scene3 グリム教官とロミリア隊員

 グリムは今までにないぐらいに気合いが入っていた。

 ブドウ畑を背に、姿勢を正して、引っ張ってきたロミリアを見据えて言った。

「よく聞いてくれ。諸君」

「私以外に誰かいるんですか?」

「誰もいない。が、細かいことは気にするな。ロミリア隊員」

 ロミリアは戸惑ったまま首を傾げた。

「今日のグリムは何だか様子がおかしくないですか?」

「私語をつつしみたまえ。今日という日はとても短い。一分たりとも時間を無駄にできないのだ」

「やっぱり口調もおかしいですし、隊員とは何ですか? 私は兵士ではありませんので、もう帰ります」

 憮然ぶぜんとした顔のロミリアは、付き合いきれないとばかりに、この場を離れようとするが、グリムが慌てて呼び止めた。

「ああっ! 待ってって。これは『ごっこ遊び』だよ」

「『ごっこ遊び』?」

「なんだよ。知らないのか? これだからお姫様はよぅ」

「その言い方、ものすごく腹が立ちます」

「いいか。今日の俺は、子供らしさを教えるエキスパート。だから、偉いの。教官なの。いい? そういう設定でやるから」

「何かになりきって遊ぶ、遊びってことですか?」

「そういうことだ」

「子供っぽ過ぎませんか? そういうのはもう卒業するべきだと思います」

「いいんだよ! 子供なんだから! とにかく、今日はグリム教官と呼ぶように。いいかね、ロミリア隊員」

 鼻息荒くするグリムを前に、観念したかのように、ロミリアは「わかりました」と言ってため息をついた。

 グリムは教官として仕切り直しとばかりに、わざとらしく咳払いをした。

「おほん。えー、ではまず、ロミリア隊員には、子供らしく振る舞うために必要なことをやってもらう」

「何でしょうか?」

 目をまたたかせるロミリアに、グリムはびしっとロミリアの顔を指差した。

「それだ。その喋り方」

「何かおかしいですか?」

「子供同士が敬語で話すのはおかしいんだよ」

「けど、グリムは上官という立場なので、くだけた言葉遣いは失礼にあたりませんか?」

 至って真面目なロミリアは融通ゆうずうが利かなかった。それにグリムはイライラをつのらせた。

「細かいことはいいんだよっ! ノリとか、空気を読んでくれっ!」

「空気?」

 本人はふざけているわけではないのだろう。辺りの様子をきょろきょろと見回した。

「私には何も見えませんが」

「お前、マジなのか……」

「そのあわれむような目はやめてください!」

「はあ、剣の腕が立つお姫様も、子供のくせに、子供になり切ることすらできないなんて、ダメダメだな」

「で、できます。それぐらいのこと、私にも」

「じゃあ、敬語はなしな」

 ロミリアは頷いた。

「わかり――わかった」

「よし! じゃあ、行くぞ。ついてこい、ロミリア隊員」

 と言って、グリムは辺り一面のブドウ畑の中に入って行った。少し遅れてロミリアもその後に続いた。

 ブドウの木はグリムたちの身長よりも、高く生い茂っている。迷いなく歩いて行くグリムに比べ、迷路に迷い込んだように不安になったのか、ロミリアが口を開いた。

「どこまで行くの?」

「ん? まあ、場所は適当でもいいし、この辺りでいいか」

 立ち止まったグリムは、ロミリアを見て怪しげに口許くちもとゆるめた。

「ロミリア。周りを見てみろ」

「周り、と言ってもブドウがたくさん成ってるだけだけど?」

 ロミリアの言う通り、ブドウの木にはたくさんの実が成っている。収穫の時期が近づき、実の色も黒く変わり、熟してきているのがわかった。

「これだけの量を収穫するのは大変そうね。グリムも手伝うの?」

「まあな、これ全部ブドウ酒になるんだぜ。収穫の時は近くの町から人手も来て、連日お祭り騒ぎになるんだ」

「そうなんだ。けど、今日は別に収穫しないんでしょ」

「ああ。ここに来たのは、これを食べるためだ」

 と、グリムは手近なところにあったブドウの実を手で取った。それから、厚い皮をいて果肉を口に放った。舌が溶けるような甘さが広がり、モグモグと咀嚼してから、ペッと種を吐き出した。

 ロミリアは怪訝けげんそうに眉をひそめた。

「勝手に食べても大丈夫なの?」

「いや、怒られる」

 母のマーシャに見つかって、こっぴどく叱られたことがあった。グリムはその時のことを思い出して、少しだけ気分が落ち込んだ。村にとってブドウはかなり大切な収入源だ。一年かけて育てるので、それだけ村の人たちも愛着を持っている。

 グリムだってそんなことは百も承知だ。ロミリアもその辺りの事情は、村に来てからわかっているのだろう。だから、グリムの行動が理解できない様子だった。

「わかっているなら、どうして食べるの?」

「そんなの決まってるだろ。こうしてこっそり隠れて食べるブドウはうまいからだ。今の時期しか味わえないし」

「でも、そんなことをしたら村の人たちに迷惑がかかるわ」

「バレなきゃいいんだよ。こんなにたくさんあるし、今は俺たち以外誰もいないぞ」

「それは、そうだけど」

「そもそも周りの目なんか気にして何になるんだよ」

「えっ」

「俺たちは子供なんだ。やりたいことをやったっていいだろ」

「それは身勝手よ。子供だからって悪いと思うことはやるべきじゃないわ」

「じゃあ、聞くけど、大人はみんな正しいことをしてるのか?」

「それは……」

 ロミリアは言葉を詰まらせる。

 何か思い当たることがあるようだった。

 黙ってしまったロミリアに、グリムは呆れたように肩をすくめた。

「大人の方が勝手じゃないか? 子供にあれこれ言うくせに、自分たちは簡単にルールを破ったりするんだ」

 マーシャは仕事と言いつつ、近所の女友達たちと長いこと立ち話をよくしている。父もそうだ。父は真面目な方だが、ギャンブルで小遣いをって、友達に金を借りてることを、マーシャに秘密にしていたりする。

 グリムもちゃんと大人たちを見ている。彼らを見て考えている。

「おかしくないか? 子供って親が言ういいことだけをしないといけないのか?」

「……」

「大人が間違ってることを注意しても、逆に怒られるんだ。ストレスが溜まるばかりだ。だから、いたずらしてストレス解消するんだよ」

「ストレス、解消……」

「そう。俺たちだって少しは悪いことしてもいいだろ?」

 グリム自身、同年代が周りにいなかった。日頃感じていることをありのままに言う機会なんてほとんどなかったので、少し熱くなってしまった。

 それでも、ロミリアは茶化ちゃかすようなことをせず、真剣にグリムの言葉を聞いて、受け止めて、返してくれた。

「……確かにそうかしれない。大人はズルい。自分たちの理想ばかり押し付けて、決めつける。けど、それでも、大人の中には立派な人もいる。私はその人たちと同じように立派な大人になりたい」

 ロミリアはどこか遠くを見ているようだった。そこにはかたくななまでの理想があるのがうかがえた。

 彼女の育ってきた環境を考えると、グリムよりも厳しくしつけられてきたのは容易に想像できる。

 グリムもわかっている。ロミリアは普通の女の子とは違うことを。

 賛同は得られなかったが、理解はしてもらえた。それだけでなんだかグリムは嬉しくなった。せっかくブドウを一緒に食べようと思っていたが、これでは無理強いはできない。グリムがそう諦めかけたところで、ロミリアは澄ました顔で言った。

「ただ、私はいい子でした。大人の言うことをよく聞いて、どうしたら彼らが喜んでくれるのか、そんなことばかり考えていました。だから、特に先生のような私よりも上の立場の者に言われたことは、ある程度信じてしまうかもしれません」

 グリムは目を見開いた。

「ロミリア隊員!」

「はい」

「これから我々は厳しい任務を遂行しなければならない。そのために栄養補給は欠かせない。任務のためにこの場所を、致し方ないが活用させてもらう。異論はないな」

「はい。教官」

「返事はヤ―、だ」

「ヤー!」

「よし。ではこれより作戦を開始する!」

 グリムは精一杯威厳を見せるように、知っている限りの難しい言葉を使った。

 ロミリアの考えははっきりとはわからない。おそらく、自分から進んで悪さはできないが、建前さえあればできるのかもしれない。それとも『ごっこ遊び』のノリを優先させたのか。

 グリムにとってはどちらでもよかった。ロミリアとこうして遊びを共有できるだけで気持ちが高揚した。

 ロミリアはたくさんのブドウを前にして、どれにするべきか迷っていたので、「これがいい」と急かすようにグリムが教えると、彼女はブドウの実を手に取った。皮をいたところで、動きが止まってしまう。食べることを躊躇ためらっているようで、やはりロミリアにイタズラは敷居が高いのかもしれない。

 グリムがそう思っていると、ロミリアは意を決したのか、勢いよくブドウを口の中に入れた。

 目をつむり、咀嚼し、それから驚いたように目を開けた。

「おいしい」

「な」

「うん。柔らかくて、すごく甘い。けど、行儀が悪いわ」

 と言うロミリアは微笑んでいた。

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