第11話 悉地

「ようやく……門が開く」

 蓮は、そう呟くと、クスリと笑みを漏らした。


 門が……開く……。


一切有情調伏故忿怒調伏いっせいゆうせいちょうふっこふんどちょうふく

 檜扇が大きく風を切る。

 同時に炎の勢いが凄まじい程に膨れ上がった。

 火の玉から放たれる炎を押し潰すかのように、回向の放つ炎が炎を飲み込んでいく。

 再度、回向が檜扇を振ると、バッと風を切り、一瞬にして炎が消えた。

 回向は、檜扇を下ろしたが、閉じる事はなかった。

 芯の通った揺るぎない、力強く地を踏む足。

 使う法力のこれ程の威力を見せても、息が切れる様子など全くない。尚一層、力を得ているようだ。

 相当の精神力と体力だ。


 炎が消えたと同時に上がった黒煙。

 その黒煙が目前に闇を作っていた。

 羽矢さんと住職の姿が、今度は黒煙によって遮られる。

 それでも。


「開示」

 導くように羽矢さんの声が聞こえた。

 羽矢さんの声に回向は、檜扇を前に向けて構えると、答えるように言葉を返した。


合殺かっさつ


 霊山で二人が諷誦した時と同じ言葉だ。

 回向が口にした合殺とは、その文字をそのまま捉えるものではない。

 大日如来に帰依するという、そして一体となるという意味を持つものだ。


 回向は、檜扇を黒煙へと向け、じっと前を見据えたまま、口を開く。

南麼三曼多勃駄喃なうまくさんまんだぼだなん 悪掲娜あぎゃなう えい 蘇婆訶そわか

 そう唱えると、黒煙の中から膨れ上がるように、炎が大きく上がった。

 再度、燃え上がった炎は、さっきまでの炎よりも色が濃く、黒煙を交えて赤黒く見えた。

 火の玉から上がった炎が飲み込まれても、その執着、執念を黒くくすぶり残し、黒煙として吐き出したように思えた。

 だがそれが次第に、赤黒かった炎が大きくなる度に、鮮明な赤へと変わっていく。

 まるで、その執念、全てを焼き尽くすかのように、真っ赤に染め上げるようだった。


 ……凄い力だ。


 僕は、目の当たりにする回向の力に圧倒される。

 檜扇が振られる度に、炎が回向に従う……そう見えた。

 手に馴染むかのように檜扇を容易に操る事も。

 その法力に、回向自身、劣る事はない。

 まるで、法力そのものが、回向という存在を示しているようだ。


 燃え上がる炎に隙間が開いた。

 その隙間から不動明王の像が見える。その不動明王から、炎が放たれているように見えた。


『正体の教令輪身を明かそうか?』


『だったら全てを明かせばいい』


 羽矢さんの言葉に、回向はずっと躊躇いを見せていた。

 だけど今は……。


 腕に刻んだ不動明王の種子字。

 大日如来の化身……調伏してでも正しい方向へと導く為の教令輪身。それが不動明王なのだから。

 羽矢さんが回向に詰め寄るようにも言っていたその言葉が、この現状に重なった。


 『門が開く』

 確かにこれは成せる者でなければ、当然、成す事が出来ないものだ。

 つまりは『瑜伽』……仏との結び付きを自身に成す。それはその身、口、意によって行うものだ。

 その身で印契を結び、口に真言を唱え、意識において本尊を念ずる。観想だ。


 神祇伯が回向の隣に並び、その場に座した。

 回向も合わせて座す。

 神祇伯は、印契を結ぶと口を開いた。

 言葉を唱える口、その意識において、成就への門が開かれる。

 いや……もう……神祇伯と言うより、和尚わじょうと言った方がいいのだろう。

 かなりの力の大きさを秘めている、そんな気迫を感じ取れる。


 真っ赤に燃え上がる炎をじっと見据えて流れる声が、はっきりとした声を低くも強く響かせた。


 蓮が口にした事が、事象となる。


「『秘密』……その全てを開示する」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る