第222話 対帝国戦略


 時間はアッシュ達が第四ダンジョン西側地下の調査に向かっている頃。


 帝国帝都にあるローズベル王国大使館に王国外務省所属のカラルが再び来訪していた。


「順調のようですね」


「うん。本国はどうだい?」


「本国も順調ですよ。オラーノ侯爵閣下が新たに誕生した王国十剣であるアッシュ様を連れて第四ダンジョンの調査を行っています。噂では既に多数の成果を挙げたようで、王城も王都研究所も大忙しです」


 カラルは対面に座るキーラ伯爵と紅茶を飲みながらにこやかに話し合う。


 ローズベル王国内ではダンジョンによる恩恵が更に得られ、新しい要素の研究や応用手段について貴族も学者も大忙しだ。


 来年以降には既存の魔導具技術も飛躍的に向上するのではと囁かれており、王国の更なる発展が見え始めた。一部の噂は国民の間にも駆け巡っているようで、国内はポジティブなムードに包まれている。


 一方、キーラ伯爵を筆頭とする「対帝国戦略」も順調であった。


「帝城では白銀騎士の噂が飛び交っているようだよ」


「へぇ。どんな感じですか?」


 お互いに紅茶を一口飲んで。キーラ伯爵は口元が吊り上がってしまうのを我慢しているような表情で語り出す。


「魔法が効かない最悪の。既に百もの帝国魔法使いが殺害され、これ以上は被害を出せないとダンジョン調査は一時的にストップしたようだ」


「それはそれは……。恐ろしい魔物ですね。王国に出現しないで良かったと安堵してしまいます」


「まったくだね」


 人類の切り札とも言える魔法が効かない魔物とは、全くもって恐ろしい。


 最強の魔法使い部隊を抱える帝国も苦労しているらしく、ダンジョン調査は一旦ストップとなったようだ。責任者だった騎士団長は上手く追及を躱しているそうだが、最近はキーラ伯爵に「魔物について情報を求む」とよく相談に来ているそうで。


「うちの研究成果を明かしたんですか?」


「うん。見せたよ。これをね」


 キーラ伯爵がテーブルの上に置いたのは王都研究所魔物研究部門の学者が書いたレポートだ。


 題名には『一部の魔物による外界活動の可能性』とあった。


 レポートの内容を要約すると、焦点となっているのは「肉が腐らない魔物」について。例として第二ダンジョンに生息していたリザードマンが挙げられていた。


 十八・十九階リザードマンの肉は外に持ち出しても腐らない。さすがに肉をそのまま放置していれば腐るが、それは動物の肉が腐るのと同じ現象である。


 通常の魔物とは違って、倒したらすぐ肉が腐らない魔物がいるのは既に認められているが、これらがもし氾濫を起こしたらどうなるかという推測がレポートには書かれていた。


 肉が腐らない。という事は、通常の魔物と違って氾濫時に外へ出ても自滅しないのではないか。


 生命活動が終わる瞬間まで、魔物は人間達が暮らす地上での活動を続けるのではないか。そういった懸念が予想されている。


「……どんな反応でしたか?」


「うまく煽れたと思うよ。口ではそんな馬鹿な事があるわけないと言っていたが、動揺は隠しきれていなかったね」


 氾濫を起こした魔物はダンジョンの外に出ると一定期間を経て死亡する。この常識を覆す存在がいるかもしれないという懸念と不安は確実に騎士団長の中に植え付けられた。


「白銀騎士が氾濫を起こしたらどんな反応をするだろうね?」


 ニコリと笑って言うキーラ伯爵に対し、カラルは吊り上がった口元を隠すようにカップを口へと運んだ。


「ああ、それと例の計画も進展があったよ。候補の中から数人選んでおいた。既に接触が始まっているはずだ」


「反貴族主義思想は根付きますかね?」


「いやぁ、それは確実だろう。これだけ虐げられてきたんだ。彼等からの報告を聞くに、我々が手を打たなくても火は点いていたと思うね」


 王国が手を出さずとも、帝国の貧民達が抱える怒りは既に爆発寸前だった。


 ただ、彼等は手段と行動の起こし方が分からなかったというべきか。そこに救いの手が伸ばされて、ようやく行動へ移しそうだといった状況のようで。


「帝国に渡した魔導兵器はどうですか?」


「部下の報告によると、既に解析が始まっているようだよ。だけど、うちほど技術が育っていないからね。模倣品を作るどころか、デッドコピーするにも素材が足りない。女王陛下が狙う帝国独自の技術は誕生しないんじゃないかなぁ……」


 魔法が効かない魔物が現れたとの報告もあって、帝国は王国から差し出された魔導兵器の解析を始めたようだ。魔法と魔導兵器を駆使して討伐しようという考えなのだろう。


 だが、帝国には魔導技術が無い。イチからのスタートもあって難航しているようだ。


 女王クラリスの狙いとしては、帝国に魔導兵器を渡すことで帝国独自の技術を作り上げる、もしくはその兆しを見せてくれることを期待していたようだが、あまりにも技術の差が大きすぎたか。


 キーラ伯爵の感想としては「この辺りは少々難しくて読めない」とのことだった。


「なるほど。ですが、概ねは順調と言っても良いでしょうね」


「うん。順調だよ。ところで、カラル君。一つ聞きたいんだけどさ」

 

 話題を変えようとするキーラ伯爵は、カラルをジッと見つめながら問う。


「いつ、後始末が始まるんだい?」


 キーラ伯爵は本国に戻りたいと願っている。故郷にいる家族と一秒でも早く会いたいと。


 しかしながら、彼の仕事は「後始末」が始まらないと「終わらない」のである。じゃあ、この後始末はいつ始まるんだろうか。


「当初の予定ではもう事が始まっていてもおかしくなかったよね? あと一年後くらいに後始末が始まるんじゃないかと思っていたんだけど……」


 キーラ伯爵の予想は大きく外れている。着実に始まりへと進んではいるが、未だ準備段階である。


 いつ始まって、いつ終わるのか。それが問題だ。


「…………」


 しかし、カラルはそっと視線を外した。それどころか、目を泳がせて聞かなかったフリまでしているじゃないか。


「カラル君!? ねぇ、いつになったら帰れるの!?」


 キーラ伯爵がカラルの肩を掴んで揺するも、彼は一切口にしなかった。



-----



 キーラ伯爵の「いつ帰れるんだ」という問いから逃れたカラルは、一人で帝都にある貧民街へと赴いていた。


 彼の手には一枚のメモがあり、メモには目的地と商会の名が書かれていた。


「うーん?」


 しかしながら、メモに書かれた場所に商会なんぞ存在しない。いや、商会らしき建物はあるのだが既に空き家となっていた。


 困り果てたカラルは道端に座り込む男性から聞き込みを行う事にした。


「すいません、ここにバーランド商会という名の商会はありませんでしたか?」


「…………」


 カラルが問うもボロボロのローブを着た男性は無言のまま。その態度を見て、カラルは「ああ、そうか」と言いながら帝国銀貨を差し出した。


「……バーランド商会は潰れたよ。貴族から多額の寄付を願われてね。資金が底をついたようだ。払えなくなった途端、怒った貴族が商会を潰したんだ」


 貧民に格安で食糧を売ってくれる良い商会だったのに、と男性は惜しむように呟いた。


「商会を経営していた方々は?」


「…………」


 また男性は黙り込んでしまった。もう一枚、という意味らしい。カラルはもう一枚銀貨を手渡すと、男性は滑らかに口を動かし始めた。


「貴族の怒りを買った後も商会の次男坊は商売を続けようとしたが、貴族の次は国の徴収官から追加の税を求められたそうでね。税金を払えず経営権利は取り上げられ、母親と妹も税金未払いのカタに娼館へと売られちまった」


 最悪の事態に陥ってしまったようだが、バーランド家の災難はまだまだ続く。


「直後に父親と兄貴が病で死んじまってね。しかも、娼館に売られた二人もすぐに死んじまったって話だ。みんな病で死んだって話だが、怪しい話だね」


 恐らくは貴族によって殺されてしまったんじゃないだろうか。そんな噂が流れているという。


 カラルからすればゾッとする話だ。人としてそのような「悪」を野放しにしておいて良いのか、と。


 しかし、帝国ではこれがなのだ。カラルは心底「腐っている」と思ったに違いない。


「二番目の息子は今どこに? 生き残っているんですか?」


 カラルは三枚目の銀貨を差し出しながら問う。


「ウィル坊は……。あの子は家を取り上げられてからすぐ傭兵になったよ。商会が潰れちまって、母親と妹を娼館から買い戻そうと傭兵になったんだ。あの子も可哀想にな……」


「そうですか。どこに行けば会えますか?」


 四枚目の銀貨を出しながら問うと、男性は銀貨を受け取らずにジッとカラルを見つめた。


「アンタ、ウィル坊の何だ?」


「彼の元上司であった男の知り合いです。探すよう頼まれたんですよ」


 カラルは帝国騎士団時代の上司――アッシュの知り合いだと告げた。実際、カラルはアッシュと一言も話した事はないのだが、書面に記されたアッシュの「素性」は知っている。


 息を吐くように嘘をついたカラルであるが、これも外交官としてのスキルなのだろう。


「……そうかい。ハービンズって酒場に行きな。そこが傭兵共のたまり場だ。きっとウィル坊もいるだろうよ」


「ありがとう。行ってみます」


 カラルは男性の傍に銀貨を置いて立ち去ろうとした。背を向けた時、男性が「なぁ」と声を掛けてくる。


 カラルが振り返ると、男性は悲痛な表情を浮かべて言った。


「ウィル坊だけでも助けてやってくれ」


 カラルは無言で頷くと、男性から教えてもらったハービンズという酒場に向かって歩き出した。



-----



「この辺りかな?」


 ハービンズの酒場はそう遠くなかった。ただ、雑多な貧民街は迷いやすい。道を聞く度に銀貨を要求されるのは参ってしまったが、これも国の仕事なのだから仕方がないと割り切ったようだ。


 酒場の中に入ると、中には粗暴そうで汚れた厳つい男達のたまり場となっていた。しかも、酒の匂いと濃くて臭い体臭で充満している。


 王国生まれ王国育ちのカラルはすぐにでも鼻を摘まみたくなるが、その気持ちをグッと抑えた。


「さて……」


 カラルはこれまた厳つい顔をしたバーテンダーにウィルがどこにいるかを問う。もちろん、銀貨も忘れない。


 すると、バーテンダーは奥の席を指差した。彼が示す場所にはテーブルで一人突っ伏している男がいて、彼が「ウィル」だという。


 カラルは礼を告げてテーブルに近付いて行き、突っ伏している男の肩を叩いた。


「すいません、貴方はウィルさんですか?」


「…………」


 肩を叩いて名を呼んでも男は答えない。近くにいた男が「そいつは数日動かないから死んでいる」などと言って笑うが、ウィルと思われる男性は呼吸と共に肩が動いているから生きているのは確実だ。


「貴方は元帝国騎士団十三隊に所属していたウィルさんですか? 私は貴方の元上司であるアッシュさんの知り合いです」


 そう告げると、男の肩がピクリと跳ねた。ゆっくりと顔上げて、髭モジャになった顔をカラルに晒す。


 髭が伸びすぎてモジャモジャになった顔についている目は赤く充血していた。


 彼はもしかして、泣いていたのだろうか。


「……本当にアッシュ隊長の知り合いか?」


「はい、そうです。私はローズベル王国から来ました。いくつか確認したいのですが、隊のお仲間は他に誰がいましたか?」


 カラルは本人確認として、隊に所属していた人物の名を教えて欲しいと言う。帝国人による詐欺を警戒しての問いだった。


「……ミレイとウルカ」


 詐欺対策だと知っているのか、ウィルもまた素直に答えた。


「ミレイさんとウルーリカさんですね」


 同時にカラルもウルカの本名を口にする。ウィルが敢えて「ウルカ」と言ったのもカラルを警戒しての事だったのだろう。


 この人物がウィルである事は間違いなさそうだ。加えて、ウィルもカラルをアッシュの知り合いと認識したようで。


 互いに確認し合うと、カラルはウィルの対面に腰を下ろした。


「アッシュさんがローズベル王国へ渡ったのはご存知ですよね?」


「ええ。隊長はどうしていますか?」


 ウィルは赤くなった目を擦りながら問う。


「アッシュさんはローズベル王国で活躍していますよ。王国騎士やハンターにとっては最高の名誉となる、王国十剣の称号を女王陛下より授与されました」


「そう、かぁ……。隊長、凄い人だったもんな……」


 カラルの言葉を聞き、ウィルは昔を懐かしむように呟く。同時に今の自分とは大違いだと自虐するように。


「ウィルさんの現状はここに来る間に聞きましたよ。大変でしたね」


「……ええ」


 悔しさを堪えているのか、ウィルは体を強張らせて奥歯を噛み締める。膝の上にあった手は両腕が震えるほど強く握られているようだ。 

 

「私は貴方をスカウトしに来ました」


「スカウト、ですか?」


「ええ。アッシュさんは王国十剣の称号を得るほど強い人だ。彼の部下であったミレイさんとウルカさんも同じパーティーメンバーとして活躍しています。彼の部下は非常に優秀である、というが王国上層部の認識です」


 ということは、最後の一人であるウィルも優秀な人材なのではないか。オラーノ侯爵を筆頭とした王国上層部がそう目論んだのは事実である。


 ウィルの現状が想像以上に悲惨であったのは予想もしなかったが、王国側としてはスカウトしやすい状況であると言えるだろう。カラルも「このまま押すべきだ」と思っているに違いない。


「アッシュさんは王国上層部の人間にウィルさんは優秀な男だと話していたんですよ。ですので、是非とも我が国に来てほしいと考えています」


「自分が王国に行ってどうするんです?」


 ウィルにそう問われ、カラルはローズベル王国の現状を説明した。


 ダンジョンに潜るハンターや騎士といった人材が慢性的に不足していることを特に強調して、活躍の場はいくらでもあると告げる。


「先ほど申し上げた通り、アッシュさんと共にハンターとして活動しても良いと思います。もう一度騎士になりたければ、騎士団の入団テストを受けてもらいますが、ウィルさんならば問題無いでしょう」


 アッシュと違って、ウィルは「戦力」としてのスカウトだ。あくまでも魔物との戦闘は避けられない。だが、オファーを受けてくれるならばいくらでも力になるとカラルは力説する。


「どうですか?」


「……自分は、この国を出たい」


 そう言ったウィルの表情は悲しみに満ち溢れていた。


 既に父と兄は死亡しており、母と妹も娼館で死亡してしまった。家族の死について陰謀めいた噂もあるが、もうこの世にいない事は確かだ。


 家族が死んでしまった今、思い出の残る国にいることが逆に苦痛だと感じているのだろう。嫌でも思い出す悲劇、それから逃れたいと考えての言葉だったのかもしれない。


「……つまらない言葉でしか表現できませんが、貴方はここで腐るべきじゃない。一歩踏み出して自分の道を生きるべきだ」


 カラルは「我が国でやり直して欲しい」とハッキリ言った。ウィルにはその資格と力があるのだ、とも。


 カラルは粘り強く説得を続けて――


「……行きます。王国に行って、やり直したい」 


 遂にウィルは決断した。


 アッシュ達と同じように王国の一員になることを決めたのだ。


「分かりました。すぐに行けますか? ご家族のお墓に別れの挨拶は?」


「いえ、必要ありません。家族の遺体は既に処分されてしまいましたから。墓なんてあるわけない」


 処分されてしまった。墓なんてない。その言葉に帝国の無慈悲さが詰まっている。


 カラルは憤りで表情が崩れそうになるのを耐えに耐え、深く深呼吸してから告げる。


「では、すぐにこの国を出ましょう」


「しかし、出国費用がありません。騎士団時代に稼いだ金は既に……」


 貴族から強制された寄付とやらで使ってしまったのだろう。母と妹を取り戻す為に傭兵で稼いだ金が少しはあるようだが、出国時に求められる金額には到底足りないと言う。


「ご心配なく。出国の支援は私が手配します。貴方は王国でやり直す事だけを考えて下さい」


「ありがとう、ござます……!」


 こうして、カラルはウィルを連れて帝国帝都から出発した。


 多額の出国費用を肩代わりした件は、本来国がウィルに「貸し」となるはずだった。所謂、出世払いというヤツだ。


 しかし、この貸しはカラルの個人資産から出すことになって「貸し」は帳消しとなった。ウィルはまっさらな状態で王国入りしたのだ。


 外交官であるカラルがここまでしたのは――きっと、ウィルの現状に同情したからだろう。


 その証拠に帝国から帰還したカラルは外務省本部で「対帝国戦略は徹底的にやるべきだ」と鬼の表情で上司に進言。


 彼の進言が決め手になったかどうかは定かではないが、以降行われる「対帝国戦略」は苛烈になって速度を上げていった。


 一方で進行スピードが上がった事に感涙する大使館がいたとかいなかったとか。

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