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二十分後、到着した現場には当然のことながらセレンと黒服の男達の姿はなく、もちろんその様子を見ていた人々もまばら捌けていた。
季人は乗ってきたロードバイクに跨ったまま相棒に電話を掛ける。
「さて、影も形も残像も残っていないけど、どうするかね~?」
一服の為にタバコを吸わない季人はポケットからミントタブレットを取り出し、二粒口の中に放り込む。
『ライブカメラも監視カメラも無い方面に走って行ったみたいだ。 それらの映像に痕跡は無い』
「……え、それってお手上げ? 詰んだ?」
エンドロールには早すぎる。 かと言ってこの場で聞き込みでもするのか? 悠長な事はやってられないぞ。
そんな内心あせりを感じていた季人だったが、帰ってきたウィルの声は存外明るいものだった。
『と、そこで勝ち筋を見つけ出すのが僕の仕事さ。 どの辺りに向かったのかは、ちゃんと把握出来ているよ』
「本当かよ。 どうやって?」
『最近じゃ、高速も有料バイパスもETCを使ってるのが当たり前だから、サウンドメディカル勤務者の名簿と法人名義の車両を索引して、そこからクレジットカードの使用履歴と時間からおおよその利用場所に辺りをつけて……』
「ああ、うん、なるほど。 流石はウィルだ。 みなまで言われても分らないから、とりあえず結果を教えてくれ」
長口上に移行しそうだったウィルの説明に被せるようにして先を促す季人。
ピコン、という電子音と共にスマートフォンへと転送されてきたマッピング情報。 季人は画面を見つつ通話を続けるために、一端スマートフォンの通話モードをスピーカ出力に切り替える。
『高速道路を利用してくれて本当によかった。 高速に乗ったって事は、降りる必要があるからね。 だからこれは、そのポイントから予測した目的地なんだけど、かなりの確度だと思うよ。 そこから行きそうな場所なんて一つしかなかったから』
表示されている地図上で点滅しているのは、季人がいる場所から東南東に約二十キロ程離れた地点。 墨田区と台東区の境目付近を示している。
『マーキングしてある住所はサウンドメディカルの関連製品を扱う工場だ。 その辺で高速から降りたら思い当たる場所はそこだけだった。 ただ……』
「ただ……?」
含みを持たせたウィルに季人が聞き返す。
『初め、僕達がモニターで確認した車の数は三台だった。 高速道路に乗ったのも当然三台。 だけど、そこから降りたのは一台だけなんだ。 残りの二台は、まだ首都高をグルグル亀みたいに回ってる』
「どういうことだ? まさかカードの限度額をオーバーしたのか?」
『ETCはその場合でも降りられるよ。 あとで督促状が届くだけ。 そもそも、法人登録のカードなんだから、残高不足なら三台とも同じ処理になるよ』
もっともな話だ。 と言うよりも、今ノりにノっているサウンドメディカルの金庫が高速代も払えないほど枯渇しているとは考えにくい。
「そりゃそうだな。 なら、二台は意図的に分断されたって考えるべきか」
那須の命令だとしたらその意図が読み取れない。 社長の護衛の為であり、少女の暴走に警戒してこそのマンパワーを、ここで不用意に分散させる理由が掴めない。
だがもし、それが那須にとってイレギュラーである出来事だったとしたら?
例えば、数十分前にセレンの所在を掴み、部下を引き連れて三台の車で現場に到着した時には、既にセレンの手が入っていた可能性がある。
『どうだろう……。まぁ、そこが最終公演の場所だというのなら、意図的に入場制限を掛けているのかもしれないね』
ウィルのその言葉を聴いた瞬間、フラッシュを焚いた様に季人の脳内である考えが閃いた。
最低限の招待客のみで行われるセレンの演奏会。
その独奏を聴くために用意してある席は、恐らく一席だけだろう。
つまりは、そういうことだ。 間違いないだろう。
そこが、彼女の選んだ最後を飾る会場なんだ。
――セレン・レイノルズ。
少女の姿をしてはいるが、その行動力は相当なものだ。 何せ、父親のサポートが少なからずあったとは言っても、たった一人でサウンドメディカルを出し抜いて見せたのだから。
工場では今もセレンの力を活かせるサウンドデバイスが生産されている。
全てに決着をつけるのならば、その工場にも幕を下ろす必要がある。
故に、そこを最後の舞台としたのだろう。
きっと、間違いなく首都高を未だに回っている二台にはセレンと那須は乗っていない。
唯一高速から降りた車で工場に向かっているはずだ。
今、流れは間違いなくセレンに向いている。
これで彼女の目的達成への導線は出来上がったと言えるだろう。
「もう、最後に映像を見てから三十分は経ってるな。 ここから工場まで何分かかる?」
『季人の愛機で全体力を注いで向かうとしたら……一時間位といったところかな』
「そうか……」と必死にロードバイクを走らせる自分の姿を想像した季人は、「マジか……」と非情な現実に肩を落とし、深い溜息を吐き出す。
全力で走り続けるということが無理だということは重々承知しているし、自分もそんな気は更々無い。 というか体力的なスペックの問題で不可能だと自分が一番分っている。 ウィルも分って言っているのだ。
「この工場の場所なら、メトロで向かった方が結果的に早そうだな。 ていうかそれ以外の選択肢はないぞウィル」
幸いにも新宿駅から乗れる都営大江戸線で三十分もあれば付ける距離だ。 ロードバイクを選択して現場に到着早々ヘトヘトになりたくなければ、電車を使わない手はない。
『まぁそれが使えるなら僕も推奨したいんだけど、今新御徒町で信号機トラブルが起こってるみたいで、遅れが出てるんだ。 復旧にはそれほど時間はかからないと思うけど……こればっかりは僕にも分らない』
言葉も出ない。 季人は顔を手で覆って今日何度目かの溜息を吐く。
「ピンポイントすぎるでしょ神様。 年明けの賽銭かなり奮発したぞ」
信号機トラブル程度ならそれほど復旧まで時間はかからないはずだが、確証はない。
こうなると、もはや選択肢はロードバイクか、メーターの上がる乗り物しかないわけだが、目的地までの料金は多く見積もっても六千円と言ったところだろう。
問題があるとすれば、今月はサウンドメディカルの調査にかかりきりで出費が多く、今季人の財布には千円紙幣が四枚しかないという事だ。
「……大人しくペダルを漕ぐか」
きっと神様が急がば回れと言っているんだ。 神主とは付き合いが長いしな。 そう自分を納得させる季人。
それに、電車に乗っている最中にセレン達が別のポイントへと移動した……なんて場合のような突発的状況に対応するには、ロードバイクがベストだろう。
『漕ぎ出す前に、最後にもう一度聞いておくよ。 僕達ワールドアパートはどこを着地点にするつもりだい季人? 突っ込みすぎると最悪死ぬよ』
頭脳担当であるウィルの言う事はもっともだ。
ただ、季人にはそれが一応、形だけの忠告だという事は分っている。 ウィルも建前上言っているだけで、本気ではない。
しかし真実ではある。
引き返すならいらぬトラブルを回避できる。
だがそれが出来ない男だと分っているから建前なのだ。
「まぁ、形式の上で被害者面をさせてもらえるなら、今回の騒動を引き起こしたサウンドメディカルには再起不能なくらいにぶん殴ってやったうえで告解してほしいもんだ。 なんたって身内が巻き込まれて、ここまで内情を知っちまったんだし、幕引きを済ませないとこいつらのことが気になって気になって普段の生活に支障がでそうだ。 終いにはノイローゼになるかもな。 かと言って、自分がアメコミのヒーローじゃないなんて事は俺が一番よく分かってる」
『ああ。 君が目からビームを出したり手から糸を出したりしたところは見たことないからね』
――「だから、やることは一つだ。 一大企業に単身挑むなんてことを本気で実行に移した歌姫を俺達がかっさらう」
季人がセレンの下に合流したところで、話が纏まる事はない。 というより、部外者である自分達が行ったところで問題が解決する事なんて一つもない。
サウンドメディカルに干渉せずセレンを守るというのは、以前失敗した御伽の救出作戦の焼き直しだ。
ただ、今回忍び込むのが人気のない施工中の音楽ホールではなく、ラスボスのいる情報の少ない未知の工場というだけだ。
『うん、妥当なところだとそんなもんだね。 いくら彼女にすごい力があろうと、相手はその力を研究してきた男だ。 そう易々とジャイアントキリングは望めないだろうし』
「ああ、痛いしっぺ返しをくらわないって保証はないからな。 たぶん、セレンとしては望むところなんだろうが……」
『うん。 自棄とは違う、覚悟ってやつだろうね。 自分の身を犠牲にしてでも首を取る覚悟。 刺し違えてでもって思ってるかもしれないよ』
執念……そんなものを感じ取れるほど、季人もウィルもセレンと付き合いがあったわけじゃないが、行動力、度胸、そして勇気は察するに余りある。
逆に考えれば、自分の身を顧みないセレンが何をしてもおかしくないということだ。
「そんな寝覚めが悪くなるような事はごめん被る。 それに、俺は一生にそう何度も起こらないこんなシチュエーションを見逃すほど、出来た人間じゃない」
『開き直るみたいに本音が出たね』
キリっとした顔と声で胸の内を吐き出した季人は勢いをつけてペダルを漕ぎ出した。
好奇心、非現実性が行動原理であり、それが水越季人の根幹を成している。
自身がそれを良しとしている限り、性分に従う。
結局のところ、全てはそこに帰結する。 自分自身を満たせるのなら、火事場にさえ飛び込んでいく。 ブレーキをかけるのは、相棒であるウィルの役目。
季人が視線を上げると、遠くの空が曇り始めていた。 天気予報では、この後小雨が降り始めるらしい。
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