第27話 正機

 水景 回向……だからこの男は……。

『俺はその名が嫌いだよ』

 その意味を伝えるような言葉だった。


「俺は地獄に落ちても構わない」


 羽矢さんの深い溜息が流れた。

「……回向、それは悪人正機あくにんしょうき……その意味は」

「意味は履き違えてなどいない」

 羽矢さんは、説得するようにも口を開いたが、回向は羽矢さんの言葉を遮り、強い口調でそう答えた。

 そして、羽矢さんの手をそっと振り解くと、逆に羽矢さんの手を掴んで言った。


「ここで示す『悪』は『苦悩』を意味する。だから『悪人』は苦悩を抱えた者であり、生きている者全てが苦悩を抱えているという事だ。だがその苦悩は、欲があるからこそ生まれるものだろう……?」

「じゃあお前は、その欲を……苦悩を抱えたままでいいと言うのか?」

 強く向けられる羽矢さんの目線を受けながら、回向は手を離した。

「……それがごうだろう」

「救いはいらないと……今更言うのか。お前だってその為に動いているんじゃないのか」

「今更……? 何を言う、羽矢。じゃあ聞くが、浄界へと導く事がお前の使命なら、お前自身は救いを求めるか?」

「馬鹿を言うな。浄界へと導く事が俺の使命だからこそ、俺自身にその言葉を優先しない」

 羽矢さんのその言葉に、回向は儚げに笑う。


「その言葉が聞きたかった」

「……回向」

「だから……嫌いなんだ。俺自身、浄界など望んでいない。救われるべきは、悪人であり、その悪人は、他力によって救われる。それは……」


 回向の言おうとしている言葉は、分かっていた。


「阿弥陀仏の本願じゃないのか。だが……」

大威徳明王だいいとくみょうおう。阿弥陀如来のもう一つの姿……それが関わっているという事だな? 高宮……」

 羽矢さんは回向の言葉を遮って言い、高宮へと目線を変えると、言葉を続けた。

「大威徳明王の法力には、人形ひとかたに釘を打ち込み、呪いを掛ける調伏法がある。いわゆる『呪殺』だ。寺院に移されたんだと思っていたが……この経緯を見る限り、高宮……お前がいたあの神社に埋められているのか。阿弥陀如来の像が」

 羽矢さんの言葉に、僕は蓮と顔を見合わせた。

 高宮がようやく口を開く。

「……埋めたのは、廃仏が目的だったからではありません。隠したんです……その正体を」

「まさか……」

 蓮の声に羽矢さんは蓮へと目線を向けると、そうだと言うように頷きを見せた。

 回向は、地へと目線を向けたまま、口を噤んでいた。

 そして、蓮が答えた言葉に、回向の手がギュッと握られる。


「験者も還俗して神職者……水景 回向……高宮のいた神社の宮司は、お前の父親……か」

 回向は、蓮の言葉を聞きながら、目を閉じた。

「回向……」

 羽矢さんは、再度、回向の手をグッと掴んだ。


「……意味が分からないだろ……羽矢。俺の名前は親父がつけたんだ。なにが回向だ……俺に功徳を積ませて、それを与えろと言うのか……馬鹿げている」

 目を伏せ、歯を噛み締めると回向は、蓮へと目線を向けた。


「紫条 蓮……あんたの父親である総代の近くに……俺の親父がいる。国の中で総代と同じような立場にいるって事だ。それは総代の力になる為じゃない。勿論、国の為でもない。国の中から国を潰す為だ。親父は……その術を知っているんだからな……」

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