203

 終電が終わり、照明が完全に落とされ、更に静けさを増す駅構内は、閉鎖的な空間と言うだけあって独特の雰囲気をもっていた。

 地上世界から切り離された都庁前駅、乗客の姿も気配も消失したそこで、換気機関室と表示されている扉からゆっくりと人影が出てきた。

 季人は音を立てない様にそっと扉を閉め、そして、終電の終わったメトロの駅に居る現状を前にして、多少興奮していた。

 客観的に分析すればそれは当然のことだ。

 本来ならばこの時間に一般の人間が居ることがそもそも間違っていることであり、見つかれば襟首を捕まれてしまうことは自明の理。

 しかし、季人はそのことに対して危機感からドキドキしているのではなかった。

 この静けさと非常灯の明かり。

 それはまるで生まれて初めて映画館やプラネタリウムに来た時の心境に似ていた。

 普段とは違う、普通では決して足を踏み入れない閉鎖後の駅構内に居るという事に高揚している。 それを季人は自覚していた。

 捕まる危険性よりも、非現実に近いこの空間を好ましく思っていた。

 御伽を捜索中と言うこともあり、幾分不謹慎な感想ではあるが、そんな背徳的感情すらも、季人は楽しんでいた。


「はは……」


 いや、そもそも背徳感とはそういうものではないだろうかと自問するが、季人はその考え自体がばかばかしく、苦笑しながら直ぐに霧散させた。


 未知というものに焦がれるのが水越季人であり、それが既に病的であるという事が、自分はおろか、他者にも分かるくらい表面に現れている。


 奇異の目で見られる事なんて、一度や二度ではない。 後ろ指を指されるようなことは今のところ奇跡的にも無いが、これから先は分らない。 

 それでも、構わない。

 常識や倫理など、自分にとっては意味がない。

 そう迷いなく思えるのが自分なのだから。

 詩人であり、哲学者のダンテも言っている。


 ――お前の道をすすめ 人には勝手な事を言わせておけ、と。


 ポケットの中でマナーモードにしていたスマートフォンが振動している。 季人はそれを手にして耳に当てた。


「潜伏完了だ」


『OK。 それにしても季人、不思議だと思わないかい? 失踪事件が既に明るみに出ていて、失踪者確保っていう着地点が見えたのは分かるけど、こうまで警戒の色が無くなるもんかね』


 確かに、ここに来た時から季人は感じていたが、テレビで言っていたほどの物々しさはない。 

 警察官の常駐も、有力情報の収集を旨とした張り紙もない。 そんな事件が在ったことそのものが、虚構の日常に上書きされているかのようだった。 


「……捜査本部を立ち上げるほど、警察はこの件を重要視していないってか?」


 そんな事があるのだろうか? メディアであれだけ騒いで、警察の捜査状況も小出しにリークされていた。

 その様子から、本格的な捜査が行われていたと思ったのだが……。


『もしくは、失踪者が発見された事で、まだ明るみになっていない新情報があったのかもしれない。 その結果、現場に注力する必要がなくなって、既にこの件の重要レベルが下がったのかもしれない』


「まだ見つかっていない人がいるってのにか?」


 ウィルの言葉に、季人は間を空けずに聞き返す。

 今回世間を賑わせた連続失踪事件は、話題としては下火になっているが、現在進行形で継続中の事案だ。

 都庁前駅の失踪者全てに捜索願が出ているかは定かではないが、関連性のありそうな行方不明者はまだ四名はいるらしい。

 そもそも、三人の失踪者を確保したとはいえ、その経緯は不透明なままだ。 警察はその点を濁しているが、眉唾な情報によると、フラフラと駅構内を歩いているのを目撃されて駅員に保護されたというものだ。

 それが本当だとしたら、一番重要なのはそれまで一体どこに居たのかって事になるのだが、その情報はまだ出回っていない。


『実はね、名前は伏せられていたけど、発見された失踪者の情報を探ってみたら、どうも警察関係者の人間だったみたいだ。 そもそも、此度の件が事件として広まった切っ掛けがそれさ』


「それ……?」


『駅構内で失踪した学生の持ち物を駅員が回収して、その持ち物の問い合わせが警視庁から入ったんだってさ。 それを、どこで嗅ぎつけたのかマスコミたちがこぞってあちらこちらに聞き込みやら取材やらを開始したってわけさ』


「……そうか」


 そういう事なら色々と納得ができる部分はある。 

 そもそも、一日やそこいらで家に帰らない娘が居たとして、失踪届けや捜索願いはあるにしろ、この短期間でメディアへの情報公開というのは手が入りすぎている。

 よほど大御所の人間か、手回しの早い警察関係者でもなければ、即日で手広くは動けないだろう。


「それで、無事保護された娘の親御さんは力を注ぐ理由がなくなり、この件から手を引いた、か」


『もともとそれほど大きな事件と見られていなかったのなら、収束するのも早い。  でもね、ここまできて……失踪者が発見されたという情報がもたらされた今となっても、一番肝心な部分が抜け落ちているんだよ』


「肝心な部分て?」


『季人は一度でも見たり聞いたりしたかい? 何故、どうして失踪なんて事態に陥ったのかを」


 その問いに季人は数瞬頭を働かせる。


「いや、聞いてないな。 噂程度のものならいくらでも野次馬が呟いているけど」


『そう。 なんと言ってもそこが最も重要な部分じゃないか。 それによって人々の心象も大きく変わってくる。 ちょっとした気まぐれで、身近な人に連絡一つなく遠出なり、火遊びなりしていたのか。 もしくは、本人ですら予期していなかった事態に巻き込まれた……誘拐とかね』


 メトロ利用者にしたって、事件の核心が不透明なままだと日常生活に影響が出るだろう。 この近辺は高層ビル内に多くの会社が入っているし、他にもレストランやホテル、観光スポットも沢山存在する。 それに、駅名を関する建物である都庁があるのだから、人の流れに影響が出る件をそのままにしておくわけにはいかないはずだ。


「皆早く安心したいけど、安心出来るだけの情報を警察から開示されない……か」


 それはつまり、まだ警戒を解くことは出来ないということ。 警察自体も事件の詳細を掴みきれていないということだ。

 憶測で状況を説明し、情報を錯綜させることは、新たな混乱を生むことになるのだから。


『まぁ、この国で起こっている誘拐、失踪事件はここだけじゃないからね。 それでも、これだけ話題になったんだから、もうちょっと情報を流してほしいね』


「もしかしたら、公開できない事情ってやつもあるのかもしれないけどな」


『へはは。 それじゃまぁ、今は開示されている内容だけで我慢しておこう』


「……だな」


 物陰に身を潜めながら改札の手前まで戻ってきた季人は、周囲を警戒しながら声量を落とす。


「駅員の人数は分かるか?」


『今は……二人だね。 二人とも事務所に籠もってる。 僕が監視カメラで見てるから安心して』


 当たり前の事のようにハッキングは成功していると公言しているウィルに、別段季人が驚くことはない。 それ位はやってくれる相棒だからこそ、自分が好きに動けるのだと、むしろ胸を張れる。

 出会った当初から、ウィリアム・フレイザーとはそういう男だった。

 電子機器、中でもパソコンを触らせれば右に出る者はいない。 少なくとも、季人はウィルほどの腕を持った男を他に知らなかった。

 欲しいものがあればガラクタからですら作り上げ、必要なソフトがなければ自分でプログラムを組む。

 季人とは別のベクトルで、好きなように、自由に生きている男だった。


「俺の姿は大丈夫か? 生中継の姿が写ってない? あんまりおめかししてこなかったんだけど」


『無人の録画映像をはしらせているから、季人は今透明人間。 ミスターインビジブル。 ただ、当たり前だけど音までは誤魔化せないから、その点だけは気をつけてね』


「確かに、これだけ静まり返ってると扉を隔てた部屋でも油断できないな。 それとウィル、さっき何か言いかけただろ? 何だったんだ」


 終電がやってくる直前、ウィルが何か言いかけた事を思い出し、それが後回しになっていた事を思い出した。


『ああ、監視カメラのシステムを覗いていた時に気づいたんだけど、その事でね』


「何かあったのか?」


『いや、その逆かな。 あるはずのものがないんだ』


 マナーモードにしていた季人の携帯が振動し、ウィルから送られたデータが転送されてきた。

 内容は監視カメラの映像データというファイル名で括られており、季人は一拍おいてから再生する。


『監視カメラの録画映像のデータが飛び飛びで虫食い状態なんだ。 もちろん、継ぎ接ぎしてうまく偽装してあるけどね』


 季人は目を凝らして監視カメラを見てみるが、素人目には何の異常も見あたらない。 一見普通の光景が延々と流れているように見えるが、ウィルの目にはそうは映らなかったようだ。

 そもそも、誰が何のためにそんな事をしたのか。

 現状を鑑みれば、失踪事件に関係していそうなものだが。


「……一応聞いときたいんだけど、御伽がいなくなったときの映像は?」


『これがね、改ざんはされていないんだ』


「……そうか」


 一拍遅れた季人の落胆に、申し訳なさの籠もった声がウィルから帰ってきた。

 こうまで状況が御膳立てされ、一見関連性がありそうな話が転がってきたかと思いきや、その糸を手繰り寄せてみれば先っぽはスカだったのだからしかたがない。


『予想と違ったかな季人。 正直、僕も同じ考えだったから、幾分驚いてる』


「まったくだ。 ということは、連続失踪事件と、御伽の件は無関係?」


 意気消沈が声に現れている季人の疑問に、ウィルが答える。


『でも改竄自体は他の失踪事件が起こった日になされているから、御伽ちゃんの件以外に関しては全く無関係じゃない。 少なくとも、関連性はあるだろうね。 これはこれで片手間に調べておくよ』


「けどそれなら、御伽は今話題の事件に巻き込まれたわけじゃないのか?」


『そうとも言い切れない。 と言うよりも、それ以前の問題だね』


 いまいち要領を得ないウィルの言葉に、季人は先を促す。


「どういうことだ?」


 ――『その時間帯の駅構内を映した監視カメラの録画データがないんだよ』


「……は? いや、なんで? 監視カメラが動いてなかったとか?」


 そんなが事あるのか? ピンポイントでその時間だけ動いていないなど、ありえるのか?

 偶然その時だけ調整中……いや、絶対無いとは言いきれないが、確率的に小数点以下だろう。


『違うよ。 昨日の同じ時間の映像が上書きされちゃってる」


「……それは、改竄されているというのでは? 一分前に改竄は無かったって言わなかった?」


『いやいや、こんなただの上書きなんてもう雑すぎて改竄て言葉を使うことすら憚られるよ。 先の改竄技術に失礼。 高級海鮮丼がふりかけになったくらいの落差だって』


 どうやら、ウィルなりのこだわりがあるようだ。


「そんなにか。 けど、一応は隠ぺいが図られようとしていたのは確かみたいだな」


『考えてみれば、これまでに失踪した者達はだいたい終電間際に居なくなったのに対して、御伽ちゃんは昼間。 これはちょっとしたことだけど、明確な違いだと思う。 その辺も調べていけば何かわかるかもしれない』


 ウィルの言う通り、御伽は昼間にいなくなった。 他の事例とは違う唯一の点。 そこからの綻びが、録画データの改竄の差異に繋がっているのだろうか。


「……まぁ、雲を掴もうとしているよりは、現実的な情報でよかった。 少なくとも、御伽の失踪と関連性があることが分かったからな」


 御伽はニュースであがっていた失踪事件に巻き込まれた可能性があり、それは思っていたよりも大がかりで、監視カメラの映像を改竄するくらい手が込んでいた。

 何も知らなかった一時間前とは情報量が雲泥の差だ。

 季人とウィルの二人は、御伽と自分達が一筋縄ではいかないことに巻き込まれたのだと改めて理解した。


 そして、状況からして今回世間を賑わせていたのは失踪事件というよりも、大掛かりな誘拐事件だということも。


『こうして人攫いのたびに監視カメラをいじってるのが共通しているって事は』


 手口が変わっていない。 それから導き出される答えは一つ。


「同一犯か。 いや、同一じゃなきゃ逆に困るんだけどさ」


 ここでいきなり別口の犯人が出てこられても調べようがない。 だが、ここに来てその可能性低いだろう。


「今日最初にデータの欠落があった場所は?」


『ええっと、二番ホームの第一カメラだね』


「ホームってことは……電車を降りたところから改竄が始まったって事か。 けどよ、どうして警察は分らなかったんだ? 情報解析出来る部署くらいあるだろ。 それとも、それくらい巧妙だったのか?」


 サイバーテロに対してのカウンターとして、警察にはサイバーポリスという管轄がある。

 実際その組織が有効に運用され、成果を上げているとはあまり耳にしないが、今回の様な場合はまさに活躍が期待されるところではないのか。 


『いやー、本当に上手いことやってるよ。 切り取ったブランクに別の日の映像をはめ込んだりするのは今日の奴と一緒だけど、御伽ちゃん以外の失踪事件が発生した日のはそれだけじゃない。 編集技術も、素人ではちょっと真似できないレベルだ。 プロでもじっくり時間をかけないと分らないね。 もしかしたら、時間をかけても分からないかも。 ていうか、監視カメラのデータをいじられてるとは、普通思わないよ』


 それもそうだ。 絶対の信頼性を確保するためのアイテムが、既に信用出来ないものになっているなど普通は思わない。 それも、地下鉄の監視カメラなんて尚更だ。


「うっし、何はともあれ、まずは現場だ。 これから向かうから、俺の姿をちゃんと消しておいてくれよ」


『オーキードーキー』

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