第七十六話「深夜の密会」
「シュカいるか?」
俺は、ノックと共に岩の扉の前で小声でそう言った。
しかし、反応はない。
あれ?
確か、シュカはこの部屋に住むと言っていたはずだが。
今はいないのだろうか。
俺が、扉の前でポツンと立ち往生していると。
急に、ガガガガと岩の擦れる音を鳴らしながら、目の前の扉がゆっくり開いた。
なんだ、いるじゃないか。
と思って中を見ると、部屋の中は薄暗闇で、シュカがいるのか分からない。
だが、扉が開いたということはいるということだろう。
俺は慎重な足取りで、四百二十二番のシュカの部屋に入る。
「あれ?」
目の前には、俺の部屋とまったく一緒の構造の人が一人寝るくらいの広さしかないゴツゴツした狭い部屋。
奥の窓から月の光が差して、中の様子が薄暗く見える。
そして、俺はその部屋の光景を見て違和感を感じ、すぐに周りをきょろきょろと見回した。
部屋の中には何も無かったのである。
家具などが無いのは俺の部屋と同じなのだが。
肝心のシュカがいない。
つまり、部屋の中は無人だったのだ。
きょろきょろと見回しても、この狭い部屋の中に見る場所なんてほとんど無い。
どこにもシュカの存在は見当たらないのである。
それではなぜ、岩の扉は開いたのだろうか?
あの扉は鍵はないとはいえ、重い岩で出来ているので、かなり力を入れないと開かないはずである。
俺が引いた訳でもなく開いた扉を疑問に思っていると。
バタンッ!
と、後ろで扉が勢いよく閉まる。
だが、反射的に扉の方を振り向いても誰もいない。
なんだ、この部屋は。
幽霊でも住んでいるのか?
なんて背筋に冷や汗を垂らしながら、閉まった岩の扉を触って確認していると。
「エレイン様。
ここでござる」
「うおっ!」
と、背後から急に声がして、俺は思わず小さく悲鳴をあげてしまう。
悲鳴と同時に振り向くと。
月明りが差す窓の前に、黒装束を着たシュカの姿が見えた。
数瞬前までそこには誰もいなかったはずなのに、どうやってそこに立ったのだろうか。
というか、こいつは毎回毎回俺を驚かせないと気が済まないのか?
そう呆れるようにシュカをジトッと見ると。
「敵の罠の可能性も考えたので、すぐには姿を現せなかったでござる。
申し訳ないでござる」
「そうか……」
部屋の中に、そんなシュカの淡々とした少し高めの声が響き渡る。
言葉とは裏腹に、その声からは申し訳なさが微塵も感じられない。
顔を隠しているのも相まって、シュカの感情が全く読み取れないな。
まあ、罠の可能性を考えていたなんて言われてしまえば、俺に何か言えるはずもないか。
すると、シュカは俺の前に
片膝をつき、顔だけこちらを見上げている。
「エレイン殿。
何用でござるか?」
「ああ。
こんな時間に訪ねて悪いな。
今日ジュリアがお前に負けた手前、ジュリアの前で呼ぶのもどうかと思ってな」
「拙者は
睡眠は取らないので大丈夫でござるよ。
それで、用は何でござるか?」
極めて冷静な口調で、俺に用件を催促するシュカ。
いや、当たり前のように言ったが、睡眠を取らないってどういうことだ?
「
睡眠を取らなくても活動できる技術があるのだろうか?
そんなシュカの何気ない一言が気になった俺だったが、結局、俺の中で
「用件は、ジュリアの件と派閥の件についてだ」
俺の言葉を聞いて、シュカの唯一見える表情である目元がピクリと動いた。
「本部棟でのサシャ殿との会話は拙者も聞いておりましたが、ジュリア殿の件については授業内の試合だったゆえ。
少々痛めつけたのは不可抗力でござる」
「ああ、分かっている。
それに、その件については、ジュリアも既に乗り越えたようだしな。
ただ、ジュリアは修練を積んで強くなってから、またシュカと戦いたいと言っている。
だから、シュカに言いたいのは、強くなったジュリアがお前にまた試合を挑んだとしたら、今度は本気でやってくれってことだ」
俺がそう言うと、シュカは目を細めた。
「本気でやったら殺してしまうでござるよ?」
淡々とした口調でそう言うシュカ。
冗談で言っているという様子ではない。
ジュリアとの実力差を考慮した上で言っているのだろう。
「ジュリアを殺したら、俺はお前を許さない」
俺は、シュカを睨みながらそう言った。
少し語気を強めて言ったのだが、シュカは無反応。
俺のことをジッと見て観察している様子である。
その様子を見ながら、俺は言葉を続ける。
「だが、ジュリアは剣の才能がある。
次にジュリアと戦うときは、お前に本気を出させる程度には強くなってるはずだ。
その時は、よろしく頼むな」
俺の言葉を聞いて、シュカは驚いたように目を丸くする。
そして、シュカは珍しく小さく笑った。
「ふ。
流石はエレイン殿。
分かっているでござるな。
ジュリア殿はジャリー殿の娘。
であれば、修練を重ねることで、おそらく今以上に強くなるのは当然。
拙者もジュリア殿が強くなるのは楽しみであるゆえ。
エレイン殿の頼み、承知したでござる」
そう言って、頭を下げたシュカ。
俺は、シュカの反応が予想とは違ったので呆気にとられた。
否定的な返答が返ってくると思っていたのだ。
ジュリアはシュカに対して明らかに敵対心を持っていたし、シュカもシュカでジュリアに厳しい言葉を投げつけながらシュカの肩の腱を斬っていた。
シュカも、ジュリアに対してあまり良い印象を持っていないのかと思っていたが。
意外とそうでもないらしい。
というか、シュカも笑ったりするんだな。
いつも覆面のように纏っている黒装束のせいで、表情が分からなかったが。
意外と人間らしいようだ。
そんなことを頭の片隅で考えながら、俺は次の話題に入る。
「それから。
今日の昼に、サシャの友達のアンナという女の子から派閥について聞いた。
シュカ以外の第一階級の生徒の詳細についてもだ」
「は。
拙者も近くにいたゆえ。
昼の話の内容については全部把握しているでござる」
いや、いたんかい。
と、思わず突っ込みたくなるのをなんとか抑える。
シュカの隠密スキルが高いのは知っていたが、お昼の食事会のときに近くにいたとは思わなかった。
まるで、ストーカーに監視されているような感覚に、やや恐怖を覚える。
「え、ええと。
シュカはいつも俺のことを監視しているのか?」
「は。
ザノフ殿の命令ゆえ。
拙者は常にエレイン殿の近くにいるでござる」
「…………そうか」
厄介な護衛だなと思った。
陰ながら守ってくれていると言えば聞こえは良いが、やっていることはストーキングである。
プライベートを覗かれている気分で、あまり居心地は良くない。
とはいえ、ザノフの命令なら仕方ないか。
俺は、ため息をつきながらも、シュカの隠密行動の件については一旦忘れて話を戻す。
「それでな。
シュカに頼みたいことがあるんだ」
「何でござるか?」
「シュカ以外の四人の第一階級の生徒に会って話がしてみたい。
シュカは同じ第一階級だろう?
取り次ぐことは出来ないか?」
俺がそう聞くと、シュカは少し考えるように俯いた。
そして、すぐに再度俺を見上げる。
「出来る者もいれば、出来ない者もいるでござる。
第一階級の生徒は拙者以外にメイビス殿、エクスバーン殿、ガラライカ殿、スティッピン殿がおるでござるが、取り次げるのはメイビス殿とエクスバーン殿くらいでござろう」
取り次げるのは、メイビスとエクスバーンだけか。
魔王の息子に取り次いでもらえるのは助かるが……。
「なぜ、取り次げる者と取り次げない者がいるんだ?」
「メイビス殿とエクスバーン殿は、居場所が分かるからでござる。
二人とも大学の第一寮で暮らしているゆえ。
第一寮に行けば話を取り次げるでござる。
しかし、ガラライカ殿とスティッピン殿の所在が不明でござる。
おそらく、大学にいないと思われるゆえ……」
「大学にいない?
大学の生徒なのに、大学にいないことが許されるのか?
授業を受けられないじゃないか」
基本的に、イスナール国際軍事大学の全ての生徒は、寮に通っている。
そして、午前中に剣術か魔術か体術の授業を受け、それから午後は他の教科を選択して履修するシステム。
お昼の授業が無い時間や夜に少し街に出るくらいなら分かるが、大学にいないとなると授業を受けることも出来ない。
「授業で好成績を認定された生徒は卒業試験を免除されるゆえ。
第四階級以上の生徒は既に卒業要件を満たしているんでござる。
それゆえに、授業に出る必要もないんでござるよ」
ほう。
そういえば、この大学の卒業要件を俺は知らなかった。
今の話から察するに、大学を卒業するには、何かの授業で好成績を取るか卒業試験を合格する必要があるということだろう。
ということは、既に剣術の授業で好成績を認められた俺は卒業要件を満たしているということか。
そういえば、ジェラルディアに好成績を認められた時に、「好成績を認められたからといって、授業をサボるんじゃないぞ」と言われた。
あのときの俺はサボるわけないじゃないかと思ったものだが、今考えてみれば好成績を認められたものは卒業要件を満たしたから授業へ出る必要がなくなる。
そのせいで、授業に出なくなる生徒もいるから、ジェラルディアは俺に念押ししたのだろう。
まあ、俺はジェラルディアから光剣流や無剣流の奥義を教わりたいから、卒業要件を満たしたからと言って授業を欠席などしたりはしない。
大学とは、卒業するために行くのではなく、自分の能力を上げるために行くものだからな。
しかし、そういう意味で言ったら、第一階級の生徒は、授業から得られることは無くなり、自分の能力を上げ終わった段階なのかもしれない。
それならば、授業に出席しないというのも頷ける。
「なら、その二人は何をしているんだ?」
「拙者には、二人が今どこで何をしているのかは分からないでござるが。
おそらく、ガラライカ殿はどこかで誰かと戦っているのでござろう。
ガラライカ殿は戦闘狂ゆえ。
普段から、冒険者ギルドの依頼を受けて魔獣を倒しにどこかへ行ったり、強い者を探して決闘を挑みにどこかへ行ったりするという報告を部下から受けているでござる」
「そ、そうか……」
ピグモンから聞いていた通りの凶暴ぶりだな。
ガラライカという人物は、獣人族の王女だと聞いていたが、本当に王女なのだろうか?
話を聞く限り、まるで野に放たれた獣のような人物である。
「スティッピンという者はどうなんだ?」
「スティッピン殿に関しては、拙者には何も分からないでござる。
スティッピン殿は、身を隠して何かを研究をしているようでござるが、拙者の部下からも何も情報が入ってこないゆえ。
スティッピン殿は部下も十数人しかおらず、その十数人の部下も全員行方をくらましているようなので、行方の見当もつかない状況でござる」
「ふむ」
スティッピンは部下と共に行方をくらましているのか。
身を隠して何かを研究となると、怪しい匂いもするが。
確か、スティッピンの専門は光魔術と闇魔術だと聞いている。
正直、光魔術と闇魔術に関しては使う者が少ないので、どういう魔術なのかあまり知らない。
あれを研究すると、どのような魔術が使えるのか気になるところではあるな。
などと考えていると、シュカが続けて口を開く。
「最後に見たのは、入学式後の新入生争奪戦のときでござるな」
「新入生争奪戦?」
聞いたことがないワードだった。
争奪戦と言うと、まるで新入生を奪い合うかのような響きだな。
「入学式後一週間は、新入生がどの派閥に入るか選ぶ期間になっているでござるよ。
なので、その一週間は各派閥が有能な生徒を確保するために争奪戦を繰り広げるゆえ。
争奪戦のときは、スティッピン殿も大学にいたでござるな。
あまり、目立った行動をしている印象は無かったでござるが……」
そういえば、どの派閥に入るかを入学式の一週間後までに決めなくてはならないことはアンナも言っていたな。
その期間に派閥同士の争いがあるということか。
「ということは、入学式から一週間の間に、またスティッピンが来る可能性が高いということか」
「そうでござる」
なるほどな。
入学式でスティッピンに会える可能性があることは、頭の中に入れておこう。
「大体理解した。
ひとまずメイビスに関しては、アンナと話しに行った方が信用を得やすいだろうから、大丈夫だ。
シュカは、エクスバーンに話を通してもらっていいか?」
「承知したでござる」
そう言って、右手の平を胸に寄せて頭を下げる。
それに、俺も頷く。
「では、話を通せたら、また連絡してくれ」
と言って俺がシュカの部屋を出ようとしたとき。
後ろからシュカに呼び止められた。
「エレイン殿。
もし、ガラライカ殿に戦いを挑まれたら、戦わないことをオススメするでござる」
「……?
ああ、話を聞くだけでも凶暴なのに戦うわけないじゃないか」
俺は、それだけ言ってシュカの部屋を出た。
なぜ、シュカは最後にあんなことを言ったのだろうか。
大学にいないなら、俺がガラライカと会えるはずもないのに。
そんなことを考えながら俺は自室に戻り、眠りにつくのだった。
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