第233話 黒い獣
「ギュロロロッ!」
風の玉を吐き終えたリザードマンが鳴き声を上げながら威嚇する。
魔法を受け止めた重装兵達の持つ盾を確認すると、頑丈な大盾はボコリとへこんでしまっていた。これ以上の直撃を受ければ盾が破損してしまうだろう。
そうなる前に、俺とウィルは重装兵を追い抜いて前へと飛び出す。
俺は合金製の剣を下段に構え、すくい上げるように剣を振る。振った直後、俺の手に伝わった感触は「強烈な空気抵抗」であった。
剣先が何か見えない圧に押し返されるような感覚。そして、重い空気を斬り裂くような感覚。辛うじて剣先がリザードマンの体に生える花びらを捉えるが、花びらの先を切り裂くだけで終わってしまった。
「な、なんだ!?」
違和感を感じた直後、バチンと弾けるように剣が弾き返された。同時に俺の体へ強風がぶち当たる。
思わず後方へたたらを踏んでしまうほどの強風に目を閉じてしまった。慌てて瞼を開くと、リザードマンの周囲には風の膜が生み出されているのが分かった。
「風を使って防御しているのか」
西側地下で戦ったキメラが見せた防御策と少し似ている。魔法による作用で物理攻撃を阻止しているのだろう。
ただ、ウッドキメラの防御魔法よりは理不尽さを感じない。剣から伝わった反発も軽かったし、もっと力を込めれば防御膜ほど断ち切れそうだ。
その証拠に同じく攻撃していたウィルは――
「ぬぅぅぅああああああッ!!」
「ギュロロロロッ!?」
こめかみの血管が破裂しそうなくらいの雄叫びを上げ、腕がはちきれそうなくらいの力を込めて。巨大なバトルアクスの重量も使いながら風の防御膜ごとリザードマンの体を叩き潰そうとしていた。
バトルアクスの刃がリザードマンの肩口に刺さり、赤い血飛沫が舞う。口からは悲鳴に似た鳴き声が漏れるも、ウィルは決して離れようとしなかった。
さすが、と想いを抱くと同時に俺の視界にはウィルに向かって魔法を放とうとする個体の姿が映る。
「ウィル、下がれッ!」
俺が叫ぶとウィルは指示通りにバックステップ。直後、ウィルがいた場所に風の玉が通過した。
「硬いですね」
ウィルは風の膜で防御するリザードマンをそう評しつつ、バトルアクスを握り直した。
「押し斬れそうか?」
「問題ありません。叩き潰します」
身体能力向上の魔法を使えるわけでもないウィルが自前の腕力だけであそこまでやれるのも驚異的だと思う。心の底から頼もしい男だと改めて感じてしまった。
俺も気合を入れ直して武器を構えるも、俺達の勢いを殺すようにリザードマン達は再び揃って前屈みの体勢に。
直後、俺達の前に飛び出したのは大盾を構えた重装兵達だ。彼等は放たれた風の玉を受け止める。苦悶の声が漏れるも、足を踏ん張って耐えた。
「行ってくれッ!」
彼等の気持ちに応えるべく、俺とウィルは同時に飛び出す。
今度は身体能力を向上させ、一気にリザードマンへと走り出す。急接近した後、腕の力を向上させて力いっぱい剣を上段から振り落とした。
ブワッと風の膜が膨れ上がるのを感じるがお構いなし。風の膜を押し潰すように剣を押し込み、リザードマンの首元から斜め下へと肉を斬り裂く。
首元を斬ってからは風の圧も急激に消え、柔らかい肉の感触が手に伝わってきた。どうやら肉体自体は硬くないらしい。
つまり、風の膜をどうにかすれば容易に殺せる魔物なのだろう。
まぁ、風の膜を消す手段が見つかっていないのが問題なのだが。現状はウィルに倣って力任せに押し切るしかないか。
しかし、この考えに否を突き付けたのはレンだった。
「アッシュさん、右に避けて!」
後方から聞こえたレンの声に従い、俺は右側へサイドステップ。直後、床を走って来た雷がリザードマンの足元に到達して天井へと突き上がる。
バヂンと弾けるような音が鳴った。リザードマンは黒焦げになって死亡したかと思われたが、雷を受けたはずの個体は無傷のままだった。
「え!?」
自分の攻撃が通用しなかった事に驚くレン。彼の驚く声を聞きながらも、俺はこの隙を逃すまいと接近して剣を振るう。
もちろん、風の膜ごと斬り裂こうと身体能力を向上させて剣を横から振ったのだが、なんとこの時には風の膜による圧を感じなかった。俺の振るった剣は一直線にリザードマンの胴を斬り裂き、真っ二つに両断される。
「はっ!?」
先ほどとは感触が別物すぎて俺自身も困惑してしまった。確かに腕の力を向上させていたが、それでもスムーズすぎる。
この違いはなんだ。どうして風の膜が無かった? 考えられるのは、直前に放たれたレンの魔法しかない。
「レン、もう一度魔法を撃ってくれ!」
検証すべく、俺はレンに魔法を放つよう頼んだ。彼がリザードマンに向かって魔法を放つと……やはり無傷。問題はここから。
「フッ!」
間髪入れずに剣を振るう。すると、先ほどと同じように剣は軽々しくリザードマンの体を斬り裂いた。
「魔法だ! 風の膜は魔法で無効化される!」
偶然にも判明した方法を告げると、ロッソさんはハッとなって部下に命令を下した。
「魔導弓だ!」
魔法で無効化されるならば、魔導弓による攻撃はどうだ。試してみると、魔法弓が放つ魔法の矢でも風の膜は無力化される。
検証の結果、ここでもう一つ判明したのは「あくまでも一時的に無力化させるだけ」ということ。
風の膜は強力な防御策であるが、攻撃は一度しか受け止められないようだ。少し間を空けないと次の膜を張れないのか、新たな風の膜を生み出すまでに時間が掛かる。
その時間は三十秒から一分程度。風の膜を無効化させてから僅かな時間の間に攻撃しないと本体をスムーズに斬り裂くことはできない。この時間が短いと感じるか、長いと感じるかは狩る側の実力に因るだろう。
「ウィルさん!」
しかし、俺達にとっては十分すぎる時間だ。
「ぬぅぅぅんッ!!」
風の膜を失ったリザードマンを豪快に叩き潰すウィル。
「行くよ!」
「こちらも行くぞ! 遅れるな!」
ミレイも連続刺突でリザードマンの胴体を破壊して、ターニャは仲間と連携しながら華麗にリザードマンを討伐する。
確かに放たれる風の玉も防御として使われる風の膜も驚異的であるが、仕組みが分かってしまえば敵ではない。
残り一体となったリザードマンは果敢にも威嚇しながら俺達を害そうとするのだが――ここで俺達には予想もしなかった出来事が起きる。
『――ァァァァッ!!』
どこからか恐ろしい鳴き声が聞こえて来たのだ。僅かに聞こえた鳴き声には聞き覚えがあった。
ビーストマンが吼えた時の声だ。
思わず俺達はビクリと反応してしまうが、対峙していたリザードマンもキョロキョロと忙しなく首を動かし始めた。
そんなリアクションを見て、俺は「もしかしてリザードマンもビーストマンを警戒しているのか?」と思っていたのだが……。
「グワァァァァッ!!」
直後、遠くから聞こえていた鳴き声と同じモノが近くで聞こえた。声が鳴った方向は……下か!?
発生源に驚いていると、大部屋の奥から黒い影が飛び出して来たのだ。
「なんだ!?」
影は猛スピードで地面を這うように移動して、一瞬でリザードマン首元に食らい付いた。
「く、黒いビーストマン!?」
影の正体は真っ黒な毛を持つビーストマン。ウィルが討伐した個体よりも大きく、腕や脚も比較にならないくらい太い。
薄暗い闇に同化するような色のビーストマンの目は真っ赤だ。爛々と輝く赤い目を俺達に向けながら、口に咥えたリザードマンの肉を豪快に噛み千切る。
リザードマンの首元から噴き出た血飛沫を顔面に浴びて、ビーストマンの口元と黒い毛が赤く染まる。ガシガシと口の中で肉を咀嚼しながらも、鋭い赤い瞳は油断なく俺達に向けられていた。
「…………」
俺はそっと合金製の剣を床に下ろし、姿勢を低くしたまま腰の灰燼剣に手を伸ばした。
すると、俺の気配を感じ取ったのか、黒いビーストマンは俺に顔を向けた。
「グルル……」
重く殺意の篭った唸り声を上げたビーストマンは、俺に向かって「そのまま動くな」と言っているように見えた。
俺を威嚇しながらゆっくりと後ろに下がって行き、ビーストマンはリザードマンを掴んだまま再び闇の中へと消えていく。
完全に姿が消え、声すらも聞こえなくなったあと、俺達はビーストマンが消えた方向を慎重に調べた。
「これは……」
闇で覆い隠されていた場所には大きな穴が開いており、この穴は下の階と通じているようだ。
黒いビーストマンはこの穴を駆け上がって来たらしい。他に別の部屋へ通じる通路も無いし、消えた先はこの穴の先としか考えられなかった。
となると……。
「ビーストマンが生息している階層は七階じゃない?」
本来、ビーストマンが生息しているのは七階ではなくもう一つ下の階層なのだろうか?
「いや、だが、待ってくれ。魔物は階層を跨いで移動できないだろう?」
「……第二ダンジョンでは例外となる魔物もいた。ビーストマンが階層間を移動できていても不思議ではないだろう」
だとしたら、七階はビーストマンにとっての「狩場」なのだろうか?
「しかし、あのビーストマンは……」
そう呟いたのはウィルだった。彼が何を言いたいのかは予想できる。
きっと彼は「他と違う」と言いたいのだろう。
ただ見た目が違うだけじゃない。
あの爛々と輝く赤い目、そして獲物を素早く狩って、対峙する俺達に無闇に攻撃を加えない判断。俺が灰燼剣を抜こうとした時に見せた洞察力。
ただの魔物ではなく、優秀で判断力に長けた熟練の狩人を思わせるような……。
しかも、最初に見せたスピードは身体能力を向上させた状態で追いつけるかどうか怪しいと感じてしまった。
もし、奴と戦うことになったら一瞬たりとも油断できない。そんな戦いとなるだろう。
「……とにかく、七階は最奥まで調べることが出来たんだ。一旦戻ろうぜ」
魔物の生態や七階の構造、そして黒いビーストマンについてもオラーノ侯爵に報告しなければならない。
俺達はモヤモヤした気持ちを抱えながら地下二階へと戻って行った。
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