第228話 王国の日常


 屋敷で迎えた最初の朝は、愛する人の寝顔から始まった。


 寝心地の良いベッドの感触と密着して眠るウルカの体温に安心感が満ち溢れる。このまま二度寝しようとも思ったが、そうもいかないだろう。


「ウルカ、そろそろ起きよう」


「ん~……」


 寝ぼけ気味のウルカが覚醒するのを待ちながら、改めて寝室を見渡した。


 やっぱり不思議な感覚だ。ここが新しい寝室だとまだ実感できていない。


 今は最低限の家具しかないが、これから俺達の色に染まっていくだろう。そうすれば当たり前と感じるようになるのかな。


 起きたあと、俺達は寝室にある洗面所で最低限の身だしなみを整えた。


 貴族の生活と言えば、メイドや執事が身支度の補助をしてくれるイメージがある。しかしながら、王国にはそういった習慣は無いようだ。


 使用人といっても何でもかんでもやってくれるわけじゃなく、貴族であっても自分で出来る事は自分でやりましょうという感じ。


 これは昔からある、自立を促すためのものなんじゃないだろうか。まぁ、小さい子供や介護が必要な人に限っては違うだろうけど。


「おはようございます」


「おはようございます、アッシュ様。ウルーリカ様」


 二階にある寝室から一階のリビングへ降りると、執事長であるカーソンさんとメイド長であるリアラさんが出迎えてくれた。同時に俺達の事は「旦那様、奥様」とは呼ばない。これはまだ正式に結婚していないからだろう。


 リアラさんは朝食を作るための準備やお茶の用意をしてくれていて、カーソンさんは新聞の用意などを行ってくれていたようだ。


 屋敷の運用も昨日からだし、まだ本格的な仕事もない。最初くらいはゆっくりして欲しいところである。


「ウルーリカ様、補助しますね」


「はい、ありがとうございます」


 ウルカとリアラさんはキッチンに向かって、俺は食堂に座りながらカーソンさんの淹れてくれたお茶を飲む。新聞を読んだり、カーソンさんと話しているとウルカの作った朝食が運ばれてきた。


 朝食のメニューはスクランブルエッグにベーコン。それにパンとサラダ。王国ではお決まりのモーニングメニューである。


 昨晩、ウルカから朝食は何が良いかと聞かれてこのメニューを選んだ。


 あまり朝から負担を掛けたくなかったのもあるが、王国に来てからは第二都市で契約していた宿が提供していた「朝の定番」を食べないと調子が狂う体になってしまったというのも理由の一つだ。


「今日は午後から騎士団本部でしたよね?」 


「うん。午前中は屋敷で使う家具を行こう」


 今日は午後から騎士団幹部達を交えた第四ダンジョンについての報告会と打ち合わせだ。


 オラーノ侯爵と共に第四ダンジョンで起きた出来事の報告と対魔物戦における対策や感想、同時に一般公開された際に向けての注意点などを話し合う。


 俺の役割としてはハンター側の立場としての発言を求められる、といった感じだろうか。


 騎士団本部に向かうまではウィルを交えて王都で買い物の予定。彼に王都を案内しつつ、家具の準備を進める予定だ。


「アッシュ様。家具も勿論でございますが、馬車も用意しなければなりません。家名と紋章はまだ決まっていませんが、車体の準備等は進めておいた方がよろしいでしょう」


 そうだった。馬車も購入しないといけないんだった。


 カーソンさんのアドバイスによると、王国十剣であっても家の馬車は必要となるようだ。本人達の使用頻度が少なかったとしても、将来的には子供が学園に通学する際に使用する事も考えられると。


 聞かされて「確かに」と納得した。


 馬車の購入に伴って馬の管理人も必要だ。こちらは既にオラーノ家のツテを使って、カーソンさんによる人選が始まっているらしい。さすがは侯爵家の鍛え上げた執事長だと感動してしまった。

 

 今後必要になるものを話し合いつつ、朝食を終えると――


「アッシュ様、マリアンヌ様とウィル様がお見えになられました」


 オラーノ家からマリアンヌ様とウィルがやって来た。こちらから行くと言っていたのに、マリアンヌ様は相変わらずの行動力だとカーソンさんと一緒に苦笑い。


 慌ててウルカと共に二人を出迎えるが……。


「ウィル? ど、どうした?」


 ニコニコ笑うマリアンヌ様の隣に立つウィルは一晩でげっそり状態。マリアンヌ様と比べて、あまりにも対照的な様子にウルカも驚きを隠せない。


「……侯爵家が豪華すぎて寝れませんでした」


「そ、そうか」


 苦笑いで返すと、彼は「何を言っているんだ!」と言わんばかりに俺へ詰め寄った。


「隊長! ただの平民に対して広すぎる客室を用意してくれるし、ベッドがふかふかなんですよ!? 昨夜なんて閣下に酒を飲もうと誘われてしまいました! 酒のツマミは奥様の手料理ですよ!?」


 帝国じゃあり得ません、これが王国の常識なのですか!? と本気で困惑しているようだ。


 分かる。その気持ちは分かる。オラーノ家の常識が王国貴族全ての基準とは言えないが、平民に対する温度差は元帝国民であれば一番驚く要素だろう。


「ウィル、王都を散策したらもっと驚くぞ」


「…………」


 俺が真剣な表情で告げると、ウィルはごくりと喉を鳴らした。


「さて、今日は家具の買い物よね? 馬車も用意したから行きましょう」


 挨拶もそこそこに、俺達はマリアンヌ様に連れられて玄関前に停まる馬車へと誘われた。


 今回、家具や馬車の購入についてマリアンヌ様の助力を得るという事もあるが、どちらかと言えばウルカへの教育がメインだろうか。


 といっても、そう堅苦しいわけじゃない。日々の食事に使う料理の材料を購入する商会や質の良い雑貨を扱う商会をウルカへ教えるといった感じ。


 まず向かった先は中央区。ここでは家具を扱う商会を訪れる。


 商会の店構え、そして店内はまさに「高級店」である。扱う商品も全て貴族向けとなっていて、平民が足を運ぶような店じゃない。


 王国十剣の屋敷には格が必要だと言われるが、俺達の風貌には格というものが感じられないだろう。店側からすれば「本当に金持ってんのか?」と疑ってしまう。


 称号と外見がマッチしていない俺にとっては、オラーノ侯爵家の紹介は非常にありがたい。


「アッシュ様、今後ともよろしくお願い致します」


 このようにオラーノ侯爵家の紹介があれば、平凡な見た目である俺を「王国十剣である」と信用してくれるのだから。なんだか詐欺師みたいな言い方であるが、信用ある方からの紹介ならば相手側も安心だろう。


 必要な家具を購入し、更には屋敷への配送も頼めば完璧だ。


 店を出て、次は南区へ向かう。


 南区は平民向けといったイメージが先行するが、平民が多く住む故に食材を扱う店が多い。


 平民の利用者が多くいるし、その分だけ店同士の競争も激しい。となると、店側はより客を集めようと努力する。


「西区で買うよりも安くて質が良い物が揃うわ。食材関係の激戦区だから気合を入れるようにね」


 西区にある店は高級食材を扱う店が多い。貴族は高級食材を毎日食べるイメージがあるが、王国ではそうでもないようだ。


 侯爵家の食事では特に「本物としての質」を重視しているらしく、食材一つ一つを吟味して調理を行う。これは戦場へ向かい、そして帰って来る男達を想ってのことだろう。


 故にオラーノ家では質が良ければ「平民向け」と言われても気にしない。そんな事よりも美味い飯を夫へ食わせる方が肝心だ、といった方針には素直に好感が持てる。


 南区に到着すると、区画入り口で馬車は停止。路肩に馬車を停めて、ここからは歩くと言う。


 馬車を降りるとメインストリート沿いには多くの平民達で溢れている状況だ。そんな中に混じるマリアンヌ様は異質のように思えるが、道を行く平民達はマリアンヌ様がいようと態度は変えない。


「あら、アリアンヌ様。今日はハワーズの店で野菜が特売ですよ」


「ごきげんよう。行ってみるわね」


 それどころか、マリアンヌ様を見つけた平民家の奥さんは気さくに声を掛ける。どの店が安いだとか、どの店の食材が狙い目だとか、日常に役立つ情報を教えてくれるのだ。


「……本当に貴族との温度差がありませんね」


「だろう? これが貴族主義じゃない国の日常なんだよ」


 帝国では平民が貴族に話し掛けるなどあり得ない。気さくに声を掛けた瞬間、物理的に首が飛んでもおかしくないのだ。


 百八十度違う光景を見て、ウィルは戸惑いを隠せない様子。


 だが、驚くところはまだまだある。


「子供達が元気ですね」


 南区にある建物と建物の間、十分な間隔の空いた道では子供達が元気に走り回って遊んでいた。


 他にも大人達は皆揃って健康そうだし、路上生活を送るような貧民は一人もいない。ガラの悪そうな奴等や犯罪者がいないのは、区内を警邏する騎士達が十分に配備されているからだ。


 警邏を行う騎士達も真面目に働いていて賄賂を受け取るような輩じゃない。犯罪を見逃すまいと真剣に平民の生活を守っているのだ。


「ウィル。これがこの国の普通なんだ。お前にとってもこれが当たり前の光景になる」


「……はい」


「俺達の役目は王国の発展に貢献すること。騎士ではなく、ハンターとしてだが、やりがいがあるだろう?」


「ええ」


 元騎士として、ウィルも国に尽くす意味は知っている。帝国では尽くす甲斐があるのかと自問自答したことも多かったはずだ。だが、この国では違うと言い切れる。


「俺はこの国に来て、幸せの意味を学んだよ。自分が幸せになると同時に国が発展すれば、都市にいる人達の生活だって豊かになるんだ」


 俺はウィルの背中を軽く叩く。


「だからお前も幸せになれ。そうすれば周りも幸せになる」


 彼がこの国で幸せになれば、死んだ家族も安心できるんじゃないだろうか。


「はい、隊長」


 ウィルは良い笑顔を浮かべながら頷いてくれた。

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