洞窟の住人

「反撃……というか、新たに天候の展開はないのか」


 アリスが〈天空掌握ウェザーコンプリート〉を発動してから、気候に変動は無かった。

さすがのアリスも〈天空掌握ウェザーコンプリート〉を打ち消せる魔術やスキルを使用されてしまえば、太刀打ちするのが難しくなる。

こればかりはほっと胸を撫で下ろす。


(つまり、あれ以上の魔術は使えない。もしくはこちらの出方を伺っている……かな?)


 それだけで実力をはかるにはいかない。アリスを警戒して、あえて何もしていない可能性だってあるのだ。

わざと自分達を弱く見せておいて、アリスが油断したすきに――というパターンだって捨てきれない。


「とはいえまだ洞窟を見つけられてないんだよなぁ……」


 辺り一帯真っ白の銀世界。

晴天は避けたといえど、曇り空の微かな陽の光を反射して輝く雪は、地味に目を疲労させる。

 最初は楽しんでいた雪道だったが、雪に足は取られて歩きづらくフラストレーションがたまる一方だ。

ワイバーンから教えてもらった道順も大雑把すぎるせいで、一向に目的地が見える気配がしない。


 景色も白いせいで高低差やくぼみなども見分けづらく、この世界に来て初めての身体的な不便を感じるようになった。

 アリスからすればこの程度の雪を吹き飛ばしたり、溶かしたりするのは容易だ。

だが融雪が及ぼす影響は、大きい。

 麓には人間の村落がある。別段仲が良いわけでも、思い入れがあるわけでもない。

潰したところで特に何も思わないだろう。


 だが面倒事を起こしたせいで勇者達が動き出すとなれば、話がまたこじれてくる。

アリスとしてはまだ対峙するタイミングではない。

もっと絶望の淵に叩き落とすためには、入念な準備がしたかったのだ。


「よし。これだけ広いと吐きそうだけど……」


 だからアリスは覚悟を決めた。

アリスの得意とする索敵方法は、意識を世界に張り巡らせて映像を見るもの。

サキュバスの探索の際にもそうだし、様々な場面で使ってきた方法だ。

 ただしここまで雪山が国全土に渡っているとなると、それを使うには少々気合がいるのだ。

なんと言っても酔うのだ。酒のような酔い方ではなく、乗り物酔いのような気持ち悪い感覚に陥る。

それが起きる度に魔術で治癒しているのだが、どうも効率が悪い気がするのだった。


 覚悟を決めたアリスは、瞳を閉じてその意識を飛ばす。

すると視界が広がり、ものすごい早さであたりの景色が流れ込んでくる。

 雪、雪、雪。見飽きた白い景色がどんどんと流れ込む。

北にも西にも東にも飛ばす。――洞窟らしい場所は見当たらない。

根気よく探知を続ける。高速で流れるスライドショーのように景色が移り変わっていく。


 一瞬だけ、アリスの視界に岩肌が写り込んだ。

それはただの岩というよりかは、中に続く穴があるように見えた。


 それを確認すると、アリスはすぐに目を開いた。まるでその場を何度も回っていたかのような脳の揺れ、気持ち悪さと吐き気に襲われた彼女は咄嗟に口を抑える。


「……あった、おえっ。やっぱり気持ち悪いな……。えーっと、〈内なる祈りプレイド・インサイド〉」


 治癒魔術を唱えれば、その体調不良は一瞬で消え去った。

魔術というものは至極便利だな、とアリスは改めて痛感する。

現代であれば薬を飲んでも治らないことだってあるのだ。たった詠唱一つで終わってしまう体調不良なんて、羨ましいに決まっている。

……もちろん、これはこういった魔術を使える前提の話だが。


 さて、結局洞窟らしき場所は、北西に15キロのところにあった。

根気よく東西に探知をしていたわりには、それなりに近い場所にあったことを少しだけ嫌に思った。

もう少し早くそっちを確認していれば、この気分の悪さは軽減出来たものを……と苛立つ。


「後は行くだけ、か」


 場所のあたりはつけた。ワイバーンが言っていた道筋に比べれば、十分過ぎるほど正確だ。

とすればあとは向かうだけなのである。

 ハインツを待たせているということもある。場所が分かったのならば、ノロノロと観光気分を味わっている場合ではなかった。


 アリスは片足を引いて、体勢を低くする。

引いた片足に力をグッと込めて、バネのように――飛び出した。

 雪が殆どの音を吸収したが、ドンッという爆音のような〝発射音〟はしっかりその場に残る。

ガブリエラがいたら出せない猛スピードで、どんどん距離を詰めていく。

 山の頂も近いため木々はまったくない。だから走るにはうってつけだった。雪のせいで足場は悪いが、だからといって彼女の問題になるほどでもない。

アリスはそのまま障害物もない土地を、超高速で駆け抜けていく。


 高速で進めば、洞窟を目視出来る場所まで辿り着く。

アリスは速度を落として、ちょうど洞窟の前にて足を止めた。


「ここまで来ると洞窟って分かるな……中に――3……4人か」


 入り口には何のカモフラージュもされていない。ガブリエラを見つけた時ですら幻惑魔術が掛けられていたというのに、この場所には何もないのだ。

あの吹雪こそがそれの代わりを担っていた。

 環境というものはそれだけ危険なのだろう。この中にいる存在を過信させるくらいには、人を寄せ付けないのだ。

 それにもっと吹雪いている状況であれば、入り口に雪が付着して更に見づらくなっていただろう。

そうなれば辿り着くのも至難の業だ。


 アリスもようやく、中にいる個体がどれくらいの数なのか把握できる。

すぐ近くの距離まで来たということだ。


「お邪魔しまーす」


 誰かが返事をするわけでもないのだが、とりあえずアリスはそう言って足を踏み入れる。

中は意外とあたたかく、生き物が住むには十分な気温だった。

寒さなどどうということもないアリスだったが、やはり適温というものは活動しやすい。

 中は長い長い通路だった。一本道で、脇道など存在しない。

明かりはところどころ消えていたが、真っ暗闇ですらいつもどおりに過ごせるのだからあまり意味はなかった。


 洞窟内をアリスの足音が響いている。

最奥まで、後少し。





「あ。分岐点も何にもないんだ」


 無駄に長い洞窟をずっと歩いていれば、ようやっと奥に明かりが見えてきた。

途中途中に迷わせるような分岐やら部屋やらはまったくなく、ここに至るまでただひたすらまっすぐ歩くだけだった。

 迷路みたいに迷わせる気もなかった。

ワイバーンにも村の人間にもあれだけ警戒されていた魔物だ、本当に誰も来ないのである。

 そもそも人間であれば死ぬであろう吹雪なので、大抵の冒険者はこの山頂に到達するまでに死ぬか引き返すかするのだ。


「そりゃそうか……」


 天候を操作できる魔術師なんて、強いに決まっている。

パルドウィンに来るまでに乗った船でも、そんなような娘がいたが――一般人やただの冒険者と比べれば、その実力はわかるだろう。

 アリスと比較してしまえばそれはそれは可哀想な結末になるが、そもそもアリスはこの世の強さの概念を突破しているのだ。論外なのである。


 雪男達に一人感心しながら、アリスは最奥の部屋へと辿り着いた。


「こんにちは〜?」


 声を掛けて中に入れば、そこには床にひれ伏している――4人の毛むくじゃらな小さな生き物がいた。

横一列に並んだ、バイルとナズとドリンとサイラシュだった。

カタカタと小刻みに震えている彼らから、声が発せられる。


「よ、よくぞおいでくださいましたぁあぁ!」

「我々は貴女様に屈服し、従属することを誓いますぅうう!!」

「えぇ? なになに?」


 それは完全な完璧な申し入れだった。否、命乞いだった。

魔術を扱う知識人であるゆえに、目の前にアリスが立ったときにその実力を悟った。

 あの感心するべき若者、勇者。それとは比べ物にはならないほどの存在が、そこにはいたと。


 仰々しい装備をしているわけでもなく、伝説の剣を持ち歩いているわけでもない。様々な宝玉に彩られた杖を携えていることもないし、両親に英雄を持って生まれたわけでもない。

 だがアリス・ヴェル・トレラントは全てを有していた。

この世界にて通用する戦闘方法と、魔術。

 雪男――スノウズが屈服するには十分過ぎるものであった。


「お、恐れながらお聞きしたい」

「あ、はい」

「レベルを、教えて頂きたい」


 スノウズを代表して、バイルが彼女に問うた。

毛むくじゃらの彼らに冷や汗がつたい、アリスの答えを怯えながら待っている。

 あの時勇者にきいたレベルは、この世の頂である199レベルであった。

――ではこの女は?

そう思ったスノウズ達の全身が震えている。アリスの答えが、彼らを、彼らの中の概念を変えてしまう。


「私のレベルは200だよ」

「に、ひゃくぅう!?」

「ひぃいぇええ!」


 スノウズ達は既に土下座の体勢をとっていたが、それを更に低くした。

頭を地面にこすりつけて必死に懇願したのだ。

 生きていればいずれは到達できるであろう199レベル。

その限界を超えた先にいる存在。たった1という、数字だけ見れば容易な壁に見える。

 だがどうあがいても到達できるはずのないその壁。絶対に勝てるはずのない、圧倒的なレベル差。

――それが目の前にいるのだ。


「わ、我々は降伏致します! ですので、どうか、命だけは!!」

「ちょ、ちょっと待って、別に殺さ……――んん?」

「ひぃ!」


 アリスは勢いよく、スノウズのもとへと走った。

真っ白でふわふわとしたバイルの顔をガッシリと掴むと、キラキラとした少女のような瞳で笑う。


「かっわぁあいいいぃ!」

「ひぃ……」

「もふもふだ! ふわふわしてる! ちっちゃいし……」

「…………」


 スノウズの身長は80センチもいかない小さなものだった。大きなぬいぐるみだと考えれば、可愛らしく思えるだろう。

魔族となって力もあるアリスは、バイルをひょいっと抱えて頬ずりし始めた。

 よく手入れされているのか、その体毛はふわふわもふもふとしていて肌触りが良い。

少々震えているという点以外はアリスのお気に入りである。


 「あ、我ってこれから死ぬんだ」と悟るバイルと、それを見て早々に冥福を祈る三人。

まだバイルは生きているが、これから何が起きるかもう既に分からない彼らにとって、死んだも同然だ。


「ねえ、君達はこの雪山にしかすめないの?」

「い、いえ。この毛皮はどこにでも対応できます。流石に熱帯地域などは……」

「うんうん。じゃあ私の城にまで来ることは可能だよね?」

「え、は、はあ」

「きまり!」

「え……」


 ここで「いやです」などと言えば何が待っているか分からないゆえに、強引なアリスの取り決めに従わざるを得ない。

長い間この土地から離れたことのないスノウズにとっては、未知なる場所に移り住むということは抵抗がある。


 まだ抱えられているバイルの表情は虚無に染まっていた。

この土地を去らねばならぬということと、化け物だけでは形容できない頂の上の存在に捕まってしまったことで、そんな顔になってしまった。

 毛むくじゃらでよく顔が見えないせいでアリスには見えていない。

だが長年一緒にいた仲間たちは、バイルのその表情を見ていたし――同じ気持ちだった。


「荷物ある?」

「ま、まぁ、多少……」

「じゃあ一時間でまとめてここに再集合。いいね?」

「ハッ、はい!」

「はーい、じゃあ君も下ろすねー。えへへ……よしよし」


 完全に幼児の玩具ばりに扱われたバイルは、プライドも心もズタズタのボロボロに打ち砕かれたわけだった。




 一時間もしないでスノウズ達は準備を終えた。

それは当然である。この女を待たせてしまったということは、後々恐ろしいことになりかねないからであった。


「麓あたりで部下が待ってるから、そこまで行こうか」

「はっはい!」

「ほい」


 アリスが〈転移門〉を作成すると、スノウズ達は酷く驚いていた。

恐れ怯えていても、魔術に関することを研究開発している、という根底は変わらない。

だから知らない魔術を目の前で使われれば、子供のように驚いて喜んでしまうのも無理はないのだ。


「え……?」

「なんじゃい、こりゃあ……!」

「〈転移門〉だよ~」

「てん……?」

「移動系魔術で最高ランクの魔術だよ。ほんとは詠唱がいるんだけどねー。ささ、入った入ったぁ!」


 さらっと説明した割には、魔術オタクとも言えるスノウズには〝超〟がつくほど重要な内容だった。

だが先を急ぎたかったアリスによって、それを根掘り葉掘り聞くことも叶わなかった。


 門をくぐり抜けると未だ羽を怪我したままで這いつくばるワイバーンと、それを監視しているハインツが見えた。

ワイバーンは雪男スノウズ達が先に出てきたことによって、酷く驚き混乱していた。


「ヒィ! 雪男ォ!」

「おわりだぁ!」


 頭を抱えたり、ジタバタと動き回っている。逃げようとしないのは、もう諦めているからか。

 スノウズに続いてアリスが門から出てくると、ハインツの顔が少しだけ明るくなった。

あのスライムほどではないが、ハインツだってアリスを敬愛しているのだ。


「アリス様! 無事に事が済んだようですねッッ!!」

「うん、待たせたねー」

「なっ、なんじゃあ!? 見たこともない力を感じるぞ!」

「なんだありゃあ! 似たような化け物がまだいるのか……」

「終わりだ……」


 スノウズ達はハインツを見て、更に絶望していた。

ハインツもアリスの部下でレベルが200あるのだから、その反応は当然だろう。

もっとも……これから向かう城ではそんな者がゴロゴロいるのだが。


「彼はハインツ。私の部下だよー。ハインツ、彼らはスノウズ。城に連れて行くことにしたんだ」

「城にですか!」

「魔術の知識に長けるから。新たな魔術開発とか、ルーシーの強化とか」

「なるほど! 部屋はいくらでも拡張できますからな!」

「そうだね。それじゃ、魔王城に戻ろっか」

「お待ち下さい!」


 アリスは今ある〈転移門〉を閉じて、魔王城への門を開けようとしていたが、ハインツに呼び止められる。

ハインツは倒れているワイバーンらを指差して叫ぶ。


「ワイバーンはどうされますか!!」

「うーん、雪山に放置でいいかな。欲しくなったらまた来るよ。一回来たから、次からは〈転移門〉開けばいいし」

「畏まりました! では帰還致しましょうかッ!」

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