91.新たなる後ろ盾

 さて…… ヘイゼル公爵家に代わる、新たなる後ろ盾だけれど。


 どうやって探そう。そう思って頭の中を整理してみたけど、その候補を見つけるのは、案外、大変なことではなかった。


 ヘイゼル家は皇帝の側近を代々務める、帝国の貴族家の中でも最大の権力を誇る家門だ。


 つまり、他の貴族家にはヘイゼル家に代わる後ろ盾はいないってこと。


 それじゃあ、他に考えられるのは?


 それはヘイゼル家よりさらに上の、彼らがお仕えしているバランティア帝国の頂点。

 すなわち皇家しかいない。


 そして、幸いな事に私は皇女様のおかかえ女騎士っていう、彼女のすぐ隣でお護りする公式公認の身分を与えられている。


 だから皇女様に後ろ盾になってもらうように直接お願いしてしまえばいい、それで万事休すという訳だ!!


 だけど、それをどう皇女様に説明して、納得して引き受けてもらうようにすればいいか……


 そして、皇女様に後ろ盾を引き受けてもらえたとして、婚約を破棄したいって事をアルフリードにいつ伝えるか。


 この1ヶ月の間に、タイミングを見計らうしかなかった。



 王子様の最後を聞かされてから数日間、皇女様は顔色も悪く、起きているのもツラそうにしながら、それでも代わりとなる人がいないために、公務を続けている状態だった。


 ユラリスさんから話を聞いたメンバー以外の人は、王子様がそんな事になっているなんて知らされていなかったので、どうして皇女様が具合が悪そうにしているのか、分からずにいた。


 皇太子様はユラリス王子を帝国で保護していることを伝えるのと、エルラルゴ王子様に関する扱いについて確認するため、ナディクス国へ使者を送っていた。


 王子様に関する扱いとは、もっとストレートに言うと……行方不明なのか、死去と公表すべきなのか、ということだ。


 そのナディクスからの正式回答を待って、帝国内でも王子様の事を周知させるのだという。



 そしてアルフリードはというと、相変わらず皇女様の執務室に入ってくると、彼女の事をまず第一に気にかけていた。


 お水を持ってきてあげたり、いつものように大きな声を張り上げられない彼女のために、そばまで来てひざまずいて、その口元まで耳を寄せて話を聞いたり……


 私の中ではダントツの過保護キャラであるお兄様ですら、呆れたような顔をしてその様子を見ているくらい、アルフリードはあからさまな過保護ぶりを皇女様に発揮していた。



 ところが、それからしばらく経った頃。

 フローリアに乗って、エスニョーラ邸から皇城に朝のお勤めにやってきて、皇女様の執務室に入ってみると、何やらいつもと様子が違う。


 いつもならドレス姿に、長くてウェーブのかかった綺麗な黒髪の美女が、部屋の奥の中央にある執務机の前に座っているのに、そこにいるのは……


 いつぞやの、軍服のようなカッコいい格好に、肩上まで切り上げられた少しウェーブのかかった黒髪の人物が書類を片手に腰掛けていた。


 えっと……この方は、まさか……


「皇女様!?」


 私が驚いて駆け寄って行くと、


「こう忙しくては服を着る時間も惜しいからな。しばらく、このスタイルでいくことにした」


 皇女様はそう言って立ち上がると、軍服を見せてくれるように、腕を肩の高さまで持ち上げた。


 昨日までは具合の悪そうな顔つきをしていたのに……まるで吹っ切れたように、以前のキリッとした鋭い顔つきに一変している。


「髪の毛も……お切りになってしまったのですか?」


 あの豊かで綺麗で長かった黒髪は、バッサリと肩の上で無くなってしまっている。


「ああ、これもな、手入れをしたり、朝から整えるのが大変だからな」


 そう言って、顎のあたりにある毛先を皇女様は少しつまんだ。


 もしかすると、これはもう王子様のことは割り切ってしまわれたのかもしれない。

 皇女様は、ご自身の事を変えて、前に進もうとしているんだ。きっと。


「ところでエミリア、提案だが。そなたも女騎士だけではなく、側近としても働いてみるのはどうだ?」


 すると、皇女様は以前にも私を驚かしていた事を言ってきた。


「え、いや、でも……以前それはご冗談とおっしゃっていませんでしたか……?」


「今回は本気だよ。だが、アルフやエスニョーラの2人と同じ水準までは求めていない。エミリアもずっと、私の横で立っているだけでは、つまらないだろう? だったら、これくらいの業務ならできるだろう」


 そう言って、彼女は書類の束を私にバサッと渡した。


「これを建設部門まで、届けてくれ」


 そう指示された私は、帝国内の公共の工事や建造物の設計とかに携わっている建設部門のある建物まで、渡された書類を届けることになった。


 つまり、私に言い渡された“側近”のお仕事というのは、書類を届けたり、言付けを預かったりして皇城内の各部署と皇女様の間を駆け回る、メッセンジャー的な役割だった。


 意外と、リリーナ王女様の女騎士をやっていた時は、すぐショッピングに行ったり外出も頻繁だった彼女に付いて回ったり、エステタイムには、私の用事で色々な所へ行ったり、動き回ることが多かった。


 だけど、皇女様の女騎士としての仕事は、ほぼ執務室の机の前でお仕事をしている皇女様の横でただ突っ立っているだけという、めちゃくちゃ楽で……そして確かに、退屈なお仕事でもあったのだ。


 ちなみに、ユラリスさんとリリーナ姫はずっと皇城に滞在していて、ユラリスさんが茨の森で負った傷を癒すために、皇城にある温泉大浴場で湯治をしているそうだ。


 皇女様が元気を取り戻したことと、私もお手伝いに入るようになり、仕事の業務スピードは格段に上がるようになっていった。


 だけど、アルフリードは、皇女様の変貌が逆に気になるようで、いつも心配そうに彼女のことを見つめていた。



 皇太子様のピアノの音がかすかに聞こえる。


 私の誕生日というタイムリミットが刻々と近づいて来ていた、ある日の午後。


 だいぶ静かな時間が増えるようになった。


 お父様もお兄様も、ご自分たちの用事でおらず、執務室には皇女様と私の2人だけだった。


「皇女様、少しお話したい事があります」


 窓から差し込む優しい光を背景にして、書類に何かを書き込んでいる皇女様に私は声を掛けた。


「どうした? お茶でもしがてら、そこのソファで聞こう」


 軍服姿の皇女様は、前にエルラルゴ王子様が大量のプレゼントをなだれ込ませていたソファに腰掛けた。


 そして、私は彼女の前の1人がけのソファに同じく腰を下ろした。


「こ、婚約破棄だと!?」


 皇女様は、私の話にすぐさま反応して、飲んでいたお茶を吹き出された。


 私は立ち上がって、持っていたハンカチで皇女様の口から首にかけて流れている紅茶を拭いたりして、また席に戻った。


「はい。私は皇女様の女騎士に専念したいんです。結婚はしたくないんです」


 膝の上にこぶしを置いて、うつむきながら私は答えた。


「まだ、小説の中の皇女を守る女騎士に憧れているのか? 女騎士が結婚してはいけない、というのはもう昔の話なんだぞ?」


 皇女様は、私が初めて女騎士を志願した時に出まかせで言ってしまった理由をまだ覚えていらっしゃった。


 そういえば、王子様がその小説を読んでみたいって言って、無理やり捏造して渡したことがあったけかな……


 私は、少しだけハニカミながら皇女様に笑いかけた。


「分かっています。そうじゃなくて、私はもう女騎士として、きちんとお給料ももらっていますし、自分で生活することもできるんです。ヘイゼル家の方々にはお世話になりましたが、結婚しないで仕事に専念する。そういう生き方だって、あってもいいと思うんです」


 これは、前にいた世界でも選択する人がたくさんいたライフスタイルの一つだ。

 本当は……ただの言い訳だし、アルフリードと一緒にいられるならそうしたいけど……もう決めたことなんだ。


「う、うーむ。なるほど、そういう考え方もあるやもしれぬ。しかし、そなたとアルフが婚約したのは、エスニョーラ家の後ろ盾として、ヘイゼル家を立てるためではなかったか? そなただけで、そんな勝手な事をしては、両家に迷惑がかかるだろう」


 そうだよね……そう言われると思ってはいたけど、私は考えていた言葉を伝え始めた。


「その後ろ盾を、皇女様にお願いできないでしょうか?」


 皇女様は、体の動きを一瞬止めて私の事を見た。


 そして、ズボン姿の長い足を組んで、持っていたカップをテーブルに置いた。


「ふむ。エミリアも女騎士として私の側にもいるし、なんと言ってもエスニョーラの侯爵と子息は、私とお兄様兼用の側近となってしまっている。帝国には無くてはならない存在であるからな、既にもう後ろ盾だと言っても過言ではないだろう」


 そうだった、お父様たちがそんなポジションにいてくれて助かった。


 これで、新たな後ろ盾については、なんとか解決だ。


「だが……そなたとアルフは、いつ夫婦になってもオカシクないほど仲が良かったと思っていたが……本気なのか? アルフは、そのような事を告げられても、そう易々やすやすと諦めるとは思えないぞ」


 彼とは、この2年近くの間に色んな思い出ができた。


 毎日してくれていた、皇城とエスニョーラ邸の送り迎え。

 大舞踏室での婚約披露会。帝都の観光ツアー。

 それに、フローリアと私を引き合わせてくれたし、クロウディア様愛用の香水を作るためにお花も一緒に摘みに行ってくれた。

 ヘイゼルのリフォーム計画にも途中から協力してくれたし、あの雨に濡れた宿屋さんで一緒に抱きしめ合ったこととか。


 それに、この間の皇女様の誕生パーティーで、ダンスタイムの時だけ騎士服からドレスに着替えさせられた事。

 あんなこと、思いつくなんて笑っちゃったよ。

 だけど、あの時は格別にロマンティックで、何度も口づけされそうになった時のあなたは、私の知っているあなたじゃないみたいだった。


 なんにしても、もうアルフリードの心は、態度からして皇女様に傾き始めている。


 彼が私を追いかけてくれていたように見えたのは、これでおしまい。


「本気です。彼には婚約を解消してもらうように、今度お話するつもりです」


 それでも私は、あなたの大事な皇女様をお護りして、あなたが闇に落ちないように、陰ながら救ってみせるからね。



 そして、皇女様とお話してからすぐのこと。


 私の誕生日の日。


 私はアルフリードから、呼び出された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る