第17話 Overhead Compartment

 それから一ヶ月が過ぎた三月、世界中で新型ウイルスが蔓延し始めた。治療法もワクチンもなく、罹った人は肺炎となり、何百人、何千人と亡くなっている。香港はSARSのこともあり、他の国よりも敏感で、すぐに外に出る時はマスクが必須となり、ジムやマッサージなど人と接触するサービスは停止となった。レストランは一組二名まで。眠らない香港の街が眠った。


「先輩マスク持ってるかな」


 どこを行ってもマスクがない。あったとしても三十枚入りで五百香港ドル。日本円で約七千円。ただ、僕はラッキーなことにこのパンデミックが始まる直前に日本便でいくつかマスクを買って帰っていた。

 なんだかんだ数ヶ月だけど、僕に幸せな時間をくれたのは事実だ。僕はあの時の恥ずかしさよりも先輩への心配が勝った。僕はメッセージを送った。


〈先輩。お久しぶりです。マスク持ってますか?〉

〈久しぶり、長瀬。ある〉

〈そうですか。なくなったら言ってください。日本で買ってきたのがあるので〉

 既読になるだけで返信がなかった。やっぱり今でもあの時のことを警戒してるんだろうな。僕が欲情してしまって、犯されるとでも思ったのかな。フライトもキャンセルとなり、九時から五時までのスタンバイに変わった僕はテレビで宇多田ヒカルの二十周年コンサートLaughter In the DarkのDVDを見ていた。テレビの中の宇多田ヒカルがコンサートの中盤で「誓い」を歌っている最中に携帯がなった。先輩からだ。

 

〈ありがとう〉


 すぐに確認したらこれだけだった。けれどもLineの画面下に〈入力中〉と出てきた。先輩が何か言おうとしている。


〈もうこれ以上俺に関わらないでくれ〉


 もしこんなメッセージが来たらと思うと恐怖でしかなかった。だが予想に反して意外なメッセージが届いた。


〈お前、こないだこの下着忘れて帰ってたぜ。取りに来いよ〉


 一緒にその時履いていた先輩の会社のブリーフの写真が送られてきた。これは東京で先輩にもらった新作のブリーフだ。LA便の後になくなったので僕はてっきりLAのホテルに置いてきてしまったのだと勘違いしていた。

〈すみません。行きます。いつがお暇ですか?〉

〈今から来ていいぜ〉

〈今スタンバイ中なんで、六時でも大丈夫ですか?〉

〈いいぜ〉


 スタンバイが終わるとすぐに僕は薄手のジャケットを羽織りマスクを装着しすぐに家を飛び出した。

 先輩のマンションの共用エントランスのドアの前で部屋番号を入力し呼び鈴を鳴らした。すぐにその無機質な機械から先輩の声が聞こえた。


「着いたか。今ドア開ける」


 先輩の家のドアをノックしながた下着を渡されたらすぐに帰ろうと心に誓った。ドアが開いた。そこにはあの東京のホテルで待っていた先輩の姿があった。第二ボタンまで開けたYシャツにちょっと緩めたネクタイ。下はズボンは履かずに薄いビキニブリーフだけを履いている。そして足にはガーターで止めてある黒い靴下。僕は一瞬たじろいだ。


「早く入れよ」と言われながら腕を引っ張られた。ドアが閉まるなりいきなり壁ドンされた。

「お前、俺のこと好きだろ?」

「……はい」

「じゃあ俺のここ 触れ」

 先輩は僕の手を掴み、先輩の膨らみを触らされた。

「ここ どうなってる?」

「ここって……」

「分かってんだろ?」

 ズボンの上から確かめるように先輩が摩ってきた。

「勃ってんじゃなぇか。俺に興奮するんだろ?」


 

「お前、これ履け」


 それを渡されれた。なぜかカピカピな場所が大部分にあ。ツンっと臭いがあった。臭いに関してはあの時、LA便で忙しさのあまり汗をかいたのを思い出した。だがカピカピのシミに関しては全く身に覚えがなかった。

「先輩……これ……」

 僕は履いてきた下着にでっかいシミを作りながら、尋ねた。

「黙って履けよ」


 長いインターバルが開けて試合再開のブザーが鳴った始まった。

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