第236話 紫色の液体と謎の焼死体


「これ、なんだろう?」


 キノコの根本に広がっていた紫色の液体を辿ると、どうやら壁にあるひび割れから漏れ出ているようだ。


「危ないから触んねえ方がいいだろ」


 ロッソさんの意見は勿論だ。迂闊に手で触れて、この液体が毒だったら笑い話にもならない。


「でも、この液体を吸っているから光量が多いのでしょうか?」


 他のキノコよりも強い光を放つキノコは、明らかに紫色の液体を吸っている。養分にしているようにも思えるし、レンの推測は当たっているように思えた。


「第四ダンジョンで紫色といえば蕾や水晶だよな」


「あとは魔物の血も紫だ」


 思いついた中で液体なのは魔物の血だ。だが、魔物の血が壁のひび割れから漏れ出ているというのも変な話である。


 同じような毒性を持つと言われていた液体が地下六階で発見されたが、そっちは水色だったし違う液体と考えて良さそうだが……。


「やっぱりその液体が作用していそうですよ」


 そう告げたのはレンだった。彼は反対側の壁付近に生えていたキノコを指差す。彼の指差したキノコの光りは「いつも通り」といった感じ。加えて、謎の液体に浸っているという事もない。


「なんつーか、こう……。この液体には力を強くするような作用があるってことか」


「そう思えますね」


 ある程度の推測は行ったが長々と問答していても仕方がない。収納袋から小瓶を取り出し、手袋を装着した上で液体の採取を行った。正確な答えは学者達に任せるのに限る。


 液体を回収した後、俺達は通路の先を目指した。通路にはいくつか小部屋があったがどれもハズレ。見事に何も残されていない。


 通路の奥も行き止まりになっていて、引き返す以外に道は無かった。


 十字路まで戻り、今度は左手側に続く道を向かう。こちらは先ほどと違って通路に部屋が設置されておらず、右手側の通路同様に蔓が這っていない点もポイントだろうか。


 魔物とも遭遇せず、しばし進むと両開きの扉が現れた。


 扉を見た感想としては「比較的綺麗」といった感じ。破壊されてドアとしての役割が消え失せている事もなければ、蔓が這って封印されているわけでもない。


 塵や汚れが付着しているものの、他の階層にあったドアよりも綺麗な状態で残されていた。そして、何よりドアノブの回転も未だスムーズだ。鍵がかかっていなかったことも幸いと言える。


「うーん? また通路だな」


 両開きのドアの先にはまた長そうな通路が続いていた。通路上には光るキノコが群生していて所々が明るくなっているが、通路全体を見渡せるほどの灯りとは言い難い。


 ビーストマンの奇襲を警戒しながら通路を進んで行くと、今度は壁と一体化したドアが俺達の前に立ち塞がった。レバーの入った箱は壁に設置されており、それを下ろすと「ブシュー」と音が鳴りながらドアが開く。


 東側や西側と同じ仕組みだ。


 ただ、ドアの向こう側はこれまでとは違う景色が広がっていた。


「これは……。なんだ?」


 ドアの向こう側はかなり広く、広間のような場所にいくつも棚が並んでいた。


「ワイナリーみたいじゃないか?」


 恐らくロッソさんがワイナリーみたいと言ったのは、いくつも並ぶ棚に横倒しになって置かれた金属製のを見ての感想だろう。


 ワインの入った樽よりもスリムでしっかりとした円柱型のそれは、四段になった棚にいくつも収納されていた。


 これら金属製の樽が収納された棚が広間の左右にぎっしりと並んでおり、中央には巨大な円形の貯蔵槽みたいなモノが置かれている。


 貯蔵槽の上には長くて太い金属パイプが伸びており、また槽の下部分には同じように太いパイプが取り付けられて槽の隣にある大きな四角い遺物に繋がっていた。


「まさか本当に古代人のワイナリーじゃないだろうな?」


 そう言ったロッソさんの言葉にぴくりと反応して、目を輝かせたのはミレイだった。脇からレンに肘に突かれていたが。


「あの巨大な槽で酒をいっぱい作ってたとか!?」


 あり得ない……こともないのか? 古代人も俺達と似た外見をしていると最近判明したし、もしかしたら酒も同じようなモノを飲んでいたかもしれない。


 俺達は中央にある槽へ近づいていく。槽の中を見るための階段が設置されており、それを登って中を覗くが――


「空だ」


 既に運用は止まっているせいか、この中に何が入っていたかの痕跡はない。


 探るためのヒントとなるのは、棚に並べられた金属製の樽だろうか。中身が入っていれば、という前提が必要となるが。


 しかし、中身が何だったのかは意外にもすぐに判明した。


「これ、漏れてますね」


 すぐ近くにあった棚に並べられた金属製の樽の一つが経年劣化で破損したのか、中身がほんの少しだけ漏れ出ていたのだ。


 小さなヒビ割れから滲み出ていたのは紫色の液体。そう、右手側の通路の壁から漏れ出ていた液体と同じものだった。


「ここで液体が製造されて、壁の中を伝いながら向こう側へ運ばれていたのか?」


「いや、それならここがまだ稼働していないとおかしくないか?」


 確かに向こう側で見た「漏れ」は結構な量だった。未だパイプ内を流れる液体が常に漏れ出ているような感じだったし、ここから反対側へ送られているなら液体が製造され続けていないとおかしい。


 だが、この場所の様子を見るに長年稼働が止まったままのような雰囲気がある。


 となると、別の場所も製造場所があるのだろうか?


「奥に続いているぞ!」


 そう叫んだのはミレイだった。彼女が見つけたのは一枚の扉。どうにも隣にもう一つ部屋があるようだ。


 慎重にドアを開けて隣の部屋を覗き込むと、そこは保管庫のような造りになっていた。


 中にはいくつか金属製の樽が残されていたが……。


「うわっ、やばっ!?」


 先頭にいたロッソさんが声を上げて、自分の片足を上げながら慌てていた。


 どうしたのかと足元に注目すると、そこには水色の液体が広がっている。地下六階で見つかったと言われている毒性のある液体だ。


「大丈夫ですか!?」


「あ、ああ……。あぶねえぇぇ」


 どうやら靴の中にある足までは浸透していないようだ。しかし、念のため靴を脱いで交換した方が良いだろう。


 同時にこの室内は危険と判断してすぐに扉の外へと退避した。


「なんで六階で見つかった液体がここにあるんだ?」


 ターニャの疑問は尤もだ。奥の部屋にあった金属の樽は水色の液体が保管されていたのだろうか?


 しかし、表側にあった樽には紫色の液体が保存されていたし……。


「水色の液体を造る原料が紫色の液体なのかもしれません。もしくは、逆であるとか?」


 表側の部屋と奥の部屋、どちらが「完成品の保管場所」なのか否かで答えが逆になりそうだ。


 紫色の液体が「完成品」ならば水色の液体は原料と予想されるし、逆であれば紫色の液体が原料と考えられる。


 一体、どちらが正解なのか。


「……なぁ、もしかしてさ。ここに水色の液体があったから魔物と遭遇しなかったんじゃないか?」 


 そして、もう一つ。


 ミレイは奥の部屋に水色の液体が保管されていたのが魔物と遭遇しなかった理由なのでは、と推測する。


「確かに向こうは亀が徘徊していたが、こちらには何もいなかったな」


「ドアが無事だった理由もこれか?」


 ただ、この製造所と思われる場所の前には分厚い壁と一体化した扉があった。その扉が魔物の進入を阻んでいた理由であるとも考えられるが……。


「分からんが、六階に漏れ出ていた液体もほんの僅かだったろう? その僅かな量だけでも魔物が階層内から消えたのだぞ?」


 ターニャは中央ルートに存在する魔物達はほんの少しでも水色の液体を感知すると逃げ出す、もしくは近寄らない習性があるのではと推測した。


「そこまで嫌がるものなのかね?」


 水色の液体が残されていた小部屋まで何枚も扉があった。特に厳重な扉まであったのに、それを越えてでも魔物達は水色の液体を感知できるのだろうか。


「我々には感知できない匂いがあるとか? もしくは、稼働中だった頃に残された匂いや痕跡があるのかもしれない」


 答えは謎のままであるが、水色の液体が「魔物除け」になっている点は確かなように思えた。


「ん? 待って下さい。となると、あの水色の液体を持ち歩けば安全に階層内を探索できるのではないですか?」


 そう提案したのはウィルだった。


 彼は水色の液体が魔物除けとして機能するならば、液体を通路に垂らす、もしくは持ち歩いて遭遇時に飛散させれば魔物との戦闘を回避できるんじゃないかと予想する。


「うーん……。毒性があるって話だしなぁ」


「摂取しなければ問題は無いのですよね? 常に使うのではなく、万が一に向けた非常用の道具として使うのはどうでしょう?」


 ウィルが言いたいのは既に製品化されている「魔物除けの煙玉」みたいな使い方だろう。


 あれは植物由来の成分を使った煙を発生させる道具であり、一部の魔物にしか効果が無い。第二ダンジョンで言うなら上層階付近に生息している弱い魔物に使えるくらいだ。


 しかし、水色の液体を利用すれば既存の製品よりもより強い「魔物除け」が作れるのではないか、と。


 ただ、懸念は人間に対しても有効な毒性を持っている点だ。既存の煙玉は人間に害のない植物由来の成分だから使われているという点も考えると、ウィルの提案は少々難しいかもしれない。


「まぁ、一度持ち帰ってオラーノ侯爵やベイルーナ卿に聞いてみましょう」


「そうだな。案外、良い案に発展するかも」


 俺は懸念を口にするロッソさんに「上司へ相談」という点を強調しつつ、ウィルの案を検討するよう申し出た。


 ウィルの案はここで一旦区切りとなって、今度は「今日はどこまで進むか」という内容になった。


「今日は……。あと二時間くらいか。中央の道を少しだけ見たら戻ろう」


 ロッソさんはポケットから懐中時計を出して時間を見る。


 時間は昼を回ったところ。


 中央ルートの調査は大規模な一斉調査として扱われていないこともあって、地下二階へ帰還するタイミングは隊の判断に任されている。


 昼飯の時間は過ぎてしまうが、中央通路の奥を一目見てから戻るという案には賛成したい。次の調査時にどう動くかを検討できるしな。


 というわけで、俺達は再び来た道を戻って十字路へ。


 そこから真っ直ぐ奥へ向かう道を進んだ。予定としてはほんの少しだけ進んで、先に何があるかを見るだけ。仮に扉があったとしたら、扉の向こう側を覗いて帰還するといった感じ。


 しかし、進んで行くと――


「うわぁ……」


 通路上に転がっていたのは亀の死体だ。


 それも無残に食い荒らされていている状態だった。甲羅はバキバキに割れて砕けていて、中身を食い千切ったような状態で放置されている。


「どう考えてもビーストマンだよな?」


「としか思えませんね」


 亀の肉を食い千切った跡が荒々しい。それに硬い甲羅を粉砕しているパワーからすると、ビーストマンが放置した獲物に間違いないと思えた。


「ん? なぁ、これ見てくれ」


 俺とロッソさんが亀の死体を見ていると、ミレイが見つけたのは死体の近くにあった黒い物体だ。


 それは丸焦げになって炭みたいになっていた。恐らくは魔物の死体だと思うが、もうどんな魔物だったのか原型すら留めていない。


「どうして焼け焦げた死体があるんだ?」


「花を咲かせた亀のブレスに焼かれたんじゃ?」


 俺の問いに答えたのはミレイだった。彼女はビーストマンに食われたと思われる亀がブレスを放って魔物を焼いたのではないか、と。


 となると、三つ巴の戦いが繰り広げられていたのだろうか? 亀とビーストマン、それにもう一匹何かがいて……。焼け焦げた死体の正体が亀を襲うが返り討ち、最終的に漁夫の利を得たのがビーストマン?


「うーん……」


 どうも違和感――いや、これは嫌な予感だろうか。


 俺の胸の内にはモヤモヤとするような、漠然とした焦りと困惑を混ぜたような感情が生まれる。


 薄暗い通路の先、この先に待っているのは……。本当にビーストマンだけなのだろうか?

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