scene2  遊ぼう!

 あぜ道を歩くグリムの足取りは重かった。

 夕日に照らされた背中は、どこか哀愁を感じさせる。 

 グリムは修練場から家に帰るつもりだったが、修練場の去り際に、ロミリアに言った「子供らしい遊び」のことで頭がいっぱいになり、家に帰らずに今まで村を散策していた。 

 グリムは立ち止まり、周囲を見渡す。視線の先に広がるのは、ブドウ、ブドウ、ブドウ。どこを見てもあるのはブドウ畑だけ。村の特産で、村にとっては生活の糧なのだが、グリムにとっては見慣れた景色で、ただただ変わらない景色にため息が出た。

「はあ、この村、なんもねぇな」

 子供らしい遊びといっても、絵を描いたり、虫を捕まえたり、村を探検したりするぐらいしかない。この村にはグリムと年の近い子供はいないので、基本的に一人遊びばかりだ。

 なので、ロミリアと一緒に遊ぶと言っても、二人でできることが中々思い浮かばなかった。

 それに相手はお姫様だ。自分が好きな遊びが、ロミリアも楽しいかどうかわからない。だからせめて、彼女を驚かせるような何かを見つけたくて村を歩き回ったが、時間は無駄だったようだ。

 グリムは昼食も食べずに夢中になっていたので、腹も空いていた。しばらく歩いて家にたどり着いた。

 扉を開けて、中に入る。

「ただいま」

 グリムの疲れた声に、返ってきたのは「おかえり」などという温かい言葉ではなかった。グリムの頭上に拳骨が落ちた。

 脳が揺れる衝撃と不意のことで舌を噛みそうになった。

「いったぁあ!」

 一体誰が、とグリムは考えるまでもなかった。

「何するんだよっ! 母さん!」

 グリムの視線の先には、エプロンをつけた恰幅かっぷくのいい中年の女性が立っていた。彼女は険しい顔つきで眉根を寄せて、声を張り上げた。

「こんな時間まで何やってんだい!」

「いいだろ別にっ!」

「仕事もサボって、昼食も食べに来ないで、どこで遊び歩いてたんだい?」

「ふん!」

 態度悪くそっぽを向くグリムに、再び拳骨が落ちた。

「ぎゃあああ! やめろよっ! バカになったらどうするんだよっ!」

「もともとバカなんだ。叩いた方が賢くなるかもしれないだろ」

「息子に向かってなんてこと言うんだよっ! 母さんのバカっ!」

「親に向かってバカとは何だいっ! 夕食もなしにするよっ!」

「あっ⁉ 汚ねぇ! 可愛い息子が腹を空かせて帰ってきたのに! それでも母親か!」

「なら、もう少し言われたことを守れるようになるんだね。さて、あと何回叩けば賢くなるんだい?」

「う……」

 グリムは母の目が本気であることを察して、これ以上抵抗しても無駄だと悟った。

 母の方が何枚も上手だ。言い合いしたところで勝ち目はない。

 グリムはまだ不満そうな表情を浮かべるものの、大人しくなる。それを見てグリムの母は、呆れたように苦笑いを浮かべた。

「で、今までどこに行ってたんだい?」

「……ばあさんのところ」

「エーデルハイルさんのところかい? ここ最近は熱心に通い詰めてるね。ずっといたのかい?」

 グリムがエーデルハイルのところにいたのは間違いないが、実際には昼前には修練場を後にしている。それからは村を散策していたので、ずっと遊んでいたと思われるかもしれない。それよりも、エーデルハイルのところにいたことにした方が、要らぬ拳骨は避けられると、グリムは計算した。

「……そう」

「そうかい。じゃあ、エーデルハイルさんに何かお礼をしないといけないね」

「え? いいよ。そんなの」

「なんでお前が決めるんだい? 世話になってるんだろ?」

「けど、毎日きつい走り込みや素振りばっかで、特別なことなんてなんも教えてもらってないし」

 グリムがそう言うと、グリムの母は怪訝そうに顔をしかめた。

「……なんか怪しいね。何か隠してるだろ?」

 そう言われて、グリムはドキッとしてしまった。なぜか一瞬ロミリアのことが頭をぎった。

「な、何もないって」

 平静をよそおったつもりが、つい慌てた口調になってしまった。そして、その変化を見逃すような母ではなかった。

「いや、やっぱり怪しいね。飽きっぽいお前が、そんな走り込みなんかをまじめにやるわけないだろ」

「うっ」

 さすがグリムの母だった。グリムのことをよく理解している。

 彼女は思案するように眉間にしわを寄せた。

「そう言えば、あの修練場には侯爵様のお屋敷にいらっしゃる、ロミリア様も通ってらしたね」

 狭い村だ。誰かが動くだけで、村全体に知れ渡ると思っていい。

 特に村の外から来たものは嫌でも目立ってしまう。

 不意にグリムの母は、何かを理解したように目を見開いた。

「お前、もしかして――」

「ち、違うから! ロミリアは関係ないっ! まったく、これっぽっちも!」

「まだ何も言ってないよ」

「修練場には行ったけど、すぐに出て、それからずっと遊んでたんだよっ!」

「お姫様とかい?」

「一人で、だよっ!」

「寂しい子だね。同い年ぐらいなんだ、遊びに誘うぐらいの気概を見せたらどうなんだい?」

「うるせぇ! 余計なお世話だ。それに今度――」

 と言いかけたところでグリムは口をつぐんだ。勢いのまま、危うくロミリアと遊ぶことを口にするところだった。そんなことを言えば、きっと夕食の時もネタにされて、からかわれるに決まっている。

 グリムの母は「今度?」と首を傾げるが、深く追求してくることはなかった。

「まあ、とにかく粗相だけはするんじゃないよ。何かあったら私たちの首が飛ぶことになるんだからね。ロミリア様のことも呼び捨てなんかで呼ぶんじゃないよ。いいね?」

「ベっ」

 グリムは思いっ切り舌を出して、反抗した。

 すぐさま拳骨が来るが、今度はうまくかわした。

「こいつ」

 グリムの母は拳を震わせ、グリムを追おうとすると、部屋の奥の方から細身の男が現れた。

「マーシャ。夕食の盛り付けを手伝ってくれ」

「あ、ああ。わかったよ」

 一瞬躊躇ためらったものの、マーシャは素直に従い、奥へと消えていった。代わって、細身の男性がグリムに近づき、笑顔を浮かべた。

 とても柔和で、穏やかな雰囲気をしていた。

「おかえり。グリム」

「……ただいま、父さん」

「腹、減っただろ。うまいスープを作ったんだ。肉もたっぷり入ってる」

 グリムの父は後ろを振り返り、マーシャがいないのを確認してから、小声でグリムに言った。

「最近、何かに熱中しているみたいだが、父さんは応援するぞ」

「う、うん。ありがとう」

「何か手助けが必要だったら、いつでも言え」

「あ、じゃあ、明日釣りの道具、借りてもいい?」

「ああ。もちろんだ。他にはあるか?」

 グリムは少し迷ってから、意を決して言った。

「……この村で誰かを驚かせられる場所ってある?」



 村には立派な屋敷がある。大きな庭園に左右対称の石造りの赤い屋根の建物。いくつもの装飾でいろどられているが、けして派手な外観ではなく、周囲の自然と調和が取れた落ち着いた雰囲気をしている。

 グリムの家と比べると、天と地。

 まあ、侯爵家の屋敷なのだから、当たり前ではある。

 翌朝、グリムは家から勾配こうばいのある道を辿り、丘の上のこの屋敷に歩を向けた。中には入らず、門の影から隠れるようにして中をうかがっていた。

 何度見ても大きい屋敷だ。

 掃除するのがめんどくさそうだな、などと思い浮かぶが、意識がれていることに気づいて、すぐに屋敷の玄関に視線を集中させた。

「遅いな。そろそろ修練場に向かうはずなんだけど」

 陽の昇り具合からしても、頃合いなのは間違いない。

 だが待ち人は現れない。庭には草木を手入れしている年配の男が一人いるだけだった。

 辛抱するのが苦手なグリムは、次第に焦れてきて、直接玄関の扉を叩こうかと思うものの、躊躇ちゅうちょしてしまう。

 子供らしい遊びを教える、とロミリアに言ったが、一緒に遊ぶという約束を取り付けたわけではない。意気揚々と訪れて、断られることになったら、村で笑いものにされてもおかしくない。

 なので、断られた時のことも考えて、自分からは中々動けなかった。

 ただ、偶然を装い、なるべく自然にロミリアに会おうとするグリムの姿は、怪しい人物にしか見えなかった。

「まだかよ。ロミリアの奴……」

 そんなジレンマを抱え、玄関に意識を向けていたので、背後から近づく人物に気づかなかった。

「おはようございます」

「おわっ!」

 不意に声をかけられて、グリムの身体が跳ねる。グリムが振り返ると、二十代ぐらいの長い髪の男が、目を瞬かせてた。

 彼はグリムの反応に驚いたようだったが、グリムの顔を見た途端、少し顔をほころばせた。

「ウォーカーさんのところの、グリム君だね。何か用かい? 侯爵様は留守だよ」

「知ってるよ。戦争に行ってるんでしょ? 父さんと母さんがそう言ってた。そろそろブドウの収穫時期なのに、どうなるんだって心配してたけど」

「それなら大丈夫さ。一応収穫の頃には戻るって便りがあったからね。一年に一度のお祭りを、旦那様がないがしろにするはずがないさ」

「ふーん」

 グリムはあまり興味がなく、視線をすぐに屋敷の玄関の方に向けた。

 グリムの態度は少し冷たかった。それでも長髪の男は気を悪くした様子はなく、この場に留まった。

「これから出掛けるのかい?」

 彼がそう思ったのも、グリムが釣り竿や皮革ひかくの水筒を携えていたからだ。

「うん。まあ、そんなところ」

 素っ気ない感じでグリムは返した。

 正直、この長髪の男に側にいられるのは嫌だった。自分がいることがロミリアにバレてしまう。

「ヨシュアさんはこんなところでサボってていいの? 侯爵様に言っちゃおっかなぁ。そうなったら、使用人もクビになっちゃうんじゃない?」

 嫌な言い方をしたと思った。目の前のことで余裕がなかったからだと、グリムは内心で言い訳した。

 ところが、ヨシュアは怒ったり、立ち去ったりもせず、困ったように顔をしかめた。

「聞いてくれるかい? 僕はエーデルハイル様に言われて、お酒を届けに行ってたんだよ。結構注文も多くて、あれ持ってこいとか、これが必要だって言われて大変なんだよ。この屋敷で過ごしてくれれば、もう少し楽なんだけどね」

 嘆くヨシュアに、ふとグリムは疑問がわいた。

「ねぇ、ヨシュアさんってばあさんのこと知ってるの?」

 ロミリアは自分よりもエーデルハイルのことを知っているようだった。それがグリムの好奇心につながった。

 ヨシュアは頷いた。

「もちろんさ。侯爵家にとって大切な人だよ」

「なんでこの屋敷で暮らさないの? ずっと修練場にいるけど」

「ここにいると、色々思い出してしまうみたい。それに侯爵様と顔を合わせることになるからね」

「え? 侯爵様と仲が悪いの?」

「とんでもない。二人の仲は至って良好さ。それはもう他人が入り込む余地がないぐらいに、ね」

「じゃあ、どうして?」

 いつの間にか、グリムは屋敷の玄関から、ヨシュアの方を向いて話をしていた。ただ、なんだかヨシュアにはぐらかされている気がして、もどかしかった。もっと知りたいところだったが、ヨシュアはかぶりを振った。

「それは、僕の口からは言えないな」

「なんだよ、それ」

 グリムは不満そうに唇を尖らせた。

「人には知られたくないことや教えたくないこともあるんだ。グリム君もそうだろ? ほら、例えば偶然を装ってロミリア様を待ち伏せしてることとか」

「――っ!」

 グリムは目を見張り、愕然とした。

 どうしてバレたんだ、という具合に。

 ヨシュアは驚いて固まってしまったグリムを黙殺して、続けた。

「そうだ。良かったら僕が話を通してこようかい? デートの誘いにグリム君が来てますよって」

「ち、違うっ! 全っ然、違うからっ!」

「あははっ、素直だね。グリム君は」

「からかうなら、もうあっち行けよ!」

 グリムは恥ずかしさと怒りで顔を赤くしながら叫んだ。それにヨシュアは陽気に笑うだけだった。

 その笑いがおさまったところで、ヨシュアは少し真面目な口調で言った。

「いや、でも、君には感謝しているんだ」

「感謝?」

 身に覚えがないので、グリムは首を傾げた。むしろ庭園に勝手に入って花を摘んだり、池の魚を捕まえたりしていたので、別の意味で身に覚えがあったが、黙ってヨシュアの言葉を聞いた。

「ロミリア様のことだよ」

「えっ?」

 予想しない人物が出てきて、混乱してしまう。

「グリム君はロミリア様がここに来た理由を知ってるかい?」

「なんとなくだけど」

「ロミリア様がここに来てからというもの、一度も笑顔を見せなかったんだ。食事も喉を通らずに、戻してしまう時もあって、それほど精神的に追い詰められていたんだ。見てるだけでも痛々しかった」

「ロミリアが……」

 グリムは言葉を失ってしまう。

 昨日のロミリアの口ぶりから、城で大変なことがあったというのわかっていた。が、そんな状態にあったことを初めて知った。

 最初にロミリアと修練場で出会った時も、多少言葉数が少なくて暗い感じはしていたものの、さほど気にはならなかった。それよりも、グリムは彼女の気品や風格。そして剣術の強さの方が圧倒的に印象に残っていた。

 だから、何も知らなかったグリムが、ロミリアのことでヨシュアに感謝されても戸惑いしかなかった。

 ヨシュアもその戸惑いを察したのか、ゆっくりと話を続けた。

「ロミリア様はここに来てからしばらくは、お屋敷から出ようとはしなかった。けど、グリム君が庭でイタズラしているのを見かけてから、君に興味をもったみたい」

 どうやら庭園での悪さはバレていたようだ。

「それから少しずつだけど、屋敷から出るようになって、君が修練場に行っていることを知ってから、自分から行きたいと申し出てきたんだ」

「でも、俺、ほんとに何もしてないけど……」

「確かに、君自身はそう思うだろうね。これは僕が勝手に感謝しているだけでもあるから。グリム君はロミリア様が元気になるきっかけになった。それは間違いなんだ。側にいて何もできなかった僕にとっては、それが嬉しかったんだ」

「ふ、ふーん」

 グリムは素っ気ない返事をしたが、内心は恥ずかしくてたまらなかった。あまり大人にめらたことがなかったので、身体がくすぐったい。ただ、けして悪い気分ではなかった。

 知らないところでロミリアの役に立っていたことも考えれば、ロミリアとの仲だって、これからも上手くいくはずだ。

 そんな下心でゆるみ切った表情のグリムに、ヨシュアは笑顔を浮かべた。

「だから、グリム君のことを応援するよ。ロミリア様とのデート、上手くいくといいね」

「い、いやっ! だからっ! デートとか、そんなんじゃないからっ!」

「あれ? 本当に違うの?」

「俺はあいつに子供らしい遊びを教えてやろうと思っただけだよ」

「子供らしい遊び?」

「ロミリアの奴、いつもいつも大人ぶったことばかり言ってるから。本当の子供とは何か、子供らしい子供代表の俺が、教えてやろうと思って」

「なるほど。それはまあ、相手はお姫様だからね。けど、子供には子供にしかわからないこともあるのは確かだね」

「そうそう。あの日頃澄ました仮面を、今日の遊びではがしてやる!」

 胸の前で拳を作り、グリムがそう意気込んでいると、屋敷の方から少女の声が聞こえてきた。

「誰が日頃澄ました仮面をしているのでしょうか?」

 長い銀髪に整った容姿の少女――ロミリアだった。

 彼女は口調こそ穏やかではあったが、グリムの話が聞こえていたのか、少し不満そうに眉をしかめていた。

 それを意に介さず、グリムは口許くちもとを緩めて言った。

「遅いぞ。いつまで待たせるんだ」

 さっきまでこそこそ隠れていたというのに、どういうことか、グリムは堂々と胸を張った。

「別にグリムとは待ち合わせの約束はしていませんけど」

「約束なんてなくても、遊びたい時は遊ぶんだよ。それが子供っていうもんだ」

「そんな勝手なこと言われても困ります。私は今日も修練場に行くつもりですから」

「なら、サボるぞ。それが子供っていうもんだ」

「さっきから子供子供って、何ですかそれは? 子供といえば何でも許されると思っていませんか? そもそも、グリムは私に勝ちたくないんですか? そのために毎日鍛錬するようになって――」

「あー、そういうのいいから。ほら、行くぞ!」

 そう言って、グリムはロミリアの腕を取って、駆け出した。不意のことにロミリアは目を見張って、引っ張られるままに足を動かした。

「ちょ、ちょっと待ってください。グリム」

「今日は一日本気で遊ぶぞっ!」

 グリムは前を向いてどんどん歩いて行く。聞く耳なんて持たなかった。止まらないグリムに、ロミリアは後ろを振り返った。ヨシュアに助けを求めるように視線を送るが、ヨシュアは笑顔で手を振るだけだった。

 二人の姿が屋敷から遠ざかって行く。

 その様子を眺めながら、ヨシュアが二人を見送っていると、村の入口の方に人影が見えた。

 数は三人ぐらい。馬にまたがっているのはわかる。

 侯爵家の屋敷は見晴らしのいい場所にあるが、ヨシュアの位置からでは正確に数を掴むのは難しいぐらいの距離があった。

 グリムたちは坂を下り、入口とは反対のブドウ畑の方に向かったので、おそらく気づいていないだろう。

 ヨシュアは空をあおいだ。

 雲は少し出ているが、気持ちのいい青が見える。

「いい天気だ。今日も平穏な一日になるといいな」

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