ヨクジョウ2

 激しい音が鳴り響いて、大浴場内での幹部の戦闘が始まった。

 それを眺めるは、ポツンと一人だけ残されたアリスである。

エキドナがなんとか体は全部洗ってくれたものの、頭部には泡がまだついている情けない状態だ。


(はあ、全く。元気だなぁ。……にしても、前世じゃ出来なかった超ロングヘア……いつもは魔術で綺麗にしてるけど……)


 今回は風呂に入りたくてやって来たが、改めて髪をしっかり洗おうとすると至極面倒なのだ。

洗ってくれるはずのエンプティは、轟音とともに戦闘を続けている。

 どうしたものか、とシャンプーを見つめていれば、ふと視界の端に二人の魔族が映る。

その二人とはサキュバスであった。

先日連れ帰ったはいいものの、結局メイドと似たような仕事しか与えていないサキュバス達だ。


「おーい、そこのサキュバスちゃんたち」

「は、はい!」

「はい!」

「髪の毛洗ってくれる? 角には触らないでね」

「お任せください!」


 パタパタと見目麗しいサキュバス二人が駆け寄ってくる。

アリスは椅子に座り直そうとしたが、サキュバスの一人が「浴槽へどうぞ。そのままお待ちですと、お体が冷えますので」と気遣ってくれた。

 そんなわけでアリスは何十人も入れそうな広々とした湯船に浸かり、髪の手入れを受けながら体のマッサージを受けるという――金持ち顔負けの待遇を得たのだ。


「……あの」


 髪を洗ってくれていたサキュバスが、声を上げた。

真っ赤な髪の毛は、毛先にかけて白くなっていくグラデーションヘア。それをツーサイドアップにまとめている。華やかで可愛らしい見た目だ。

透き通るようなグレーの瞳は、異世界ゆえの特権だろう。


「?」

「こちらを試してみても?」

「なぁに、それ」

「ちょっと、ロージー! アンタ流石に失礼よ!」


 取り出したのは小瓶だった。中にはとろりとした淡いピンクの液体が入っている。

 ロージーと呼ばれたサキュバスは、相方に怒られていた。

しかしアリスはその差し出した代物が気になったのである。咎める相方を気にせず、それについて詳しく聞こうとする。


「まぁまぁ。教えてー」

「こ、これはその、私が作った髪の毛のケアアイテムです」

「ほう?」


 聞けば彼女は、サキュバスの〝特権〟である男漁りを放棄してまで、美容に関する知識を蓄えていたらしい。

街に出向いて男を喰らわず、肌や髪の毛に対する美容品や、更には調香の資格まで取ったのだという。

 他のサキュバスからすれば呆れられる対象だ。

だが彼女はそんな周りの視線や評価を気にしないほどには、そういった美意識への執着があったのだ。


「そういうの好きなんだ?」

「は、はい! 調香とか、アロマとか、美容とか……大好きで……」

「ほうほう」

「すみません、アリス様! この子が失礼を……」

「いいや、いいね。面白い」

「「へ?」」


 当たり前だがこの世界の生活水準は低い。美容なんて二の次で、生活するだけで手一杯な一般人は髪も肌も調子が悪いままだ。

麻子が暮らしていた現代とは違って、そういったところに気を回すことがないのだろう。

 であれば、一般市民でも手に入れられる額のブランドがあれば?


「材料を揃えたら仕事に入れる?」

「え? え?」

「私専属の調香師になってもいいし、うん、そうだな……。街で売っても良い。手持ちにあるお金は、アベスカから巻き上げているし……資金作りか。いいかも。どうかな?」

「え、えっと、ぜひ!」

「よし」


 アリスが指を鳴らすと、即座に適当なホムンクルス一体が生成された。

生まれたホムンクルスはすぐにアリスに傅いて、その命令を待っている。


「この子、えっと――」

「ろ、ロージーと申します!」

「ロージー。ロージーが今後仕事をするから、調香室を用意するよう、ヴァルデマルに伝えて。後で向かわせるから、必要具材や素材の調節もね」

「了解致しました」


 ホムンクルスはぺこりとお辞儀をすると、アリスのもとから去っていく。

もちろん、未だ続いている戦闘を華麗に交わしながら。

レベルを高く設定したわけではないので、攻撃を浴びてしまえば伝令は届くことなく終わってしまう。

 無事に部屋を出るのを見届けると、アリスは再び湯船に深く浸かる。


「さー、じゃあよろしくね」

「はい!」


 アリスはいい香りの立ち込める湯に浸かっているだけだが、サキュバスの二人がヘアケアを行ったり、指の先爪の先までマッサージをしている。

有り得ないくらいに至れり尽くせりだが、アリスにはそれを行える権限があるのだ。


「あ~、ごくらく……。にしても3人は元気だなぁ……」


 アリスが止めていないということもあるが、エンプティの昂りが収まらないということもあって、戦闘はまだまだ終わりそうにない。

エステを受けているアリスと、轟音激しく鳴り響く戦地と成り果てた目線の先。

同じ空間でありながら、対極すぎるのであった。




「くっそ、タイミングよくスライムになるから、物理攻撃が上手く通らない……ッ」

「残念だったわね、ベルッ! そして……喰らいなさいッ、〈全溶エンタイアリー・解酸・アシッド〉……ッ!!」


 エンプティがスキルを発動すれば、三色の液体が球状になってエンプティの周りを浮遊している。

 そしてその中でエンプティが選んだのは、赤色――強酸。

何もかもを溶かせる強力な効果を持っていて、瓦礫を溶かしたり大量の死体処理に使われる。

 つまり、こんな室内で使用していい酸ではない。


「はっ!? ちょ、エンネキ! ここでそれは――そのスキルの赤色そのいろは駄目だってば!!」

「大変だわ、大変だわ……。この大浴場ごと溶かす気ですのね……」

「ドナネキも呑気に言ってる場合じゃな――」


 強酸の赤い液体がぶくぶくと形を変えて、巨大な水の球体を生み出した。

その球体をベルとエキドナの頭上に配置して、即座に落とす。

 ジュワア、と激しい溶解音が浴場全体に響き渡った。

酸独特のツンとした臭いが部屋に充満して、この場が一気に危険地帯へと姿を変えた。


 城はポッカリと穴が空いて、露天風呂へと変わってしまった。

森が良く見えて眺めがいい。遠くにはアベスカの城が微かに見えている。空気が澄んでいれば、もっとハッキリ見えることだろう。

 ここがただの露天風呂なのであれば、絶賛すべき素晴らしい景色だ。

だがこれは幹部の戦闘によってできた〝ただの穴〟である。


「ハァーッ、はぁ……。やっぱり幹部最硬を誇るだけあるわね。エキドナ……!」

「お褒めの言葉、光栄ですわ、光栄ですわ……」

「え、エンネキ……! あたしの為に、スキルを……っ」


 当然ながらあれで幹部が死ぬはずもなく。

エキドナは咄嗟にスキル発動してベルを保護した。そのお陰でベルは無傷で済んでいる。

 しかしエキドナのスキル〈守護のプレッジ・オブ・誓約ガーディアン〉は、使用者であるエキドナは対象外であるため――強酸の影響を直に食らって、体の各所の肉が溶けている。

エキドナには常時回復スキルがあるので、攻撃がやんだ今となってはジワジワとその肉が元に戻っていく。


 一方アリスは、魔術を展開してサキュバス達と浴場の一部を一緒に守っていた。

もしもアリスが自身とサキュバスだけを保護していれば、この階層ごと破壊され城は崩壊していただろう。


「だったら次は――」

「エンプティ」


 その言葉には重みがあった。

流石のアリスもここまでされては、許容範囲を超えるというもの。

まだ戦闘を続行するような素振りを見せるエンプティに、口を挟む。

 表情は確実に怒りを含んでいて、せっかく手に入れた城を――エキドナやハインツ、ヴァルデマル達が改築を施している真っ最中の城を、破壊されてはたまったものではない。

 もっともその改築作業には、この場における破壊者のエンプティも参加しているのだから余計だ。

自分で責任を持って守って綺麗にしている場所を、自分の手で破壊するな……と。


「は、はい!?」

「お・す・わ・り」

「ひんっ」


 アリスにそう言われると、体の武器化も解除し、スキルの酸も解除した。

ペタリと座り込んで、怒られた子犬みたいに震えている。

 アリスが本格的に説教に入ったことで、エキドナとベルも戦闘状態を解除した。

ベルは破壊された風呂場を改めて見て、呆れ返っている。


「何してくれてんの、こんのバカスライムッ! 城をぶっ壊すやつがあるか!!」

「で、ですが、この程度で壊れてしまう方がわるいですっ」

「この程度って……。お前のスキルの最大火力をぶっぱなしておいて、何言ってんの! 暫く謹慎! ヴァルデマルとヨナーシュの、デスクワークのお手伝いでもしてなさい!」

「ひぇーん! そんなぁ〜〜!!」

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