第3話 「酒は飲んでも飲まれるな」でもどうやっても飲むことしかできない。
今にもひと降りきそうな気持ちの悪い天気。レディアは幼なじみのマヤからの依頼を受け、おそらく今現在も酒場【ラモネ】にいるであろう【山猫盗賊団】の元へと足を運んでいた。
そうして、ラモネの入口へ到着すると中では何か怒声が響いているのが聞こえてくる。その怒声はまるで……その、なんというか…………あんまりこう、嫌だなあ的な、ね! そう、怒声だ。
すると突然ラモネの入口の扉が開いたと思えば、鼻をひん曲げて白目を向いている男2人がレディアの前に投げ捨てられていた。
「ふん、一昨日来やがれってんだ馬鹿野郎め」
手をパンパンと叩き、返り血でエプロンを赤く染めた酒場のマスターがそこに立っていた。
あれ、俺いらない?
よくよく見れば、恐らく山猫盗賊団の下っ端と思われる男たちがあちこちで気絶していた。どいつもこいつも鼻がひん曲がっていて、彼らをやったのはマスターに違いない。
その恐ろしい光景に身を震わせながらマスターに目をやると、鼻息を荒くさせ拳と拳を打ち付けながら、やる気満々のマスターがこちらに向かってきているではないか。
「タフな奴もいたもんだ……そんなに殴られたいのならもう一発決めてやる!!」
「え? ちょちょ……ちょっと俺は、違うって!!」
「歯を食いしばれよ!?」
「違うんですってぶびばっ!?」
「す、すまんかった!!」
「……」
「こ、興奮しててだな、その……見えてなかったというか……」
「……」
ここは酒場ラモネの裏方、マスターが暮らしている家の中。そこでソファに腰掛けて、鼻にティッシュを詰め込んで鼻血を押さえつけるレディアの姿があった。
怒りで目の前が見えなくなっていたマスターはたまたま突っ立っていたレディアを盗賊団の下っ端と勘違いしたようで、今必死に土下座して謝っている。しかしそんなことをされてもこの怒りは収まることはない。
鼻はひん曲がらなかったものの、意識が飛ぶほどの一撃を許せるほど俺は優しくはない。
「次ウチで飲み食いするときはタダにするから……」
「許す」
そうであるならば話は別だ。しかしながらマヤの言っていた通り、いくつかの酒瓶は割れ、食器は散乱し、椅子やテーブルも壊されているものもある。
嫌がらせにしては度が過ぎている。
「こりゃ随分と見違えたな」
「無様だろ? まったく、あいつら好き放題やりやがって……下手にでりゃつけ上がる」
なるほど……つまりさっき男たちを投げたのは、下手投げということか……ふふ、これは傑作だ。
心のなかでジョークを決めたところで、ふと思い出す。
「何人かは走って逃げていくのを見た。あいつら今度はマスターを本気で殺しに来るぞ?」
「分かってらあ。だからカミさんも娘もそれに、マヤちゃんだって逃したんだ」
「マスターは逃げないのか? それに警備兵は?」
そう言うと、マスターはやれやれと首を振る。やはりレディアの予想通り、警備兵に言っても取り合ってはくれないとのことだった。それに、逃げたとしても追われて皆殺しにされるくらいならば、こうして1人で死ぬ方がマシとのこと。
この酒場ラモネはいつも人で賑わっていて、みんな笑顔で、楽しそうで……温かかった。俺も【アイツ】もここが好きだった。それが今では無惨な姿に変貌してしまったのだ……山猫盗賊団のせいで。
するとマスターは割られていない酒瓶を手にとっては、割られていないグラスに注ぎ、もう1つのグラスにも注ぐとレディアの隣に座った。
「これは?」
「この店の一番高い酒だ。あいつら、これは割らなかったみてえだな」
マスターはそう言いながら、グイッと酒を一気に飲み干す。そして高いはずの酒をまたグラスに注ぐ。レディアもそれを見て、マスターと同じように飲み干すとまたマスターは空いたグラスに酒を注いでいく。
「いいのか、高いんだろ?」
「いいんだよ。ここも今日で終いになるかもだしな……持ってたって仕方ねえよ」
「……ゴクッ」
豪快に飲むマスターの後に続けて、またレディアも飲み干す。正直、酒の良し悪しはいまいち分かっていない。それでも今は……今は何故だがそれが分かるような気がして……いややっぱり分かっていない。
「何だよ、もっとうまそうに飲めって」
確かにこの酒は高いし本当はかなり上手いのかもしれない。そうなのかもしれないが、それでも今は不味かった。だからこそ、もう一杯は断った。
ここで、このラモネでこんなに不味いのは初めてだった。マスターも同じことを思っていたのか、もう飲むのはやめてただ寂しそうに店内を見つめることしかしなかった。
ため息をついてからレディアは席を外し、気絶している1人の盗賊の男に近づき、胸ぐらをつかんで揺さぶる。すると男は意識が戻ったのか、ゆっくりと目を開き始めた。
その瞬間、男は瞬時にポケットに忍ばせていたナイフを持ち、レディア目掛けて突き付けた。しかしレディアはそれを躱しながら、左の脇で腕を挟むように圧迫すると、ナイフが手からするりと落ちる。
そのまま男を突き飛ばし、落ちたそれを手の届かない場所まで蹴った途端、体勢を整えた男が背を向けているレディアに掴みかかった。
「うっとおしい」
「うわっ!?」
密着したまま肘で腹部を殴打し、僅かに隙間が出来たその一瞬で膝を落とし、相手を背負いながら投げる。レディアは男を地面へと叩きつけたあとにナイフを取り出し、そのまま背後からナイフを首筋に突き付けた。
「ひ、ひいっ!?」
「あーそのままそのまま。答えてくれれば殺しはしない。殺されたいのなら別だけどな」
「お、おい!? いなくなったと思ったら何やってんだ!?」
「マスターは黙っててくれ。コイツに用があるんだ」
心配と不安で歪むマスターを後目に、レディアは男にさらにナイフを突き立てる。嘘偽りのない、躊躇いを感じないナイフの刃がギラリと輝く。
本当に殺すつもりだ。
「……な、何が聞きてえんだ?」
「話が早いな。ならまずは……」
重くなる空気に思わず息を呑むマスターと盗賊の男。こんな状況で聞くことと言えば、もはや1つしかないだろう。
「あのさ……ぶっちゃけ好きな人いる?」
「ぶほっ!?」
座っていた椅子から転げ落ちるのはマスター。
な、何を聞いているんだこいつは!? あんな真剣な顔をしてどうして思春期に友達と泊まった旅館での、消灯時間が過ぎた暗闇の中のノリで話し出すんだ!? もっとアジトはどこだとか主犯は誰だとか聞くべきことがあるだろうに!!
「……」
そら見ろ、見てみろ!! 男だってまさかそんな事聞かれるなんて思ってなかっただろう、完全にキョトンとしてるぞ!!
あ然として何も言えなくなっているマスターの心の声のように、男は目を丸くしていてなんの事だか分かっていない様子。そして何故かレディアは心なしかソワソワとしている。
そんな中で、男がようやく口を開く。
「だ、誰にも……言わない?」
「ぐふぉ!?」
立ち上がろうとするマスターが、今度は足を滑らせて床に転倒する。
いや、お前もかよ!?
「言わねえよ、俺って口堅いし」
「えー、そんなこと言って言いふらしたりするじゃーん」
「しねえって。え、つか誰、誰?」
どうせ転ぶのであれば……と最早立ち上がることを諦めるマスターの近くで、思春期の男子のノリで盛り上がる2人。前のめりでキラキラした目で好きな女子を聞こうとしているレディア、そして首元にナイフを突きつけられているというのに、恥ずかしそうにモジモジしている男。
「サ……サオリちゃん」
「マジかよ。うぇいうぇーい」
「やめろよぉ、やーめーろーよー」
「うぇーい」
「てか、絶対言うなよぉ?」
「えー……」
その言葉を聞いた途端にレディアの表情が変わり、ピンと空気が張り詰めていく。そのあまりの威圧、緊張感にマスターは全身に何かがのしかかったかのような……そんな感覚に陥っていた。
「それはお前次第だ、どうする?」
「て、てめえ……計ったな!?」
「吐いたお前が馬鹿なんだよ。さ、他も洗いざらい話してもらおうか」
「この下衆が……お、俺は口は割らねえぞ!! 仲間を売るくらいなら死ぬ方がマシだ!!」
「そうか……なら仕方ない」
潔いのかあるいは間抜けか……おそらくこれは後者だろう。仲間の為に捨てられる命はあっても、他人のことはお構いなし……そんな輩にかける情けなど見当たらない。
レディアが手に持つナイフに力が入る。こんなろくでなしはいっそ死んでも構わないだろう。あの娘の流した涙の数だけ……出来る限り苦しめながら……殺す。
そうしてナイフを突き立てようとした瞬間、レディアの手は何者かによって突き立てる寸前で止められていた。
「やめろ、やめるんだ」
そのゴツゴツとした、大きい温かいその手は……マスターの手だった。
「これは何だ? マスター」
「いいから、やめてくれ」
「はあ……命拾いしたな」
ため息をついてからナイフをしまい、男から離れる。しかし、何が起きたのか分からないのか、身体を強張らせたまま男は動かなかった。そんな男にもマスターは割れていないグラスを渡し、酒を注いでいく。
「ほら、飲めよ」
「なんの真似だ?」
「バカ野郎、盗賊だかなんだか知らねえがな、ここにいるんなら酒を飲むのが当たり前だろ。毒なんて入っちゃあいない。いいから飲みな」
「ちっ……ゴクッ」
恐る恐る飲んだひと口。そして一口、また一口と気がつけば注がれた一杯を一気に飲み干していた。ぷはぁーと気持ちの良い音とともに、たった今、その一瞬だけ自分がこの酒に夢中になっていた事に気が付く。
「う、うま…………っ!!」
『こんなクソ不味い酒出しやがって!!』
『ゴミ酒だなこいつは!!』
自分がこの酒を飲まずに足蹴にして不味いと決めつけ言いがかりをつけていたこと、こんなどうしようもない自分にでさえ酒を出してくれたこと、そんな自分を見て、満足そうに笑っているマスターがいること、その温かさに気付かされていた。
「俺は……俺は……」
「何て顔しやがるんだ。俺の酒が不味いってか?」
男は俯き、肩を震わせながら首を横に振る。
「じゃあ、何だってんだ?」
「…………美味い……うめえよ」
「そうか……また飲むか?」
「あ……あぁ」
涙をボロボロと溢しながら、とても見ていられないような醜い顔で酒を飲む。それを見て笑うマスター。
盗賊だとしても、悪さをしたとしてもマスターにとっては大切な客……いや、家族なのかもしれない。暴言を吐かれても、金を払わなくても、店をボロボロにされたとしてもマスターは許してしまう。
ここに通う客は、皆家族だから。だから、ここは温かいのだ。彼はようやくその温かさに気が付いたのだった。
「はあ……」
「ほら辛気臭え顔すんな、お前もまた飲めよ」
ため息を吐き出すレディアにも楽しそうな顔をするマスター。そんな姿を見て『この人には敵わないな』と心でそっと呟く。
「タダなら飲んでやるよ」
「仕方ねえ、今日だけだぞ」
「……まさかマスター、ここでさっきの約束使うつもりか? ふっ……なんてな」
和んでいる場を盛り上げようとして言ったジョークだが、何故か静まり返った後に真顔になるマスター。
「おいまさか……」
「いいから飲めよ」
「の、飲まないぞ俺は!!」
「ま、お前もう飲んだけどな」
さっきのやり取りをもう1度思い出す。
『いいのか、高いんだろ?』
『いいんだよ。ここも今日で終いになるかもだしな……持ってたって仕方ねえよ』
『……ゴクッ』
罠だ、完全にハメられていた。
「人の顔面殴っておいてこの仕打ちはナシだろ!?」
「でも、飲んだろ?」
「……あーもう分かったよ、こんちくしょー!!」
「あははは!」
静まり返っていたラモネに活気が戻っていく。3人の楽しそうな笑い声と、ほんのりと漂ってくる酒の香りが空いた隙間から溢れだしていく。
そしてマスターの人としての温かさこそ、このラモネだった。
その頃、廃墟と化した薄暗い屋敷。その一番奥、大部屋の一際大きな椅子に座り、金銀財宝を身に纏いながら、美しい裸の女たちを足元に侍らせる男がいた。
「団長、報告になります」
「何だ?」
「下の者によりますと、あの酒場の店主我々と知って尚抵抗している様です」
「ほぅ……それはそれは」
楽しみがいがありそうだ。
不敵な笑みを浮かべて、膝に登ろうとしてくる女の首を絞めたかと思えば、そのまま床に放り投げる。
いいだろう。この俺様を舐めるとどうなるか……思い知らせてやる。
「山猫の餌にしてくれる!!」
一方では……。
「マスター、俺こいつの好きな人知ってんだぜえ!!」
「やーめーろーよぉー」
「サオリちゃーん、うぇーい」
「言うなよぉー」
酔っ払いが出来上がっていた。
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