アフリカより帰国せし女 ③

「お、俺の、セックス……!?」


 潤子じゅんこはキラキラと目を輝かせて、俺を見上げている。


「い、いやしかし、拙者、語れるほどのセックスは持ち合わせておらぬゆえ……」

「じゃあオナニーでもいいわ」


 俺は数秒間の思考停止のあと、たまらず、救いを求めるように店長を見た。美女と盛り上がっていることへの嫉妬からか、店長は面白くなさそうに俺を見ている。


「何も恥じることはないわ。人間以外の霊長類やイルカなんかもオナニーはするし、それ自体は精子を新鮮に保つ上で重要な行為よ。人が二足歩行をはじめた理由は、メスに食べ物を運ぶためだ、という素敵な仮説があるけれど、私はむしろ、歩きながらのオナニーが可能になったことのほうが重要だと思うの」


 歩きながらオナニーなんてするわけねえだろ……いや、したことあるけどさ。そんなことより、俺はどうすべきなのか。そりゃあオナニーでいいのなら、そこらのオスより一家言も二家言もある自負がある。しかし、初対面の女に、いきなりオナニーの話なんて……。


「どうしたんだい? 精二せいじくん。このまえ言ってたじゃん――」


 沈黙を破ったのは、店長だった。


「おでんの具材は全部抱いたことがあるって、嬉しそうに言ってたじゃん」


 そう言う店長の表情は、なぜか勝ち誇っている。明らかに、俺の好感度を下げにかかってきている。このおっさん、どうやら敵にまわったようだ。


「ちょ、店長、やめてくださいよ! 潤子、ごめんね。おでん食べてるときに」


 すると潤子は、「いいえ」と直ちに断じた。それから口を大きく開けて、喉の奥までちくわを差し込み、ゆっくりと噛みちぎった。


「そのお話、カラシより良い薬味になるわ」


 そして恍惚の表情を浮かべつつ、ちくわを咀嚼するのだった。その様子を見て店長は鼻の下を伸ばすも、思い出したように苦々しい表情を浮かべ、続けた。


「そ、そういや、精二くんはこんなことも言ってたな。はじめての射精は、寝ている男友達のケツにチンコをはさんだら、何か気持ちが良かったってんで、そのままチンコを擦り付けたときだって」

「それは動物としてさほど珍しい行為ではないわ。ボノボなどのサルのなかには、同性間で男性器を触り合う疑似セックスとも言えるコミュニケーションをおこなう種もいるし、キリンの交尾の90%はオス同士よ。人間だって、文化人類学的に言えば、60%以上の人間社会にとって、同性での性交渉は普通のことだわ。キリスト教圏の地域が厳しすぎるだけよ」


 潤子は「引き出しはそんなものか」とでも言いたげに平然と返した。店長は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。なぜかその場は、潤子と店長の対決の様相を呈していた。


 そんな緊迫した状況のなか、


「あれは半年くらい前のことだった――」


 俺が切り出すと、店長と潤子は驚いた様子で口を閉じ、俺を見た。ふたりの表情をゆっくりと確認すると、俺はいちど武者震いをして、唾を飲みこんだ。


「ほら、大きな台風が日本に上陸しただろ? そのとき、ふと、台風ってどうやって発生するんだろうと思って、ググってみたんだ。それでたまたま検索結果に出てきた台風の断面図を見て、なんかエロいなって思って――」


 そこで俺はひと息つき、言い放った。


「俺は、人類の叡智をもってして、台風を抱くことにしたんだ」


 俺は潤子の様子を伺う。まだピンときていないのか、頭の上に疑問符が浮かんでいるようだ。ちなみに、台風の断面図について性的関心のある人は、是非ググってみてほしい。


「そして俺は、俺に芽生えた新たな欲求を満たすため、小さな台風発生装置をつくろうと思い立った。調べてみると原理は意外と簡単で、中心に熱源、つまりは上昇気流があって、その周辺を雲が反時計回りに回転していればいい。もちろん、それだけではだめだ。そこにチンコを差し込む余地がないとダメだ。試行錯誤の末、俺はそれを実現する方法にたどり着いた。風呂場だ。風呂場に中心に穴があいた洗面器を浮かべて、その穴の周辺にドライアイスを置く。そして、水面で洗面器を回転させながら、台風が発生したところで中心の穴からチンコを出し入れするという寸法だ。こうすれば熱源を確保しつつ、無駄なく全裸にもなれ、浮力によって疲労も軽減される」


 潤子は、まるで初めておとぎ話を聞く少女のように、相槌を打ちながら、食い入るように俺の話を聞いている。


「はじめはうまくいかなくて、何度も何度も、俺は挑戦した。チンコにドライアイスが張り付いて地獄を見たこともあった。しかし、俺はくじけなかった。そしてついに、台風24号もとい、"スーザン"の回で、俺ははじめて射精にいたった。忘れもしないよ。冷たく白い蒸気が俺のチンコのまわりをすべるようにうずまきながら、天へと昇っていく。まるで……そうあれはまるで、風の精霊シルフが俺の手をとり、天上へと導いてくれているかのような、幻想的かつ、甘美なオナニーだった」


 語り終えると、俺はホッピーをちびっと口に含み、のどを潤した。そして、潤子の表情を伺う。

 

 完 全 勝 利


 俺の脳裏にその四文字が浮かんだ。潤子は大きな目をまんまるに見開き、時が止まったかのように静止している。戦意喪失と見てよいだろう。すまないな。まさか、こんな場末の立ち飲み屋に風属性の大魔法使いがいるとは思いもしなかったのだろう。俺としたことが、本気を出しちまっ――。


「見てみたい」


 まだ物語から帰って来れないのか、潤子が呆けた表情で言った。


「それ、見てみたい!」


 今度は一転して、今日いちばんの興奮した様子で言った。


 ん? 何言ってんだこいつ。


「精二、あなたの家ってここから近い? 今から行って、そのオナニーを私に見せてくれないかしら」


 ん? ひょっとしてマジで言ってる?


 俺は視線を店長に向けた。店長もまた、戸惑いの視線で俺を見ていた。しかしやがて、「はぁ」とため息をつくと、旅立つ息子でも見送るような慈愛に満ちた視線で俺を見返した。


 ん、どゆこと?


 困惑する俺をよそに、店長はてきぱきと会計金額を記した紙を用意し、俺に差し出す。俺はわけもわからないままにそれを受け取った。その際、その紙の下に隠されるようにして、正方形の小さなビニールが店長より手渡された。コンドームだ。


 ん?? まさか、そゆこと?


 たしかに、このまま潤子の申し出を承諾すれば、人生ではじめて、自分の部屋にかーちゃん以外の女性が来ることになる。さらに、彼女は俺にオナニーを見せてくれと言っている。すると当然、チンコを晒すことになるだろう。そうなれば、もしや、その後の展開も――。


「ねえ、いいでしょ? あなたのオナニー、私に見せて?」


 潤子は俺の腕にからみつき、上目遣いで俺を見ている。だいぶ酒がまわっているのだろう、頬を赤らめている様が艶めかしい。


「ねえ、お願い。見せて、オナニー」


 そんなつぶらな瞳で、オナニーをねだるのか。やはりこいつ、相当にヤバい女だ。そう、こいつはとても美人な、ヤバい女だ。そう、性におおらかな、とても美人な――。


 そのとき、俺は思った。思ってしまった。


 この女、めちゃくちゃエロいセックスしそう。


 この位置からは、胸の谷間が少し見える。でかい。さきほどから腕の感触でわかってはいたが、けっこうでかい。そして、見られていることがわかっているであろうに、このメスはそれをまったく隠す様子がない。


 この綺麗な顔と抜群のスタイルで、それはもう動物的で、本能のままに、グッチョグチョのヌッメヌメなセックスを―――。


 い、いかん。だめだ。血液が股間に集まりすぎて、目がまわってくる。おい、しわぶくろせいじ、しっかりしろ。気を強く持て。そうだ。こういうときは、なにか小難しいことでも考えるのだ。そうだ、チンパンジーだ。チンパンジー。セネガル。アフリカ。牛すじ。黒ギャル。デカチチ。チンパンジー。アフリカ。チンパンジー。クソエロ。ヌメヌメ。ウホウホ――。


「さあ、早く行きましょ」


 気がつけば、潤子は俺の腕を持ち、店の外へと引っ張っていた。一方の俺は、放心状態ではあるが、しっかりと股間を隆起させ、彼女に引かれるがままに店をあとにしたのだった。

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