最強の姫騎士の倒し方を教えてくれっ!!!

輝親ゆとり

scene1 お姫様のくせに

 冷や汗が背中を伝うのがわかった。

 振り下ろされた剣先が、鼻筋の辺りを通り過ぎて行く。あと少し後ろに下がるのが遅れていたら、間違いなく当たっていただろう。

 木剣を携えた美しい少女の長い銀髪がなびく。流麗で洗練された動きは、思わず目を奪われてしまう。

 グリムはその思考を振り払い、すぐに正対する相手のがら空きになったわき腹に、自らの木剣を容赦なく振り払った。

 勝ちを意識して、力が入る。練習用の防具はつけてるので、力加減など必要なかった。

 少女は目を見張っていた。

 グリムがかわすとは思っていなかったのかもしれない。

 その表情はグリムが見たかったものだった。

 異様に乾いた喉を潤すように、唾をのむ。勢いのついた木剣がそのまま少女に直撃する。

 そのはずだったが、グリムの木剣は空を斬った。

 銀髪の少女は寸でのところで躱した。しかもその躱し方は予想できるものではなく、跳躍して身体をひねりながら宙を舞った。

 その姿にグリムは呆然としてしまう。

「えっ⁉」

 グリムがマヌケな顔を浮かべて、少女を見ていると、少女はグリムの背後に綺麗に着地した。

 我に返ったところで、もう遅かった。

 振り返った先には銀髪の少女が、木剣をグリムの鼻先に突きつけていた。彼女の鋭い瞳は一瞬の隙も与えてくれそうになかった。

 グリムは諦めて、握っていた木剣を落とすように手から離した。

 それを見た少女も終わりを察して、木剣の切っ先を降ろした。

 勝負はついた。

 グリムががっくりとうなだれ、悔しがっているのにたいして、銀髪の少女は嬉しがるどころか、眉一つ動かさなかった。

「これで私の100戦100勝ですね――先輩」

「なんかその言い方、嫌みっぽいぞ。ロミリア」

「そんなつもりはありません」

 グリムは床に仰向けになった。

「今日は勝ったと思ったんだ」

「グリムの諦めない気持ちは、尊敬していますよ」

 グリムは背を向けて応じた。

「はいはい。お褒めの言葉ありがとうございます。ロミリア姫様」

 皮肉交じりで言ったつもりが、ちらりと見たロミリアの表情は、少しも変わらなかった。

「最近はよく鍛錬にも出ているようですし、何か心境の変化でもあったのですか?」

「別に……あーあ。面倒くさぁ。真面目に訓練したって一向に強くならないし、もう辞めようかな」

「継続することは力になります。最初の頃と比べると、駆け引きも上達していると思いますよ」

「師範みたいなこと言うなよ。子供のくせに」

 負けた上にロミリアの言葉は説教のように聞こえた。それがグリムを腹立たせた。

「そもそも、ロミリアはムカつかないのか? 俺みたいな平民にため口聞かれて、仮にも王族だろ? ほら、ふけい、ざい? とかで捕まえないの?」

「ここでは私は王族ではなく、門下生の一人で、グリムは私の兄弟子になりますから」

 整然とした口調で返すロミリアに、グリムは立ち上がって近寄った。

「なら、その兄弟子の命令だ。もっと子供らしく振る舞え」

「子供らしく?」

「ああ、そうだよ。俺たちはまだまだ子供だろ。子供ってもっとこう、楽しく遊んだり、悪戯したり、仕事をさぼったり、とにかくこんな剣術なんて学ぶ必要なんてないってこと」

 二人の年は十代前半。

 まだまだあどけない容姿をしている。

 グリムは台詞からも窺えるように年相応な考えをしている。というか、真剣に何かに取り組むことを嫌っていた。

 だから、同じ子供であるロミリアの落ち着きだったり、丁寧な話し方が気になってしょうがなかった。

 大人ぶっている。

 二人っきりの時でさえ、ロミリアは変わらなかった。

 とはいえ、二人の育ってきた環境はあまりにかけ離れている。

 片や農民。

 片や一国のお姫様。

 出会ってひと月ほどで二人のギャップを埋めるには時間が足りていない。

 グリムは眉をひそめた。

「そもそもお姫様が剣術っておかしくない?」

「そうでしょうか? 強くなりたいという気持ちに立場は関係ないと思います」

「……なんでそんなに強くなりたいんだよ? お姫様なら守ってもらえばいいじゃん」

 グリムの想像するお姫様は、城で悠々自適に暮らし、何不自由なく好きなことができるのだと思っていた。

 たくさんの綺麗なドレスに、グリムが食べたことのないような高級な肉や魚などの料理。

 それらが何もしないでも与えられる。

 庶民なら一度は憧れてしまうものだ。

 しかし、そんな夢のような理想は、ロミリアという存在を知ってしまえば、違うのだということはグリムにもわかった。

 ロミリアはおもむろに口を開いた。

「グリムは、この村が好きですか?」

「へ?」

 不意なことを言われて、思わず素っ頓狂な声が出てしまった。それを気にせず、ロミリアは続けた。

「この村の人たちはとても親切で、私によくしてくださっています。それにとても感謝しています」

「まあ、偉いんだし、普通じゃん」

「グリムにとって村の人たちはどういう存在ですか?」

「存在? そんなこと急に言われてもなぁ……」

 特に考えたことなんてないので、グリムはぱっと言葉が出てこない。

「うーん。みんな知った顔だし、知り合いというか家族みたいな感じ、かな」

 その言葉が欲しかったとばかりに、ロミリアは表情を少し緩めた。

「グリムはその方たちを信頼していますか?」

「そりゃあ、そうだ。けど、親だけでもうるさいのに、他の人たちも口うるさくて嫌になる時もあるけど」

 肩を竦めてグリムが応じると、ロミリアは微笑んだ。

 それから、ロミリアは沈黙してしまう。

 怪訝に思ったグリムは声をかけようするが、それより先にロミリアは話を続けた。

 その表情はあまりすっきりしない。

「私にも、知り合いがたくさんいます。家族のような人たちもたくさん……」

「そんなの当り前だろ。お姫様なんだから」

 王都に行ったことがなくてもグリムにはわかる。グリムの暮らす村とは町の規模も人の数も違う。ロミリアの立場を考えれば、指で数えるには足りないぐらい知り合いがいることも。

「いいよな。ロミリアは大人の人にだって命令できるんだろ? 大人にうるさいこと言われないし、羨ましいぜ」

「そんなことはありません。私は何も知らない子供。相手にしてくれる大人などいません」

 その台詞にグリムは嬉しくなった。

 ロミリアと自分の共通点を見つけられた気がした。

「まあ、大人はだいたいそうだろ。あれをしろ、これをしろって言ってくるくせに、余計なことをすると怒るし、大人同士の会話にも口を挟むなって、母さんは叩いてくるし」

「……」

「どうした?」

「それぐらいなら、私には些細なことだとしか思えません。私の知る大人は人間の皮を被った魔物と同じくらい恐ろしい存在だということです」

「魔物?」

 突然出た物騒な言葉に、グリムは首を傾げた。

 大人たちは勝手なことばかり言うが、それでも魔物だなんて言葉を、グリムは間違っても考えたりしない。

 だから、ロミリアがそう考えてしまう何かが、グリムには想像できなかった。

 怪訝そうなグリムに、ロミリアはすぐに付け足した。

「もちろん、全ての方たちがそうであったわけではありません」

「悪い大人もいたってことか?」

「ええ。そうですね。悪いと言っても、とてもずる賢く、中々本性を見せません。なので、城にいた人たちを、私は信頼することができませんでした」

「じゃあ、強くなりたいのは、その悪い大人たちに勝つためなのか?」

 ロミリアは頷いた。

「それもあります。今の私は無力です。子供だからといって、優遇されることなど何もありません。抵抗するすべもなく、ただ大きな渦に飲み込まれてしまうだけ」

 グリムはロミリアの言っていることが、いまいちわからなかった。難しい言葉がポンポン出てきて、まるで大人の会話を聞いているかのようだった。

 子供のくせに。子供なのに。

 子供ではいられない。

 彼女の育った環境に、グリムはほんの少し同情してしまった。

「けど、強くなりたいからって、こんな辺鄙へんぴで寂れた修練場に来る必要があるのか? 門下生だって俺一人だし、そもそも遊び半分でやってたから」

 ロミリアは目をまたたかせた。

「エーデルハイル様を知らないのですか?」

「いや知ってるよ。ここの師範じゃん。というか、もうしわしわのばあちゃんじゃん」

「……それだけですか? 他には?」

 食い気味に訊ねてくるロミリアに、グリムは身を引いてしまう。

 知らないと言ったら失望されそうで、なんとか頭を振り絞った。

「ほ、他に? えっと、小言が多くて、自慢話ばっかりで……あ、あとしわしわのばあさんの割には、超元気なんだよな」

 これがグリムの限界だった。

 残念なことにロミリアの期待には沿えなかったようだ。

 ロミリアは小さくため息をついた。

 それにグリムはむっとした顔をする。

「何だよ。あのばあさんはそんなにすごいのかよ? どこにでもいるばあさんだろ」

 と、グリムがそう言ったところで、背後から女性の声がした。

「何だ? 私の悪口か?」

 グリムが振り返ると、長い白髪を一つに編んだ老婆が笑顔で立っていた。それを見たグリムはバツの悪い顔を浮かべた。

「げっ! ばあさんっ⁉」

「随分勝手なことを言ってくれるね。どうやら今日の鍛錬はいつも以上に厳しくしてほしいみたいだね」

 しわしわの顔は笑顔でより際立った。ただ確かに表情は笑顔だが、けして楽しそうでないのが明らかだった。

「安心しな。足腰立てなくなるまでしごいてやるから。時間はたっぷりあるからね」

 グリムは顔に脂汗を浮かべながら後退あとずさると、迫ってくるエーデルハイルに捕まる前に、逃れるように駆け出した。

「あ、そうだ! 家の仕事を手伝わないと! 昼には戻って来るように言われてたんだ!」

 修練場を後にするグリムの背に向かって、エーデルハイルはため息をついた。

「情けない男だね。最近はまじめに来てたというのに」

 すると、遠ざかっていくグリムが不意に足を止めた。

 エーデルハイルの言葉が聞こえたのかと思いきや、グリムは振り返り、声を張り上げた。

「ロミリア! 今度、俺が子供らしい遊びを教えてやる! じゃあな!」

 手を振って、グリムは修練場の門をくぐり、姿を消した。

 その様子をロミリアはどこか戸惑った視線で見ていると、エーデルハイルが静かに言った。

「迷うことは悪いことじゃないよ」

「いえ、けしてそういうわけでは……」

「お前はまだ幼いんだ。知らないこともたくさんある。決めるにしても、もっと時間をかけてもいいんじゃないかい?」

「……」

「この村に来てからひと月ほどになるが、ずっと気を張ったままというのは身体に悪い」

「私だけがここにいて、何もしないのは許されるのでしょうか?」

「それでいいんだ。子供を守るのが親の務めだからね」

「城にいる人たちは、私が逃げたと思っているでしょう」

「ここに来ることを決めたのはお前じゃないんだろ? 後ろ向きになるのもわかるけど、そんな気持ちじゃあ、この先に起こるいいことも逃げ出してしまうよ」

「私は人の上に立つ立場の人間として失格です。城を出る時、ほっとしてしまいました。自分のことしか考えていませんでした」

 ロミリアは悲痛そうに目を伏せた。

 幼い子供がここまで追い詰められる姿は痛々しい。

 それほどまでに、城内は不穏な状況だったのかもしれない。

 エーデルハイルは呆れたように肩をすくめた。

「これはだいぶこじらせてるね。今日の鍛錬はやめとくかい?」

「いえ、お願いします。身体を動かしていると、少し気持ちが楽になれますから」

「そこは強くなりたいから、じゃないんだね」

 ロミリアはかぶりを振った。

「……すぐに強くなることなどできませんから」

「この村を選んだのも、私がいたからだったりするのかねぇ?」

「それは偶然だと思います――いえ、私は運命だと思いました。私にとっての希望がここにはあったのですから」

 ロミリアは真剣な眼差しでエーデルハイルを見詰めて続けた。

「魔女の刻印を持つ騎士エーデルハイル様」

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