第4話 アレが口と鼻から一緒に出てしまうのはきっと貴方だけじゃない。


 王都の外壁の外にある廃墟と化した薄暗い屋敷。その一番奥、大部屋の一際大きな椅子に座り、金銀財宝を身に纏いながら美しい裸の女たちを足元に侍らせる男がいた。


「団長、報告になります」

「何だ?」

「下の者によりますとあの酒場の店主、我々と知って尚抵抗している様です」

「ほぅ……それはそれは」


 楽しみがいがありそうだ。


 不敵な笑みを浮かべて、膝に登ろうとしてくる女の首を絞めたかと思えば、そのまま床に放り投げる。


 いいだろう。この俺様を舐めるとどうなるか……思い知らせてやる。


「山猫の餌にしてくれる!!」

「それでは、いかがなさいますか?」

「ふっ……許可が欲しいのだろう?」

「……恐れながら」


 ここは近頃何かと力をつけている盗賊たちの集い、【山猫盗賊団】のアジト。不敵な笑みを浮かべている金銀財宝を身に纏う男は、山猫盗賊団を束ねる団長【レイヴン・ノード】、そしてレイヴンの目の前に立つ者……赤い瞳の男の名は――


「好きにしろ、【流血のクロウ】よ」

「はっ……では日没後、始末して参ります」

「随分と早いな」

「……思い立ったが吉日ですので」


 その声とともに部屋から出ていくクロウ。扉を締めた途端にまぐわい始めたのか、女たちの喘ぎ声が響いてくる。そのまま振り返ることなく床に唾を吐いてから歩き出し、自室へ着くなり自ら調べ上げた情報を見つめる。


 ラモネのマスター、元A級冒険者で腕力を活かした物理攻撃を得意とする……か。所詮、使い捨ての駒とはいえ1人且つブランクのある身体であの雑魚の集団を返り討ちにするとはな……。


「ふふっ……ふひひ…………」


 無表情だった顔から気味の悪い笑みを浮かべて笑いだす。その表情はまさに狂気そのものを具現化しているような、赤い瞳も相まって悪魔を彷彿とさせる。


 殺したい、殺したい……殺したい。


「はぁはぁ……日没まで……あと少し…………」


 その頃、ギルドでレディアの帰りを待つマヤ。彼女の顔には未だに不安が色濃く残っていた。日は沈み、あたり一面が闇に包まれていき、どことなく孤独に包まれていく気がして……この感覚がマヤは嫌いだった。


「レディア……」

「マヤさん……わっ!」


 無意識にレディアの名を呟く。それに気づいたのか、資料を整理していたヘスティがマヤの元へと近づこうとしたとき、机に躓いて一部資料をバラけさせてしまった。

 這いつくばるようにしてせっせこと回収しているとき、1枚の紙に手が止まった。


 そこに記されていた名前と記録。


 【流血のクロウ】


 これは王宮が発行した賞金首のリストで5年前に起こった【無差別殺人】の犯人とされる男だった。いずれも血の海が出来るほどの出血死による殺人で、そこから流血のクロウと呼ばれるようになった。 

 それを見たヘスティは何か嫌な予感がして、胸に手を当てて神に祈りを捧げる。




 レディアさん、どうか……ご無事で。




 ついに迎えた日没。明かりのない暗い部屋で、赤い瞳が闇に浮かぶ。鋭い切れ味のナイフに蛇の毒から抽出した、血液を凝固させる機能を麻痺させる毒を塗りたくっていく。こうすることで傷からは絶えず血が流れ出し、それはやがて血の海を作り出す。


 あぁ……また人を殺せる。


 肉を裂き、骨を断つ感覚……この上ない快楽とともに湧き立つ心。高まる興奮とともにそそり立つ何かが抑えきれない。そんな最中、外から妙に騒ぐ声が部屋にまで聞こえてくる。これから楽しみが始まるというのに、幸先悪いことこの上ない。


 やれやれとため息をついて、出掛けようとしたその時だった。


「マッスルパワー!!」

「な、なにぃっ!? ぶべらっ!?」


 突如として屋敷の壁がぶち破られ、驚いているリアクションを取る前に壊れた壁の下敷きになるクロウ。その下敷きになる一瞬、2人のぐったりした男を担ぐ筋肉隆々の顔を真っ赤にした男、その男が何者かを赤い瞳は一瞬で捉えていた。


 何度も、何度も何度も情報で確認した男。今回ターゲットに指定していた殺すはずの男。


 ラモネのマスター。


「はっはっは!! 筋肉真っ盛りだなレディア!!」

「も、もうやめて……下ろして……うぷっ……」

「どうした盗賊の兄ちゃん!! 筋肉が足りねえのか!?」

「もう……殺して…………殺して……」


 突如として現れたラモネのマスターと、マスターの筋肉隆々の腕に抱えられているのはレディアと盗賊の男。2人とも顔色は真っ青で今にも口からキラキラが飛び出ていきそうな深刻な顔をしている。それとは正反対でマスターの顔は真っ赤に染まり、2人を抱えながらポージングを決める姿は異常である。


 事の発端は……長くなるので簡潔にまとめよう。


 酒を飲む→楽しくなる→ついでにアジト聞く→楽しくなる→ついでに主犯格の情報を聞く→楽しくなる→マスターの歯止めが聞かなくなる→楽しくなる→マスター脱ぎだす→楽しくなる→暴れ出す→焦ってくる→抱えられる→逃げられない→走り出す→口から何か出始める→壁壊す→誰か殺してくれ→今ここ。


 何を隠そうこのマスター、酔いが回るととても面倒くさい。そう、例えるならあの……なんというか……よくある、その……ほら、あれよあれ……えぇとつまり…………えー……要はもう面倒くさい。


「いやはや!! 偶然にもここは山猫盗賊団のアジトじゃないか!! もはや奇跡だぞ!!」

「も……もういっそこの指で出し切って……うぶっ」

「待て……早まるな盗賊の男……出したら……出したら負け…………うぐっ」


 もうとりあえずいいから早く下ろして。


 楽しそうに笑うマスターと吐き気を催している2人の真下、クロウは崩れた壁の下で息を潜めながら機会を伺っていた。


 まさか雑魚を仲間にしてアジトに直接乗り込んで来るとは……ふっ、まさに愚かな所業だな。不覚を取ったがこの流血のクロウ、簡単に死ぬ男ではない。どうやら私を殺したと思い込み気を抜いているようだが、油断しきった所をまとめて片付けてやる。


「ダメだ……もう先に逝く…………うっ……うげ――」

「やめ……今逝かれたら……俺も……うっ……うっ……うげ――」


※只今、大変不潔な物が流れ出ております。それはそれは大変見事な滝にございます。



 3人の真下で息と殺気を潜めるクロウ。すると何やらデロデロとした何かが隙間から垂れてくる。何故だかそれを視界に入れるとぼやけてよく見えない。見えないのだが、その生暖かさと臭いですぐに察する。


「ふぅ、幾分楽になった」

「ああ、そうだな」


 まさかこれは……間違いないこれは……。

 これは、――だ。


 我慢の限界、耐えきれずに崩れた壁を押しのけて3人の前に飛び出すクロウ。


「てめえ等何してくれとんのじゃワレ!!」

「へぇ、結構良いとこ住んでんだな。盗賊のくせに」

「これだけ広い家ならバーなんてのもオシャレだな!!」

「でも確か、この部屋は強い奴が使ってたような……?」


 飛び出したというのに誰一人興味を示そうとせず、見向きすらしない。



 これって無視? 無視……だよね? ちょっと怖い口調で脅かそうとしたけど全然聞いてないじゃーん。あ、なんか急に恥ずかしくなってきた。クロウ恥ずかしっ! いやん恥ずかしっ!

 

 誰にも相手にされず1人でモジモジしているクロウを後目に、盗賊の男はようやく思い出したのかピコンと何かが頭に浮かんだ。


「そうだ、【クロウの流血】だ!!」

「逆ぅ!!」

「可愛そうだなそいつ。苦労した挙げ句流血とは……さぞ苦しかったろうに」

「流すのは相手の血だから!! 自分のは流さないから!! まぁ今苦労してますけどね!!」

「筋肉が足りてないのか……」

「そうか分かった、お前は頭が足りてないんだな!?」


 怒涛のツッコミで息を切らすクロウ。それだと言うのに気付く素振りも見せない彼らに怒りが止まらない。ましてや名前を間違えられ、そして余計な同情までされて尚の事腹が立つ。


 私はこれでも賞金首の男。狙ってきた連中は恐れ慄き、許しを請い、そして死んでいく。今までの連中はそうだったし、そうしてきた。だがこいつらは何だ? この私を無視だと!? 有り得ない……有り得ない……。


「有り得ないんだよ!!」


 声を大に、怒りを乗せてがら空きの男たちの背中に、取り出したナイフで斬りつけた。


 だが、その刃が何かを斬り裂くことは無かった。


 クロウがナイフを振りかざした瞬間、ギラリと輝く刃の間に一筋の線が入ったかと思うと、そのままスライドするようにずれて重力の通りに床へと落ちる。

 そしてすでに、レディアは剣を抜いていた。


「声を上げる暗殺者がどこにいるってんだ。思わず驚いて斬っちまっただろうが」


 一振りし、パチンと鞘に剣を納めるレディア。


「い、いつ剣を抜いた!?」

「え? 今だけど……え、え? 今しかないよね?」

「そうか……生半可ではお前は殺れないようだ」


 ゆらりゆらりと全身を動かして、全身のあちこちからナイフが飛び出てくる。そしてその動作の中に隙は無く、奇妙な動きに思考が惑わされていくようだ。


「よせって。勝負はついた」

「それはどうかな?」


 徐々にクロウがより滑らかになっていくのと同時に、残像が残るようになっていく感覚。それはまるで妖艶に満ちた美しさがそこにはあった。


 ただ、それがシラフであったらの話。


「どうだ、お前には読めまい? この動きを」

「ふむ、理解はできないな」

「だろうな。だが安心するといい……知らずとも、どのみち死ぬのだからな」


 そう言い終えた瞬間。


 レディアは床を抉る程の力で蹴り上げ、一瞬にしてクロウとの間合いを詰めていた。そのあまりの速さにクロウでは瞬時には対応することが出来ず、驚きとともに為す術も無いままレディアを目で追うことしか出来なかった。


 速すぎる。

 あまりにも速すぎる。


 レディアから繰り出される速すぎる斬撃によりナイフを持った右腕が宙を舞い、全身に装備したナイフでさえも粉々に砕け散っていく。

 思い出したかのように腕から溢れ出てくる鮮血。その色に染まっていく、床に転がった自身の腕。


「ば……馬鹿な……」


 膝から崩れるクロウの目の前で、剣を振るって血糊を落としてから鞘に納める。そしてそのまま振り返り、何事もなく歩いて行こうとする2人のあとを追うレディア。


 そんなレディアにクロウは声をかける。


「トドメはいいのか? 私の首は金になるんだぞ?」

「知るかよ。お前の首に掛かった金、いやそもそもお前になんざ興味はない」


 振り返るレディアの赤く冷酷な瞳、自分と同じ赤い瞳のはずなのにゾッとするほどの寒気を覚える。戦いに対して容赦の無い、隠すことのできない瞳の奥に眠る何かへの怒り、そして悲しみ。それがさらに奥深く、深淵で渦巻き乱れる。


 この顔には見覚えがあった。


「なるほど……お前があのS級か」

「どれかは知らないが、きっとそうなんだろうな」


 まるで興味が無いと言わんばかりにふっと鼻で笑い、言い終えた後に再び背中を向ける。その余裕な姿に苛立ちが痛みとともに込み上げる。


 笑った……何故、笑った? 馬鹿にするかのように、憐れむように。そんなにも私は惨めなのか? いいや違う……私は惨めなんかではない。この流血のクロウがS級とはいえ、たかが冒険者如きに笑われただと?


 顔を上げるクロウの目に映るのは、がら空きの隙だらけのレディアの背中。そしてふたりの間に落ちているナイフ。


「……」


 気づかれぬよう、音を立てぬように斬られた腕を庇いながら左手でナイフを手に持つ。ナイフを握る拳にあるのは怒りと憎しみと自分から流れた赤い血。


 私は、私を侮辱する者を許さない。そしてあの男を許さない。


 殺す……確実に……殺す!!


 ナイフを握る手にグッと力を込めて、歯を食いしばりながら走り出す。


 殺す……殺す……殺す!!


「死ねやあああああ!!」


 ほとんど発狂に近いクロウの怒り、憎しみに塗りたくられたナイフが、血に塗られた刃がレディアの背中に迫る。しかし、そんな事を気にもせずにレディアはため息をついた。


 そしてナイフはレディアを貫く寸前で、完全に止まっていた。


「なななっ!? なんで……がっ!?」


 何が起きたのか理解できないクロウの首筋に、赤い一筋の線が入ったかと思えば次第にそこから血が流れ出し、目や口からも血が溢れ出していく。


 そしてレディアはもう一度ため息をついて振り返る。


「ったく……言っただろ? 【勝負はついた】って」

「ま、まさか……おおお前っ、あの時に……がっ!?」

「金も首もいらない。だがな……俺にはお前を殺さない理由が無かった。ただそれだけだ」


 言い終えるのと同時にクロウの頭が横にズレてそのまま床へと転がっていく。床一面には溢れ出した血が血溜まりを作っていた。


「……これが本当の【流血のクロウ】か。お似合いだぜ?」


 そう言い、胸に仕舞っていたクシャクシャな紙を血溜まりに捨てるように投げ付ける。その紙は賞金首の手配書で、クロウの顔と金額が書かれていたが既に血で滲んで見えなくなっていた。


「……おい、置いてくなよ!!」


 そしてレディアは二度と振り返ることなく、二人の元へ走り出した。

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