第14話 梵我

 完全なる……廃仏。


「……それでお前はどうする、藤兼。欲という意識だけが転生を繰り返す……まるで地獄のみこそが辿り着くべき界であるかのようだ」

 そう言いながらも閻王の目線は、羽矢さんではなく、蓮に向いた。

 蓮は、閻王の目線をじっと受け止めてはいたが、何も答える事はなかった。


『地獄に落とせ』

 ……閻王には分かっている。


 閻王の目線が蓮に向いたまま止まっている事に、僕は不安になった。

「……蓮……」

「……心配ない。大丈夫だ」


 蓮に目線を向けたままの閻王は、ふっと笑みを漏らすと、名を口にする。

 だが……口にしたその名は。


「流」


 ……当主様。


 閻王の背後から、当主様が姿を現した。


『流様がお待ちです』

 待っているって……ここで……。

 当主様が……閻王に……羽矢さんよりも近い場所だ。

 改めて当主様の力の大きさを知る。

 だが、僅かにも疑問が生じた。

 当主様が閻王に近しい立場なら、羽矢さんに頼む事などなくても……。

 頼まざるを得なかった理由……やはり、回向にあるのだろうか。


 蓮がふっと笑みを漏らす声に、僕の視線が蓮へと戻る。

 その様子に、当主様がここに姿を見せると分かっていたんだと思った。


「聞いた通りだ、流。ならばお前も、秘める事なく話をしたらどうだ。それとも……お前が話す事が反目となるに至るなら、それぞれの身の置き場所を見直すといい」

 閻王の隣に立った当主様に、閻王はそう言った。

 当主様は、閻王に目線を向けて穏やかに笑うと、ゆっくりと口を開いた。


「……反目とは、どの界視点のお言葉かな、閻王。この界に於いて反目など、身を切るだけの事。そのような事、閻王の面前を許された者に、あるはずもない。如何かな?」

「ふふ……真を突くものだな。ならば、話しても難はなかろう。我とて、苦難を与える事だけが務めではない。真実を知ってこそ、道が開けるのではないのか。真実を見たからこそ、道が決まると言うべきか」

「それは……正体あってのお言葉と、受けてよろしいか」

 当主様の目線が、言葉通りの意味を深めるように閻王へと向く。

「お前には敵わぬな。否定が出来ぬ」

 当主様は、穏やかな笑みを見せると、僕たちへと視線を向けた。


 真っ直ぐに向けられる当主様の視線が、穏やかな笑みの終わりを告げる。

 当主様は、淡々とした口調で話を始めた。


「全ては神の一部であり、神の存在無くしては何の存在も成り立たず、一切は神と同一である。これを実存の根源とするならば、神と同一であるという『我』は、神の力をも使う事が出来るという訳だ。梵と我。梵は言葉によって神性を引き出す事であり、我はその神性をどう使うかの意を示すとする。それが呪力となる事は、知っているだろう」

 当主様は、話をしながら、僕たちへと歩を進めて来る。


「……父上」

「総代……」


 蓮と羽矢さんを前に、当主様は足を止めた。

 そして、当主様の名を呼んだ蓮と羽矢さんにではなく、当主様は回向へと目線を向けると言った。


「設害三界一切有情 不堕悪趣……」

 ……当主様も……。

 当主様は、そこで言葉を止めずに続けた。


為調伏故いちょうふっこ


「……総代……やはり存じていたんですか……」

 回向は、当主様から目線を逸らすように俯いたが、手をギュッと握り締めると顔を上げ、当主様に答える。


「生きとし生けるもの全てを害したとしても、害した事が『因』であり、『我』ではなく、その因によって全ての界を流転する。因を調伏して滅せれば、地獄に落ちる事はない……そうお答えします」


 ……諸法無我。

 重なって浮かんだ言葉に、僕の目線が羽矢さんへと動いた。

『全ては因と縁によって生起し、消滅して流転変化する。諸行無常……そして諸法無我だ』


 実体のない『空』だ……。


 回向の言葉に反応してか、閻王がふっと笑みを漏らした。その笑みには言葉が含まれているようだった。

 閻王に同意を示す目線を送る当主様。口にした言葉に、僕たちは、硬い表情で当主様を見つめていた。


「では……実体を見る事は出来なかったという訳だな」

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