第二十二話「危機一髪」

 ありえない。

 あの体勢から、私の影法師を防ぐなんて。

 背後をとったはずなのに。


 男は、こちらを見ていない。

 数瞬前に私がいた場所に体を向けている。

 しかし、男の右手だけは後ろを向いていた。

 その右手が持つ剣が、私の背後からの一刀を防いでいたのだ。


 防がれたのを見て、私は急いで一歩後退した。

 剣を中段に構えて、反撃に備える。


 スキンヘッドの男は、私の方へ振り返った。

 男は私を見て、驚愕の表情を浮かべていた。

 先ほどまでの余裕な態度とは一変、明らかに私を警戒しはじめる。

 そしてポツリと呟いた。


「お嬢ちゃん。

 まさか、影剣流の使い手かい?」


 驚いた。

 今の一撃だけで、私の流派まで見抜いたのか。

 

 それに、なぜこの男は影剣流を知っているのだろうか。

 そもそも、影剣流を使えるのは、私とママくらいしかいないはずだ。

 それは、ママが人に影剣流の奥義をあまり教えたがらない性質たちだからである。

 娘である私には教えてくれたが、他の人に教えてるところを見たことがない。

 今では、影剣流という名前を知っている者すら珍しいはずだ。

 それなのに、なぜこの男は一撃で見抜いたのだろうか。


「今の技は、昔一度だけ見たことがある。

 帝国で、三剣帝の一人であるジャリー・ローズが模擬戦をしているところを見たときだ。

 たしか、『影法師』といっていたか?」


 私は、奥義の名前まで言い当てられて息をのむ。

 こいつ、ママを知っているのか。


「どこでその技を体得した?

 その技はジャリー・ローズしか使えないとされていた技の一つ。

 あいつは、光剣流当主のカイン・ダマや無剣流当主のペテルシカ・ムビタイトと違い、影剣流の奥義を誰かに教えるということはしていなかったはずだ。

 あいつの元に何人も習いに行ったが全員追い返され、何人かは殺されたと聞いている。

 なのになぜ、お前はその技を使える?」


 男の語気が強くなる。


 なぜ影剣流を使えるかと聞かれれば、それは私がママの娘だからだろう。

 しかし、答える義理はない。


 サシャが、御者台の端で不安げにこちらを覗いている。

 私は急いで首をサシャの方に向ける。


「あんた……いや、サシャ!

 今すぐ逃げなさい!

 ここは私が抑える!」


 私はサシャに呼びかけた。

 切羽詰まっていた私の声は必死だったと思う。

 

 私の最速の技が敗れた今、この男に勝てる方法は消えた。

 もはや、サシャを守り切れる自信がないのだ。


 サシャは私を嫌っているからか、初めて私に名前を呼ばれたからか、戸惑っていた様子だったが、私の必死な声が伝わったのか、うんと頷いて馬車を私がいる反対の方から降りた。

 すると、離れたところにいた金髪の男が叫ぶ。


「兄貴!

 俺はあのピンク髪の女を追います!

 兄貴は、その黒妖精族ダークエルフのガキをやっちゃってください!」


 そう言って、私と少し距離をとりながらサシャがいる方に回り込む金髪の男。

 サシャはそれを見て、急いで逃げるようにして走り出す。


「待ちなさい!」


 私は振り返り、金髪の男を追おうとする。

 その瞬間。


「痛っ!」


 急に左足の太ももに激痛が走った。

 後ろを振り返ると、スキンヘッドの男が私の左足の太ももを剣で刺していた。


「行かせるわけないだろ」


 男は言い終わると、私の太ももから剣を勢いよく抜いた。


「うあああ!」

「ジュリア!」


 激痛に耐えられず、思わず悲鳴をあげてしまう。

 サシャは走りながら振り返って、私の名前を大声で呼んだ。

 しかし、追われているサシャにそんな暇はないはずだ。


「い、行きなさい!」


 私は痛みをこらえて、力の限り声を振り絞った。


 私の中では、せめてサシャだけでも逃がそう、という感情があったのだ。

 それは、私が護衛を任されているからであるが、それだけではない。

 今日、サシャに対して酷いことをした罪滅ぼしでもあった。

 とにかく、サシャを逃がさなければと思った。


 サシャは私の逼迫した声を聞くと、私の思いを理解したのか走って逃げていった。


「ま、待ちやがれ!」


 金髪の男は、逃げるサシャを走って追いかける。

 私はその様子を、刺された太ももを押さえながら見送ることしかできなかった。

 

 スキンヘッドの男は私から目を離さない。

 太ももを負傷させてもなお、警戒している様子だ。


 正直、太ももを刺されたが、影法師を使うことも出来なくはない。

 あれは、相手の影の上に転移する技だから、足が負傷しているかは関係ない。

 しかし、この男が隙を見せないため、使ったところでまた防がれる可能性は高い。

 私は、歯を食いしばりながら男を見上げることしかできなかった。


「自分を犠牲にしてでも仲間を逃がすとはな。

 まだ小さいのに見上げた根性だな」


 スキンヘッドの男は、私を見下ろしながら落ち着いた声で言った。

 言いながら、足を押さえた私を観察するかのようにジッと見下ろす。


 私は、なぜとどめを刺されないのか疑問に思った。

 が、理由など何でもいい。

 男が会話をしたいのなら、会話をして長くここに留めておこうと思った。

 その方が、サシャが逃げられる確率が上がるのだから。


「ふ、ふん!

 仲間じゃないわ!

 私はサシャの護衛よ!

 護衛なんだから、守るのは当然よ!」


 私は左足の激痛に堪えながら、声を張り上げる。

 

「そうか、お前は護衛なのか。

 道理で強いわけだ。

 その若さでそれだけ強いなら、将来が楽しみだな」


 男は無表情で私を褒める。

 私は太ももの痛みでそれどころではない。


「で?

 その影剣流の技はどこで身に着けたんだ?」


 男は私を見下ろしながら聞いてくる。

 私には、なぜそんなどうでもいいことを聞いてくるのか分からない。


 しかし、とどめを刺してこないのはありがたい。

 もう私にはサシャのように走って逃げることも不可能だ。

 できるだけ話そうじゃないか。


「なんで、そんなことを知りたいの?」


 私はできるだけ会話を引き延ばすよう、質問で返した。

 すると、男はそんなことを聞くなんてありえないといった表情で、やや興奮気味に叫びだした。


「知りたいに決まっているだろう!

 剣王イカロスから技を受け継ぎ生まれたのが、現在のユードリヒア帝国三剣帝の三大流派!

 三大流派全てを極めれば、剣王イカロスの力を得られるとさえ言われている!

 当然、この世界には三大流派全ての技を極めたいと思う者は、俺を含めて山ほどいる!

 しかし、影剣流は代々隠匿されてきた流派だ!

 ジャリー・ローズも技の伝承をしていない今、影剣流を扱える者はほぼいない!

 その技を、お前が使えるのはおかしい!

 誰に教わったか言え!」


 大声をあげながら捲し立てる男。

 スキンヘッドのこめかみに血管が浮き出ている。

 その興奮度合いから、それが事実であることが分かる。


 知らなかった。

 影剣流とは、そんなにすごい流派だったのか。

 物心ついたときにはママから剣術を教わっていたため、あまり実感は湧かない。


「ジャリー・ローズは私のママよ」


 私は正直に言った。

 別に隠すことでもない。

 それより、はぐらかしてまた刺されるのが怖かったのだ。


 それを聞いて、男は面食らったような顔をする。

 そして、小さく呟いた。


「あの、ジャリー・ローズに……子供だと……?」


 男はマジマジと私の顔を見てくる。

 そして、段々驚愕したような顔に変化していった。


「た、たしかに、良く見るとジャリー・ローズに顔が似ている…か?

 種族も黒妖精族ダークエルフだし、本当に子供なのか?

 しかし、あのジャリー・ローズに子供なんているか……?

 俺が知っているジャリー・ローズは、子供はいなかったし、人を寄せ付けないような女だったはずだが……」


 私の顔を見てママに似ているとは認識したようだが、やや困惑している男。

 だが、そんなことは知ったことではない。

 ジャリー・ローズが私のママなのは事実なのだから。


 すると、男は何かを思いついたような顔をした。


「そうだ。

 お前が本当にあのジャリーの娘なのであれば、お前を人質にとってジャリーに影剣流を教えてもらおう」

「なんですって!?」


 男は、二ヤニヤとした顔で私を見始めた。

 私は、左足の太ももを押さえるのを止めて、剣を両手で握る。

 それを見て、男も剣を構える。


「正直、お前には何の恨みもないが、本当にジャリーの娘というのであればお前を拉致する。

 まさか、こんなところで俺にチャンスが巡ってくるとは思わなかったが。

 そういえば、ジャリー・ローズは今はメリカ王国にいるんだったか。

 じゃあ、お前は本当にジャリー・ローズの子供なのかもな。

 メリカ王国に来たのはたまたまだったが、これは幸運だった」


 気分良さそうにペラペラと話し始めるスキンヘッドの男。

 私は、それが不快だった。


 しかし、私には為すすべがない。

 私の最速の奥義『影法師』でも敗れたのだ。

 この男に私は勝てないと悟っている。


 それにこの左足では逃げることも出来ない。

 激痛で涙が出そうになるのを、歯を食いしばってこらえる。


 できるだけ抵抗するのだ。

 サシャが逃げられる時間を私が稼ぐ。

 その気持ちで剣を前に構える。


「ははは。

 まだ抵抗する気力があるとは。

 本当に見上げた心意気だ。

 だが、抵抗されるのは少々面倒だ。

 腕の一本くらいはもらうぞ?」


 急に雰囲気が変わる。

 私を冷ややかな目で見下ろす男。

 私は恐怖につつまれた。

 これから、私の腕を斬られると悟ったからだ。


 ああ。

 こんなことになるなら、すぐにサシャに謝っておくんだった。

 私がサシャにすぐに謝っていれば、あんな気まずいことにもならなかったし、ママもエレインを茂みに連れて行かなかったかもしれない。

 ママがいれば、こんなやつすぐに倒してくれるのに。

 私のせいだ。


 私が後悔していることなど関係なしに、男は剣を振り上げる。

 私は、剣を構えるのがやっとだった。

 足は痛みと恐怖で震えている。

 腕にも全然力が入らない。


 男は剣を振り下ろした。

 恐ろしく速い剣速で、剣が見えない。


 そうか、この剣が私の影法師を防いだのか、と思った。

 これは防げない。

 

 私は斬られることを覚悟して目をつむった。

 その瞬間。


「ぐああっ!」


 目の前から男の大きな悲鳴が聞こえた。


 斬られることを覚悟していたが、私の体に痛みはない。

 目の前で何が起きたのだろうか。

 私はゆっくりと目を開けた。


 すると、目の前には剣を持っていた右腕を失ったスキンヘッドの男が、苦悶の表情で立っていた。

 男の右腕からは大量の血が垂れている。


 私は目の前の光景に一瞬混乱した。

 なぜ、男の右腕が無くなっているのか。

 苦しむ男をまじまじと見ていると、男の後ろから人影が現れた。


「ママ!」


 私は思わず叫んだ。

 そして、安堵の気持ちで包まれた。

 極度の緊張から解放されたためか、目から涙が溢れる。


「ジュリア!

 大丈夫か!」


 男の背後にいたママは、一瞬で私の目の前に詰め寄る。

 これも影剣流の技だ。


 ママの顔は、いつもの無表情でクールな顔とは違い、汗がダラダラとこぼれ落ちた青ざめた顔だった。

 そして、ママは私の左足の太ももを見て、ほぞをかむ。

 これまでに見たことのないような怒りに満ちた顔をしていた。


 スキンヘッドの男を見ると、斬り飛ばされた右手から剣を回収して、左手だけで構えていた。


「お、お前は!

 ジャリー・ローズ!

 よ、よくも、俺の右腕を!」


 男の声は震えていた。

 その声に反応して、ママも振り返る。


「私の娘に手を出したのは、お前か?」


 後ろからでママの顔はよく見えないが、声だけでも殺気が伝わってくる。

 男はママの顔を見て、怯えた表情を見せる。


「お、俺じゃない!」


 男は、動揺した様子で叫ぶ。

 

 嘘だ。

 私の左足の太ももに剣を刺したのはこの男である。

 その嘘が許せなくて、思わず叫んだ。


「ママ、嘘よ!

 その男は、私を人質にしてママから影剣流を教えてもらう、とか言ってたわ!」

「黙れ、ガキ!」


 男は、私に向かって睨みながら怒声を吐いてくるが、ママの顔を見るやうろたえる。


「私の娘を人質にしようとしたのか。

 覚悟はできているだろうな?」


 ママは剣を片手で構えた。

 半身を後ろにした姿勢。

 何度も見てきた、私がお手本にしている構えだ。

 

 それを見て、男は覚悟を決めたような顔になる。


「くっ。

 こうなったら、戦うしかあるまい。

 これでも俺は、光剣流当主カイン・ダマの弟子だったこともある。

 影剣流なんていう誰も使わない剣術に、俺が負けるはずがない!」


 男は、ママを睨みつけ、声を張り上げながら剣を振り上げる。

 

 太陽の光が男の剣を照らした瞬間。

 男は一歩踏み出し、恐ろしい速度でママの頭上に剣を振る。


 すると、ママはその場から消えた。

 影剣流奥義『影法師』だ。


 男の背後を取って剣を振るママ。

 ママの剣が男の頭を捉える。

 ここまでは、先ほどの私の動きとほとんど変わらない。


 そのとき、男の左腕が一瞬消えた。


 私は目を疑った。

 言葉通り、左腕が消えたのだ。

 一瞬だけ、両腕のない状態になっているように見える男。


 だが、次の瞬間。


 男の左手は頭の後ろにあり、ママの剣を防ぐ位置に剣がのびていた。

 ママの剣速より速い男の剣技に驚きを隠せない。

 これではママの剣が防がれてしまう。


「それは私の幻だ」


 ママが剣を振り下ろしている男の背後の反対側、すなわち、誰もいないはずの男の正面から声が聞こえた。

 すると、何もなかったはずの空間にママが霧が晴れるように現れた。

 そして、男の後ろにいたママはいつの間にかいなくなっていた。


 男は、いきなり目の前に現れたママに目を丸くする。

 ママは、男の左腕に向かって剣を振り下ろす。

 背後に意識がいっていた男は、ママの振り下ろす剣に反応できていない。


「終わりだ」


 男の左腕は斬り飛ばされた。

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