訪問1
アベスカとは、アリ=マイア教徒連合国に名を連ねる小国の一つである。
魔王城が出来る前は城壁に囲まれた首都を中心として、地方に小さな村落を幾つも抱える国であった。
しかし魔王城建設後、それらの小さな村々は即刻処理された。
唯一残されたのは、頑丈な城壁に守られた都心部だけ。そこまで落とされなかったのは、勇者や英雄と呼ばれる青年のおかげだろう。
現在は魔王も大人しいとはいえまだまだ戦争から経過した日数は浅い。
村落も以前の状態には戻っておらず、住民が城壁の中にひしめき合っていた。
そしてその城では、現在権力者のみを集めて重大な会議を行っている最中だった。
議題は魔王城について。
現在は勇者のおかげで大人しいが、それでも監視のために物見櫓を作成し、安全な距離に兵士を置いていた。
そこの兵士から緊急の連絡が入ったのだ。兵士が寝ずに馬を走らせてまで伝えるべき案件だった。
「――魔王城の城壁が破壊されました」
「……なんだと?」
その報告を受けたアベスカの防衛大臣である、ルーラント・ニーメイエル大臣はひどく驚いた。
いくら勇者に負けたとはいえ、それでも人ならざる領域に足を踏み入れた者達だ。レベルも通常の人類が到達出来得ない「神域」と謳われるレベルを有している。
そんな魔人の幹部を持つ魔王城が、いとも容易く破壊された。
アベスカは魔王との戦いを一番近くで見ていたからよくわかっている。あの城が簡単に壊れることがないことも。
「君達の見間違いではないかね。あの場所は魔物にも狙われやすい危険な場所だ。精神が疲弊して、幻でも見たのではないか」
だからまず最初に報告してきた兵士を疑った。危険な場所でつらい思いをしている故に何か文句があって言ってきたのかもしれない。
それに安全を考慮し、少々離れた距離に作った物見櫓だ。見間違いかもしれない。
辺り一帯は森で、木々に覆われているから視認性も低く確証はない。
「いいえ。見間違いではありません、この命に誓ってでもそう言えます」
「…………」
だが兵士はルーラントを見据えてはっきりと言う。同じことを再び繰り返した。言葉に力を込めて、間違ってはいないと。
大臣は頭を抱えざるを得なかった。
しかしそれもすぐに払拭された。そうだ、勇者だ。彼らが再び攻め入ったのだ。
大臣がそう発言すると、怪訝そうな目を向けられるのは兵士ではなくルーラントだった。
ある程度国の情報を掴んでいるものならば、勇者と呼ばれる若者たちはパルドウィン王国で学業に専念していることを知っているはずだ。だからこの戯言は、ルーラントの現実逃避に過ぎないことを誰もが理解していた。
そしてその場の空気を察したルーラントは、消え入りそうな声で言った。
「……会議をする。みなを集めろ」
それから会議室に集められたのは、兵士も含めて全部で六人。
先程報告も受けていた、ルーラント・ニーメイエル――防衛大臣と形容すべき男。有事の際は兵士団の指揮官としても働く忙しい男だ。
前回の魔王との戦争でストレス過多により剥げたせいで、諦めてスキンヘッドにしている。
ベルグラーノ・センディノ――国の財政を取り扱う大臣だ。現在の王になってから、財政難とも言える自由さに毎回胃を痛めている。
バージル・リーコック――彼は外務大臣だ。ただでさえベルグラーノに「金が無い」と嘆かれているのに、彼は王に連れられ何度も国外へ行く羽目になっている。
何故大臣も一緒に行くか? それは大臣レベルではないと、王の自由奔放さについていけないからである。
彼も前者二人よろしく胃が痛い男だ。
ルジェク・フレーテン――彼は大臣ではなく神官である。しかしこの宗教国家であるアリ=マイアでは、大神官である彼は国の大臣に匹敵する存在なのだ。
とはいえここ最近の魔王に寄る蹂躙のせいで、国民の宗教に対する考えが薄れてきてしまっている。
彼も彼なりに立場が危ういのだ。
そしてもうひとり。この国の王であった。
「偵察隊を送りますか?」
「やめろ。危険だ。敵の敵は味方やもしれんが……まだ様子を見るべきだ」
兵士が尋ねると、即座にルーラントが返す。
保守的なルーラントを見て、バージルが声を上げた。
「こちらの城と勘違いして攻め入った可能性は?」
「それはないだろう……。しかし本当にあの城壁を破壊したのか?」
「勇者殿がいないと落ちない城だぞ。有り得ん。やはり疲れた兵士が見た幻ではないか」
「となると我々の落ち度となるな」
そのあたりは自覚があるのか、みなが「うーむ」と口を閉ざしてしまった。
偵察隊を送っていない時点でここの会話は全て憶測でしかない。だがただでさえ戦争で失った兵や民が多い中更に減らすようなことをするのは愚策である。
この城塞都市しかないアベスカを「国と呼べない」と言い出す連合国も出てくるだろう。
同じ宗教を信仰する仲間だと言っておきながら、先の件のせいでアベスカほぼ空気扱いだ。いずれ自国の危険を感じた他の連合国が、アベスカを切り離す日も遠くはないはず。
ただでさえ、他の連合国は自国の問題でいっぱいいっぱいなのに、一度は世界を征服せんと画策した魔王なる存在がいる国を保護しておく必要があるだろうか。
正直言えばそんな余裕はない。
アベスカは切り離されるか、他国が自らの問題を抑えきれずアリ=マイア教徒連合国自体が滅んでいくか。
この国には未来がない。誰もがそう断言出来た。
「いっそ国を捨てて民とともに逃げるか」
「北は戦地、東の山を越えて行っても平和はないぞ」
「まさか帝国か? 川を無事越えられても、向こうが受け入れてくれるとは限らぬぞ」
「ではここで死ねと?」
「死ぬのであらば、最後まで国のために戦おうではないか」
逃げ道はない。助けてくれる国も、戦うすべもない。であれば、せめてアリ=マイアの名のもとに精一杯反抗しようではないか。それが最後に待ち受けるのは死であっても。
「フィリップ達以外の兵士を全て戻すべきだな。戦闘となれば城壁を盾にする他あるまい。見聞きした兵士は仲間に全て伝えて、国民には――」
「まだ早いのでは。混乱して逃げ出し、その正体不明の存在に狩られては元も子もない」
「……そうだな」
「――結論は出たか?」
最奥に座る男がそういうと、部屋はシンと静まり返る。ゆったりとした椅子にだらしなく腰掛ける若者だったが、誰もそれを咎められる人間はここには居ない。
そもそもそんな人間は、この国に存在しないのだ。
彼こそこの国の現在の長、ライニール・ニークヴィスト6世その人であった。
美しい黒髪に、凍てつくような碧眼。顔もそれに見合った整った顔立ちで、若く才能がありながら王に上り詰めた――というわけではない。
彼は欲にまみれ玉座を狙い、肉親である王を殺した。そしてここに座している。
彼は「質素倹約」「自分は他人のため」がモットーのアリ=マイアの教徒でありながら、野心家で唯一無二であることを望んだ。
だから身にまとう衣服は、このあたりでは着ている人間がほとんどいないト・ナモミの「キモノ」という民族衣装を纏っている。
異国の衣装でありながらも完璧に着こなしているのは、その整った容姿があるからだろう。
そして何よりも親の名を受け継ぐ文化を嫌っていた。いずれ自分の名前も「ライニール6世」ではないなにかに変えたいと思っているのだ。
「はい、ライニール国王陛下。兵士団長率いる遠征班以外の兵士を引き上げ、最悪の場合は籠城戦……かと」
「まあそうだな。帝国は助けてくれないだろうし、ト・ナモミは論外だ。王国と公国は……いつものアレで忙しいからな」
「せめて王だけでもどこかへお逃げになっては?」
「ハッ、面白い冗談だな。アリ=マイア連合内では逃げる先もなかろう」
「……仰る通りで」
珍しくわがまま王からの反論はない。大臣達が捻り出した案で良いというのだろう。
「おい、お前はもうよい。下がれ。緊急時は城内へと戻るよう、櫓のものに伝えろ」
「了解致しました。失礼します」
兵士は退室するその足で監視塔へ向かった。
王国や帝国であれば、こういった予想外の自体に陥った場合すぐさま他国へ情報を共有する――もしくは、彼らのような強大な力を持っている国であれば自国で退治可能だろう。
しかしそれが出来ないのは、彼らが魔王によって衰退してしまったからに他ならない。
もっとも情報を共有する手段は最初から持ち合わせていないのだが、その点は刈り取られたせい、などではなく純粋に国力の差だろう。
「魔王が実験に失敗し、城を吹き飛ばしたという案はないのか?」
ライニールが聞く。
どうしても兵士も間近で見ていないことを信じられないのだ。――いや、見ていたところで、ライニール自身で確認していない限り、彼は信じないだろう。
だが魔王のこともあったため、大臣らはどうしても慎重になってしまう。ああなのではこうなのでは、と憶測が飛び交い石橋を叩いて渡るほどなのだ。
それだけ戦争や魔王からの被害は膨大であった。
「有り得ます……。しかし、ライニール国王陛下……」
「しかし、も何もない。確かめても無いものを、どうしてそこまで怯えるのだ」
「お言葉ですが我が王。これからは守りに徹底せねば我が国は滅ぶ一方です。民も不安を募らせております。いずれ反乱が起きるやも……」
「……フン。まあよい。だが監視塔のものはさほどの人数はおらぬ。置いといて逐一連絡を寄越させればよいだろう」
「それもそうでございます。しかし王国のように我々は、瞬時に連絡を取れる手段がございませんので」
「チッ……」
先程の兵の通り、何かあれば睡眠を削り馬を走らせて城まで来るしか手段はない。しかしそれでは遅いのだ。
兵士が無事に来れたところで、いざ援軍を送ろうにも既に監視塔が崩壊している恐れだってある。
それに兵士だって人間だ。いくら苦渋の選択を迫られる幹部であっても、捨てずに済む命があるなら救うべきだろう。
しかしこの王はそう考えていないらしい。国のものは自分のもの、民も全て自分のもの。どう使おうと関係ない、と。
しかしその暴君っぷりが知られていないのは、彼ら大臣と王の側近の上手い采配によるものだった。
ただでさえ混乱を極める今。王がこんな状態だと知られれば、民はもっと困惑しこの国から去っていくだろう。
「それは今後の課題だな。バージル、いいな?」
「はっ。事が片付き次第、学者達を集め王国もしくは帝国へ送り出します」
外務を担当するバージルが返事をする。
ただでさえ小さな国なのだ。他国に遅れが出るのは仕方がない。
とはいえこの話はバージルの中ではだいぶ前から上がっていた。それが実行出来なかったのは、他国へふらふらと遊びに行くライニールのおもりをしていたからである。
周囲と同じことを拒む王でありながら、異国の見慣れぬ文化を取り入れようとしている彼だが、その国の情報を詳細に知ろうとまではしない。
いわゆる広く浅く――といえば楽観的だが、悪く言えばミーハーだということだ。
アベスカでは無礼にならない作法や言動でも、他国民にとっては失礼に当たることがある。それを知らずにやってのけそうな王を、ただの供回りだけに任せて送り出せるか。いや、そんなはずがない。
バージルは胃をキリキリと言わせながら、彼の旅行に何度も付き合った。それは国のため、ひいては自分のためである。
「それでは私からも提案させていただいてもよろしいですか?」
「なんだ」
「是非ともこれを機に、我が国でも徴兵制を導入して頂きたいのです」
声を上げたのは、兵士団を取り仕切っている大臣であるルーラントだった。ぴかりと光るスキンヘッドが、その主張を更に強く見せた。
「ああ、帝国がやっているあれか。それがなんだ?」
「我々の兵士団は希望者が入団試験を経て、団員になっているに過ぎません。つまり希望する人間の有無を言わさず、戦地に出向ける人間を育てればよいのです」
「ほう。それこそ、お前達のよく言う〝民が嫌がる〟というものではないのか?」
「……そこまで言っているつもりは御座いませんが……。国民も先の戦争で、よく理解しているはずです。この国に残ると決めた人間であれば、快く受け入れてくれるでしょう」
「そうか。まあ、落ち着いたら改めて議題にする」
「ありがとうございます」
ライニールはその青い瞳でちらりともうひとりの大臣を見た。その眼光は若いながらも鋭く、見つめられた大臣はビクリと体を震わせた。
取って食うわけではない、とライニールは笑うと話を続けた。
「お前はなにもないのか? ベルグラーノ」
「はっ。僭越ながら申し上げますと、戦争にて村落が失われた分予算が浮いておりまして、このまま例年通り進めれば問題ないかと。あるとすれば、商業や農業関連でしょうか。民が城壁の外に出るのを恐れておりますので、そのあたりが問題となっております」
「そうか……。城の近辺に畑は作れそうか?」
「恐らく。ただ人手が足りませんので、その場合兵士団に協力を願います」
「だそうだが。構わんだろう、ルーラント」
「もちろんです」
悲しいかな国が回っているのは魔王が人を減らしたおかげであった。感謝などはしていないが、それに恩恵を感じてしまっているのは事実である。
小国ながらもアベスカは問題が多い。もちろん他の国がそうではないかといえば別なのだが、アベスカもアベスカで自国のことでキャパシティオーバーしそうなのだ。
「た、大変です、ライニール王!」
ばん、と大きな音を立てて会議室に駆け込んできたのは、ライニールの側近で秘書であるマグヌス・ヘダーである。
大臣達も負けてはいないが、一番ライニールに踊らされ胃を痛め振り回されているのはこの男だろう。
年齢に対して少し少なめの茶髪がそれを物語っている。
「騒々しいぞマグヌス。何事だ、今は会議中だと伝えたはずだ」
「申し訳ございません……。ですが、その、玉座の間に……」
「なんだ?」
「魔王と名乗るものが現れておりまして……!」
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