の戦闘力を大幅に上げ、防御力も上げることが出来る。

 スキル解除後の兵士たちは、精神支配とバフにより廃人となるだろう。寝たきりだったり植物人間だったり、状態は様々だろうが――他人に介助されなければ生きていけない、ただの肉塊に成り果てる。

 しかし結局はそれらも全て殺してしまうのだから、結果がどうなろうとハインツには関係のないことだ。


「何が起こっているんだ!?」

「おい、お前ら! 突っ立ってないで攻撃しろ!」


 動かなくなった仲間に叫ぶ兵士であったが、ハインツはそんな事気にもせず命令を下す。

統率者リーダーシップ〉の影響下にある、今の彼らにとって命令を下せるのはただ一人。

ここにいるハインツのみ。


「さてッ、ノルマは一人二百人だ!! 殺してくれ!」

「う、おおおおお!」

「ハインツ様のためにいぃい!」


 命令を受けた兵士達は、仲間たち――元仲間達に一斉に襲いかかった。

何が何だか分からなく、混乱しているということもあった。だが何よりも、ハインツによる強化スキルで大幅に増強された攻撃力。

それにより、兵士達は反撃も許されぬままなぎ倒されていく。


「なっ!?」

「どうなってる!?」

「やめろお前ら! 敵はあっちだ!」

「うわぁああぁあ!」


 仲間が仲間を襲っていく――地獄絵図。

状況を理解できていない兵士は問いかけようと必死だが、今の上官がハインツとなっている兵士達は聞く耳すら持たない。

持っている武器で、魔術で、仲間を殺していく。

 なんとか応戦している兵士もいるが、今まで共に戦ってきた仲間を殺すというのは難しいこと。

一瞬のスキを見せてしまえばおしまいだ。あとは狩り殺されるだけ。


「……なに、を……」

「何って、これは私のスキルだ!」

「ひっ!?」


 マイラが絶望で一言零せば、その言葉にすぐ返答が来る。

声は真後ろから飛んできた。勢いよく振り向けば、そこにはハインツが立っていた。

 つい先程まで兵士たちに囲まれていたというのに、マイラの正面の方に立っていたはずなのに。


「怯えないでくれ少女よ! 私はお前を殺す気はないッ!」

「な、……なんで……」

「あぁ、勘違いさせたならすまない! 殺す気はない! が、主はお怒りだからなッ、あの御方自ら貴様を殺すだろう!」

「…………」


 〝我が主〟〝あの御方〟。

先程から何度も、この男から出てくる言葉。

 これほどまでに強者であるハインツが、従っている存在がいる。

マイラは考えないようにしていた。だがそういうわけにもいかなくなった。

 彼の言う〝主〟が、この場にやってくる。そして今見せられている地獄を、更にもっと悪い状況へと変えるのだ。


「お、ねがい、です……これから、戦争で……。私がいなくちゃ……誰が皆を……」

「そうか!」

「は、はい……!」


 マイラは一瞬だけ顔を明るくした。ハインツの返事を、いい方向へと解釈したからだ。

だがハインツからすれば、ただ返事をしただけにすぎない。

 もとよりこの少女の死は決定事項で、それを変える気もなければ、助けてやるという気持ちすら湧かない。


「君が攻撃したアンデッドも、悪魔も、我々の仲間だ! そしてアリス様の大事な大切な子供だ! それは当然、私もだが!!」

「アリス……?」

「おっと! ……まぁ、喋ってしまっても構わないだろう! どうせ貴様は死ぬのだからな!」

「……アリスって、まさか……」


 マイラが思考を巡らせている中、二人の前で起きていた戦闘が落ち着いていく。

殆どの兵士が死んで、ハインツが配下に加えた者達も倒れ始めている。

 〈統率者リーダーシップ〉には効果の終わりなどないのだが、そのスキルを受けた人間の肉体が死んでまで動くかと問われれば別である。

肉体が力に耐えきれず、そこで活動を終えるのだ。

 ハインツの想像よりも少ない数だったが、それでも万単位にまで存在していた雑兵達はおおかた片付いた。


「む! 終わったかッ、それでは主と交代しよう! 来世では会わないといいな――マイラ・コンテスティ!!」


 見たこともない魔族は、教えてもいないマイラの名前を叫ぶ。

マイラの制止を待たないまま、再び背中に翼を生やして一瞬で飛び立っていった。

マイラにはそれを追う、魔術もスキルも何もない。だから空へと去っていく化け物を放っておくしかなかった。

 そして彼女に出来るのは、この緊急事態を一刻も早く国とオリヴァーに伝えること。


「くっ……、本国へ、連絡しなくちゃ……ね!」


 そう言うとマイラは、再び通信魔術を展開した。

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