第六十四話「ジャリーとの別れ」

 二人のジュリアは、二人のジャリーに向かって全速力で駆け出す。

 

 二対二。

 ジュリアとジャリーの単純な剣の実力ならジャリーの方が上だろう。

 同じ人数であれば、当然ジュリアの方が不利だ。


 しかしそのとき。

 二人のジュリアの脇から白黒の影が見えた。

 パンダのトラである。


 もはや残像しか見えないトラの素早い動きは、ジュリアがジャリーの元に到達するよりも早い。

 そして、トラは片方のジャリーの脇腹を目がけて得意の回し蹴りをした。


 トラの蹴りは岩の扉を破壊し、当たれば人を何メートルも吹き飛ばすだけの破壊力がある。

 たとえジャリーであろうと、まともに当たればひとたまりもないだろう。


 だが、ジャリーにその蹴りは当たらなかった。

 ジャリーは冷静に影法師でその場を消え、トラの背後にできた影の上に瞬間的に移動。

 そして、トラの頸椎に剣の柄で頭を一撃。


「メェ……」


 トラはそんな声をあげて、ゆっくりと倒れたのだった。


 あまりに鮮やかな動きに目を奪われるが、俺がジャリーの動きに目を奪われている間にジュリアはすでにジャリーの目の前まで駆けこんでいた。


「はあああああ!」


 ジュリアは、トラが倒れたことなどお構いなしに二人のジャリーに突っ込む。


 片方のジャリーは、ジュリアの上段から振り下ろされた刀剣を華麗に受け流す。

 一方、トラと戦っていた方のジャリーは少し隙を取られた形となったようだ。

 少し遅れるようにして剣を上段に構えて反応するも、待ってましたと言わんばかりにジュリアは剣筋を方向転換させる。

 

 これは朝の打ち合いのときにジュリアがよく見せるやつだ。

 左方上段からの剣筋を、手首と腕を捻らせて右方上段からの剣筋に方向変換させる。

 ジュリアの得意技である。


 ジュリアの技によって、ジャリーの肩に剣が勢いよく右上段から振り下ろされているとき。

 ジャリーは少し苦い顔をした。

 そして、消えた。


「ぐあっ……!」


 ジャリーが消えたのと同時に小さな悲鳴が鳴り響く。

 ジュリアの悲鳴だった。


 ジャリーはジュリアの背後を取り、ジュリアの太ももを刺していた。


「ジュリア!」

「ジュリア、大丈夫!?」


 叫んだのはサシャとピグモンだった。


 その叫びを聞いて、後ろにいたサシャやピグモンの方を見てハッとした。

 よく見たら、周りには大学の生徒と見られる青い制服を着た人達がジャリーとジュリアの戦いを見物している。


 まずいな。

 こんな大学の敷地内の路上で真剣で戦っていたら、当然に注目も集まるだろう。

 あまり悪目立ちはしたくない。

 早く戦いを終えてもらいたいところだが、ジャリーとジュリアの戦いに俺が入れる隙などない。


 だが、ジャリーがジュリアの太ももを刺したならば、もうすぐ戦いは終わるだろう。

 などと思っていたが、その考えは目線を周りの生徒達からジュリアに戻したときに変わった。


 ジュリアは太ももに剣を刺されながらも、その剣を両手で掴んで抜けないようにしていたのだ。


「なっ……放せジュリア!」

「……絶対離さない!」


 ジャリーは、ジュリアに出来るだけ傷を与えないようにするため、刺す部位として太ももを選んだのだろう。

 太ももをジャリーの細剣で刺した程度の傷であれば、サシャの治癒魔術ですぐに治せるからな。


 しかし、今ジュリアは両手から血を垂らしながら、ジャリーの剣が太ももから抜けないように刀身を握っている。

 もはや狂気とも思えるその行動で、ジャリーの表情に動揺が走る。


 動揺するのも当然だ。

 おそらく、ジャリーの細剣を握っているジュリアは影分身ではなく本体だ。

 影分身であれば、血を流すほどの傷が出来ると、魔力を維持できなくなるのか消えてしまう。

 ジュリアの本体が自らジャリーの細剣を握って、血をダラダラと流す異様な光景。


 ジャリーとしては、出来るだけジュリアに傷をつけないように戦いを終わらそうと思っていたはずだ。

 娘を傷つけたい親などいるわけがないからな。

 自傷しているジュリアを見て動揺が隠せなくなっているのだろう。


 そして、そのような大きな隙を見逃すジュリアではない。


 いつの間にか、もう一人のジャリーの隣からもう一人のジュリアは消えていた。

 もちろん、影法師である。

 影法師で移動した先は、動揺しているジャリーの背後。


「ふふん!

 さっきから影法師をたくさん使ってたから気づいてたわ!

 こっちのママが本体なんでしょ!」


 ジャリーの剣を握っているジュリアは、痛みに堪えるような表情で叫ぶ。


 なるほど。

 わざわざ本体のジュリアが太ももに刺された細剣を素手で掴んでいたのは、トラを倒したジャリーをジャリーの本体だと見定めたからか。

 単純な実力では勝ち目がないと悟り、細剣を掴むことでジャリーの本体をその場にとどめて、ジャリーの背後に分身体を影法師で転移させて挟み撃ちする作戦にでたのだろう。

 悪くない作戦だ。


 そして、次の瞬間。


 ジャリーの背後に現れたジュリアは、ジャリーの太ももを思いっきり不死殺しで刺したのだった。

 それを見て二ヤリと笑うジュリア。


「これでお互いさまよ!」


 と、ジュリアが勝ち誇ったように言ったそのとき。

 二人のジュリアで挟まれたジャリーは、スッと影に消えた。


「「……え?」」


 目の前のジャリーが消えて表情が崩れる二人のジュリア。

 そして無情にも、ジャリーの太ももを刀剣で刺した分身体のジュリアの背後にジャリーが現れる。

 

 その気配に気づいたのか、勢いよく分身体のジュリアが振り返ろうとするも、振り返る前に細剣で腹を刺される分身体のジュリア。

 腹を刺されたジュリアは、スッとその姿を影に消した。


 そして、血をダラダラと流すジュリアを苦い表情で見下ろす無傷のジャリー。


「なぜ、私の分身体を本体だと思った?」


 咎めるようにそう言うジャリーの声は険しかった。

 その問い詰めるかのような言葉に、ジュリアは顔をしかめる。


「だ、だって。

 あのママは、影法師二回も使ってたし。

 一番動いてるように見えたから……」

「甘い!!」


 ジャリーは叫んだ。

 ジュリアは、突然のジャリーの叫びにビクッと驚く。


 ジャリーは、ジュリアの反応など余所に言葉を続ける。


「戦いは非情だ!

 一瞬の判断の間違いで死ぬこともある!

 なぜ、私が本体の可能性も考えなかった!

 勝手な思い込みをするな!

 戦いは常に最悪の事態を想定しなければ、待っているのは死のみだ!

 お前は確かに強い!

 だが、お前より強い奴なんてこの世の中たくさんいるぞ!

 だから、大学で鍛えてこいと言っているんだ!」


 いつも無口気味のジャリーからは考えられない大声に、俺とサシャとピグモンは息を飲む。

 そして、ジュリアに至ってはそのジャリーの叫びを真正面から受け止めて、涙を流していた。


「でも、でも。

 わ…私は大学じゃなくて……ママに剣を習いたいの。

 ママと……ひっぐ……一緒に……いたいの。

 何年もママと離れるなんて……ひっぐ……絶対にいや……」


 涙で言葉を詰まらせながら、必死に訴えるジュリア。

 その様子は見ていて切ない。


 流石のジャリーも、そんなジュリアを見て苦悶の表情だ。

 そして。


「ジュリア」


 ジャリーはジュリアを呼びながら、腰を降ろしてジュリアを抱いた。

 それは、泣いている娘を慰める母親の顔をしたジャリーだった。


 ジュリアは突然ジャリーに抱かれたことで、堪え切れなくなった様子。


「ママ、ママ!

 わたし……わたし……ひっぐ……。

 びえーーーん!」


 そう言って、ジャリーの胸に顔をうずめながら大泣きするジュリア。


「ジュリア、泣くな」


 ジャリーはそんなジュリアを抱きながら、優しく頭を撫でる。


「あのジェラルディアとかいう男は強い。

 光剣流と無剣流まで扱える。

 あの二つの剣技を覚えれば、ジュリアは私よりも強くなるかもしれない。

 だから、大学へ置いて行くんだ。

 五年だけだ。

 理解してくれジュリア、頼む」

「でも……でも……ひっぐ……。

 ママと離れ離れなんて……ひっぐ……いやだよぅ……」


 ジャリーが説得しても泣き続けるジュリア。

 その強く抱きしめられた腕から、絶対に離れたくないという意思が感じられる。


 だが、ジャリーはその腕を引き離して、ジュリアの目線と同じ位置になるようにかがむ。

 そして、ジャリーはジュリアを真っすぐに見つめた。


「ジュリア。

 私は、お前を愛している。

 私だってジュリアと離れたくない」

「それなら!」

「でも、それ以上にジュリアには強くなってほしいんだ。

 頼む、ジュリア。

 五年だけ我慢してくれ」

「……」


 ジュリアの目を真っすぐに見つめながら、再び同じお願いをするジャリー。

 その真摯な態度からは、ジュリアへの愛が感じられる。

 ちゃんとジュリアに理解してもらったうえで別れようとしているのだろう。


 そんな態度を見てジュリアも涙を流しながらも、何か思案している様子。

 そして、ゆっくりと口を開く。


「本当に五年だけ……?」

「ああ、そうだ」

「五年したらまた会える?

 私を置いて行かない?」

「ああ、会える。

 私も成長したジュリアに会いたい」

「……」


 そのジャリーの言葉を聞いて、ジュリアも涙を拭きながら何かを考える。

 それから、ジャリーの方を真っすぐに見つめ返した。


「……分かった。

 五年間だけ頑張ってみる」


 と、呟いたのだった。


 驚いた。

 あの強情だったジュリアが、ついに折れたのだ。


 ジャリーの真摯な説得が功を奏したのだろう。

 やはり、ジャリーは母親なのだなと改めて思った瞬間だった。


 すると、ジャリーは腕を広げて、再びジュリアを力強く抱きしめた。


「ジュリア、ありがとう。

 頑張るんだぞ」

「……うん」


 こうして、ジュリアはイスナール国際軍事大学入学に納得したのだった。



ーーー



 ジャリーとジュリアの戦いは終わり、周りに集まっていた青い制服を着た大学の生徒達も散り散りになっていった。


 サシャは戦いが終わるや否や、すぐにトラのところに駆け寄って治癒魔術をかけていた。

 幸いというか、ジャリーのおかげだろうが、治癒魔術をかける前からほぼ無傷で、頸椎に衝撃をくらって気絶しているだけのようだった。

 あの一瞬で、相手を傷つけないように気絶だけさせたジャリーの手際は、見事と言わざるを得ない。


 そして、ジャリーはというと、べそをかいているジュリアの手を握りながら俺達のところまで戻ってきた。


「エレイン。

 最後にすまなかったな」

「いえ。

 無事に説得ができたようで良かったです」


 俺がそう言うとフッと小さく笑うジャリー。

 その表情は、いつもの無表情のジャリーとは違う優しげな表情だった。


 それから、ジャリーは真剣な表情に戻る。


「お前たちにも最後に一言言っておこう」


 そう言ったジャリーは、まずピグモンを見る。


「ピグモン。

 お前は私達の金を盗んだ悪党だ。

 それに関しては、決して許されることではない。

 だが、こうしてお前は今エレインに仕えている。

 お前の実力は私が認める。

 盾役としては、中々の実力だ。

 今後、エレインの護衛であるということを絶対に忘れるな!

 その大斧でエレインのことを守り抜け!

 もし、また歯向かったら私がお前を殺すからな!

 いいな、ピグモン!」

「ぶ、ぶひ!」


 おそらく、ユードリヒア語で叫んだジャリーの言葉の意味はピグモンには伝わらなかっただろう。

 しかし、その恐ろしいジャリーの剣幕から、何を言っているのか察した様子のピグモンは顔を青くしながらそう返事をした。


 そして、次に向いたのはサシャだった。


「サシャ。

 お前はこの旅中、献身的にエレインを魔術でサポートしていたその働きは素晴らしかった。

 馬車をこんな遠くまで走らせてくれたことに感謝しよう」

「いえいえ、そんな」


 そう言われて、少し照れた様子のサシャ。

 確かに、サシャのサポートは日常的すぎてあまり注視することはなかったが、御者として馬車を運転してくれたり、魔術で治癒してくれたり、ときには一緒に戦ってくれたり。

 その働きは素晴らしかった。


 いつも一緒にいた俺でさえ、あまりサシャにしっかりと感謝の気持ちを述べたことはなかった。

 ジャリーの改まった感謝の言葉を聞いて、俺は少し反省した。


「これからも、エレインを献身的にサポートしてくれ。

 この大学は魔術の授業もやっていると聞く。

 あのフェラリアとかいう魔術師のレベルから察するに、学問レベルは高いだろう。

 お前は戦闘向きではない。

 治癒魔術を得意としているならば、新しい治癒魔術を学んだり、新しい補助魔術を覚えてみたりするといいだろう。

 精進は怠るなよ」

「はい!

 ジャリーさん、ありがとうございました!」


 そう言って、九十度頭を下げてお辞儀をするサシャ。

 サシャも、最初こそジャリーやジュリアとあまり仲は良くなかったが、この二ヶ月間で普通に話せるどころか感謝し合う仲になったようだ。

 俺は、その成長が嬉しかった。


 そんなことを思っていると、ジャリーは俺の方を勢いよく向いた。


「最後にエレイン。

 お前には言いたいことが山ほどあるが、これだけは言わせてくれ」


 そう言って、コホンと咳払いをしてから俺を真剣な目で見下ろすジャリー。

 そして、口を開いた。


「ここからだぞ。

 大学に入学出来たからといって満足するなよ?

 お前のやりたいことは、その先にあるはずだ」

「はい、分かってます」

「それならば、いい。

 お前は賢い子供だ。

 ときには失敗するだろうが、くじけるなよ。

 剣の才能は間違いなくある。

 お前は、私でも倒せなかった吸血鬼ヴァンパイアフレディ・ベラトリアムを倒したのだからな。

 だが、おごり高ぶるな。

 常に自分に厳しく精進しろ」

「はい!」


 俺は、精一杯大きな声でに返事をした。

 

 そのジャリーの言葉は本当にありがたかった。

 別に驕っていたつもりはないが、自分の身を引き締めるきっかけにもなる。

 ジャリーの言葉は、それほど俺にとって大きいのだ。


 そして、最後にジャリーは一つ言葉を付け加えた。


「……それから。

 ジュリアをよろしく頼むな」

「任せてください!」


 ジャリーは、やはりジュリアが心配なのだろう。

 ここまで旅をしてきた仲だ。

 ジャリーがいない間は、俺が責任を持ってジュリアを守ろう。

 そう思ったのだった。


 そして、ジャリーはジュリアの手を離して、踵を返す。


「ママ!」


 もう行ってしまうと察したのか、ジュリアは涙しながら叫ぶ。

 しかし、ジャリーは振り返らない。


「ジュリア。

 五年後。

 強くなったお前に会えるのを、楽しみにしている」


 それだけ言って、ジャリーはカツカツと歩いて行ってしまう。


 これまでの旅では、散々ジャリーのお世話になってきた。

 おそらく、ジャリーがいなかったら俺は死んでいただろう。

 ジャリーのその献身的な護衛にいつも助けられてきた。

 感謝しかない。


(ジャリー、ありがとうございました)


 俺は心の中で、ジャリーに感謝の念を述べながら、ジャリーの後姿を見送ったのだった。

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