アフターストーリー
第269話 アフター1:アッシュの日常
朝五時。
習慣が体に染み込んでいるせいもあって、俺は毎日決まった時間に目が覚める。
人間、歳を取ると早寝早起きの生活リズムへ変化していくとはよく聞く話だが、あくまでも習慣のおかげだ。
まだまだ歳のせいとは思いたくない。
上体を起こして首の骨をコキコキと鳴らして、自身の隣に視線を向けた。
「ん~……」
愛する妻、ウルカはまだ夢の中らしい。
相変わらず可愛らしい寝顔を見せてくれる。
彼女の頬にかかっていた髪をすくい取ると、ウルカの瞼が少しだけ開いた。
ぼーっとした表情を見せながらも俺を見てきて、枕に顔を擦り付けながら「もう朝?」と問うてくる。
「ああ。俺は外で体を動かしてくる」
「ん……。ご飯用意します」
毎日、朝早くから付き合わせて悪いなとも思う。実際、俺も彼女に「ゆっくり寝てていい」と何度も言った。
しかし、彼女は「それが妻の仕事です」と譲らない。
ありがたいことだ。
彼女の寝起きまったりタイムを邪魔しないよう静かにベッドから抜け出し、寝間着のズボンだけを履き替えてから寝室を出た。
既に屋敷で働くメイド達は仕事を始めており、俺は彼女達に朝の挨拶を告げながら庭へ向かった。
「さて」
庭へ向かうと毎日の習慣である剣の鍛錬を開始。
目の前に凶悪な魔物がいることを想定しながら、実戦のつもりで剣を振るう。
この歳になるとガムシャラに剣を振るうのは難しい。
一振り一振りに意味を持たせて、実戦に近いイメージトレーニングを繰り返す方が良いと分かったのは何年前だっただろうか。
自分では毎日満足いく鍛錬を繰り返せていると思っているが、それでも騎士団にいる若い連中を見ると……。ちょっと羨ましくなってしまうな。
たっぷり一時間ほど鍛錬を行い、終わる頃合いに合わせて待機してくれていたメイドからタオルを受け取って汗を拭う。
「いつも悪いね」
「いえ、とんでもございません」
その後、朝のシャワーを浴びたら着替えて食堂へ。
「はい、召し上がれ」
毎朝の活力は妻の手料理から。これは昔からずっと変わらない。
ウルカの作った朝食を前にグゥと鳴る腹のリズムも、俺好みの焼き加減であるベーコンと目玉焼きも。朝焼いたばかりのサクサクなパンも。
「美味しい?」
「ああ」
腹の虫を鎮めるにために、年甲斐もなく朝から飯をがっつく俺にニコニコと微笑むウルカも。
「今日は午前中から騎士団ですよね? 午前中は会議で午後は指導教官でしたっけ。アルカとベルグ君の指導をするのでしょう?」
「そうそう」
次女のアルカとベイルの次男であるベルグは今年から王都騎士団予備隊に配属されている。
予備隊という名だけあって、基本的には戦地へ派遣されない。三年で本隊へ転属となるが、その間は王都にある本部で訓練を続けることになっている。
養成所で騎士としての基礎、戦闘技術の基礎は学び終えているが、これからはより実戦に向けた技術を学ぶ訓練が始まるってことだ。
「ベルグ君はともかく、アルカは大丈夫かしら? アウリカと違ってそそっかしいし、落ち着きがないから……」
頬に手を添えながら我が子を心配するウルカ。彼女がふぅと大きなため息を吐くのを見て、俺も頭の中で我が子の姿を思い浮べる。
長女のアウリカは冷静で物静かな子といった感じ。小さな頃は「おとーさま! おとーさま!」と甘えっ子だったが、思春期を迎えると物静かで研究熱心な子に変わっていった。
ただ、師であるベイルーナ卿に影響されてか、たまに好奇心が先行して周囲を置き去りにしてしまうことも。
そろそろ結婚はどうかと周囲に勧められているようだが、まだまだ研究に没頭したいと言っていたな。
次に次女であるアルカはアウリカとは正反対だ。
小さな頃から元気いっぱいで落ち着きのない子だった。体を動かすのが大好きで、小さな頃は体力が切れるまで庭を駆けずり回っていたっけ。
そして、体力切れになるとコテンと眠ってしまう。小さな頃、庭で遊び疲れていきなり眠った時は肝が冷えた。
成長しても性格は子供の頃から変わらない。元気いっぱいな反面、冷静さという言葉をどこかに置いてきてしまったような子だ。
養成所の教官となった知り合いの元冒険者からも「体力馬鹿で力も抜群にあるが、絡め手に弱い」と評価していたっけ。
「……まぁ、どうにかなるだろう」
アルカの落ち着きの無さは父としても改善していきたいが、未来の息子になるであろうベルグにも期待したい。
そんなことを考えつつ、俺はウルカの作った朝食を平らげた。
「ん、今日も美味しかった」
ナプキンで口を拭いて席を立つ。
外出用の服に着替えて、髪を整えて――エントランスに向かい、剣を持って待っていてくれたウルカに行ってきますのキスをする。
「行ってくるよ」
「はい、気を付けて下さいね」
愛する妻に見送られながら馬車に乗り込み、騎士団本部へと向かって行った。
◇ ◇
午前中はベイルを交えた騎士団の幹部達と次のダンジョン調査について話し合い。
調査の予定や必要な物資など、細かな部分まで入念に打ち合わせを行う。
会議が終わったあとは本部の食堂で軽く飯を食い、一足早く訓練場へと赴く。ヒヨッコ騎士達の指導を行う前にウォームアップを済ませて準備万端。
俺は本部からやって来た予備隊の指導教官と合流して、模造剣を片手にヒヨッコ達を待つ。
「グレイウォード様、本日はよろしくお願いします」
「うん。よろしく」
基本的に俺は特別講師的な存在だ。
ダンジョン調査が俺の本業になるわけだが、こうして調査が無い日は特別講師として騎士団に呼ばれる。騎士団本隊の若い連中やアルカ達のような予備隊のヒヨッコ騎士達に指導を行うってわけだな。
開始時間の十分前になるとキビキビとした動きで予備隊の騎士達が訓練場にやって来た。
うん、誰も気を抜いていない。これは養成所でシゴかれたおかげかな?
おっと、アルカとベルグもいるな。いつも通り、仲が良さそうだ。
二人と目が合うと、二人は嬉しそうに笑いながら列に並んでいく。
「全員、敬礼ッ!」
予備隊の指導教官が合図を叫ぶと、指導開始の合図として騎士礼が行われた。
指導開始の挨拶を終えたあとは軽くランニングをさせて体を温めさせる。
ここからが本番だ。
「はい。次は模擬戦をします」
「「「よろしくお願いしますッ!!」」」
まずは指導の内容を明らかにする。これは重要だ。
ヒヨッコ達の気合も十分。うん、いいね。
「まずは全員対俺です。はい、輪を作るように広がって。広がったら剣を構えて打ち込んで来なさい」
最初に行う指導も至ってシンプルな内容だ。
ヒヨッコ全員と俺一人の対決。一本入れられたら勝ち。勝ったら本部の食堂でデザートを全員に奢ってやるという約束もつけた。
最初はヒヨッコ共も「え?」みたいな態度を見せながら、互いに距離を取って広がっていく。
輪の中心に俺がポツンと立ち、全員に囲まれた状態で指導スタート。
「はい、いつでもどうぞ」
中央で剣を構えて待つ。
だが、誰も仕掛けて来ない。戸惑っているだけだ。
誰もが「いいのかな?」「誰が最初に行く?」「お前が行け」と目線で会話する。
一人を除いて。
「うおりゃあああッ!」
威勢の良い声を上げて仕掛けて来たのは、我が娘であるアルカだった。
思わず笑ってしまった。たまらなく嬉しくて笑ってしまった。これだけでも「さすがは俺の娘だ!」と抱きしめたくなる。
でも、我慢だ。
今日は特別講師役だからな。
「ほっ」
上段から叩きつけるように振られたアルカの剣を受け止める。自分の娘と鍔迫り合いをするってのは、世の父親からすればなかなか無い経験だと思う。
う~ん。
間近でアルカの顔を見ると、改めてウルカに似ているなって思うね。真剣な表情で剣に力を込める姿は、帝国騎士団時代に剣の指導をしてやった頃のウルカにそっくりだ。
俺に似ず、ウルカに似て美人になってくれてお父さんは嬉しいよ。
「でも、力任せはダメだ。無意識に身体強化を使ってるのも減点」
俺は手首で剣を返し、アルカの剣を上に弾く。
「あっ」
ガラ空きになった彼女の胴体へ肩を入れて、トンと軽く押し返してやった。
すると、そんな俺の隙を突こうとしたのはベルグだ。
「――ッ!!」
声を発さず、足音を立てず、忍び寄るように距離を詰めてから一気に加速。スピードを体に乗せた手本のような突きを繰り出して来る。
この鋭さを見ると「さすがはベイルの子だ」と言いたくなる。
俺の娘もベイルの息子も本当に強くなったもんだ。子供達の成長を見るだけで目頭が熱くなってくる。
「だが、そう簡単にやられてはあげないぞ?」
「えっ!?」
軸足をコマのように回転させて突きを回避する。ベルグの放った突きは俺の背中スレスレを通過していき、今度は彼の体が隙だらけだ。
模造剣で脇を斬る――のは怪我しそうだから辞めておこう。後でオーロラさんに怒られるのはご免だからな……。
「ほっ」
右手に握っていた模造剣を宙に軽く投げ、空いた右手でベルグの脇腹に掌底を叩き込む。
「ぐっ」
ベルグの顔が痛そうに歪んだ。
「ああ! すまん!」
思わず謝ってしまったが、ベルグは「まだまだ!」と叫びながら再び仕掛けてくる。
俺は落下してきた模造剣を気配だけで捕まえて、逆手で持った模造剣でベルグの攻撃を受け止めた。
「ベルグ! そのまま父上を捕まえていてッ!」
間髪入れずに仕掛けてくるのはアルカだ。
「こらこら、訓練中は先生か教官って呼びなさい」
鍔迫り合い状態だったベルグに対し、俺はわざと力を抜く。ほんの一瞬だけ。
「わわっ!?」
力を抜かれたせいで前のめりになってしまったベルグを今度はこちらは突き返し、彼との鍔迫り合いを拒否してやった。
僅かに出来た間合いを縫って剣を振り抜き、今度はアルカの攻撃を受け止める。
「父上はいつもヒョウヒョウと躱してッ! 今日こそッ! 一本ッ! 入れてやるんだからッ!」
本気になったアルカの瞳には闘志の炎があった。
「おっと、まだまだ負けるわけにはいかないよ。俺は娘達にとってカッコイイ父親でいたいんだ」
◇ ◇
「あ、ありがとうございました……」
指導終了後、辛うじて終了の礼を返したのはベルグだけだった。
アルカを含め、他のヒヨッコ達は全員地面に倒れ込んでしまっている。もう疲労困憊ってところだろうか。
訓練を通して全員に怪我は負わせていない。代わりに疲れ果てるまで打ち込ませ続けた。
後半は一人一人の良い点も悪い点も指摘して「次に仕掛ける時は意識しなさい」とアドバイスも行った。
教育として正解かどうかは分からないが、これで一人一人の長所と短所を意識してくれると特別講師としては嬉しいな。
「うーん。若いっていいな」
「ど、どの口が言いますか……」
模造剣を杖代わりに体を支えていたベルグも、俺に一言告げると遂に精魂尽き果てた。
バタリと倒れてしまった彼の姿を見下ろした後に今度は予備隊の指導教官へ顔を向ける。
「これくらいでいいかな?」
「ハッ! 十分でありますッ!」
教官である彼は俺に騎士礼を取り、改めて「ありがとうございました」と言ってくれる。
「それじゃ、みんなも。今日教えたことを復習しておくように」
俺は最後にそう告げて特別指導を終了させた。
「アルカ、それにベルグ。たまには実家に帰りなさい。ウルカも心配しているし、オーロラさんも心配しているよ」
最後の最後に父親として。そしておじさんとしてアドバイス。
「あい……」
「わ、わかりました」
アルカは地面に伸びるように倒れたまま手を挙げて、ベルグは茜色の空を見上げながら何とか返事を返す。
俺は二人のリアクションに苦笑いを浮かべながら訓練場を後にした。
馬車で屋敷に帰宅すると、出迎えてくれるのはメイドを連れたウルカだ。
「アルカはどうでした?」
「元気だったよ。剣も強くなってた」
娘の成長を身を以って感じられる一日だったな、と思う。
剣をメイドに預けてリビングへ向かい、ソファーに座りながらウルカにアルカの成長っぷりを聞かせてやった。
俺としてはウルカも喜んでくれると思っていたのだが……。
「はぁ、もう……。聞いている方がハラハラしちゃいます。ほんと、あの子は誰に似たんだか」
ウルカは大きなため息を吐きながら俺を見つめてくる。無謀なところは貴方にそっくりだ、と言わんばかりに。
「ま、まぁまぁ。俺は夕食前に汗を流してくるよ」
「もうっ」
昔のことを持ち出される前に退散だ。撤退する戦士のように素早く、そして軽やかなステップを踏みながらリビングを後にした。
その後はウルカと共に夕食を食べて、夕食後は二人でまったりタイム。
一緒にソファーに腰掛けて、昔の話や本日届いたアウリカからの手紙を肴にワインを飲みながら夫婦の時間を過ごす。
こういう時間は貴重で大切だ。
特に俺はダンジョン調査が始まると家を空けてしまい、ウルカ一人に任せっきりになってしまう。
「ウルカ、いつもすまないな」
俺はウルカを抱き寄せて、昔のように彼女の頭を撫でた。
「いいえ。いつも家のために頑張ってくれているのは知っていますから。無事に帰って来てくれさえすればいいんです」
ウルカはいつも俺を尊重してくれる。いつも俺を家で待っててくれて、笑顔で迎えてくれる。
彼女ほど強い女性はいないな、といつも思う。
「……ダンジョン調査もそろそろひと段落着く。そうすれば若い連中に仕事を任せられると思うんだ。そうしたら、昔話していたように旅行へ行かないか?」
「あら、いいですね。第三都市で美味しい物をたくさん食べましょうか?」
昔、ウルカと「いつか旅行に行こう」と話していたが、ダンジョン調査や子供が産まれたりと忙しくて後回しになってしまっていた。
そろそろ二人で語り合っていた夢を叶えてもいいだろう。
昔のように腕を組みながら街を歩いて回って、美味しい物を食べながら笑い合って過ごしてもいいだろう。
「ウルカ、愛してるよ」
「ふふ。私もですよ。先輩?」
懐かしい呼び方を口にしたウルカは、昔と変わらない可愛らしい笑顔を浮かべた。
※ あとがき ※
書籍版の一巻が明日3/29日発売ってことで書いてみました。
書籍の詳細は近状ノートやツイッターに載せているのでよかったら見てみて下さい。
こちらはアフターストーリーなので歳をとった設定ですが、一巻にはウルカのセクスィーな挿絵もありまぁす!
最近は新作も投稿しているのでよければ読んでやって下さい。
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