第五話「迷子の猫耳娘」

 シリウスが俺を肩から降ろすと人が集まってきたが、皆話しかけるのを躊躇している。

 暗黙の了解だが、こういったパーティーでは話しかける者の順番がある程度決まっているのだ。


 すると、俺の前につかつかと一人の男性が現れた。

 白髪をオールバックにまとめ上げ、右目に片眼鏡モノクルをかけた五十代くらいに見える清潔感のある初老の男性。


「エレイン王子殿下。

 お初にお目にかかります、私はメリカ王国で宰相を務めております、ザノフ・オーステルダムと申します。

 この度は、三歳のお誕生日、誠におめでとうございます」


 そう言って、ザノフは右手の平を胸に当てて三十度お辞儀をする。

 この国では、これが一般的なお辞儀のやり方らしい。


 この男はメリカ王国の宰相である。

 つまり、王の片腕ともいえる人物で、メリカ王国の政治の中心にいる男といっても過言ではない。

 と、サシャから聞いている。

 

 さて、ここからが俺の仕事だ。

 レイラに教わった話だと、王族は王族らしく返答するべきだとか。

 間違っても、目下の者にお辞儀を返してはいけないし、へりくだった言葉遣いをしてはいけないらしい。


「初めまして、ザノフ宰相。

 祝福の言葉、感謝しよう」

「ありがたきお言葉」


 明らかに俺より年齢のいったおじいさんが、俺の前で頭を下げるのには違和感がある。

 これが王族か。


「ところで、エレイン王子殿下。

 先ほどのジムハルト王子殿下との舌戦には大変感銘を受けました。

 まだ三歳であらせられるというのに、その論理的思考と紳士的な対応、そして王としての器が垣間見えたように思います。

 エレイン王子殿下がこのままご成長なされば、メリカ王国の未来も安泰でしょう。

 つきましては、私はエレイン王子殿下の成長の助けになりたいと思う所存です。

 もし何か助けが必要でしたら、何なりと私にお申し付けください」


 表情や声に変化はないが、言葉から感じる俺への信頼。


 これはすごい。

 初対面の王国の宰相にここまで言わせるのはすごいことだ。


 宰相とは、政治のトップの中のトップであり、簡単に国の法律まで変えることができるような人物を指す。

 その男が俺の助けになる、と言ったのである。

 つまりそれは、俺の味方になるという意味にとっていいだろう。

 この時点で俺が王位継承することがほぼ確定した、と言っても過言ではないのではないだろうか。

 

 それほどの利がジムハルトとの口喧嘩にあったということだ。

 ジムハルトには申し訳ないが、あそこでジムハルトを説き伏せたのは正解だったようだ。


「ザノフ宰相の思いは受け取った。

 もし助けが必要になったら、頼ることにしよう」

「提案を受け入れていただき感謝致します!」


 そう言うと、もう一度お辞儀して離れる。

 そして、ザノフはシリウスの所へと向かい、なにかを話している。

 あの二人は仲が良さそうだ。

 長年の仲なのだろう。


 俺は一旦息をつく。

 国のトップと話をするというのは、緊張感があり精神が疲れる。

 王らしい返答というのを考えながら話すのも中々難しい。

 それでも三歳にしては上出来すぎる方だと思うが。


 このパーティーは序盤が重要だ。

 序盤にやってくる重要人物たちとしっかり繋がりを作りたい。

 

 すると、また一人俺の前にやって来た。


 ザノフと入れ替わりでやってきたのは、全身黒で覆われた動きやすそうな軍服を着た女だった。

 腰には細長い剣を帯剣している。

 褐色の肌に白い髪、耳が長く尖っている背の高い女性。

 黒妖精族ダークエルフか。


「メリカ王国軍総隊長のジャリー・ローズだ。

 お前がシリウスの息子か」


 ジャリーの顔に表情はない。

 品定めするかのように、俺の目をジッと見つめている。

 

 しかし、仮にも王子に対して「お前」呼びはまずくないだろうか。

 指摘した方がいいのだろうか。


 いや、落ち着け。

 相手は王国軍総隊長だ。

 それに、王のシリウスでさえ呼び捨てにしている。

 ここはスルーしておこう。


「初めまして、ジャリー総隊長。

 俺がシリウス王の息子、エレイン・アレキサンダーだ」

「……そうか」


 それだけ言うと、ジャリーはクルリと反転して、足音をたてずに歩き去って行ってしまった。


 え、それだけ?

 前のザノフ宰相の挨拶とはえらい違いだ。

 祝福の言葉すら述べていない。


 あれが本当にこの国の軍の総隊長なのだろうか?

 礼儀のまったくなっていない人のように見えたが。

 いいのだろうか。


 一応、サシャから聞いた話によると、あの人の剣の腕は相当なものらしい。

 なんでもユードリヒア帝国三剣帝の一人だったとか。

 帝国の剣帝様が、なぜメリカ王国にいるのだろうか。

 とは思ったが、その辺はサシャもよく知らないらしい。


 嫌われているのか興味を持たれていないのか。

 ともかく、あの人と仲良くなるには時間がかかりそうだ。

 少し調子を狂わされたが、今はパーティーに集中しよう。


 その次にやってきたのは、高級そうなローブを着た緑髪の女性だった。

 大きな杖を持っているから魔術師だろう。

 歳は二十代前半に見える。

 耳が尖っている妖精族エルフ

 彼女が現れたとき、後ろにいたサシャがピクリとした。


「エレイン王子殿下。

 お初にお目にかかります、わたくし、メリカ王国魔導隊長兼宮廷魔術師を務めておりますルイシャ・ヴィーナスと申します。

 三歳のお誕生日、誠におめでとうございます」


 そう言って深々とお辞儀をするルイシャ。


 見た瞬間に分かった。

 この人がサシャのお母さんだ。

 目鼻立ちがくっきりしているのも、肌の透き通るような白さもサシャにそっくりである。

 流石妖精族エルフなだけあってか、子を産んだ親には見えない若さがある。


「初めまして、ルイシャ魔導隊長。

 祝福の言葉、感謝しよう。

 お前のことは、サシャからいつも聞いていた。

 サシャにはいつも世話になっているから、会いたいと思っていた」

「ありがたきお言葉、感謝いたします。

 わたくしの娘が何かエレイン王子殿下に迷惑をおかけしていないか心配でしたが、問題ないようで安心しました。

 わたくしも娘から、エレイン王子殿下の話をよく聞かされていました。

 なにやら、「天才王子様が生まれた」と娘はいつも自慢気に話しておりましたが、先ほどのジムハルト王子殿下との舌戦を聞いて深く納得いたしました。

 わたくしに何かできることがあれば、わたくしもエレイン王子様の成長の助けになりたいと思っております。

 もしご助力できることがあれば、ご連絡ください」


 そう言って、ニッコリとした笑みで深々とお辞儀をするルイシャ。

 後ろのサシャは、何かを我慢するようにピクピクしている。

 叫びたいが叫んではいけないといったような表情だ。

 俺とルイシャが繋がったことが嬉しいのだろう。


 それにしても、魔導隊長か。

 サシャからは宮廷魔術師としか聞いていなかったが、いつの間にかメリカ王国魔導隊のトップになっていたらしい。

 それはつまり、魔術の実力はメリカ王国でトップクラスだということだ。

 

 サシャの母親、実はかなりすごい人だったんだな。 

 せっかく、成長の助けになりたいと言ってくれているし魔術でも教わろうか。

 ふと、そんなことを思った。

 

 生前、剣の修行だけに勤しんだ俺ではあるが、魔術の勉強をすることも必要かもしれない。

 知っておけば防げる魔術もあるし、たとえ俺に魔術の才能がなかったとしても勉強することに価値はある。

 いわば魔術の勉強は、情報収集の一貫だ。


「では、ルイシャ魔導隊長。

 俺に魔術の教育をしてくれないだろうか。

 この国の魔術師のトップである魔導隊長に教えてもらえるなら、それが一番なのだが」


 それを聞いて目を大きくして、それから再び深々とお辞儀するルイシャ。


「齢三歳にして、自ら魔術の教育を志願するエレイン王子殿下には目から鱗が落ちる思いです。

 是非、その大任を受けさせていただきたいと思います。

 私は職務上忙しい身であるので、つきっきりで教育することは難しいですが、週に一、二度であれば魔術を教えることを約束しましょう」

「うむ。

 申し出に感謝しよう。

 後日、追ってサシャを通して連絡するとしよう」

「はい、お待ちしております。

 これからもサシャをよろしくお願いいたします」


 そう言って、ニッコリとお辞儀してルイシャは去っていった。

 去り際に、後ろのサシャに軽くアイコンタクトをしていた。

 サシャも下手くそなウインクで応対している。

 仲のいい親子である。


 さて、主なメリカ王国の重要人物はこの三人だろう。

 この他にも、メリカ王国の各大臣や各領地の領主たちや有力者たちにも挨拶しなければならないので、気を抜くことは許されない。


 とはいえ、メリカ王国の宰相と魔導隊長から受け入れられた俺なら問題はないだろう。

 すでに周囲は、いかに俺を取り込もうかといったようなギラついた目をした貴族達でごったがえしている。

 

 俺はこの後も、一人一人丁寧に挨拶を重ねていくのだった。



ーーー



 パーティー終盤。

 俺は一通りの挨拶を終えた。


 流石に何百人もの人達一人一人と挨拶をしていくのは疲労がたまった。

 ただでさえ体がまだ小さくて疲れやすいのに、王らしい話し方をしなければいけないため二重に疲れる。

 精神的に参っていた。

 

 それを察してか、姉のイラティナが俺の代わりに残りの貴族の対応をしてくれた。

 「エレインはよく頑張ったから、隅で休んでて!」と言ってウインクしてくれたイラティナは俺にとって救世主だった。


 俺は目立たないように大広間の隅の方に移動し、息を整える。

 やはり、三歳の体だと体力も足りないようで、精神と体がマッチしていないことへのストレスを感じ、自然にため息がこぼれる。


「「……はあ」」


 ため息をつくと、俺の声に重なるように隣からもため息が聞こえた。


 俺は驚いて隣に目をむけると、そこには黒髪で猫耳をつけた同い年くらいの幼女が立っていた。

 幼女の後ろに黒い尻尾が見え隠れしている。

 どうやら、獣人族のようだ。

 彼女も隣に俺がいることに今気づいたようで、ギョッとしている。


 それにしてもこの幼女。

 どこかで見たことがあるような気がする。

 そう思ってまじまじと見ると、幼女の首には首輪がついていた。

 それを見て思い出した。


「あ、ジムハルトお兄様と一緒にいた猫耳娘か」


 半年くらい前に大浴場でジムハルトとばったり遭遇してしまったときに、ジムハルトの膝の上にちょこんと座っていたのがこの幼女だろう。

 彼女は俺を見て、恐ろしいものを見るかのような目でビクビクしている。

 俺は何もしてないのだがな。


「そんなに怖がらなくていいよ。

 黒い髪の獣人族なんて珍しい。

 素敵な髪だね!

 君の名前を聞いてもいいかな?」


 怖がる彼女を懐柔するために、咄嗟に髪をほめた。

 でも、こう思ったのに嘘はない。

 実際、今まで生活してきた中で黒髪の人間なんてほとんど見たことがない。

 生前もあまり見なかったし、ましてや獣人族で黒髪なんて本当に珍しいのではないだろうか。


 すると、女の子はポッと顔を赤らめていた。

 髪を褒めたのが嬉しかったらしい。


「え、えっと名前は、フェ……フェロ…だにゃん。

 あ、ありがとにゃん」


 たどたどしく、髪をいじりながら答えるフェロ。

 「にゃん」という語尾が実に猫耳娘らしくて可愛らしい。


「フェロか。

 君は大浴場でジムハルトと一緒にいたよね。

 ジムハルトの関係者かな?

 こんなところで何してるの?」

 

 そう聞くと、フェロは悲痛な顔をこちらに向ける。

 そして、ポツリポツリと話し始めた。


「え、えっと、私は、ジムハルト様の、ど、奴隷だにゃん。

 じ、ジムハルト様とここに来たんだけどにゃ。

 ジムハルト様に、好きに料理を食べて良いって言われてにゃ。

 お、美味しそうな料理を食べてたのにゃん!

 そしたら、いつのまにかジムハルト様がいにゃくなってたにゃ…。

 私、どうしたらいいのか分からにゃくてにゃあ…。

 私…わたし……うっ…ううっ……」

 

 フェロは段々と涙を流し始めた。

 頭の猫耳がショボンと垂れている。

 

 つまり、俺と口喧嘩して退場したジムハルトに置いていかれたわけか。


 この城はかなり広いからな。

 こんな小さな子が置いていかれたら戻れないだろう。

 それでここに一人でいたわけか。


 それにしても、ジムハルトの奴隷……か。

 聞いた話によると、バビロン大陸に住む人族は獣人族を奴隷にする風潮があるという。

 ペットとして見ていて、あまり人間として扱わないのだとか。

 

 おそらくこの子もその風潮の餌食となり、捕まえられてジムハルトに売られたのだろう。

 生前、獣人族の仲間がいただけに、この風潮は俺にとって不快だった。

 フェロの首輪を見ると可哀想に思えてくる。


「そうか。

 ジムハルトお兄様に置いていかれちゃったのか。

 なら、俺がジムハルトお兄様のところまで送ってあげようか?」

「え、いいのかにゃ?」


 俺を上目遣いで見つめてくる。

 その目には涙がこぼれている。


 ジムハルトが退場したのは俺のせいでもあるわけだし、やや責任を感じる。

 あんなことがあってから、またすぐにジムハルトと会うのは気が引けるが、このままではフェロが可哀想だ。


「もちろんだ。

 おい、サシャ! 道案内をたのむ!」

「は、はい!

 こちらです、エレイン様!」


 テーブルの高級料理に目を奪われていたサシャが慌ててこちらに戻ってきて、道案内を始める。

 お腹が空いているのだろうか。

 あとでサシャにもここの料理を食べさせてあげるか。

 でも、今はこの子に集中。


「ほらフェロ、こっちだよ。」


 そう言って、フェロの手を引く。


 顔を赤くして、俺の手を握りながらついてくるフェロ。

 尻尾は嬉しそうに揺れていた。

 

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