第270話 アフター2:長袖のアウリカ


 カーテンの隙間から差し込む朝日を感じて、私――アウリカ・グレイウォードは目を覚ました。


「…………」


 私は寝付きも寝起きも早い方だ。


 昔、お父様から「アウリカは早寝早起きできて偉いね」なんて褒められたっけ。


 当時の記憶を思い出しながらも、ベッドから出て鏡の前に向かった。


 長袖のシャツと半ズボンを寝間着にしている姿は、我ながらちょっとだらしないと思う。


 いや、魔物の毛並みみたいに跳ねている寝ぐせの方が酷いかも。


「…………」


 私は服を脱ぎ始め、下着姿になっていく。


 途中、鏡に映った自分の腕――右腕に残る傷に触れた。


「……問題なし」


 触った感触から「大丈夫」と分かった。


 これは毎朝の日課でもあるが、今日も問題なく過ごせそうだ。


 できるなら一週間、いや、三週間くらいは問題を起こしたくない。


 昨晩のうちに用意していた洋服――パリッとした白いシャツを着て、お母様から買ってもらったスカートを履いて。


 最近のトレンドには反した厚手のニーソックスを履くと、上着にはお父様から貰った年季の入ったジャケットを羽織る。


 これで完成。


 次は寝ぐせを仕留めるために一階へと向かう。


「アウリカ、おはよう」


「おはよう、お母様」


 一階に降りると、タイミングよくお母様が――いや、これは私が下りてくる音を聞いてリビングから出てきたのだろう。


「アウリカ、そろそろ結婚しない?」


 やっぱり。


 お母様が結婚を勧めてくるのは前々からだが、最近は特に多くなった。


 今年で私も二十になったということも関係しているのだろうけど……。あとは魔物の調査が忙しくなって家に帰って来る頻度が減ったからかな?


「まだしない」


 だけど、私の答えはいつも通り。


 グレイウォード家の長女として、いつかは結婚しなきゃいけないことは理解している。


 ただ、家を継ぐのは私じゃないし。


「それにベリオの方がまだ準備できていないんじゃない?」


 私は幼馴染の名前を口にしつつ、寝ぐせをなおすための温かいタオルをメイドから受け取った。


「ベリオ君、第二都市に赴任しちゃったのよねぇ」


 お母様は「ずっと王都にいるのかと」とため息を吐く。


「まぁ、ベイルおじさんの功績があるし」


「そうなのよね。こればっかりは騎士団とお城の意向が優先されるから仕方ないのだけど」


 離れ離れねぇ、なんて言いながらため息を吐いていたお母様だが、すぐにニヤリと笑みを浮かべる。


「アウリカも第二都市で活動したら? 私がお父さんを追いかけたみたいに」


 昔、お母様とお父様がどうやって結婚に至ったかを聞いたことがあるけど……。


 正直、娘からしてもお母様の行動力は異常だと思う。


「アウリカも私の娘だからねっ! ベリオ君の周りに他の女が寄って来ても蹴散らしちゃいなさいっ!」


 そう言ったお母様は「シュッ! シュッ!」と拳を繰り出す。


 でも、私にはお母様の拳が見えなかった。


「ベリオ君と結婚するためなら何でもしなさいね? あ、昔私が使おうとした毒、念のために持っておく?」


「いらない……」



 ◇ ◇



 寝ぐせをなおし、お母様の朝食を食べたあとは研究所に出勤。


 今日は朝から前回の調査結果をまとめて、次の学会で発表する資料を作る予定。


 王立研究所の門を潜ると、敷地内には多数の研究生の姿が見られる。


 研究生とは最近始まった制度による、研究者見習いみたいなものだ。


 最近のローズベル王国は他国のダンジョンにも調査範囲を広げており、その関係で研究者や技術者の数が不足気味になってきた。


 どうにか人手を増やそうと始まったのが研究生制度であり、王立学園を卒業した生徒達が見習い研究者として働きながら知識を深めていく。


 より実践的な研究やフィールドワークが可能となり、昔よりも優秀な研究者達が増えているという話も上がっている。


 そう考えると良い制度なのだろう。


 さすがはエドガーお爺様の発案、といったところかしら。


 研究生達の背中を見つめながら魔物研究棟へ向かっていると、先を歩いていた女性研究生が振り返った。


 私を見つけると、彼女は笑顔を浮かべて「あ!」と声を上げた。


「長袖先生、おはようございまーす!」


「はい、おはよう」


 長袖先生とは私のあだ名みたいなものだ。


 年中長袖を着ていて、半袖を着ているところを見たことがない……という理由かららしい。


 中には「注意した方がいい」と言う人もいるが、私は特に気にしていない。


 長袖しか着ないのは事実だし、変に貴族っぽく扱われるのも苦手だから。


 こんなことを言ったらお父様やロイお爺様が悲しんでしまうかもしれないけどね。


 ――魔物研究棟に入り、自分の研究室がある二階へと向かう。


 階段を上がって廊下へ出た時、奥から「待って下さいよ!」というお馴染みの叫び声が聞こえてきた。


「待って下さい! 待って下さいよ!? この前もフィールドワークへ行ったばかりでしょう!?」


「嫌じゃ嫌じゃ! 学会なんぞ他の連中に任せておけばよい! ワシはこれから――」


 顔を真っ赤にしながらエドガーお爺様の服を掴み、必死に引き留めようとするのはレンお兄さんの兄、リンさんだった。


「おお! アウリカ! 丁度良かった!」


「ゲェー!? アウリカさん!?」


 私を見つけたお爺様は満面の笑み。対するリンさんは絶望顔。


「第二ダンジョンでデュラハンの頭部が見つかったらしいんじゃ! 早速向かうつもりだが、お主も行くだろう!?」


「行く!!」


 私は全ての予定を投げ出して即決した。


 お爺様とのフィールドワーク!


 しかも、あのデュラハンの頭部が見つかったとなれば、行かないという選択肢はあり得ない!


「ダメですよ! 二人ともダンジョンに行きすぎですって!」


 リンさんは顔を青くしながら、ダメだダメだと連呼する。


「別に大丈夫。学会の発表資料は現地で作るから。研究生向けの授業もしばらく無いし」


「そういう問題じゃないんですけど!?」


 一応、リンさんは私の上司でもあるんだけどね。


 でも、リンさんよりずっと立場が上なお爺様から誘われたら断れないよね?


 まぁ、断るつもりなんて全くないけど。


「愛弟子の面倒は師が見ないとな! さーて! 準備するとしようじゃないか!」


「嫌だー! 所長に怒られるのは僕なのにぃぃぃ!」


 リンさんが蹲って泣き脅しの構えを見せた。


 しかし、私とお爺様は気にせず出かける準備を行うために備品室へと向かった。


 ごめんね、リンさん。



 ◇ ◇



 私とお爺様は今年から運行が開始された新型魔導列車に揺られて第二都市へと向かった。


 乗車前に買ってもらったお菓子を食べつつも、お爺様と魔物談義に花を咲かせて。


 一時間半程度で第二都市に到着し、二人揃って駅を出た。


「迎えが来るという話なんじゃが」


「迎え?」


 お爺様と一緒に駅前でキョロキョロと首を動かしていると――左手側に女性だけで構成された人だかりができていた。


 人だかりの中心にいるのは困った顔を浮かべる美青年。


 父親に負けず劣らず、キラキラな王子様のような容姿を持つ人物は騎士の鎧を纏っている。


 彼は私とお爺様に気付くと、自身を囲んでいた女性達に「申し訳ない」と詫びながら近付いてきた。


「アウリカ! エドガーお爺様! お久しぶりです!」


 キラキラな王子様スマイル。


 これが世の女性達を虜にする原因。


「相変わらずモテモテだね、ベリオ」


 昔は人見知りして、私の陰に隠れてしまうような子だったのに。


 いつの間にかベイルおじさんみたいになっちゃって。


「ち、違うよ! 僕は大人しく待っていたのに、みんなが勝手に集まって来ちゃって!」


 ベリオは慌てながら弁明するが、私は別に怒っていないよ。


 王立学園に入学した頃から毎日見ていた光景だしね。


「ところで、デュラハンの頭部が見つかったという話だが」


「あ、はい。現在、発掘作業が行われています」


 発掘作業ということは、ダンジョンの壁にでも埋まっているのかしら?


「一昨日、十五階の壁を誤って破損させたハンターがいまして」


 壁を破損させたのは大槌を得意武器とするハンターらしく、十五階に出現する骨戦士との戦闘中に壁を叩いてしまったんだとか。


 戦闘終了後に確認したところ、破損したダンジョンの壁が完全に崩壊。大穴が開いた状態になってしまった。


「その奥に通路がありましてね。通路の奥を調べたところ、壁に黒い兜が半分埋まっていたんですよ」


 ハンター組合に通報し、続けて第二騎士団も調査を開始した。


 ここまでスムーズに調査が進んだのは理由がある。


「副支部長のタロン氏がデュラハンの兜なんじゃないか、と推測しましてね」


 第二都市ハンター協会副支部長であるタロンさんはお父様の友人だ。


 昔、お父様が名を挙げるきっかけにもなった『デュラハン事件』を間近で見ていた人物でもあり、その経験から推測したのだろう。


「兜のデザインは?」


「旧式の騎士団採用デザインでした」


 現在、お父様が討伐したデュラハンの鎧は王立研究所の『封印指定扉』の向こう側にある。


 私も一度見たことがあるが、確かに鎧のデザインは大昔にローズベル王国が採用していたものと似ていたのを思い出す。


「可能性は高そうだ。数十年振りに全身が揃うかもしれんな」


 お爺様は「早く現場に行こう」と言い、我先にと歩き出してしまった。


「アウリカ、今晩時間取れる? 良かったら食事でもしない?」


 お爺様を追って私も歩き出すと、隣に並んだベリオがニコリと微笑みながら言った。


「調査が終わればね」


「……うん」


 ベリオは苦笑いを浮かべていたけど、こればっかりは譲れないの。



 ◇ ◇



 私達はベリオの案内で現場へと向かった。


「おお……。これはこれは……」


「本当に通路だね」


 確かに現場の壁には大穴が開いていて、奥には細い通路があった。


 両脇は岩のような壁になっているが、天井と床は金属で作られている。


「アッシュと調査した時も似たような場所があったのう」


「お父様と?」


「うむ。デュラハン事件が解決された後のことじゃよ」


 当時も壁に埋まる騎士の遺体が見つかった、とお爺様は語る。


 それを聞いて、私は凄惨な状況を覚悟していたのだけど――


「本当に兜が埋まってる」


 行き止まりの壁にあったのは、半分だけ埋まる黒い兜だけだった。


「……これはデュラハンの頭部で間違いないな」


 お爺様の声音には確信があった。


 お爺様はゆっくりと手を伸ばし、兜に触れながら「ようやく揃うか」と呟く。


「これは綺麗に剥がさんといかんのう」


「道具を揃えてまた戻って来る?」


「そうするとしよう」


 私達は来た道を戻り、ダンジョンの正規ルートへと戻る。


 待っていてくれたベリオに「上に戻ろう」と言おうとした時――


「ちょっと待って下さい。奥がおかしい」


 ベリオが私達を静止する。


 彼の目はダンジョンの奥にある暗闇に向けられていて……。


 耳を澄ませてみると、奥から「ガシャ、ガシャ」という多数の音が聞こえてくる。


「あれは……。骨戦士の群れ?」


 ダンジョンの壁に設置されたランタンの光が、奥からやって来たであろう魔物の集団を捉えた。


 足音の正体は多数の骨戦士達だったのだが、どうにも様子がおかしい。


「いつもよりキビキビしているような……」


 骨戦士達の行進には規則性があり、いつも以上に強い統率が感じられる。


「あれは……! 見たことがないぞ!?」


 違和感を感じていた私達の目に飛び込んで来たのは、他の骨戦士達とは大きさも形も違うスケルトンだった。


 大きさは通常個体よりも少し大きく、体を構成する骨も太い。


 胸の中に輝く魔石も一回り大きく、肩にはボロボロのバトルアクスを担いでいた。


「新種!?」


「もしかして、ネームド級か!?」


 お爺様とベリオが驚愕の声を上げる。


 ベリオは私達に「ここは退きましょう!」と提案するが――


「いや、遅かったようだ」


 お爺様が後方に顔を向けながら言う。


 振り返ると、こちらにも多数の骨戦士達の姿があった。


 私達は完全に囲まれてしまったようだ。


「エドガーお爺様、後ろはお任せしてもよろしいですか?」


「ああ、ええじゃろう。後方の骨戦士達をサクッと倒して――」


 二人が撤退に向けた作戦を練っている最中、私の右腕がズクンと疼く。


 ……ああ、きちゃった。


 思ったよりも早かった――いや、これはいつもの発作とは違う。


「二人とも穴の向こう側に下がって」


 私は右腕の袖を捲りながら言う。


「もしかして、解放する時期かね?」


「周期が早くなっていない?」


 事情を知る二人は心配そうに私を見るが、私は表情を変えずに首を振った。


「これはお父様から遺伝した力だから。たぶん、反応しちゃったんじゃないかな」


 この力は私が生まれた際、お父様から遺伝したもの。


 ――幼少期を過ぎるまで私の中で眠っていたようで、予兆が現れたのは十歳の頃だ。


 初めて発動した時はお父様もお母様も大慌てしていたっけ。


 しかし、お父様から受け取って、私の体に順応した力だからこそ、何となくわかる。


 デュラハンの兜を見つけたから、いつにも増して『防衛本能』が働いているんだって。


「……他の人を傷つけちゃだめだよ」


 私は自分の力にそう言い聞かせ、右腕に力を込めた。


「ん、んん!」


 その瞬間、私の右腕から灰色の魔石が生えてくる。


 右腕の肉を突き破り、血を滴らせながら、お父様の剣と同じ『灰の力』が活性化していく。


 腕から生えた魔石の中心には小さな火が灯り、灰燼のオーラが腕に纏う。


「ん、やぁぁぁ!」


 オーラを纏った右腕を床に叩き付ける。


 すると、床が瞬時に灰化していく。


 床を灰に変え、壁を灰に変え、天井を灰に変え、伸びて行く灰はやがて魔物達を飲み込んだ。


 燃えもしない。音もしない。


 灰に飲み込まれた魔物達は一瞬で灰燼へ。


 光輝く魔石さえも灰に変えて、元々魔物などいなかったかの如く静寂だけが残る。


「ん……。はぁはぁ……」


 力を解放し終えると、私はぺたんとその場に座り込んでしまった。


「アウリカ! 大丈夫!?」


 駆け寄ってきたベリオがハンカチを取り出すと、血に濡れた私の腕に優しく当てた。


「大丈夫だよ。魔石が傷口を塞ぐから。それよりもハンカチが汚れちゃう」


 力を解放したあと、生えた魔石はまた右腕の中に引っ込んでしまうのだ。


 その際、しっかりと傷口を塞ぐように引っ込む。これは便利だ、と感じるようになったのは何歳の頃だっけ?


「だめだよ。君のシャツが汚れてしまう」


 ベイルおじさんに似て紳士だね。


 ここは昔から変わってない。


「アウリカ、大丈夫か? 歩けるかね?」


「うん、大丈夫」


 私は二人に支えられながらも立ち上がる。


 まだちょっと頭がぼんやりするけれど、歩けないわけじゃない。


「……しかし、前よりも発動がスムーズになったんじゃないかね?」


「前にとお会いする機会があったからコツを聞いた」


 先生からは「叩きつけた方が上手くいく」としか言われなかったけど、確かに助言は正しかった。


「先生はお元気だったかね?」


「うん。相変わらず、クチバシのマスクを被っていたよ」


 素顔、綺麗なのにね。


「そうか……」


 お爺様は何とも言えない顔を浮かべているけど。


「とにかく、戻りましょう」


 まだ心配そうな表情を浮かべるベリオのためにも、私達は早々にダンジョンを脱出した。



 ◇ ◇



 ダンジョンを脱出したあとのことを話そうと思う。


 新種の骨戦士が現れたことによって、第二都市ではちょっとした騒ぎになってしまった。


 ただ、私の力は秘匿されている。


 現地ではベリオとエドガーお爺様、報告が届いた王都では女王陛下とオラーノ家の権力によって、新種がどのように討伐されたかなども含めて秘密とされたようだ。


 まぁ、現場を見に行ったタロンさんは「さすがはアッシュさんの娘だなぁ」と笑っていたけどね。


 デュラハンの兜もしっかり回収され、私達の手によって王立研究所へと持ち込んだ。


 運び込んだ先はもちろん、封印指定扉の先。


「アウリカ、兜を置いてくれ」


「うん」


 お爺様に指示され、私は正しい位置に兜を戻す。


「……かっこいいね」


「お主の父も同じことを言うだろうな」


 お爺様は「カッカッカッ!」と機嫌良く笑う。


「さて、そろそろレポートに取り掛からんとじゃな」


「うん。リン先輩がまた泣いちゃうからね」


 私達は各々の研究室に戻るべく、入口へと向かった。


 廊下に戻る際、私は自然と振り返って――


「守ってくれて、ありがとう」


 全て揃った黒騎士にお礼を言った。



※ あとがき ※


ここまで読んで下さりありがとうございます。

今回は灰色のアッシュコミカライズ版の連載が開始されるとのことで、記念に投稿しました。

コミカライズ版は4/27よりピッコマ様にて先行連載が開始されます。

是非ともよろしくお願いします。


また最近では新作も投稿しています。

こちらも読んで下さると嬉しいです。


新作 → 蒼の聖杯と英雄の足跡 ~自称実力そこそこな冒険者、追放された元悪役令嬢を拾う~


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灰色のアッシュ ~騎士団をクビになった男、隣国に移住して灰色の人生をひっくり返す~ とうもろこし@灰色のアッシュ書籍化 @morokosi07

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