6F 急転

601



 ――「娘の事を、頼むよ」



 そう言われたから動くわけじゃない。 仁義の為に動くわけでもない。


 自分は出会った時から彼女の不可解さに焦がれていた。 それはフランクからセレンの話を聞いた今でも変わらない、願いでもあった。


 不思議な力を持つ、奇妙な出会いをした謎の少女。


 それは季人にとって黄金律を全て満たしたドラマだ。 こんな事、一生のうちでそうあるもんじゃない。


 季人の考えは何も変わっていない。


 興味の尽きない少女の事をもっと知りたい。


 そこにある思いは、プライベートを覗き見たいとかいうものではなく、単純にもっと言葉を交わしてより身近な存在として感じたいというものだ。


 さらに、散々苦労して手に入れたサウンドメディカルのサーバー内にセレンに関する情報がほとんど入っていなかったことからも、知的探究心に対するフラストレーションが溜まり、その考えに拍車がかかった結果でもある。


 しかし、その知的探究心を満たす為の障害が、今セレンに迫っている。 現在進行形でその身を追われているだろう。


 フランクの言葉が確かなら、既にセレンはサウンドメディカルには居ないだろうし、故にフランクは自分の最後を覚悟していた。 自分の死が、セレンの自由になれる絶対条件だと承知していたから。


 彼女の事を救うのならば、急がなければならない。


 恐らく那須は形振り構わず、逃亡したセレンを確保しようとする。 楔の外れた金の卵を産む白鳥を捕まえるためなら手段は選ばないだろう。 そして彼女の力が万が一、外部に流出するような事態に陥りそうな時は、迷わず狩人は手にした銃の引き金を引く。


 セレンを救うためには何をおいても情報が必要だ。


 季人はサウンドメディカル本社から戻り次第、直ぐにウィルと拾える情報を片っ端らから調べ始めた。 だがそう時間を置かずしてその思惑は頓挫した。


 何しろ謎の少女と季人が言うだけあって、しっぽどころか羽の一枚さえ掴みきれない。


 考えてみれば、この大都会では自分の名前を明かさずとも、一夜二夜明かせる場所なんていくらでもある。


 もしかしたら、既に都心部から離れている可能性すらある。


 だから、彼女を見つけ出す方法は二つ。


 一つは辛抱強く待つ。 持久戦とは名ばかりの半分以上お手上げの策。 二つ目は彼女か、もしくは那須が動いたのを見計らう策。 季人とウィルからしたら、後者が本命だ。


 セレンという個人を追う限りなら可能性は低いが、企業として動く那須の方は、その動きに必ず兆候が生まれる。 もしもセレンを発見したという事態になれば、その波紋はより大きなものだ。 それを、うちのハッカーが見逃すはずはない。


 そう結論付けたところで睡魔に負けて寝落ちしたのが朝方の七時。 そして、起きたのがその三時間後の朝十時現在となっていた。


「季人、起き抜けで悪いけど、ちょっとこれを見てくれないかな」


 寝ぼけ眼のまま歯を磨いていた季人は、焦点が合わないままモニターを覗きこむ。


「ん、朝からエロ画像はさすがの俺も……」


「寝ぼけてないで、ほらちゃんと見て」


 ん~、と喉を鳴らしながら顔をさらにモニターへと近づける。 目を凝らした時、季人の歯を磨く手はピタリと止まった。 一拍呼吸をする事すら忘れた。 冗談みたいな光景が映し出されていたからだ。


 西新宿の高層ビル群が立ち並ぶ一角に、音楽ホールで見せた衣装そのままで、セレンが一人ぽつんと立っていたいる姿が、定点カメラから映し出されていた。


 完全に周囲から浮いている様相のせいで、ドレス姿のセレンを遠目に多くの通行人が見入っている。


 それもそのはず、晴天の空のもとに純白のドレス姿で一人佇む美少女がいれば、大抵の人間は何事かと思うだろう。


「……セレンだな。 ていうか何故にドレス? 私服とか持ってないのか? それとも持ち出すような余裕すらなかったとか?」


 いや、そもそも今は十一月だ。


 この寒空の中、どうしてそれで平然としていられるのか……それが一番の疑問だ。


「この時間から演奏会か舞踏会って事はないだろうから、本当に持ってないのかもね。 もしくはその服装でいる事に意味があるのか……。 どちらにしろ、今度買ってあげればいいじゃないか。 女性の買い物に付き合うのは新密度アップの定番でしょ」


「女物はよく分かんねぇよ……。 それにしても、よく見つけたな」


「うん。 ネットの掲示板とSNSに監視ソフトを走らせていたら、該当するワードに引っかかるものが連続してさ。 少し遠いけど、定点カメラを間借りして最大望遠で写したら、って感じ。 いや~本人は始めて見たけど、なかなか可愛い子だね。 君が惹かれるのもうなずける」


「いや、俺は別に可愛さだけに惹かれたわけじゃなくて……ん?」


 季人はそこでおかしなことに気付いた。 違和感と言ってもいい。 当然の様にウィルが話していたから深くは考えていなかったが、ネットを監視ソフトで調べていたのは分る。 セレンに関係するワードを抽出すれば、これだけ目立つ格好をした人が都会の真ん中で佇む姿、何人かはツイッターなりフェイスブックなり、もしくは掲示板なりに書き込むだろう。


 しかし、それはあくまで珍しい恰好をした人物という評価であり、それが直接セレンに結びつくというのは不可解な話だ。 彼女の情報はアンテモエッサ・ラウンジに名前だけしか載っていないはずだというのに。


「なぁ、これがどうしてセレンだって分ったんだ? 顔出しなんてほとんどしてなかっただろ?」


 それは一般人も同様だ。 彼女の顔と名前が一致しなければ、ただドレスを着ただけの少女でしかないのだから。


 しかし、その解答はひどく単純な物だった。


「約一時間前に公表されたからさ。 自前のホームページにデフォルメ一切なく、今映っている姿のままで」


 ウィルが別のウィンドウに用意していたものをポップアップする。


 そこには、以前までサイトの説明文くらいしか無かった筈のページトップに、少女の頭頂部から胸元までのバストアップ写真が映っていた。


「更新ログを調べたら、時間式で投稿予約されていたプログラムが今日アップロードされるようになってたみたいだ。 だけど、恐らくこれだけじゃ情報は爆発的に広がらない。 にもかかわらず、結果的にネットには情報が駆け巡っているって事は――」


「……テコ入れがあったって事か?」


 それも、一つや二つの拡散経路じゃない。 何重にも張り巡らせておいた導火線に一気に着火しないと、この短時間での広がりようは説明がつかない。


「ああ。 どうやったのかは分らないけど、きっと自分でも蒔いたんだ。 自身の情報と場所を知らせる種をね」


「わざわざ? 自分の居場所を知られることは、セレンにとってマイナスでしかないだろ?」


「うん。 だけど、何か考えがあってのことだろう。 でもなければ、こんな自殺行為はしない。 まぁ出てきてくれたのは嬉しいけどね」


 自ら姿を晒す意味。 サウンドメディカルに見つかれば、明るい展望など望めないと分っているはずのセレンがネットまで使い、ここまで大っぴらに自身を喧伝する理由。


 単純に考えるなら、サウンドメディカルの目につくことが目的と言えるだろう。


 しかし、その真意が掴めない。 フランクと打ち合わせして、サウンドメディカルの目から逃れるのではなかったのか?


「季人、セレンのこの行動について、まだ詰め切れてないけど予想なら出来る」


「マジで? 是非とも諸葛ウィル先生のご意見を拝聴したい」


 ウィルは一度頷いて、眼鏡のアーチ部分をクイッと持ち上げる。 話す前に一言、「あくまで予想だよ?」と付け加えて。


「彼女にとって、これは布石とでも言うのかな。 これまでに調べた通り、サウンドメディカルの手口は慎重であり狡猾だ。 その手から逃げ出そうと思っても、生半可な行動は自分の身を不用意に晒すことになる。 性根は腐っていても、贅沢に金を使えるだけの利益は上げているんだ。 金とは力そのもの。 可愛い猫ちゃんが少しでも尻尾を覗かせればすぐ飼い主に見つかるだろう。 だけど彼女は自分からネットに素性をさらし、人前にも顔を出した。 今拡散している情報の中には、アンテモエッサ・ラウンジの運営はサウンドメディカルが行っている事を示唆するものから、フランク・レイノルズ前社長との関連性を示すものも存在している。 まぁ、その点は以前から噂されていたけどね」


 不思議な話ではない。 レイノルズという姓を持つ人間が一つの要因を中心として繋がっている。


 そう考えた人間は一人や二人ではない。


 ただ、これまではそれが単なるこじつけや妄想としてネットの片隅に追いやられ、噂の域を出なかった。 それが、ここに来て裏付けとなる情報と共に撒き餌として放たれた。


「だからこれは、僕が思うに逃げることが目的なんじゃない。 そもそも、彼女は見つからない様に逃げようなんて端から考えちゃいないんだ。 いや、逃げることすら、初めから考えていなかった」


 ウィルは一度そこで言葉を区切った。 目を瞑り、自分の中で情報を再び整理し、口を開く。


「彼女は初めから逃げ切れるとは思っていなかったんじゃないかな。 だけど、フランク氏が彼女に願う事はそれだった。 だから、父親の前ではそういうポーズをとってはいたけど、心の内ではそうではなかった」


「……逃げる以外の選択肢って、まさか」


 ありえない。 とは言い切れない。 季人の出会った少女は見かけによらず度胸がある。


 ウィルの言わんとしていることは、そういうことだ。 


「戦うつもりなんだろうね。 真っ向から、たった一人で」


 続けて口にされた言葉に、季人は息をのむ。 肝が据わっているのは音楽ホールでの件で重々承知しているが、ジャイアントキリングにも程があるオッズの差だ。 賭けすら成立しない。


 彼女も馬鹿ではない。 馬鹿ではないが、あまりにも無謀と言わざるを得ない。 セレンの頭の中にどんでん返しを狙った策があり、それが今行われているのだとしても、普通の神経じゃない。


「季人、恐らく彼女は今揺さぶりをかけているんだ。 誘い出そうとしているのはむしろ彼女の方。 早く出てこないと、今までしてきたことが明るみに出るぞって言う脅迫を喉元に突き付けて。 あれだけ目立つ格好で衆人環視の中現れたのは、逆に多くの目があった方が安全だと判断したからだろうね」


 父親のフランクは、多様性を持った情報の拡散手段を用意していると言っていた。 拡散のトリガーはあくまで時限式ではあったが、ウィルの言う通り方法はどうあれ、セレンが何時でも情報という名の爆弾を発動でき、即座に社の秘密を明かせるのだとしたら、サウンドメディカルは時を置かずして即崩壊するだろう。


 矛として持つには、その爆弾の威力は十分すぎる。 そしてそれは、保身を考えていないからこそ出来る企業脅迫。


 その後自分がどうなろうと構わないのだろう。 別の言い方をするなら、もうそこまで覚悟を決めているという事だ。


「直ぐに秘密をばらさないのは、サウンドメディカルの技術はその成り立ちがどうあれ、医療現場で人々の役に立っているからだと思う。 だから季人、セレンにとってある意味これは賭けでもあるんだよ」


 それはつまり、セレンはサウンドメディカル自体の崩壊は望んでいないという事になる。


 人々の幸せの為に生まれた父の会社は、出来る事なら残しておきたいと思うセレンの心情は理解できる。


 その為に、レイノルズ家は多くの峠を越えてきたのだから。


「なら、セレンの狙っている本当の目的は……」


 考えるまでも無い。 答えなんて一つしかない。



 ――「サウンドメディカル社長、那須厚貴」



 ただ文字の羅列を読み上げるように、感情のこもらない声で結論を出したウィル。


 あまりにもその声色が淡泊だったのは、それが想像の域を出ず、現実味はあれど、理屈の上での公式がたまたまその答えに到達したに過ぎないからだ。


 そして、九割方的中しているであろう予想に、季人は感心するよりも呆れの混じった溜息を吐く。


 セレンが那須個人を狙う理由。 安直に考えるなら、自分自身が会社から二度と追われず、自由になる為の直接交渉の為となるだろう。 しかし、それは浅慮な考えだ。 そんなものが本当の理由ではない事は、季人も、そしてウィルも理解している。 那須とセレン二人がテーブルを向い合せに座り、会いまみえた時、ただ示談交渉をして判子をポンと押すだけで済むわけがない。 


 季人にもウィルにも、穏便に事が済むビジョンなんて欠片も見えてこない。


 とにかく、情報を整理したうえで分かった事は、今の状況でオフェンスに回っているのはセレンの方で、那須はそのセレンに生殺与奪を握られているという事だ。


「すでに那須達も気付いているはずだ。 衆人環視のもとでなりふり構わず、カメラも回っているこの場所で目立つような真似や、余計な事を風潮されては困る。 しかし、かと言って遠くから彼女に危害を加えようとしても、セレンが今どんな企みを胸の内に隠しているか分らない以上、そんな危険は冒せない」


 ウィルの説明に季人は頷く。 彼女は今肉眼というカメラであらゆる角度からその身を観察されている。 だから、彼女に異変が起こればすぐに分かるのだ。 周囲の人々は身を守る保険としても十分機能しているというわけだ。


 季人はセレンの行動に一つ納得して感嘆の息を漏らす。


「那須からしたら、セレンはいつ爆発してもおかしくない時限爆弾。 根気強さがどれほどのものかは分らないが、大衆の視線を一身に浴びたところで、その場を離れることはないだろうし、時間が経てば経つだけ、サウンドメディカルにとっては面倒なことになる」


 季人が言う現状の解釈に、ウィルが頷く。


「うん。 しまいには演奏でも始めて、面倒事を増やす可能性だって考えなくてはならないからね。 それ以外にも、情報拡散の術を持っているかもしれないし」


 一度サウンドメディカルの暗部を内包した情報が広まってしまえば、現代社会で収集をつけるのは不可能に近い。


「追い詰められているのはどっちなのか分からなくなってくるな。 思っていた以上にハートが強いぞ、セレンの奴」


 こうしてモニター越しに見ている間にも、通り過ぎる人の中に足を止めてセレンの方に視線を固定する者が増えてきた。 もしかしたら、本当にそのうち演奏会でも始まってしまいそうな空気だ。


 それもそのはず。 長年座禅を組んで煩悩が死んだ僧侶ですら振り向きそうな美少女がドレス姿で立っているのだ。 注目を集めないわけがない。


「……っと、噂をすればってほどじゃないけど、那須は意外と優秀な社員を雇っていたみたいだ」


 セレンのいる場所から少し離れた道路沿いに、三台の黒塗り乗用車が止まる。 次々とドアが開き、中から出てきたのは黒スーツを着たフォーマルな格好の男達。


 この場に突然現れ、しかも単独ではなく十人以上でとなると、セレンに注目していた周囲の視線も容易にそちらへと引きつけられる。


 物々しさが人々の間に伝播していく。


 この一角において、純白のドレスを着た少女と、対象に黒で統一した男達を無関係と処理する事は誰にも出来ない。


 男達の歩みがゆっくりとセレンの方へと向かっていき、それに比例するように、周囲の空気が緊張の色合いを強めていく。


 一体あの少女は誰なのか? 車から出て来た男達は何者なのか? 空間を共有する、しかし背後関係を知らない者達は一同にその光景から目が離せない。


 その時、「あれ……?」と画面を注視するウィル。


 続けてマウスとキーボードを操作し、駐車された三台の車を中心に画像を引き伸ばす。 そこからさらに、最後尾の車にカーソルを合わせて画像を拡大する。


「三番目の車の前にいる男、拡大して少し顔が潰れちゃってるけど、多分……」


「……」


 季人がモニター画面に顔を寄せてその部分に視点を合わせて約五秒。


 車から出てきたほとんどの男達がセレンの下に向かう中、一人車の前でその様子を見ている男。


 若干ぼやけてはいるが、一度はサウンドメディカル関連の情報を一から洗っていた二人は、その顔は何度もパソコン上で拝見してきた。


 今や医療業界に革新を起こした企業の最高経営責任者。 そして、現在進行形で尻に火がついている現社長。


「那須厚貴、直々の出迎えか。 事態の早期収拾を図るために自らお出ましといったところか……」


「もしくは、セレンからのご指名があったのかもしれないよ。 彼女は今ネタを元に脅迫できる立場にいるわけだからね。 どんなお願いだって通るだろうさ」


 サウンドメディカル最高経営責任者、那須厚貴。


 五年前に社長として就任以来、年間営業利益を毎年高成績で更新し、その手腕によって瞬く間に注目される新興企業の一つとなった。


 躍進はこの国での活動に留まらず、海外の様々な医療機関や関連企業ともパイプを形成し、サウンドメディカルの地盤は揺ぎ無いものとした。


 だが、数々の障害や難関を独自のセンスで乗り越えてきた那須も、今日この瞬間だけは勝手が違うようだ。


 己が野心の為に操っていたマリオネットが、その見えにくく細い繰り糸を主人の首に気づかぬ間に巻きつけていた。 決して切れない丈夫なその糸を取り去るには、人形自身を何とかしなくてはならないのだ。


「……ん、あれ?」


「お……?」


 季人とウィルがほぼ同時に声を上げる。 突然映像がフリーズを起こしたのだ。 これまで映っていたライブカメラの映像が全く動かず、切り取られた一枚絵のようになってしまった。


「どうしたウィル?」


「リンクが切れた。 というよりもこれは切られたね。 この光景を見られたくない連中からのインターセプトだ」


 ウィルがキーボードを操作するが、映像が復旧する様子はない。


「他のカメラは?」


「このポイントを映せるカメラはここだけなんだ。 操作を取り戻そうにも……ああ、これはカメラ本体がやられたかな」


 モニターにはdisconnect《通信切断》の表示。


 再接続をしようにも、対象への物理的アクセスが遮断されている。


「公共物破壊とは、あいつらも手段を選んでないな」


 それだけ追い詰められているということなのか、それとも先見を有した那須にとって想定の範囲内なのか。


 だが、注意の目を引くことに成功しているのは間違いない。


「なら、こちらもなりふり構わず取れる手段を行使していこう」


「だな。 にしても最近多いよな、こういう肉体労働系」


 季人は「嫌いじゃないけどさ」と口にしながら手早く服を着替え、必要なものをボディーバッグへ詰め込み、最後にスマートフォンをズボンのポケットに押し込む。


「あ、季人。 これも持って行ってくれ。 念のためだ」


 ウィルは季人に向かって手の平サイズの物を放り投げた。 それを受け取った季人が確認したのは、まさしく手を覆う為の黒いグローブ《革手袋》だった。


「ウィル、確かに寒くはなってきたけど、一応自前のがあるぞ? ていうか、片方だけかよ」


 その上、本来手袋には必要のないコードが長く伸びていた。 子供用の手袋であれば、このような紐の反対側にもう片方がくっついているのを見た覚えがある季人だが、そのコードの先が接続端子ともなっていれば、一度たりとも拝んだ事はない。


「言ったろ、念のためさ。 必要になったら説明するよ。 ほら、時間がないんだから急いで急いで。 公演が終わっちゃうよ」


「まだ開演すらしてないだろ」


 苦笑しながら、季人は受け取ったグローブをバックに押し込み、ウィルの部屋を飛び出した。


 戯曲の最終幕が始まるであろう現場へと向かう為に。

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