怠惰な最強剣士と日常

第7話 休日の前夜に立てた計画ほどその通りにはいかない。


 ここは王都にある寂れた宿屋ベール。その3階の一部屋ですやすやと眠る男。彼こそ唯一のS級の称号を持つ冒険者レディア・ノエストラ。そのせいで基本怠け者のレディアにとって、クエストだらけの日々は苦痛で苦痛で堪らない。


 そんな中で、今日は久々にクエストが何一つ無い、完全なオフ中のオフの日であった。


 ここ最近は幼なじみのマヤを困らせていた山猫盗賊団を潰したことで、あちこちから感謝だのなんだのと望んでもいないことばかりだけで無く、国王から直々に感謝状が届くなどうんざりな事だらけで迷惑極まりなかった。


 だがしかし、今となってはそんなことはどうでもいい。今日の俺、このレディア・ノエストラはそんな辛いことを忘れられるほどに幸せな時を過ごしている。

 本来ならもう少しで来るであろう、人の部屋の扉を破壊する悪の魔物、ヘステ……デーモンが来ることが無いのだ。


 ああ素晴らしい……ありがとう神様、大ちゅき。


 それだけではない。デーモンが扉を壊す……吹き飛ばすことで何故か俺が怒られ、弁償させられるという意味不明な事象も起こらない。


 はい、もうおめでとう。世界は平和になりました、おめでとう。ほら、耳をすませばこの喜びを祝福してくれるたくさんの声が聞こえてくるだろう? やったねと、よかったねと、おめでとうと!!


 寝返りを打ちながらムフーッと笑みを浮かべるレディア。毛布に包まりながらジタバタして感情を爆発させる。

 そんな事をしていると、最近修復して壊されることのないように改修した扉を遠慮気味の優しいノックの音が部屋に響く。


 まったく……今日はオフだというのに一体誰が何の用なんだろうか。


 そう心では思いながら無視するも、暫くすると再び優しいノックがコンコンと部屋に響く。たが相変わらず動く気は全く無い。


 ごめんなさいね、本日は臨時休業中でしていかなる理由があれども動かないんでございますぅ。そういうことなんで、早く回れ右して帰るんでございますぅ。お疲れ様ですぅ。


 そうしてずっと無視していると、段々イライラしてきたのかノックが次第に殴打の音へと強く変化していく。

 いつもは叩かれる前に吹き飛ばされる扉に対し、ドンドンという叩く音がやけに新鮮身を感じて、そこにいるのはヘスティでは無いことを理解するのは想像に容易い。


「レディアー、起きてるんでしょ? 開けてー?」


 この聞き慣れた声は、あのギャーギャーうるさい酒場の女で有名? なマヤ・オネットに間違いない。

 普段訪ねてくることなんて無いはずのマヤが、何故部屋のすぐ外にいるのかが分からない――ので、とりあえず動かない。


「レディアー? 寝てるのー?」

「寝てるよー」

「そっかー、なら仕方ないねー」

「ねー」


 ふぅ、これでこの幸せな時間を穢されることは無くなった。あー本当に幸せだ。どれくらい幸せかっていうと、そのね、あの……なんというかほら、あれ……みたいなその、ねっ、ほら……よくさその…………えぇと…………………………つまりそう、幸せなのだ。


「って、騙されるかーっ!!」

「ちっ……」


 マヤがそんな単純な嘘にひっかかるはずもなく、修復してより強固になった扉を開けようと押したり引いたりと果敢に挑戦しているようだ。


 だがすでにこの扉は、たかが人間如きに開けられる代物ではない。対ヘス……デーモンを意識した鋼鉄の扉をわざわざドワーフ族に頼んで取り付けたのだ。木造の建物に鋼鉄は違和感極まりないが、背に腹は代えられない。


「起きてるんじゃない!! 開けなさいよ!!」

「ぐぅぐぅ……眠ってますぐぅ」

「どんな語尾よ!? いいから開けなさいって!!」

「ぐぅ」

「開けてよぉ……」


 扉の向こうでシクシクと泣く声が聞こえる。流石に気まずくなったのか、渋々ベッドから出てのそのそと扉を開けるレディア。目の前にはヘナヘナと座り込んで泣いているマヤの姿があっ――


「やっと開けたわね!!」

「おやすみ」

「え、ちょっと待っ」


 無かったのですぐに扉を閉めて内鍵をかける。そして何より鍵を締めても破壊されない扉に感動が止まらない。

 この扉を調達するのにどれだけの労力が必要だったか……本当に過酷な旅路だった。わざわざドワーフに来てもらって、わざわざドワーフと念密に話し合いをして、出来上がった扉を工房からわざわざここまで運んでもらって、わざわざ設置までしてもらった。


 過酷な旅路だった。さて、もう一眠りするか。


 ようやく静かになった所でベッドに戻り、横になろうとすると外からは本当に啜り泣いているマヤの小さな声が聞こえてきた。


「やっぱりレディアは……アタシの事嫌いなんだ……うぅっ……でも、アタシが……悪いんだ」

「……」

「ごめんね……アタシ、もう帰るね……ぐすっ」

「……」











「で、今日は何の用だ?」

「今日はレディアが暇だって聞いたから、この前のお礼ってことで一緒にお出かけしてあげようと思って!!」


 本気で泣き出すから何事かと思って部屋に入れたことを後悔する。すぐにマヤの首根っこを掴み、不思議がっている内に外に放り投げて扉を閉める。


「断るそれじゃまた」

「……待ちなさいよ!!」


 鍵を閉める前に外から引っ張られるせいで鍵が閉められない。


「いやもう十分だから、お礼とか要りませんから!!」

「せっかく来たんだからいいじゃない!! 開けなさいよ!!」

「俺は眠いんだよ、寝かせろよ!!」

「こんないい天気なんだから外に……出るわよ!! あっ!?」


 突然、マヤの手がすっぽ抜けて取手から手が放れてしまった。そして部屋の内側にいたレディアが全力で引いていた力とマヤが放した時の反動、扉の重さも相まって物凄い勢いで扉が閉められた。

 その衝撃をレディアの身体は耐え切れず、反対側の窓ガラスに上半身だけ頭から突っ込み、ガラスの割れる音ともに窓から上半身宙づり状態になる。


 そんな混沌とした状況に関わらず、空は満点のさっぱりとした快晴。

 頭や上半身に突き刺さったガラスの破片のせいで血がドクドクと流れ出ていっても、いい青空が広がっている。


 あ、本当いい天気。

 よし、お出かけしよ。





 ここは王都の商業区域のメインストリート。大小様々な店が並ぶ王都で最も賑わいのある場所でもある。

 生鮮食品を扱う店や食べ歩きが出来る移動式の店、宝石や骨董品はたまた武具屋まで何でも揃っている。

 そんな人混みの中を頭に包帯をグルグル巻にしながら、レディアはマヤの隣を気怠そうに歩いていた。


「ねぇ……」

「……」

「……怒ってる?」

「殺されかけたからな」

「……ごめんって」


 申し訳無さそうにしながらも、嬉しそうにしているマヤ。オレンジの髪を束ねたロングポニーテール、碧い瞳がどことなく踊っているように見える。

 

 まったく……ただでさえ人混みも嫌いだというのに、何が好きでその中に突っ込んで歩かなきゃならんのだ。あー頭痛くなってきた。※主にガラスの所為。


 それにしてもイベントか祭りでもやってるのか? そう思えてならない程にここは人で溢れていて、活気に満ち満ちている。

 それもそのはず、本人は気付いていないがあの日山猫盗賊団を壊滅させたことにより、王都への荷物が襲撃される事無く安全に届くようになった。それにより物が動けば人も動くように、今この商店街は潤っているのだ。


「おっ、マヤちゃん! 今日は彼氏と一緒に買物かい?」

「ローグさん、違うってば!」

「あらマヤちゃん! おめかしなんかしちゃって、デートかしら?」

「ハンナさんまで!」


 歩いて進めば進むたびに店の人から声をかけられるマヤ。明るくて元気のあるマヤだから当然といえば当然なのだが、それでも足を止めることなく歩いていく。

 一体どこに連れて行かれるのやら。


「それで、何処へ向かってるんだ?」

「あ、言ってなかったわね。最近ね、アタシ美味しいスイーツのお店見つけてさ。ほら、アンタって甘い物好きでしょ?」

「いや、特には……」

「え?」

「え?」


 思わず足を止めるマヤに、足を止めるレディア。甘い物は嫌いでは無いが、別段好きという訳でもないし、好んで食べたりもしない。


「だってアンタ、村にいた頃アタシがアンタに作ってあげてたお菓子、美味しい美味しいって食べてたじゃない?」

「お菓子? お前から貰ったことなんてないぞ?」

「あれ? じゃアタシ誰に作ってたんだろ?」


 訳のわからない勘違いをブチかまされて、完全に目的を見失う2人。そんな時、奥の方で何やら人集りが出来ているのが見えた。

 何事かと野次馬の人混みの中を抜ければ、中年の男2人が商品の取り合いをしているようだ。


「これは俺が先に取ったんだよ!」

「いいや俺だね!」


 良い大人が喧嘩している姿はとても惨めだがこの活気が勢いを与えているようで、野次馬たちも止めるどころか観戦ムードになっている。

 こういうのは警備兵にでも任せてさっさと離れるのが一番の得策。


 そそくさと人混みを抜けたレディアだったが、気がつけばマヤがいなかった。さっきまで近くにいたはずだが、見渡してみても人が多いのもあってなかなか見つからない。

 「はぁ……」とため息をついていると先ほどをの人混みの中から、知った声が聞こえてくる。


「良い大人がこんな事で喧嘩なんて、恥ずかしくないの!?」


 そこにいたんかーい。


 余計な事に首を突っ込んでいられないのか、堂々と中年の男2人の前に立ちはだかっているのはマヤだった。そりゃ探してもいない訳で。


 マヤには悪いが、面倒くさくなってもう帰ろうと背中を向けて歩き出すレディアを近くにいた男性が止める。


「おい兄ちゃん、あの娘兄ちゃん彼女だろ? いいのかよ?」

「いやいや、彼女じゃないっての。それに面倒事はごめんだ」

「お、おい……」


 男の手を振り払って、宿屋に向かって歩き出す。後ろではまだマヤと中年の男2人が言い争っていて、すぐにでも警備兵が駆け付けそうだ。

 しかしそうなる前に、レディアの耳にドンという音ともに何かが崩れる音が聞こえてきた。


「いったた……」

「お前には関係ないだろ!」

「邪魔なんだよ!」

「酷い……あの人たち女の子を突き飛ばすなんて……」


 痛がるマヤの声、そして怒鳴る男たちにヒソヒソと話す野次馬たち。それで全てを察したレディアは……すでに動いていた。


「な、何すんのよ……って、それはっ!!」

「ん、何だこれ?」


 立ち上がろうとするマヤだったが、落ちている可愛く包装された小袋が目に入った。それをマヤが拾おうとする前に中年の男の1人がそれを拾って中身を取り出すと、少し焦げた大きめなクッキーが2枚出てきた。

 それを見た中年の男2人が笑い出す。


「おいおい、何だよこの不味そうなクッキーは?」

「焦げてるし、失敗したのかこれ?」

「か、返して……」

「言われなくても返してやるよ、ほらよっ!!」

「ああっ!!」


 封が空いたまま、それを宙へと投げる中年の男たち。なんとかマヤは手を伸ばすものの、その手は届くことなく袋は地面へと落ちて中身のクッキーも散乱して割れてしまった。


「これで本当のゴミになったな!」

「こんなの食わされる奴も可愛そうだ、ははっ!」

「そんな……そんな…………」


 勘違いをしていたもののそのクッキーはレディアのお礼にと一生懸命に作ったレディアの為のクッキーで、それをゴミと言われて今、地面に割れて散乱している。そしてそれを嘲笑う男たち。


 その2人の間を抜けて……身体を震わせて泣きそうになりながらクッキーを拾おうとするマヤよりも先に、割れて地面に落ちたクッキーをレディアが全て拾った。


「な、なんだお前!?」

「へぇ、クッキーか」

「レ、レディア……」

「なんだ、美味しそうじゃん。全部もらうぞ?」

「それ焦げてるし……全部落とし……っ!!」


 拾ったクッキーを一気に頬張るレディア。アーモンド風味のついたほんのり苦い……美味しいクッキーだった。


「うん……すこし焦げてたけど、それはそれで有りかもな」

「レディア……」

「格好つけてんなよ、クソガキが!」


 そして突然出てきたレディアに今度は標的を変える中年の男たち。レディアの肩を掴み、強引に振り向かせようと引っ張った時、振り向いたレディアの顔を見て、見る見るうちに顔が青に染まっていく。


「どうする? 死ぬか、殺されるか……選べよ」

「ひ、ひぃっ!!」

「す、すいませんでしたぁ!!」


 レディアの放つ威圧に怖気付いて、一目散に逃げ去る男たちの速さは到底真似できるようなものではなかった。

 そして周りで見ていた野次馬たちもレディアの威圧を感じていて息をすることすら忘れていたようだったので、レディアがパンと手を叩く。


「さっ、見世物は終わりだ。警備兵が来る前に片付けてずらかろう」

「そ、それもそうだな!」

「みんなでお片付けしちゃいましょう!」


 レディアの機転の効いた一言で片付けはあっという間に終わり、警備兵が来た頃には騒動が嘘であったかのように活気を取り戻していた。


 そしてマヤは突き飛ばされた事で、足を痛めたようでレディアにベンチで包帯を巻いてもらっていた。


「よし、これで大丈夫だ。痛くはないか?」

「うん、もう大丈夫。ありがとう」

「ふぅ、すっかりもう夕焼けか。早いもんだ」

「ごめんね、折角のオフだったのに私のせいで」


 たしかに、マヤの言うとおりオフを満喫出来たとは言えないが、それはマヤの所為ではない。

 落ち込むマヤの頭をポンポンと撫でながら、マヤの髪色に染まる夕日を眺めるレディア。


「たまにはこういうのも悪くないさ」

「うん……それと、その……クッキーなんだけど」

「あぁ、アレか」

「美味しく無かったでしょ? 焦げてたし……やっぱり捨てれば良かったかなーなんて……あいたっ!」


 そう笑いながら言うマヤの顔はまったく笑っていなかったので、そのがら空きの額におもむろにデコピンする。


「な、何すんのよ!!」

「悪い悪い。でもほら、俺はそっちのお前の方がお前らしくて好きだぞ?」

「えっ……?」

「それに、またクッキー作ってくれ。ただ、今度は焦がすなよ?」


 そうやって笑うレディアに釣られるように、マヤも満面の笑顔で頷く。そして夕日を眺めるレディアをじっと見つめるマヤの顔は、夕日色に染められていく。


「ありがとう……」

「ん、何か言ったか?」

「ううん、何でもなーい」

「?」


 静かにゆっくりと沈んでいく夕日。2人で見るこの景色は儚くて……とても綺麗だった。

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