精治家ぺぺ ②

「君は異世界から来たと伺った。私はその話に少々興味があってね」


 ソムリエことぺぺは言う。あくまで穏やかな口調ではあるが、彼女の目からは、単純に好奇心が働いた、というだけでなく、何やら明確な意図を持っていることが伺える。


「……俺の話を、信じるんですか?」

「ああ。多くの者には信じられないだろうがね」


 そう言ってペペは不敵に微笑んだ。ひざまずく女騎士は、驚きとともに顔を上げ、戸惑いを隠せない様子だ。無論、俺も戸惑っている。だって、普通は信じないだろう。逆の立場だったら、頭がヤバい奴だとしか思えない。


「そう身構えないでくれたまえ。単純な話さ。ずいぶんと昔に、君のように異世界から来たという人間に会ったことがあるのだよ。その異世界人の名は、シュペルマン」


 俺は咄嗟に股間へと視線を落とした。たしか、エクスカウパーがその名を口にしていた。潤子じゅんこの姿をしていたあの"博士"の名だ。あいつも異世界から来ただって??


「どうしたんだい? もしや君も、博士と知り合いなのかい?」


 わざわざ「博士」と言うのだから、あいつで間違いないのだろう。おい、どうなんだチンコ。博士も異世界人なのか? 何か言え。


(あれ? 言いませんでしたっけ)


 聞いてねえよ! まあ、この世界について何も聞きたいことはないと言ったのは俺だが。


(博士が精治家とお知り合いとは、驚きました。でもたしかに、博士は人間との交流を避けているようでしたが、だからと言って、っていたとも聞いておりませんし) 


 博士がコミュ障だったかどうかなど、どうでもいい。とりあえず、ペペの言うシュペルマンがあの博士であることが間違いないのなら、今俺がすべきことはひとつ――。


「シュペルマン? ああ、知ってます知ってます。"アイツ"のことですね。そりゃあもう異世界にいるときから仲良しで、文字通りの裸の付き合いをさせてもらってますよ」


 そうだその調子だ俺。シュペルマンとの知り合いアピールをするのだ。


 紛いなりに営業職だった俺にとって、共通の知り合いがいる状況とは、相手の懐に入り込むためのバイパスが引かれているようなもの。知り合いの知り合いとはすなわちマブダチも同然。聞く限りこいつはこの世界の最上位の権力者だ。こいつに取り入ることができれば、釈放どころか、このドスケベワールドで甘い汁を吸うことさえ夢ではないかもしれない。ワンチャンある。まだワンチャンあるぞ俺。なんとか切り抜けて、俺の異世界生活を取り戻すんだ!


「じつは、この世界に来て目が覚めたときにも、アイツがいたんですよ。俺のことが心配だったみたいでね。色々と便宜を図ってくれようとしたんだけど――」


 俺がさらなる嘘八百を並べ立てようとした矢先、


「博士が、このコスリガセキにいただと!?」


 ぺぺは声を荒げて、俺へと詰め寄った。


「それは本当なのか!?」


 ん? あれ、もしかして俺、いらんこと言った? たしかにあの博士、なんか隠れてたっぽいし、まずかったか。どうなんだチンコ。なんだその白い目は。


 ペペは至近距離まで詰め寄ってきて、食い入るように俺の返答を待っている。そのときふと、なにやらフワッと匂いがして、俺は思わず身を震わせ、白目を向いた。


 ぺぺから、この世のものとは思えんほど、いい匂いがする。


 桃のような甘い匂いでもあり、お陽さまの下でしっかりと干したシーツのような包容力のある匂いでもある。そして、ものすごく、ものすごく下腹部がもやもやする。


 ああ、シコりたい。いや、シコりたいなどという言葉で表せる欲望ではない。より本能的であり、シンプルに、射精だ。射精がしたい。玉の中のものをぶち撒けたい。やばい。やばすぎる。これが、精子を搾り取ることに特化して進化した叉神さがみたちの頂点に立つ芳香なのか。


「……本当なのだな」


 ぼそりと言うと、ペペはなにやら表情を固くして、身体を起こした。それから入り口へと顔を向けて、言った。


「すぐに関所を封鎖しろ!」


 出入り口でひざまづく女たちは、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をぺぺへと向ける。


「聞こえんのか! すべての責任は私が取る! 早くしろ! 関所という関所へ伝令を飛ばし、すべて封鎖させるのだ! 早くせねば、シュペルマンが逃げてしまう。あの老人を捕えることこそ私の悲願。標的の特徴は追って伝える。とにかく封鎖を急げ!」


 すると女たちは我に返り、「はっ!」と声を揃えて立ち上げると、ぞろぞろと部屋から出て行ってしまった。


 女騎士もまた出入り口へと向かうも――。


「キャメル、君はここに残ってくれ」


 どうやら、それが彼女の名前らしい。女騎士ことキャメルは、戸惑いつつも足を止めた。


 な、なんだか大変な騒ぎになってしまった。もしかしなくても、博士との知り合いアピールが裏目に出てしまったことは明らかだ。完全に判断を誤ってしまった。まずい。まずいぞ……。


「ムッシュ皺袋しわぶくろ。色々と聞きたかったのだが、時間が一気になくなってしまったようだ。だから、単刀直入に、ひとつだけ教えてくれないか――」


 ぺぺは俺へと向き直って言った。その表情は、当初のように和やかなものではない。俺の瞳の奥底へ突き刺すような、冷淡な視線だ。


「私たち叉神とは、いったい何なのだ? この奇怪な生き物は、何のために存在している?」


 予想もしていなかった質問だった。ってか、奇怪という自覚があったんだな。なんのため? そんなの俺が聞きたいわ。いや、俺の記憶の残滓が生んだ特注の異世界がこの世界なのだとすれば、その質問にあえて答えるなら、"俺のため"じゃないか? いや、やめとこう。言ったら殺されそう。


「君は知っているか? 叉神は、生まれてからずっと、身につけるものが決まっているのだ」


 ぺぺは何やら神妙な面持ちで語りだす。


「私は物心がついた頃から、気がつけばこの服をつくり、この服を着ていなければ落ち着かない。つまり、この姿であることが本能的に義務づけられているのだ」


 語りながら、ぺぺはおもむろにワイングラスをナプキンで磨きはじめた。「キュッ、キュッ」と小気味良い音が部屋に響く。


「どの時代のどの国で生まれようが、叉神はその地の文化から影響を受けない。つまり、"文化的文脈"を完全に無視した格好をすることが常なのだ。私やキャメルが、この国の文化とはまったく異なる様相をしていることからもおわかりだろう。にもかかわらず、一部の叉神同士では、生まれた場所がまったく異なっていても、文化を共有すると思われる場合がある。これはいったい、どういうことだ?」


 なんとなく、コスプレイヤーっぽいやつが叉神なんだろうと思ってはいたが、こいつらもその"場違い感"を自覚していたのか。


「シュペルマンは私のことを、"ソムリエの叉神"だと言っていた。その単語の意味はわからないが、彼は確かに、私の姿をなんらかの具体的な事象と結びつけていた。つまり、シュペルマンは私が本来属すべき文化を知っていたということだ。そして私は考えた。叉神は、あなたたち異世界人の文化に属する生物なのではないか。そして――」


 ぺぺは、突き出したワイングラス越しに俺を見つめながら、言った。


「叉神とは、異世界人によって作り出されたのではないか?」


 そ、そんなこと……知らねえよ!! こちとら、叉神なんていうへんてこな生物を知ったのはついさっきだ。たしかに、バットマンレディなんていう超具体的な固有名詞が出てきたときには違和感を覚えなくもなかったが、少なくとも、前世で異世界の存在など聞いたこともないし、叉神なんていう生命体を創造する技術があったのなら、この歳まで俺が童貞であるはずがない。


「どうなんだね?」


 ぺぺは俺の表情を慎重に伺っているようだ。どうやらぺぺ自身も、確固たる自信がある推論ではないらしい。


「……俺は、何も知りません」


 俺が言うと、ぺぺは視線を落とし、静止した。


「そうか……」


 かと思うと、一転して満面の笑みを見せて、言った。


「では、君のマラルに聞くことにしよう」


 ……ん? どゆこと?


 頭に疑問符を浮かべる俺をよそに、ぺぺは女騎士へと目をやる。すると女騎士は、一瞬だけ呆けたような表情したが、ぺぺの意図を理解したのか、慌てて立ち上がり、俺の背後へとまわった。それから俺の両足首を背後からわしづかみにして、グイと引っ張る。


「い、痛っ! な、なんだよいきなり!」


 しかし俺の言葉など聞いていないようで、俺の両足首は背中で縛られた両手首にくっつくほどに引っ張られ、縄で縛られた。全身が椅子の上でエビ反りになり、両足はぱっくりと開き、股間がぺぺに向かって露出している。


「もうひとつ、叉神について教えてあげよう。格の高い叉神は、それぞれが房中術ぼうちゅうじゅつという、いわばユニークスキルを持っているのだ」


 ぺぺはワイングラスを頭上に持ち上げ、その輝きを満足そうに見ている。


「私の房中術の名は、"読精術テイスティング"。まるで一滴のワインを口にするだけで、いつ、どこで、どのようにそのブドウが育ったのかがわかるように、私は1滴のマラルから、その人物の記憶すべてを覗くことができるのだよ」


 そう言うと、ぺぺは俺の股間へと視線を落とし、ニヤリと口角を歪めた。


「それでは、君の記憶のなかを、のぞかせてもらうよ」

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