第265話 帝国崩壊


 王城地下の扉が開いてから二か月後、帝国帝都にあるローズベル王国大使館では荷造りを終えた職員とキーラ伯爵が両手に旅行鞄を持って玄関に揃っていた。


「では、帰りましょうか」


「はい」


 今日、彼等は王国へ一時帰国する予定だ。しかし、キーラ伯爵だけじゃなく、職員全員までもが帰国となると怪しまれるだろう。


 だが、帝国側には「王国で国内向けの式典があるため」と報告。この理由を帝国側が鵜呑みしたのは、前以て王国側から通達されていた知らせがあったからだろう。


『ローズベル王国女王である女王クラリスは今月いっぱいで退位する』


 と、発表があったからだ。


 この発表は本物であり、事実クラリスは最後の仕事を終えた後に女王の座を娘に渡すことになっていた。彼女の娘が新しい女王に即位したあとも、クラリスは相談役として政務を続けるが実質的な権力は全て新しい女王へと引き継がれる。


 帝国側も「式典とは現女王退位と新女王についての件だろう」と予想したらしい。大使館から人が消えても不審に思わなかったし、出国時に職員が揃っていても不思議がることはなかった。


 彼等が出国してから三日後、今度は女王クラリス自らが騎士団を伴って帝国帝都へと足を運ぶ。


 この出来事も予定通りであり、女王最後の仕事とは帝国との同盟についての協議とされていた。


 大陸北側からの脅威を押し留めている帝国とローズベル王国の同盟関係を延長するか否か。同時に今後の輸入輸出など様々な事を決める重要な会議だ。


 いつも女王が出席している会議でもあるし、この同盟会議を最後の仕事として選ぶのも当然と思われた。


 会議の場に現れた女王クラリスは、赤色の重厚な鎧を着た近衛騎士六人を帯同させながら席につく。対する帝国側は経済関係を司る貴族と宰相、護衛として魔法使いが十人という構成。


 帝国側は当然「王国との同盟関係は延長される」と思っていただろう。加えて、今年はどれだけ毟り取ろうかとも思っていたはずだ。


 最近の帝国帝都は物騒だし、地方でも領民達が反乱を起こして問題が起きている。特に食料についての問題が目に見えて浮き彫りになっており、帝国国内では小麦の価格が高騰気味にある。


 ここは一丁、王国産の小麦を格安で手に入れよう。あとは貴族向けに魔導具も。


 などと、楽観的な考えが帝城には充満していたが――


「帝国との同盟関係は現段階を以って破棄する」


 会議が始まるなり、女王クラリスはふんぞり返りながら宣言したのだ。


「今、なんと?」


 信じられなかった帝国側はもう一度聞き返した。


「だから、貴様等との同盟は破棄すると言ったのだ」


 しかし、女王クラリスの宣言は変わらない。ようやく事態を理解した帝国側の宰相はテーブルに拳を叩きつける。


「貴様、何を言っているのか分かっているのか!?」


 まるでクラリスの気が狂ったかと問うような言い草だ。


 ただ、帝国側の言い分もある程度は理解できる。ローズベル王国が同盟関係を破棄したとなると、王国が聖王国側に降ったと誤解したのだろう。


 となると、想像できる未来は一つだ。


 王国と聖王国が帝国に侵略を仕掛けるのではないか。現在の帝国は内側でゴタゴタが続いている。これに乗じて仕掛ける気なのか、と。


 しかし、女王クラリスは「ふふん」と笑ってそれを否定した。


「我々は帝国にも聖王国にも降らない。これからは我々が覇を唱える時代だ」


「何を馬鹿な。貴様等のような小国が――」


「やれないとでも?」


 ニヤリと笑った女王クラリスは片手で首を斬るジェスチャーを行う。彼女がジェスチャーを行った瞬間、赤い鎧を着た騎士の一人が大きく飛んだ。


 騎士の大ジャンプは広い会議室の中央にあったテーブルを越え、反対側に座っていた帝国貴族達の頭上を越え、背後に控えていた護衛の魔法使いへと迫る。


 飛びながら魔導剣を抜き、魔導効果を起動しながら着地地点にいた魔法使いを一刀両断。肩口から両断された魔法使いの体がずるりと落ちて、下段に落ちた剣を戻す勢いで隣にいた魔法使いの胴をも両断する。


「き、貴様ッ!」


 仲間を殺された帝国魔法使いは反撃に魔法を放った。この場にいる帝国魔法使いの序列は上位に位置する。ともなれば、彼等の放つ魔法は必殺級の魔法である。


 放たれた魔法は赤い鎧を着た騎士に直撃。


 それを見た帝国貴族と宰相も「馬鹿め」と思ったろう。もちろん、帝国に仇名すなどという意味でだ。


「馬鹿め」


 しかし、彼等が内心で思った言葉を実際に口にしたのはクラリスだった。


 直撃を受けた騎士は倒れもしていない。それどころか、鎧に傷さえなかった。まるで直撃した事実など無かったと言わんばかりに次の相手へ踏み込んで剣を振るう。


「ヒッ!?」


 どうして魔法が効かないんだと疑問で頭がいっぱいになった魔法使いが取った行動は「逃げ」だった。護衛対象を置いて逃げようとするも、赤い鎧を着た騎士は「人並外れた身体能力」で逃げ出した魔法使いに追いつく。


 追いついて、背中から剣を突き刺した。絶命した魔法使いの背中を蹴りながら剣を抜き、残り二人となった魔法使いを即座に殺す。


 会議室の床に赤い血が広がる中、騎士は剣に付着した血を払う。


 その様子を見ていた帝国貴族達は口を半開きにして、目を点にしながら固まっていたが……。


「さて、話し合いを続けようか?」


 ドカンと一発決めたクラリスは満面の笑みを浮かべながら帝国貴族達を振り向かせ、改めて「同盟破棄」を宣言した後に問うた。


「帝国魔法使い筆頭と皇帝はどこにいる?」


 彼女の問いに対し、帝国貴族達は沈黙を続けるが……。


「やれ」


『ハッ』 

 

 もう一人の騎士が剣を抜いた後、帝国貴族の背後に回る。背後に立たれた帝国貴族の顔に浮かんだのは絶望だ。彼は最後にクラリスへ懇願するような視線を向けるが……。


 スパッと横に振られた剣が帝国貴族の首を刈る。刈られた首は宙を舞い、ごろんと床に転がった。


 真横に座っていた貴族に血飛沫が掛かると、短い悲鳴を上げた後にようやく喋り出す。


「ひ、筆頭は、こ、皇帝陛下の執務室に……」


 どうやら皇帝は帝都でクーデターが発生した頃から帝国魔法使い筆頭を傍に置いて護衛させているらしい。


 それを聞いたクラリスは「それは丁度良い」と笑う。

  

 宰相から皇帝の執務室がどこにあるのかを聞き、聞いたあとで全員を騎士に殺害させた。


「では、行くぞ」


 クラリスと騎士達は堂々と会議室を出て行った。そのまま廊下を平然と歩いて皇帝の執務室へ。途中ですれ違った貴族や使用人達は首を傾げていたが、まさか彼女達がこれから何を起こすかなんて想像もしなかったろう。


 帝城最上階にあった執務室前には帝国近衛騎士が二人立っている。廊下を進んで来るクラリス達を不審に思ったのか、彼等はクラリス達が近付く前に「止まれ」とジェスチャーを行う。


 だが、クラリスは止まらない。止まらず、まだ距離のある近衛騎士に向かって「ローズベル王国女王クラリスだ」と叫んだ。


 相手もクラリスの姿を目視して、一時は「隣国の女王か」とも思ったろう。完全な不審者じゃないと思い込んで隙を作った。


「やれ」


 その瞬間、クラリスは騎士に命じる。


 腰の剣に手を伸ばしながら踏み込んだ騎士は一瞬で距離を詰め、首を露出していた近衛騎士二名の首を瞬く間に刎ねた。


 廊下に倒れる近衛騎士達を見下ろしながらクラリスの到着を待ち、彼女が「開けろ」と命じると扉を蹴飛ばす。


 馬鹿みたいな力で蹴破られた扉が執務室内に転がり、中にいた筆頭魔法使いの男は驚愕の表情を浮かべる。だが、奥の執務机で書類仕事をしていた白髪の老人――皇帝だけは顔色さえ変えなかった。


「魔女か」


 皇帝は犯人がクラリスだとすぐに認識するとしゃがれた声で彼女の異名を呟く。皺のある顔には無表情が続いて、皇帝は目だけで筆頭魔法使いへと指示を出す。


「無礼者めッ!」


 筆頭魔法使いは魔法を放とうとするも――


「止まれ」


 そう呟きながら、クラリスはパチンと指を鳴らす。瞬間、帝国側の人間達は全員動かなくなった。


 まるで時が止まったかのように。


 これは本来クラリスが使う予定だった切り札である。己が生まれもった最強の力であるが、その代償はかなり大きい。


 時を止めた瞬間、クラリスの赤かった髪は僅かに色を失う。赤色の髪に白髪が混じり、何本か髪の毛が抜けて床に落ちた。


 当初考えていたシナリオとは違い、複数の手札が揃ったが故に発動は一回だけで済んだ。これはクラリスにとって嬉しい誤算だったろう。


 事前に事情を聞かされていた騎士は素早く踏み込み、無防備のまま固まった筆頭魔法使いの首を刎ねた。刎ねた瞬間、帝国側の時が再び流れ始める。


 宙を舞った首はぼとりと床に落ちて、首を失った体は血を噴出させながら床に沈んだ。


 さすがの皇帝も一瞬の出来事に驚愕を覚えたようだ。


「貴様……」


「久しいじゃないか、クソジジイ。お前自慢の魔法使いはあの世に行ってしまったが、気分はどうだ?」


 最強の護衛を失った皇帝に対し、クラリスはニヤケ面で嫌味たっぷりに言う。


「…………」


 驚愕の表情を浮かべていた皇帝はすぐに表情を戻し、鋭い目付きでクラリスを睨みつけた。これは激動の時代を生き抜いた老人ならではの貫禄か。それとも最強の国の頂点たる皇帝のプライドか。


「私を殺すか?」


「ああ、そうとも。この日をどれだけ待ちわびたことか」


 コツコツとヒールを鳴らしながら歩き出したクラリスは、皇帝の前まで歩み出て彼を見下す。


「……貴様等の国を守ってやった恩を仇で返すか」


「ハッ。これまで従順に搾取されてやったろう? 最後に良い夢が見れたじゃないか」


 お互いの主張がぶつかるも、これからどうなるかは明白だ。


「この憎たらしい面を見るのも今日で最後か。嬉しくて嬉しくてたまらないな」


 クラリスが手を横に振ると、皇帝の首がスパッと斬れて宙を舞う。クラリスはくるくると回って落ちてきた首を掴むと、そのまま執務机にそっと置く。


「下に連絡しろ」


『ハッ』

 

 騎士の一人が収納袋から連絡機を取り出して外部に通信を入れた。もう一人の騎士は魔導ランプを手に窓に近寄って行く。


 ランプを持った騎士は窓を開けると、外に向かってランプの光りをチカチカと点滅させる。


『陛下。別動隊は騎士団兵舎を制圧完了。主要人物は全て殺害完了とのことです。駅も押さえました』


「よろしい」


 報告を聞いたクラリスは窓から外を見た。帝城の外には続々と人が集まって来ていて、身なりから集まって来たのは帝都に住む貧民達だと分かる。


 城門前に集まった貧民達は赤い鎧を着た騎士達が門を開くと、手にした武器を掲げて城の中へと突入していく。


 これから帝国国民による暴力が始まるのだ。もう貴族達を守ってくれる騎士もいない。魔法使いもいない。


 あと数時間後には帝国帝都に住まう貴族達の首が広場に晒されるだろう。


「奪う事しか能のない馬鹿には似合いの最後だ」


 クラリスが彼等の行動を見守っていると、廊下から誰かが駆け寄って来る足音が聞こえた。


 足音の正体はボロボロの服を着た帝国人。彼は反貴族主義者の間では「リーダー」と呼ばれている男であり、最初に行動を起こした際には貧民達へと演説していた男である。


 彼は皇帝の執務室に入室すると、窓の外を見ていたクラリスに跪く。


「この首を持っていきなさい。後は任せるわ」


「ハッ」


 クラリスはそう言って「帰還する」と騎士達に告げる。跪いたままの男を通り過ぎたあと、足を止めて男に告げた。


「終わったら帰って来なさい。あなたも長く帝国で暮していて疲れたでしょう?」


「勿体無きお言葉です」


 男はクラリスの姿が完全に見えなくなるまで跪いていた。


 廊下を行くクラリスは下の階から聞こえる戦闘の音を聞きつつ、鼻歌混じりにご機嫌な様子を見せた。


 これでもう自分の仕事は終わった。母から命じられた「使命」も終わって、長く勤めて来た女王の座からも退ける。次は自分が娘に使命を言い渡す番であるが、その内容はまだ秘密として誰にも明かしていない。


 ただ、今後の王国が北側へ目を向けるのは明白だろう。次の女王は「対聖王国」を重視した政治を進めて行くのだろうか。


 途中で別動隊と合流したクラリスは戦闘から遠ざかりながら帝城を脱出。その足で駅へと向かい、混乱している帝都からの脱出を行った。


 王族専用車両で一息ついていると、すぐ傍に立っていた騎士の一人が「陛下」と声を上げた。


「なぁに?」


 彼女は相変わらず機嫌が良い。ニコニコと笑う彼女に対し、騎士は少し間を空けてから言った。


『もう妻と子を人質にするのは辞めて下さい』


「ふふ。それは次の女王に言いなさい。私は直に女王じゃなくなるのよ?」


『そうさせて頂きます』


 頭を下げた騎士に対し、クラリスはニコニコ笑顔を向けたまま告げる。


「それにしても面白かったわね。ところで、自分を捨てた国の貴族を殺した感想は?」


 聞かせてちょうだい、と問うクラリス。


『……失礼します』


 だが、騎士は感想を口にせずクラリスに頭を下げた。


 彼はクラリスの傍から離れ、近くにいた騎士に「ベイル、すまないが護衛を代わってくれ」と告げるのだった。

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