第29話 再起

「泣いていたんだ。たった一人で……そこにいたのが依だったんだ」


 蓮の言葉にそうかと静かに呟き、頷く羽矢さんだったが、その後に低い声でこう言った。


「……蓮。お前も知っているよな。神仏分離は国の令だったって事を」

「ああ……勿論、知っている。仏が主で神が従。募った不満が廃仏毀釈はいぶつきしゃくに繋がったんだ。神仏分離はお前の言うように、神道を推し進めるもの……廃仏毀釈を行ったのは神職者だ」

「だからこそ総代は、力を尽くしたんだろうな」

「……そうだな」


 ……当主様。


『私には柊がいる』


 心配するなと言うように、式神を見せた当主様。国に仕える官人陰陽師が、国の令であった事を知らない訳もない。

 当主様が心配でならなかった。

 表立って動けない理由もそこにあるとするならば、当主様は……。


「依……無理するな」

 起き上がろうとする僕を、蓮が支えた。

「大丈夫です」

 僕は、半身だけ身を起こして蓮に聞く。

「その神社に置かれていた仏の像がなんだったか……蓮……覚えていますか」

「ああ、覚えている。阿弥陀如来だ」

「……はい。そうです。阿弥陀如来です」

「阿弥陀如来……五道転輪王ごどうてんりんおうか。成程な……」

 そう言った羽矢さんは、長い溜息をつき、ゆっくりと瞬きをした。


「依……お前……思い出したのか」

 少し悲しげな顔を見せた蓮に、僕は笑みを見せた。

「あの場所に覚えがあったんです。覚えがあったと言うのはおかしいですね……確かに僕は、あの場所に住んでいたのですから」

「無理もない。あれ程の事があったんだ。忘れた方がいい事だってある」

「はい。僕は、当主様と蓮に救われました。神仏分離が進む中、仏の像は他の寺院に移すよう令が出て、幾つかは移されました。ですが、分離に留まらず、廃仏毀釈はいぶつきしゃくされる事になり、残っていた仏の像は全て破棄され、毀釈きしゃくですから、仏の教えを壊すというもの……受け入れ難い現実でした」


 地蔵菩薩が運ばれて行くのを見た時、恐怖さえ感じていた。

『蓮……蓮……』

 どうしたらいいのか分からず、急かすように蓮の名を何度も呼んだ。

 あの時は当時の事を全て思い出した訳ではなかったが、似たような光景に思いが重なったのだろう。

 運び出されて行く像を見送る当主様は寂しげだった。

 きっと当主様も、その当時の事を思い返していたからなんだと思った。

 当主様の言った言葉……。


『蓮……お前も、お前の力を支えてくれる者を大事にしなさい』


 蓮の力を支える……。


 僕は、腹部を押さえながら立ち上がった。

「おい……依」

「大丈夫です、蓮。これ以上、失うのは嫌なんです。それに僕は……」

 僕の頭の中に響く言葉。

 きっとあの時から僕は、感覚を分ける方法を知っていた。


げん、視覚に置き、、聴覚に置き、、嗅覚に置き、ぜつ、味覚に置き、しん、触覚に置き、、知覚に置く。我が器をしょとし、境界を定める』


 僕は、痛みを堪えるように深呼吸を一度し、ゆっくりと瞬きをした。

 神の力を奪われているのなら、仏の力で取り戻す。


『どちらかが消えても、どちらかは存在する事が出来る。どちらかが存在していれば、どちらも存在しているのと同じ……そう思わないか、依』


 闇を照らすような光が僕の周りを包んだ。

 ふわりとした風が舞うと、放たれた光が僕の中へと収まる。

 開いた傷が痛みを止めながら消えていく。

 その様を見る蓮と羽矢さんは、安心したように笑みを見せた。


「神司を探すぞ」

 蓮の言葉に頷き、僕たちは更に奥へと向かった。

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