第二章 少年期 大陸横断編

第十八話「旅立ち」

 一年がたち、俺は五歳になった。

 この一年間でやったことといえば、剣術の修練に魔術の勉強にイスナール語の勉強だ。


 剣術の修練の成果としては、まず筋肉がついてきた。

 毎日城を外周して、素振りも続けていたので、単純に筋肉がついてきたのだ。

 まだ五歳だというのに、いつの間にか腹筋もシックスパックに割れていた。

 体は目に見えて成果が現れているので、肉体の強化という意味での修練は成功したといえるだろう。


 ただ問題もある。

 どうしても一人での修練のため、相手を作っての戦闘訓練ができないのだ。

 生前の記憶を思い出しながら剣を振ったりするものの、効果はあまり感じられない。

 やはり体の動かし方を覚えるには、剣を打ち合う相手がいないと難しいようだ。

 そろそろ体もできたことだし、一緒に剣術訓練する仲間を作った方が良いかもしれない。

 イスナール国際軍事大学に行けば、その辺もなんとかなるだろう。


 魔術の方の勉強もかなり捗っている。

 俺は魔力がないため魔術を実際に扱うことはできないので、最初は魔術を覚えることに実感を持つことができなかった。

 ルイシャには週一回くらいでしか勉強に付き合ってもらえなかったので、中々魔術を使ってるところを見る機会もなかった。

 そのため、魔術がどのような効果を発揮するか概念的に覚えても、発動しているところを想像することができなかった。

 

 だが、今は常に隣にフェロがいる。

 フェロは魔術の勉強に熱心で、日に日に扱える魔術が増えていっている。

 俺はフェロの隣で魔術を観察することで、魔術の知識が増えていったのだった。


 それから、課題だったイスナール語の習得に成功した。

 日常会話程度なら話せるようになったと思う。

 勉強は基本的にはサシャに教えてもらっていた。

 サシャは教えるのが上手いので、本当に助かった。

 

 途中からは、イスナール語を話せるサシャとレイラとルイシャに、俺と会話をするときはイスナール語で話すようにと指示したのが良かった。

 言語を覚えるには日常会話を覚えたい言語にしてしまうのが手っ取り早いようだ。


 なにはともあれ、ペラペラとまではいかないが、一年間でイスナール語をある程度話せるくらいにはなれたというわけだ。

 大人であれば、ペラペラじゃないとバビロン大陸の人間だと疑われるかもしれないが、幸い俺の見た目は五歳だ。

 五歳の少年が多少喋るのが下手でも、誰もなんとも思わないだろう。


 そしてついに本日。

 俺はこの国を出ることになった。

 

 目的地はイスナール国際軍事大学。

 ポルデクク大陸の東部のナルタリア王国にある大学。

 馬車に乗って片道二ヶ月ほどかかる場所にあるらしい。


 無事試験に合格したら、五年は帰ってこれずに寮暮らしになる。

 しかし、俺の覚悟は決まっている。

 大学で情報を掴み、魔王への復讐の足掛かりにするのだ。

 お城でいつまでも優雅な生活をしているわけにはいかない。 


 俺はその思いを胸に、朝から準備していた。 

 すると、俺の元に黒髪から猫耳がひょっこり飛び出た可愛らしい少女がやって来た。


 そこに立つのはフェロだった。

 フェロの目もとは赤く腫れている。

 

 昨日は俺が五年間いなくなると聞いて、ずっと俺の胸で泣いていた。

 フェロにとって、俺という存在はそれほど大きかったのだろう。

 午前の剣術の修練のときも、昼食のときも、午後の魔術の勉強のときも、夜の読書のときも、ずっと一緒にいた。

 毎日何かを話し合い、笑い合った仲だ。

 元奴隷だったフェロにとっては、俺が初めて出来た友達だったのではないだろうか。


 それは俺にとってもそうだ。

 この城には、俺に対して気軽にタメ口で話してくる者はいない。

 みんな、俺を「エレイン様」と呼ぶし、敬語を忘れない。

 それは俺が王子だからだ。


 理解はしているものの、敬語で話されると相手との距離を感じ、孤独感があった。

 そんな中、俺と敬語なしで気軽に話してくれるフェロという存在は心地よかった。

 しかも、フェロは魔術の勉強に熱心で、話も合った。

 ときには魔術を見せてもらい、ときにはフェロの可愛らしい猫耳をなでる。

 俺にとってもフェロの存在は大きく、友達であり仲間だったのだ。


 そんなフェロを城に置いていかざるを得ないというのは、俺もやるせない。

 できれば一緒にイスナール軍事大学へ行きたいとは思ったが、周りに反対された。

 危険だからである。

 フェロはいくら魔術を使えるようになったとはいえ、まだ俺と同じ五歳。

 俺は留学したいという理由があるものの、それにフェロまで巻き込むのは酷だし俺の移動の重りになるだろう、という判断だった。


 それを昨日フェロに伝えたら、俺に泣きながら抱き着いてきた。


「私も一緒に連れて行って欲しいにゃん!

 置いていかないで欲しいにゃん!」

 

 と何度も懇願されて、俺もいたたまれなかった。

 しかし、それでも連れて行くわけにはいかない。

 一晩かけて、なんとか説得した。

 とわいえ、完全に納得したという顔はしていなかったが。


 そんなことがあったおかげで、フェロの目もとは腫れている。

 そして、俺が準備しているところをジトっと見てくる。

 だが、何も言ってこないのがやや不安だ。

 ここは俺から話しかけよう。


「おはよう、フェロ」

「……おはようにゃん」


 そこで会話が途切れてしまう。

 昨日のこともあったから、会話が途切れてしまうのは気まずい。

 しかし、今日ここを出たら五年は会えない。

 ここは大人の俺がしっかりフォローをせねば。


「フェロ、昨日は眠れたか?」

「……うん」

「よかった、心配してたんだ」

「……うん」


 フェロからは相槌しか返ってこない。

 これは嫌われてしまったか?

 と思っていると。


「エレイン!」

「うお!

 ど、どうした?」


 急に叫ぶフェロに少したじろぐ俺。

 たじろぐ俺の胸に掴みかかるフェロ。

 俺は殴られるのだろうか。


 しかし、フェロの表情はやや涙目で何かを必死に訴える表情。


「絶対に帰ってきて欲しいにゃん!

 エレインが帰ってくるのを待ってるにゃん!

 いい子に待ってるにゃん!

 だから、絶対に…絶対に…」


 そう言いながら俺の胸で泣くフェロ。


 昨日は「行かないで」の一点張りだったのに、今日は「帰ってきて」と泣きつくフェロ。

 フェロの中で心境の変化もあったのだろう。

 俺は、胸で泣くフェロの頭を撫でる。


「フェロ。

 俺は五年後、絶対に帰ってくる。

 だからフェロも待っていてくれ。

 五年後、成長したフェロに会えるのを楽しみにしてるよ」


 すると、フェロは涙目でニコッと笑った。


「私!

 エレインが帰ってくるまでにたくさん魔術覚えて、絶対にエレインの力ににゃるから!

 だから、エレイン!

 絶対に……絶対に帰ってきてにゃん!」

「ああ!」


 俺はフェロを胸に抱きながら力強く返事をする。

 フェロの後ろではサシャも涙目でこちらを見ていた。


 サシャは今回の旅に参加する。

 サシャは俺の専属メイドであり、上級の回復呪文の唱えられる魔術師だからだ。

 そんなサシャも可愛がっていたフェロと離れ離れになるのは、思う所があるのだろう。


 しばらくするとフェロが泣きやんだので、胸から離す。

 そして、準備が出来た俺はサシャに目を向ける。


「じゃあ、サシャ。

 行こうか」

「はい!」


 俺はフェロの手を引きながら、サシャと荷物を持って庭園へと向かった。



ーーー



 庭園に向かうと、城の前に一台の幌馬車が止められていた。


 幌馬車の前には、レイラとシリウスとイラティナ、それからルイシャとザノフまで、みんな揃っていた。

 俺が近づくと、幌馬車の陰からもう一人でてきた。


「来たか。

 準備はできている。

 早く乗れ」


 今回護衛をしてくれるジャリーだった。

 ジャリーはいつもの薄手の黒い軍服に刀を一本腰に携えているだけだった。

 初めて見た人は、こんな装備で護衛が務まるのかと思うかもしれないが、ジャリーの強さを俺は知っている。


 俺は、右手に繋いでいたフェロをイラティナに預ける。


「俺がいない間フェロを頼むよ、イラティナ!」

「任せて!

 フェロは私が守ってあげる!

 エレインも安心して大学に行ってくるのよ!」


 イラティナにフェロを託すと、自信満々な様子で返事が返ってきて安心する。

 俺がいない間、フェロはイラティナと生活するようにお願いしてある。

 これで、フェロに危険が及ぶことはないだろう。


 それから、ルイシャが口を開く。


「エレイン様。

 これをどうぞ。

 緊急の際に役立つかもしれません」


 渡されたのは、羊皮紙の巻物だった。

 俺は受け取るものの、これが何か分からない。


「これは?」

「召喚の魔法陣が書かれた巻物です。

 中に書かれた魔法陣の上に手を沿えて「召喚」と言うと、エレイン様の守護獣が召喚されます。

 私の魔力が込められていますので、魔力なしで召喚できる代物です。

 込められた魔力の分の時間しか発動しないので、緊急の事態が起きたときにお使いください」

「ほう、それは便利そうだな。

 ありがたくもらっておこう」


 守護獣を召喚する魔法陣か。

 あまり魔法陣については詳しくなかったが、俺の魔力を介さずとも使えるとは便利だな。

 そんなものがあるとは知らなかった。

 時間があるときに、魔法陣の勉強もしてみよう。


 それから、レイラが俺のもとに来た。


「エレイン。

 無理しちゃだめよ。

 辛かったら途中で帰ってきても良いんだからね。

 毎日ご飯はしっかり食べるのよ。

 怪我したら、すぐにサシャのところへいくこと。

 それから……」

「分かってますよ、お母様。

 絶対に帰ってきますので、お母様もどうかご無事で」

「え、エレイン……!」


 レイラは感極まったようで、涙目で俺を抱く。


「絶対に帰ってくるのよ。

 私はあなたを愛しているわ」


 そう言って俺の額にキスをするレイラ。


 レイラは良いお母さんだ。

 こんな俺のことをしっかり愛してくれている。

 絶対に帰ってこよう、と思った。


 そして、シリウスもレイラの隣に来た。


「エレイン。

 お前は今日から五年間、苦労することになるだろう。

 だが、折れるなよ!

 俺の息子なら大丈夫だ!

 強くなって帰ってこい!」


 そう言って、俺の背中を叩くシリウス。


 思えば、シリウスの言葉には、何度も助けられた。

 この留学を許してくれたシリウスには感謝しかない。

 一国の王とは思えない豪快な男だったが、立派な父親だと思う。


「はい!

 お父様もお元気で!」


 俺は挨拶を終えると、サシャと共に幌馬車の荷台に後ろから乗り込んだ。

 そして、その後ろからジャリーも乗り込む。

 サシャは幌馬車の先頭に移動し、馬の手綱を持つ。

 どうやら、サシャがこの幌馬車の御者をしてくれるらしい。


 すると、後ろからザノフに声をかけられる。


「エレイン王子殿下。

 どうかお気をつけて。

 それと、これを持って行ってください。

 中には、イスナール国際軍事大学に入学させている私の部下への手紙があります。

 おそらく大学で私の部下から接触があると思いますので、そのときにこの手紙を見せていただければ、きっと味方になってくれるでしょう。

 それでは、ご武運を」


 俺は一枚の手紙のようなものを受け取った。

 手紙なのであれば、中は見ないほうがいいか。


「ありがとう、ザノフ。

 お前のおかげで、留学も決まった。

 きっと強くなって帰ってくる」


 それを聞いて、ザノフは俺に頭を下げて敬礼していた。


 さて出発だ。

 サシャが手綱を引くと、馬がヒヒーンと鳴いた。


「エレイーン!

 待ってるにゃーん!」

「エレイン!

 元気でねー!」


 フェロとイラティナが大きな声で叫ぶ。

 フェロは泣いているようにも見える。 


「おう!

 行ってくる!」


 俺は、元気一杯に返事をすると、幌馬車は走り出した。

 段々と、皆の体が小さくなっていく。


 思えば、俺はこの城で五年間も生活していたのだ。

 やや寂しくもあるが、いずれまた帰ってくる。

 俺は前を向いた。



ーーー



 幌馬車が城門を抜けた。

 この世界に来てから、城の外に出るのは初めてだ。

 少しワクワクする。


 しかし、現在俺はワクワクと同時に気まずさを感じていた。

 なぜなら、幌馬車の荷台でジャリーと二人きりだからだ。


 今回の旅は、サシャとジャリーと俺の三人で行くことになった。

 

 本当は危険を考えれば兵士を護衛に何人も付けた方が良いのだが、行く場所はポルデクク大陸である。

 何人も兵士の護衛を連れて行くと、バビロン大陸の人間が攻めてきたと思われ、攻撃の対象になってしまうのだという。

 行くならできるだけ最小の人数で、ということでこの編成になったわけだ。

 馬車が王族・貴族御用達の高級馬車ではなく、ただの幌馬車になっているのも、それが攻撃の対象にらならないためだ。


 御者経験のあるサシャが馬車の運転をしてくれているため、荷台ではジャリーと二人きりというわけだ。

 ジャリーはといえば、刀を横に立てかけながら持ち、背筋を伸ばして無言で座っている。

 沈黙が流れるのはやや気まずい。


 すると、俺は荷台の中であることに気付いた。

 荷台の前方の端に、グレーの毛布に被せられた何かがある。

 旅の荷物が入った木箱で敷き詰められたこの荷台の中で、それだけが異質だった。


 俺は、その毛布を凝視しながら近づく。

 すると突然、ジャリーが口を開いた。


「ジュリア。

 もう出てきて良いぞ」


 すると、毛布がいきなりバッと上空に飛び上がった。

 俺は驚いて後ろに尻もちをつく。


「はい、ママ!」


 中から出てきたのは、女の子だった。


 褐色の肌に白い髪に尖った長い耳。

 歳は俺よりやや上に見える。

 白いシャツに黒のハーフパンツを履き、腰には細い剣を帯剣している。


 俺は少女と目があった。

 そして、少女は訝しげな目で俺を見下ろす。



「誰、あんた?」



 それが、少女の俺に対する最初の発声だった。

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