第2話 Prepare for Landing

「この飛行機はあと三十分程度で香港国際空港へ着陸いたします。お手洗いをご利用のお客様は、お早めにお済ませください」


 僕は一番後ろのギャレーで日本語の機内アナウンスを終え、機内で起こった苦情を報告するために、チーフパーサーがいる前方ギャレーに足を運んだ。苦情自体は日本人の乗客からで、香港人クルーの態度が悪かったとのことだけだったが、日本人クルーが僕一人だったため、対応させられた。結局、文化の違いと言えば良いのだろうか等と考えながらチーフパーサーに報告をした。


「Ok, understand. So, Is he ok now?(わかりました。彼はもう大丈夫なの?)」

「Yes, He is ok.(はい。大丈夫です)」


 一通り、報告を終え、担当しているギャレーに帰ろうとしたら今度はシニアパーサーから留められた。


「イチュ Can you pass this to 12C? (イツ、これ12Cに座っているお客さんに渡してくれる?)」


 アメリカに留学中も、香港に来てからも、僕の名前を正しく発音してくれる人はいつ現れるんだろうと心の中で叫びながら笑顔で了承した。


「Sure, Of course (もちろんさ)」


 手に渡されたのは香港に入国する際に必要な、イミグレーションカードだった。僕はビジネスクラスの12Cのダークグレイのスリムスーツを着ている乗客のところへ向かった。この乗客がジムに通ってることはシャツの腕とスラックスの太ももがパンパンなのから分かった。


「Excuse me, Sir. This is …」

一樹いつき!」


 お客さんがヘッドフォンを取りながら僕の顔を見た瞬間、僕の名前をきちんと発音してくれた。そして僕もこの顔にはなんとなく見覚えがあった。


「先輩?」

長瀬一樹ながせいつきだよな?」

「はい。松田まつだ先輩ですよね?」

「そうそう、松田奏太まつだそうた! サークルで一緒だった」

「眼鏡かけてて、なんか雰囲気違うし、分かりませんでした」

「ハハハ これ伊達だて。ってか何年ぶりだ?」

「えっと……先輩が卒業して、で、僕も卒業して、で、ここで働いて三年目だから……六年ぶりぐらいですかね」


 俺は指で数得ながら答えた。先輩も同時にアームレストに肘を掛けながら、指で数えてくれていた。


「お前、変わってないな。お会計の時とか、いっつも指使いながら計算してたよな?」


 サークルでの飲み会でしか先輩と食事はしたことがないのに、そんなところまで先輩に見られていたなんて一気に恥ずかしさが込み上げてくる。


「ってか、お前、客室乗務員してるとかすげぇじゃん。夢叶ったんだな」

 

 先輩が歯を出さずに口角だけ上げて、ニコってするこの笑顔は大学のバレーボールサークルで初めて見た時から変わらない。それと同時に一年だけの片想いの記憶がフラッシュバックのように蘇ってきた。同じチームになって点を取るたびに「いいぞ」「よし」ってこの笑顔で頭を撫でながら言われて、僕が先輩の虜になっていった記憶が。


「はい。運がよく、たまたまです」

「たまたまじゃないと思うよ。俺、お前が大学で客室乗務員になろうみたいな講座受けてたの知ってたしよ」

「え、あ、はい……知ってたんですか?」

「おう。たまたま講座の教室の前を通りかかかったらお前が受けてるの見えてさ」


 僕と先輩が同じサークルで活動していたのはたった一年だけ。僕が東京の私立、亜細大学に入学した時には、先輩はもうすでに大学4回生だった。だから正直、接する機会が少なかったので松田先輩がそんなことを覚えていてくれてただなんて少し驚いた。俺はまたなんでか恥ずかしくなり、スーツを着ている先輩に向かって確実な答えが返ってくるであろう質問をした。


「先輩は香港に出張ですか?」

「違う、違う」


 出張じゃないのにスーツ……と思いながら僕は首を少し傾けた。


「駐在になってさ、これから香港に住むんだよ」

「え! まじですか?」


 僕は少し驚いて、今まであまり他の乗客に迷惑をかけないように声のトーンやボリュームを落としながら会話していたのに、そんなことも忘れ、少し大きな声で裏返りながら言ってしまった。ギャレーにいたシニアパーサーが驚いてこちらに向かって来た。


「What Happened? (何かあったの?)」

「Nothing. Actually, he is my friend (なんでもないです。友達なんです)」

「Oh I see」



 シニアパーサーが満面な絵顔で僕と先輩の方を見た。このシニアパーサーはイケメン好きでイケメンだけには優しいと社内で有名だ。僕は人生で不細工と言われたことはないが、イケメンとは思っていない。でも、香港に来てからイケメンと呼ばれることが増えた。どうやら僕のように鼻が高く、少し濃い顔は香港ではMix顔と言われている。イケメンの部類に属するらしいのだ。そもそもイギリスの植民地だった香港では、白人とアジア人のハーフは背も高く、賢いだのイケメンだの言われていた名残りからきてるらしい。また、先輩は奥二重に少し凛々しい眉毛にシュッとした顔立ち、背も高くて、俳優でモデルやってますって言っても可笑しくない程イケメンなのだから、シニアパーサーのお気に入りのお客なんだろう。


「Cabin Crew, Please prepare for landing(キャビンクルー、着陸に向けて準備してください)」


 機長からの着陸体制に入るとの合図が聞こえてきた。


「先輩、僕行かなきゃ」

「おう、じゃ、またな」


 僕は一番後ろのギャレーに戻り、他のクルーにアナウンスをするからという合図を出して、片付けは任せ、着陸に際する日本語アナウンスを入れた。この航空会社のクルーの良いところは日本人クルーに優しいとこだなと再確認した。アナウンスも終え、最後の機内点検をしているとまた機長からの指示が出た。


「Cabin Crew, Please Be Seated for Landing(キャビンクルー、着陸に向けて座ってください)」


 今日はどうやら予定時刻よりも少し早く着陸ができるらしい。僕たちキャビンクルーは一斉に決まっている各々のクルーシートと呼ばれる客室乗務員専用席に座り、シートベルトをした。着陸中、本当はもし非常の事態に備え、逃げ道や脱出の際のセリフ等を考えなくてはならないのだが、頭の中でずっと先輩が邪魔をしてくる。どうしてあの時、電話番号を交換しなかったんだろう、でも香港は狭いし、もしかしたらまた会えるんじゃないかと後悔と希望が交差する。


 結局飛行機はいつも通り無事に香港国際空港に着き、お客さんは降りて行った。最後のお客さんが機内から降りた後、担当していたエコノミークラスに忘れ物や不審な物、異常な物がないかを確認して僕たちも飛行機を降りた。


 飛行機とターミナルを繋ぐボーディングブリッジでディブリーフィングとわれる簡単な反省会も終え、ボーディングブリッジを出ると、そこには背が高く骨格のいいスーツ姿の男性がいた。その男性は松田先輩だった。


「一樹、待ってたよ」

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