第10話 言葉を失っても以下略 中編
「私は、この方と結婚いたしますわ」
たった短いその一言で、寒冷地に放り込まれたかのように空気が凍りつく。怖い表情のナゼルも目を大きく見開き、動揺を隠せていない。
そして、レエナの隣りにいるレディアもまた動揺して……動揺しすぎて逆に冷静になっていた。
『今日は何食べようかなあー。あ、ロッシーの所の深みのあるテールスープ食べに行こうかな』
王都で人気のある肉料理屋の【ロッシーニクニク】。王道人気の厚すぎステーキや巨人ハンバーグなどインパクトのある料理が並ぶ中、それに肩を並べるほどのポテンシャルを秘めているやみつきテールスープ。
レディアはその名の通り、このテールスープが大好きなのだ。
「レエナ、今何と言ったんだ?」
「何度言おうと変わりませんわ。この方と私はお付き合いしておりますの」
「……」
すうっと現実に引き戻されるレディア。まるでそれは目の前に浮かんでいたテールスープをひっくり返されたようで、絶望とともに目が醒めた。
やばいね、これは。例えるなら……あのね、こう…………ほらよくあるそのさ、えっと………………つまりやばいのだ。
「そうか、レエナと君が……。ところで君は誰なんだ?」
「は、はいいっ! 僕でござりまするかあ!?」
「君の他に誰がいるんだ?」
「お、おおおっしゃる通りでえええ!」
声が裏返って、半分やけになっているレディアを見て、無表情のまま僅かに吹き出すライカ。
静まり返る部屋とライカの吹き出しでもう恥ずかしくて恥ずかしくて、暖炉があったら飛び込みたいわ、アタシ! やだ、もうっ! と冗談を言える空気ではない。
しかし、ナゼルは娘のレエナの隣りにいる男の正体を直様思い出していた。それもそのはず、あの【暗黒竜の襲撃事件】や【魔の厄災】の際に指揮を取っていたのがナゼルだった。
突如現れた自分の娘くらいの男が、圧倒されかけていた暗黒竜や魔物たちをいとも簡単に討伐していくその姿を見て、その武勇に剣聖を見ていた。
故にそれをすべてサクッと解決した男、レディア・ノエストラのことは忘れたくても忘れられなかったのだ。
「そうか……君はレディア・ノエストラ君か」
「え? ご存知で?」
「私も君に救われた人間の1人さ。 今まで言う事が出来なかった、礼を言う」
「お父……様?」
深々と頭を下げるナゼル。最初にあった威圧的なものは感じられず、純粋に本当に感謝されているようで、急にこっ恥ずかしくなって顎を擦る。それになんの事か見当は相変わらずついていない。
「はあ……なんだか緊張してたのも馬鹿らしくなってきた。ナゼルさん、頭を下げるのはやめてくれよ」
確かに時折レディアは、誰かの為にと戦ってきたが、それは頭を下げられるようなものでも無ければ、そんなことをされたいという望みもない。
結局は自分がやりたいことをやっているだけ。
そう言うと、ナゼルは顔を上げたかと思えばまた威圧的な視線を送ってくる。
「……まあ、それとこれとは別の話だが」
「ですよねえ」
「お父様の言う良い経歴、人柄、世間の評価や人望。何より恥じぬ身分をお持ちになられる方ですわ。何か問題でも?」
あれ、そんなに評価高いの俺?
作り話か本当かどうか定かでは無いが、美人に言われて悪い気はしない。ナゼルも困っているようで、腕を組みため息を吐く。
そしてライカからは何故か睨まれているレディア。
「はぁ……分かった。だが、一度君には我が屋敷に招待せねばならんな。そこで詳しい話を聞こうではないか」
「ええ、それは良いお考えですわ。お父様もまだお仕事があるでしょうし、私達はゆったりと王都の散策をしておりますわ」
「うむ、くれぐれもその名に恥じぬ行動をしなさい。無論、君もな」
「はいいいっ!」
そうしてようやく嵐が過ぎていった。
「申し訳ありません、レディア様。私のワガママに付き合って頂いて……」
「いやまぁ、そうだろうとは思ってたけどね」
ナゼルが王宮に戻り、落ち着いた部屋でようやくまともに会話ができるようになった。依頼内容を確認していなかったせいもあって訳が分からなかったレディアだったが、ここで初めて確認することが出来た。
「私、実は婚約相手を父に勝手に決められておりまして、それがどうしても納得がいかず……」
「なるほどネェ……貴族ってのも大変なんだな」
「それで此度は、父に私が誰とも結婚する意思が無いことをお伝えしたいのです」
「それで俺を恋人、結婚相手にしておきたいって訳か」
あたかも「知っていましたよ?」と言わんばかりに冷静に分析するレディア。
ただ、実のところ本気と思ってかなり舞い上がっていた。
俺こんな美人と結婚できるの? 俺が? いやまぁ、たしかに俺自身かなりイケイケだとは思うけど、そこだけ見られてもなぁ。あ、そうか! 中身はこれから一緒に過ごしていくうちに、その良さも知ってもらえばいいんだな!
これは忙しくなりそうだ……デュフフフ!
という邪な気持ちでいっぱいだったが演技だったという事を聞かされて、泣きそうになるのを堪えるので今は精一杯。
「レディア様、ああ見えて父はとても疑い深く早いうちに私とレディア様の関係を探る筈です。ですので、裏を取りにいきませんか?」
「裏を取りに?」
「はい! ライカ、馬車をすぐに」
「はっ……」
「はっ……ほ、本気でイッテンノ?」
「そうなんだよマヤ。黙っててすまん」
ガチャンと手に持っていた料理をおぼんごと落とすマヤ。そしてその視線の先にいるのは、キラキラと輝く美しい女性。あまりの美しさにラモネにいる客も酒を飲むのも忘れて見惚れている。
「こちらが婚約者のレエナだ」
「レエナ・イン・セスタリカです。以後お見知り置きを」
「ア、ドーモドーモ……ってちょっとこっち来なさい!」
「え? あっ……」
強引に手を引っ張られて放り投げられるようにして裏口から外に出される。そしてマヤがゆっくりとドアを閉めると、レディアに背を向けたまま口を開く。
「あ、アンタの事だから……その……い、依頼かなんかなんでしょ? それもそうよね……だってセスタリカって言ったらあの四大貴族だもんね。アンタがそんな貴族に相手にされる訳ないもの――ないもの……」
「マヤ、どうしたんだよ? なんだか様子が変だぞ?」
「ななな、何でもないわよ! それでどうなのよ、依頼なの!?」
と言いながらこっちへ振り向こうとはしないマヤ。それがおかしいと言っているのに全くをもって聞く耳を持たない。
埒が明かないので違和感はありつつも、このまま話を続ける。
「依頼じゃない、本当に結婚するんだ」
「――っ! へ、へぇそう! おめでとう……それはよかったわね。でも、本当アンタに似合わないくらい美人ね」
「だろ? 本当すごく綺麗でさ――」
「ごめん……途中だけどアタシ、仕事戻るね」
レディアの言葉を遮るようにして、店の中に戻っていくマヤ。なんだか終始元気が無かったというか、無理矢理元気を装っているようで心配になり、裏口のドアを開けようとした時に、マスターにそれを止められた。
「マスターいつの間に?」
「レディア、お前本当何も分かってねえな」
「なんの事だよ?」
「いいから! マヤちゃんを1人にしてやれよ」
どうやら様子がおかしいのはマヤだけではないようだ。とにかく、納得はいかないがラモネを後にして今度は冒険者ギルドへと馬車で向かう。
ラモネに行く時もそうだが、道中レエナはとても楽しそうにニコニコしていて、ラモネにいる時もとても楽しそうだった。
「え? 私がですか?」
「ああ、そんなに面白いのかなってさ」
「ええ、勿論面白いというか、酒場に入るのは初めてで。不躾ではありますが、とても興奮しました!」
「あんなに酒と男臭いってのに?」
ラモネの客はほとんどが冒険者で、入るたびにモワッとするような息苦しさと、男臭さを感じる。すぐに慣れるが、女性はあまり近寄らない。
ましてや貴族といった高貴な者が来るような場所でもない。
それもあってレエナには入らなくて良いと言ったにも関わらず、気づけば後ろにピッタリと付いてきていた。
「いえ、臭いだなんてそんなことありませんわ。レディア様含め冒険者の皆様は私たちの知らない所でこの国を守ってくださったり、この国を潤してくださっております。私は、冒険者の皆様を心から尊敬しております」
「かぁーっ! そのことを知ったらみんな喜ぶだろうぜ」
「そんな、大袈裟ですわ。ね、ライカもそう思うでしょう?」
「いえ……私は……」
急に振られて答えが出なかったのか、そのままレエナの問に答えることは無かった。変わらす無表情のライカだが、レディアにはそれが少し曇っているように見えた。
そうこうしているうちに馬車は冒険者ギルド前へと到着し、近くにいた冒険者たちはその豪華な馬車からどんな人が出てくるのかを、ドキドキしながら待っていた。
そして降りてきた人を見て、誰もがため息を吐いた。
「なんだよ、俺で不満か?」
先に出てきたのはレディアだった。周りから集まる視線に感じるのは「お前かよ」というがっかり感。それにムカッとしながら地に足をつけると、その瞬間に周りから息を呑むような音がし始めた。
「まあ! なんだか恥ずかしいですわ」
それは決してレディアに向けられたものでは無く、純白に身を包む美しいレエナに向けられたものだった。その視線に微笑むレエナの顔を見て、あちこちで歓喜があがる。
「うるせーぞお前ら。少しくらい静かに――」
「わっ!」
「レエナ様っ!」
周りに目を向けすぎたせいで、足を踏み外して馬車から落ちそうになるレエナにすぐに気付いてレディアが抱きしめるように軽やかに支えて、大事には至らなかった。
そして周りからは安堵の声と舌打ちが響く。まるで「お前ばっかりいい思いするなよ」と言わんばかりに。
「ったく、気をつけろよ?」
「ありがとうございます、助かりまし――」
顔をあげるとすぐそこにあるレディアの顔。キスが出来そうな程に近く、思わずマジマジと見つめてしまう。
珍しい黒髪と赤い瞳が綺麗に思えて、自分とかけ離れたその容姿を今になってはっきりと認識していた。そして時折、今も尚見せている不思議そうに首を傾げるレディアが、まるで子どものようで可愛らしいとさえ思えた。
「俺の顔に何かついてるか? はっ、もしかして歯に海苔でも挟まってたとか!?」
「……うふふっ」
「え、マジ!? 嘘っ!」
「大丈夫ですわ、うふふっ」
ライカに渡された手鏡で確認して、ホッとしている姿を見て微笑むレエナを心配そうに見つめるライカ。
胸の奥が針に刺されたようにチクッとして、胸を擦る。レディアと一緒にいる事で、とても楽しそうにするレエナを見れば見るほどに、何故かチクチクと痛む胸。
「どうした、浮かない顔だぜ?」
「……お前には関係ない」
レディアが持つ手鏡を奪い取るようにして、何故か無性に腹が立つレディアを睨みつける。
「そんな顔で関係ないなんてよく言えたもんだ。それに口調と言い、俺かあの娘に対する本音が漏れてきてるんじゃねえか?」
「……レエナ様、私は馬車を見ておりますのでどうぞギルドの方へ」
「ええ、そうするわ」
「へいへい、俺は無視かよ」
そう言いながらレエナに腕を出し、2人で腕を組みながらギルド内へと入っていくのを見届けるライカ。
本音が漏れているだと……? ふざけるな、お前に何が分かるんだ。たかが、冒険者風情に、あんな奴に……あんなふざけた奴に。
「レエナ様は……渡さない」
そしてギルドに入った2人を真っ先に見た、受付嬢のヘスティはすぐに気を失って病院へと運ばれていった。
その帰り。
最初、ライカの隣に座っていたレエナは、いつの間にかレディアの隣で楽しそうにレディアの話を聞くようになっていた。レディアを真っ直ぐに見つめて、話に夢中になるレエナ。
それを見る度に、胸の奥が痛くなる。
「そうそうそれでな、俺はその悪党にこう言ってやんたんだ」
「何と仰いましたの?」
「明後日きやがれって!」
「うふふっ、そんな事があったのですね」
何で……どうしてお前が……。
「俺も思ったよ。うわ、一昨日って言いたかったのに、明後日だったら本当に明後日来ちゃうじゃんって!」
「まあ! それは大変ではありませんか!」
楽しそうな2人に見えないように、外を眺めながらそっと拳を握りしめる。
「するならデートの約束の方がいいってのにな。本当に…………」
その様子をレディアは見逃すことは無かった。
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