第6話 鬼籍
力が抜けてしまったように、僕はその場にぺたりと座り込んだ。
「依……!」
蓮と羽矢さんが心配そうに僕を覗き込む。
「大丈夫です。なんともありません」
僕は、そう答えて腹部に手を置いた。
外傷はない。あれはまやかしと同じだ。
意識の中に入り込んで、それが現実だと認識させる術を持っている。
……
『
やはり……。
神司であるのに、この冥府に入り込み、河原で舟守など……。そもそも、羽矢さん以外に冥府で番人を務める事が出来る者が、本当にいるのだろうか。
蓮の言ったように、高宮につく寺院があるなら、その境界を曖昧にし、入り込ませる事が出来るという事なのだろうが……。
冥府に繋がる門を開けられるのは、藤兼家だけのはず。
それは藤兼家だけにある権限だ。
蓮と羽矢さんのあの時の会話が、頭の中でスッと流れた。
『冥界と下界を繋ぐ道、ね……そもそも普通じゃそんな道ねえからな? 羽矢』
『死ななければ……そこに道はない。普通はね……。その道を作るのが、下界での俺の仕事でもあるって訳だけどな』
普通ではそんな道はない……その道を作るのが仕事……。
その道を作れるのは……やはり高宮に手を貸す寺院がある事は確かなのだろうが……。
だけど……なんだか……妙に引っ掛かる。
全ての神社、寺院に立ち入る事の出来る当主様が、それに気づかず、立ち入る事が出来ないとは思えない。
「依」
蓮は、手を差し伸べ、僕を立ち上がらせた。
「無茶しないでくれ……依」
腕を引かれ、強い力に束縛される。
「……はい……すみません、蓮」
羽矢さんが水辺に歩を進める。蓮と僕も羽矢さんの後についた。
「羽矢」
無言のまま、河原を見つめる羽矢さんに蓮が声を掛ける。
「……高宮の言葉で分かっただろ、蓮……」
「……羽矢……」
僕は、翳る二人の表情を窺っていた。
羽矢さんは、河原に視線を向けたまま、静かに答えた。
それは、そうであって欲しくないと思ってはいたが、その考えを浮かばせるものは数多くあった。
「国そのものが闇なんだよ。それが……総代が表立って動けない理由だ」
……国そのものが……闇。
羽矢さんは、踵を返し、歩き始めた。
「閻王のところへ行く。どうやら鬼籍を確認する必要がありそうだ」
鬼籍……死者の記録だ。確かにそれを見る事が出来るなら、死者の名、生者の寿命さえ確認出来る。
おそらく、冥府から逃げ出す事が出来た魂の記録は、残っていないのかもしれないが、寿命が分かるなら防げる手段もあるだろう。
「……ああ」
僕も蓮も歩を進め始め、羽矢さんの後をついて閻王の元へと向かった。
羽矢さんが冥府に僕たちを誘ったのも、鬼籍を見る事が必要だと思ったからだろう。
「閻王」
「……藤兼か。お前が我に聞きたい事は分かっている。鬼籍だろう」
「存じているなら、確認させて頂きたい」
閻王の目がジロリと羽矢さんを見ると、鬼籍が羽矢さんの手元に現れた。
羽矢さんは、鬼籍を開き、中を見始めた。
だが、羽矢さんは直ぐに鬼籍を閉じ、閻王へと目を向ける。
「静かだとは思わぬか、藤兼」
「……無論」
「……どういう事だ、羽矢」
蓮が羽矢さんの手元から鬼籍を取ろうとした瞬間、鬼籍が落ちて中が開かれた。
……これは……。
「蓮……」
蓮を振り向く羽矢さんは、愕然とした表情を見せていた。
閻王は、大きな目を更に大きく見開き、怒りを交えた声でこう言った。
「何処か別な処が冥府にでもなったかのようだな。鬼まで消えている」
落ちて開いた鬼籍には、何の記録も残されていなかった。
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