第215話 西側地下九階 最悪の魔物 2


 身体能力を向上させつつ、灰燼剣を起動させた俺はウッドキメラへと一直線に走る。


 俺の進行方向には種から生まれたプラントキメラが二体いたが、どちらも複数の矢と雷によって倒された。


 ウルカとレンの支援のおかげもあって、俺は最速最短距離でウッドキメラに到達。本体を斬りつけてやろうと灰燼剣を振り上げる。


 相手は毒々しい花の頭部を俺に向けて、複数の蔓を絡ませた盾を作った。


「無駄だッ!」


 蔓で出来た盾を斬りつけようとした瞬間、盾の表面を紫色の膜が覆った。俺はそれを目視したものの、剣を振り下ろす手は止まらない。


 当然だ。灰燼剣は全てを灰に変える魔法剣である。いくらキメラだろうと剣の一撃を防ぐ事はできない――はずだった。


 灰燼剣が蔓の盾を覆う膜に接触すると、ギャンとけたたましい音を立てて止まったのだ。


「なッ!?」


 信じられない出来事が起きた。灰燼剣の刃は紫色の膜に受け止められてしまったのだ。


 内心で「そんな馬鹿な事が」と思った。事実を認められず、そのまま力任せに押し込もうとしても反発力が高くて押し返されてしまう。


 灰燼剣の刃が蔓に接触しなければ魔法効果は発揮しない。いくら最強の力を持つ魔法剣であろうと、斬れなければ意味がないのだ。


「クソッ!」


 一度剣を引いて、再び剣を振るう。今度は腕を強化して全力全開で斬りつけた。


 しかし、二度目も紫色の膜によって受け止められてしまう。


 俺の頭の中には「どうして」という疑問と「早く倒さないと」という焦りが入り混じる。


 一方でウッドキメラは花の頭部をゆらゆらと揺らしているだけ。俺が困惑する様子を見て、笑っているように思えた。それが余計に俺を焦らせる。


「だったら……!」


 剣の刃を防御しているのは紫色の膜だ。だったら、この膜が無い場所を攻撃すれば良い。


 足を強化した後、超スピードでウッドキメラの背後へと回り込む。


 ガラ空きの背中を一撃斬りつけてやれば終わる! そう意気込んで剣を振り下ろすも――


「クソッ!」


 後ろに目でもついているのか、そう思えるような反応速度で背中を守る盾を作り出した。もちろん、この盾も紫色の膜を纏っている。


 諦めきれず、俺は側面に回り込んだ。回り込んだ後、剣を振り上げてから一拍置いて再び足を強化。そのまま逆側へと回り込んで斬りつけるというフェイント攻撃をしてみるが、やはり三度目の攻撃も盾で防がれてしまった。


「ダメか」


 三度目の攻撃を終えたあと、ようやく俺は熱くなりすぎている事を自覚した。一旦、攻撃を止めて距離を取りつつも深呼吸を繰り返す。


 ……向こうは無限に力を発揮できるかもしれないが、こっちは有限だ。身体能力向上と灰燼剣の同時使用ではかなり時間が短くなる。


 慎重に。かつ的確に剣を振るわなければ。


 そう自分に言い聞かせながら、ウッドキメラの全体を観察していく。


 まず、考えねばならないのは「どうして灰燼剣が受け止められてしまうのか」だ。原因はあの紫色の膜である事は明確な事実であるが、あれをどうにか突破しなければ倒せない。


 じゃあ、どうやったら突破できるのか。


 何か突破口、もしくは弱点となる部分は無いのかと観察を続けていると、後方より俺を呼ぶ声が聞こえた。


「アッシュさん! そっちはどうだ!?」


 声の主はロッソさんだ。俺は振り向かずに「灰燼剣が防がれてしまう」と現状を伝える。


「こっちはもうすぐ片付く! そうしたら援護するから持ちこたえてくれ!」


 どうやらプラントキメラは順調に討伐できているようだ。


 俺一人の攻撃は防がれてしまうが、仲間達の同時攻撃もあれば隙が出来るか……? それも一つの選択肢に入れつつ、ウッドキメラの観察を続けていると――


『…………』


 ウッドキメラは俺の目の前で蔓を天井に伸ばし始めた。ウッドキメラは天井に蔓を這わせながら騎士達のいる方向へと蔓を伸ばして行く。


 伸ばされた蔓には大量の種が生まれて、種は成長しながら天井からボトボトと地面に落ちていった。


 騎士と戦闘していたプラントキメラが討伐されてしまったので、その補充をする気か。いや、これは圧倒的な物量で俺達を殺しにかかっているのか。


 どちらにせよ、厄介な兵隊が増えた事には変わりないし、こちらの思惑を潰そうとしているのも確かだ。


 丁度最後の一体を倒し終えたところだったロッソさんとターニャから「またか!」と声が上がり、再び騎士隊はプラントキメラとの戦闘が始まってしまう。


 これでは先ほど言っていた援護も期待できなさそうだ。


 しかし、ここで俺はふと考えた。


 プラントキメラは親であるウッドキメラから生まれている。つまり、生み出しているという事はそれなりのエネルギーを使うんじゃないだろうか?


 俺達が魔法を使ったり、灰燼剣を使ったりする際に魔力を消費するのと同じ仕組みなのではないだろうか?


 そう仮定した場合、ウッドキメラだって無尽蔵にプラントキメラを生み出し続ける事は不可能なんじゃないだろうか。いつかエネルギーが尽きて、盾を覆う膜も消えるのではないか?


 あの膜を突破する手段が見つからなければ持久戦になるかもしれない。そんな考えが頭を過る。


 いや、だめだ。そうなれば俺の方が先に魔力が尽きる。どうにか強引にでも突破できないものか。


 頭の中で一人問答していると、俺の視界の端に何かが動くのが見えた。プラントキメラかとも一瞬思ったが、動いたのはウッドキメラのだ。


 地中から突き刺してくる予兆かと身構えたが、根はウゾウゾと土の中を這って室内庭園の左手側に向かっていく。


 その方向をよく見れば、紫色の水晶が乗った台座に向かっているようだ。


 それを見て、俺はハッとした。


 もしかして、コイツは紫色の水晶からエネルギーを取り込んでいるか?


 試してみる価値はある。


「フッ!」


 俺は短く息を吐いて、足に力を込めながら水晶の乗る台座へと駆ける。種から生まれたプラントキメラ達の間をすり抜けて、下段に下げていた灰燼剣で台座ごと水晶を斬り裂いた。  


 斬った台座と水晶は灰に変わっていき、完全に灰へ変わると生温い風に乗ってサラサラと消えていった。


「キィィ!!」


「はは、正解か!」


 ウッドキメラが俺に向かって鳴き声を上げた。その鳴き声は水晶を破壊された事に怒り狂っているかのように聞こえる。


 カラクリと解かれて悔しかったか? これでもう種を生むのも紫色の膜を作る事も出来なくなっただろう、と内心ほくそ笑む。


「さぁ、次こそは灰に変えてやるッ!」


 俺はウッドキメラに向かって走り出し、灰燼剣を振るった。振った剣は盾で防がれるが、剣を引いてもう一度振るう。二度目も防がれるが、押し込む事はせずに何度も剣を振り続けた。


 すると、次第に刃を押し返す反発力が低下していくのが感じられた。


「はっ、はっ……。よしッ!」


 灰燼剣を維持し続ける事で、俺の魔力も残り三割程度。強烈な飢餓感に襲われるが、ぐっと耐えながら剣を振り続ける。


 反発力の低下に加えて、剣が当たった時の音が次第に弱くなっていくのが分かった。


 あと少し。

 

 あと二、三回攻撃すれば突破できる。俺の心には確信が生まれた。


「はぁ、はぁ、はぁ……!」


 限界が近い。飢餓感と焦燥感が俺の頭を侵食していく。


 目がチカチカしてきた。喉が渇いた。早く、早く終わってくれ。


 下唇を思いっきり噛んで我慢しながら、渾身の一撃を見舞う。剣が盾に触れた瞬間、ガラスを突き破るような感触が手に伝わった。


 そして、遂に灰燼剣の刃は蔓の盾に到達したのだ。


「キィィィッ!!」


 刃が触れた瞬間、蔓が絡み合った盾は灰に変わりながら斬り裂かれていく。先ほどまで斬れなかったのが嘘と思えるくらい、簡単に両断できてしまった。


 ウッドキメラは悲鳴を上げて、もがき苦しむようなリアクションを取る。このまま全身が灰に変わると思いきや、ウッドキメラも馬鹿じゃなかったようだ。


 別の蔓で灰に変わりゆく蔓を別の蔓で締め上げると、そのまま自身の蔓をねじ切った。死の始点となる蔓をねじ切った事により全身が灰に変わるのを防ぐという知恵を見せたのだ。


「はぁ、はぁ、はぁ……!」


 だが、もう膜は張れないんだ。小賢しい知恵を見せようとも、何度も斬ってやれば良いだけだ。俺は荒く息を吐き出しながら剣を構える。


 あと一撃。あと一撃。


 汗ばむ手で剣を握り直し、今まさに斬りかかろうとした瞬間――


「キィィッ!!」


 怒り狂うウッドキメラが鳴き声を上げて、大量に生えていた蔓が一斉に動き始めた。破れかぶれの総攻撃かと思いきや、蔓は天井や地面を這って俺の後方へと向かっていく。


 蔓の行先は……プラントキメラ? 


 何をする気だ、阻止しなければ、と考える一方で――限界が近いせいか思うように体が動かない。


 視界が霞むせいで上手く状況を把握できなかったのもあるが、どうにも伸ばされた蔓はプラントキメラを捕獲しているようだ。


「な、なんだァ!?」


 後方からロッソさんの焦るような声が聞こえる。何度も瞬きを繰り返して、必死に状況を把握しようとしていると、ウッドキメラは蔓を自身の元へと引き戻し始めた。


 引き戻した蔓にはプラントキメラが拘束されており、ウッドキメラの頭部である花の中心から細長い管のようなモノが大量に生え始める。

 

「キィィィッ!」


「ァ、ァァ……」


 ウッドキメラの頭部から伸びた管はプラントキメラの体に突き刺さり、ドクドクと養分を吸い取り始めたのだ。養分を吸い取られたプラントキメラはカラカラに干からびてしまい、ポイと地面に捨てられる。


「か、回復してるのか?」


 まさかの回復行動なのだろうか。だとしたら非常にマズイ。


 こっちは限界が近いってのに、向こうは再び紫色の膜を張って防御しようっていうのか。


 プラントキメラから養分を吸い取ったウッドキメラはウネウネと蔓を動かし、頭部である花を閉じて蕾状態に戻した。


 一体、何をするんだ?


 何かする前に斬ってしまうべきだ。そう決めて、俺は剣を握り直す。


 だが、次の瞬間。蕾状態になったウッドキメラの頭部が紫色に発光し始めた。淡い光から始まって、次第に光の色が濃くなっていく。


 この光景はどこかで見たことがある。そう思いながらも頭に浮かんだのは、西側地下四階にあった紫色の蕾だ。


 コイツ、花粉を振り撒く気か!?


「レンッ! 逃げろッ!」


 考えが過った瞬間、俺は後方にいるであろうレンに叫んだ。


 俺の叫び声を聞いていち早く反応したのはミレイだった。彼女は自分の口と鼻を覆っていたマスクを外し、それをレンの口元に当てる。彼自身の手でマスクを固定させると、そのまま腕を引いて入り口方向へと走り始めた。


「先輩ッ!」


「アッシュさんッ!」


 ミレイが走り出したのを目視したのと同時に、ウルカとロッソさんの悲痛な呼び声が聞こえた。 


 顔を前に戻すと、紫色に光輝いていたのは頭部だけじゃなかった。胴から生える蔓には大量の蕾がいつの間かついていた。


 マズイ、逃げなければ。そう思った時にはもう遅かった。紫色に光ったウッドキメラの頭部――蕾がガパッと開く。同時に大量についていた蕾も開かれた。


 蕾が開いた瞬間、超大量の花粉が放たれる。


 ブワッと勢いよく舞った花粉は地下四階で浴びた大量の花粉よりも濃度が高いように思えた。


 戦闘の場であった室内庭園は高濃度の花粉で覆われてしまい、濃霧どころの状況じゃない。視界は紫色の煙一色に染まって、間近にいるウッドキメラの姿さえ見えなくなった。


 俺は慌てて口と鼻を覆うマスクを手で抑えるが……。


「う、ごほっ、ごほっ」


 マスクを装着しているおかげで防げてはいるが、完全には防げない。マスクをしていても花粉を吸い込んでしまい、喉に何か細かなモノが当たる感触が走った。不意に感じた喉の異変に思わず咳込んでしまう。


 俺は慌てて花粉を吸い込まないよう息を止めるが――ここでふと考えが浮かんでしまった。


 これは少量の花粉を吸い込んだせいで魔力が戻り、同時に思考がクリアになったせいかもしれない。


 俺は「魔力が切れそうなら、逆に吸い込んでしまえば良いではないか」と考えが浮かんだのだ。


 花粉を吸えば魔力は回復する。


 ウッドキメラは俺を「魔法使い」と断定して、俺を殺す為に花粉を撒いたのかもしれないが、今の俺は体内魔力がかなり低下した状態だ。


 花粉を思いっきり吸い込めば……。俺の魔力は元通りに回復するんじゃないか?


 ウルカやオラーノ侯爵に言えば「なんて馬鹿な事を」と言われるかもしれない。だが、現状を打破するにはこれしかないと思った。


 俺はマスクを押さえていた手を外し、装着していたマスクさえも取り払う。


「ふぅ!」


 そのまま勢いよく息を吸って、思いっきり花粉を体内に取り込んだ。


 取り込んだ瞬間、俺の心臓がドクンと跳ねる。同時に体の芯が熱くなり、頭の奥はキーンと冷たくなった。


 だが、俺に襲い掛かっていた飢餓感は失せていく。心臓の鼓動はいつも以上に高鳴っているが、魔力を回復させるという行為自体は成功したように思えた。


 あとは発散するだけ。灰燼剣を起動し続けて、ウッドキメラを斬り裂けば良い。


 そう思ったのだが……。


「あ、ぐッ!?」


 魔力を発散するよりも蓄積する速度の方が早かったのか、俺の右腕は異常を起こした。右腕から生えた魔石が強く発光し始めて、同時に腕が勝手に動き出す。


 右腕は灰燼剣を握ったままビキビキと痙攣に似た動きをし始めて、指先すらも動かせなくなってきた。


「ぐ、ぐううううッ!!」


 終いには立っている事も出来なくなって、俺は片膝をついて動けなくなってしまった。


 マズイ。やっぱり無茶な考えだったか?


 だが、もう引き返せないのだ。俺は奥歯を噛み締めながら必死に右腕を動かし、どうにか制御下に置こうと抵抗する。


 次第に花粉の煙幕は晴れていき、ウッドキメラのシルエットが見えた。ウッドキメラは蔓をウネウネと動かして攻撃の準備段階へと入っているように見える。


 早く、早く!


「この、く、おおおおッ!!」


 体内の魔力が溢れすぎて体に異常が起こっているなら、灰燼剣に魔力を流し込んでやれば良い。以前、魔力過多症に陥った時と同じように剣へと魔力を注ぐが、それよりも体内魔力が回復していく感覚が強いのが分かる。


 剣に流し込むだけでは間に合わない。流し込みつつ、発散するしかない。


 魔力を剣に流し込みつつ、俺は全身を強化し始めた。だが、これでも足りない。


 レンのように魔法を撃てれば良いかもしれないが、生憎と俺にはそれが不可能だ。マズイな。やってしまったか。なんて愚かな男なんだ、と己の行動に後悔し始める。


 しかし、同時に心の奥底で「本当にそうか?」と問いが生まれた。


 本当に俺は魔法が撃てないのか?


 魔法はイメージ。イメージを具現化する神秘の術である。そうレンとベイルーナ卿から学んだではないか。


 四元素魔法は使えなかった。だが、魔法剣は起動できる。だったら、魔法剣を介した魔法なら使えるのではないか。


 咄嗟に浮かんだイメージは、剣を介して灰の風を生み出すもの。


 強烈で、地面さえも切り裂く灰の魔法だ。


 ――もう迷っている暇はない。

  

「おおおおおッ!」


 全身強化した状態で、俺は剣を地面に突き刺した。そのまま剣に大量の魔力を送り込む。


 剣の中心にあった小さな火が徐々に大きくなっていく。灰の刀身からはチリチリと音が鳴り、細かい灰が剣の周囲に舞い始めた。


 俺は放ちたい魔法のイメージを思い浮べ、それを剣へと伝えて、応えてくれるように叫ぶ。


「灰燼剣ッ!!」


 俺が剣の銘を叫ぶと、剣は俺のイメージを具現化させた。


 剣が突き刺さった箇所から灰の風が生まれ、灰色の強風は地面を切り裂きながら扇状に広がっていく。前方に広がった灰の風は全てを飲み込み、全てを灰に変えていくのだ。


 天井を這っていた蔓も、壁に張り付いていた蔓も、庭園内に咲いていた花も、農具を収納しておくテントも。


 目の前でウネウネと動いていたウッドキメラでさえ、風を浴びた瞬間に動きが止まった。


 同時に灰の風は花粉の濃霧を吹き飛ばし、魔法を行使した後の結果を教えてくれる。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 目の前に広がっていたのは、灰の世界だ。


 扇状になって吹いた灰の風は全て等しく灰に変えた。


 俺の目の前にいたウッドキメラは全身が灰に変わって灰の石像に変わっており、土が敷かれていた地面も灰色に変わっている。


 天井と壁、それらに張っていた蔓も灰に変わってパラパラと破片が落下していた。


 どうやら、やれたらしい。


「な、お、おい……」


「せん、ぱい……?」


 後ろから声が聞こえて、振り返れば広がる景色に驚愕するウルカとロッソさんが立っていた。


 だが、俺は急激な眩暈に襲われてしまい、言葉を返せなかった。

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