第212話 西側地下五階
西側地下五階に降りる直前、俺達は口と鼻を新しいマスクで覆う。特に俺とレンはしっかりと確認し合ってから足を動かし始めた。
五階に降りて行くと、最初は短い通路から始まった。通路の先にある両開きの扉が開けっ放しになっていて、扉の先も通路があるようだ。
そして、しっかりと壁や天井にはトゲ付きの蔓が這っていた。
加えて、五階は上層階と比べて室温が高い。肌に当たる風はムワッと生暖かい。この風は奥から流れて来ているようだが。
全員がマスクを装着した状態で通路を進んで行くと、途中で例の蕾が一つだけ蔓についていた。先頭にいた騎士達が近寄ると勝手に開花して、キラキラと光る花粉を撒き散らす。
「…………」
「…………」
先頭にいた二人の騎士は花粉を浴びながらその場で待機。まずはマスクの性能を確かめよう、という事のようだ。
魔力を持っていない人間が花粉を浴びると猛烈に鼻がムズムズするらしい。たったそれだけの症状であるが、何度もくしゃみをするのもまた苦痛と言えば苦痛である。
しかしながら、マスクを装着した騎士達は顔にブワッと花粉を浴びたものの、くしゃみが始まる気配はない。
「どうだ?」
「鼻はムズムズしませんね」
ロッソさんの問いに対し、騎士達は「問題無い」と頷く。
「アッシュさん達はどうだ? その位置なら感じないか?」
最後尾にいた俺達に大きな声で問うロッソさん。
「何か感じるか? 俺は特に感じなかった」
「僕も感じません。距離があれば平気そうですね」
俺もレンも体内魔力が刺激される感覚は感じない。俺はロッソさんに「問題なし!」と大声で叫んだ。
「よし! 花を切り取れ!」
俺達の位置、そしてマスクの性能については問題なしだろう。騎士に花を切り取らせて回収した後、地下五階の奥を目指して前進を始めた。
通路を進んで行くと、地下五階の構造は「庭園」か「植物園」といったところだろうか。
階層全体に蔓が這っていて、蕾が見られるのは変わらないのだが、他にも謎の植物が多く見られる。それらは階層内に作られた小さな花壇や畑みたいな場所に咲いていて、綺麗な花から雑草のようなものまで様々だ。
「赤と緑の縞々模様……」
「なんちゅう色だ」
小さな花壇に咲いていた花の色は赤と緑の縞々模様。その隣には薔薇のような花が咲いているのだが、色は墨をぶっかけたかの如く真っ黒だった。
「こっちはヒマワリでしょうか?」
「いや、ヒマワリに
反対側の畑には邪悪な悪魔のような口を持つヒマワリに似た花が咲いている。しかも、俺達の声に反応しているのか全体がゆらゆらと揺れていた。
全体的に見て良い意味でも悪い意味でも「なんだこりゃ」と言わんばかりの花ばかりだ。
「この暑さといい、温室みたいだな」
ロッソさんの感想は尤もだろう。この室内庭園に似た場所に辿り着いてからムワッとした室温は更に上昇したように思える。
マスクをしているせいもあるが、どうにも息苦しい。
「ほんと、暑いですね」
「ああ……」
ウルカが服の首元をパタパタと扇ぐが、今すぐやめなさいと言いたい。下着が見えそうだ。
「あの穴から温風が出ているみたいですね」
この生温い風の原因に気付いた騎士が天井付近にある穴を指差した。
どうやらあの穴は通気口になっているようだ。その証拠に騎士の一人が薄い紙を一枚取り出して穴に近付けると紙がパタパタと揺れる。
「つまり、これらの植物は育てられているってわけですね」
どう見てもそうとしか思えないが、ダンジョン内で自然発生した植物というわけではないのは確かだろう。
「だけど、この室温だけで植物が維持されているのもおかしくないか?」
この室内庭園を造ったのが古代人だったとして、長年放置されていたはずなのに植物が「生きている」のもおかしな話だ。
いや、これら植物全てが魔物であれば不思議じゃないのだが、襲って来る様子もないし魔物らしさも感じられない。
植物を育てる、もしくは維持していくとなると……。
一番肝心な要素は「水」じゃないだろうか? 室温は昔から維持されていたとしても、花達に使う水場は全く見つからない。
一体どうやって維持されているのか。そう思ってた矢先の出来事である。
「ん?」
ポタ、と水滴が俺の頭に落ちたような気がした。手で頭頂部を触ると、僅かに指先が湿っている。それを確認した瞬間、天井からは雨のように水が降り始めたのだ。
「おおい!?」
不意な「室内雨」に全員が驚き、その場で思わず足踏み状態。
「あの先! 扉の先は雨が降ってない!」
このまま濡れ続けるのも御免だ、と庭園の出口らしき場所に駆け込んだ。
先にある開けっ放しになっていた扉は庭園の出口で正解だったようだ。加えて、庭園から出ると雨は降っていなかった。
「なるほどね。こうやって水をあげているわけか……」
そりゃ花達もすくすく育つわけだ、と納得の表情を浮かべるロッソさん。彼の感想には全く以て同意したい。
「隊長」
ただ、関心してばかりもいられない。先を警戒していた騎士がロッソさんを呼ぶ。
彼を呼んだ騎士の顔は真っ直ぐ通路の先に向けられていて、手は腰の剣に伸びていた。
既に騎士の一人が通路の先へランプをスライドさせていたようだ。俺達が通路の先を注視すると同時に、ランプの光の範囲内に入り込んで来たのは植物型らしき魔物だった。
「四階にいた蔓の魔物じゃねえな」
現れたのは「植物人間」といった姿の魔物である。
全体のフォルムは二本足と二本の腕を持つ人型なのだが、体は蔓や蔦が絡まった緑色。太い蔓のような両足の先からは複数の根っこが生えていて、手首の先は太くて長いムチのような形状になっていた。
そして、肝心の頭部は……。
「ありゃあ、魔石か?」
蔓と蔦が絡まり合い、楕円形となった頭部の中心にはぽっかりと黒い穴が開いている。
見つめていると飲み込まれてしまいそうなくらい真っ暗な穴であるが、その中心にはキラリと輝く小さな光があった。
よく見ると、暗い穴の中に魔石が浮かんでいる――いや、はめこまれているのか? 魔石の大きさはキノコ型と同じように見えるな。
『ヴ、ヴゥゥ……」
植物人間は体をガクガクと揺らしながらぎこちなく歩いている。歩く際、足にある複数の根っこや体中にある蔦の先端がウネウネと蠢くのが気色悪い。
「倒しちまおう」
さっさと倒してしまおう。そのつもりで呟かれたであろうロッソさんの言葉に「いや」と発したのは、通路の先を睨みつける騎士だった。
「まだ奥にいる!」
騎士は慌てるように言って、隣にいた仲間の手からランプを奪い取った。そのランプを通路にスライドさせると――距離はあるが、通路の奥には十体以上もの植物人間がいるではないか。
今目の前にいる植物人間以外は動いていない。通路の端っこにじっと立っているような状態だが、敵がたむろしている状態には変わりないだろう。
ただ、それでも手前から殺害するのは変わらない。槍を持った騎士が前に出て、植物人間の体に突きを見舞う。
ズブッと槍の先端が体に突きこまれた。が、植物人間は鳴き声も上げずに穴の開いた顔をジッと騎士に向ける。
「――ッ!?」
その不気味さを感じてか、槍を突き刺した騎士の肩がびくりと跳ねる。
「槍を手放して下がれ!」
直後、ロッソさんが大声で指示を出した。指示を受けた騎士は我に返ったのか、慌てて武器を手放してバックステップ。
「おい、危なかったぞ!?」
魔物の顔を見つめる騎士に対し、植物人間は左右の腕で彼を拘束しようとしていたのだ。ロッソさんに叱られる騎士はその事に気付いていなかった様子。
ただ、無事に戻って来た騎士も様子がおかしい。顔には怯えに満ちた表情と大量の汗があった。
「どうした?」
不審に思ったロッソさんが問うと、騎士は平静を保つかのように何度か瞬きを繰り返す。
「あ、あの顔……。顔の穴を見たら怖気が……」
間近で魔物の顔を見た騎士は、正体不明の恐怖に襲われたようだ。怖いという感情は感じられたようだが、どうして怖いのかまでは本人も理解できていない様子。
まぁ、あのフォルムは人の恐怖を煽るには十分すぎると言えるが……。
「隊長、突きは効かないようだ」
しかし、ゆっくりと話し合っている場合でもない。
目の前にいる植物人間は腹に槍が突き刺さったままの状態でこちらにやって来る。
まるで痛みを感じていない……いや、魔物に痛覚があるのかは不明であるが。どうにも人型だから人間基準で考えてしまうな。
「チッ。ぶった斬ってみるか!」
次はロッソさんが自ら前に飛び出した。
ダンジョンにおける意味不明、正体不明、理解不能な現象の数々に対して積もり積もった鬱憤を晴らすかの如く。見るからに鋭く力強い一撃で剣を横に振る。
その見事な一撃は植物人間の胴を真っ二つに斬り裂いた。胴の半ばから切断された植物人間は下半身を残したまま、上半身だけが床に落ちる。
瞬間、誰もが「倒した」と思ったろう。しかし、植物人間の秘密はこの後に隠されていた。
なんと体が切断された後、下半身が動き出したのだ。下半身にある切断面から蔓が何本も生えだしてウネウネと動き始めた。
更には下半身だけじゃなく、上半身も少し遅れて動き出す。這うように動き出した上半身は、腕の蔓を使ってロッソさんの足首を掴む。
「な、ふざけんな!?」
ロッソさんは急いで腕の蔓を切断。足首から切り離す事で難を逃れたが、二つに分かれた植物人間の体は別物のようにそれぞれ別の動きをし始める。
「ロッソ、下がれッ!」
後方より飛び出したのはロッソさんの同期か。彼は魔導弓を構えると、炎矢を植物人間に浴びせた。
魔法の炎が体に着弾するとゴウゴウと燃えていく。植物人間は鳴き声も上げずに燃えていき、やがては黒く焦げた状態になって沈黙した。
沈黙したあと、黒焦げになった死体からコロリと小さな魔石が転がり落ちる。やはり、キノコの魔物から採取できた魔石と同じ大きさの物だ。
「マジかよ……。こっちは剣が効かないのか?」
恐らく、ロッソさんが飛び出したのは四階にいた『木』の生み出す蔓型の魔物と同じ系統だと思ったのだろう。
あちらは逆に魔導弓が効かなかった。レンの放つ高威力の魔法であれば効果があったが、魔導弓の攻撃は通用しなかったのだ。
それと同じ系統の魔物かと思いきや、今度は物理攻撃の方が効かないらしい。
これがダンジョンの憎らしいところだ。
しかしながら、倒す手段は見つかった。それについては喜ぶべきだろう。
「なんか……」
ただ、横にいたレンは別の事を感じ取ったらしい。
彼の漏らした言葉に顔を向けると、彼は黒焦げになった植物人間を見つめながら言った。
「なんか、キメラみたいじゃないですか?」
彼の言葉を聞いて、俺は先ほどの光景を思い出す。
二つに分かれた体がそれぞれ動き出す姿は、第二ダンジョンにいたキメラのしぶとさと重なる部分もあった。キメラはしぶとく生き残り、すぐに体を再生させる。凶悪な再生能力を武器に持つ魔物だ。
今倒した植物人間に関して言えば、厳密に言うと「再生能力」じゃないのだろう。第二ダンジョンで見たキメラよりも凶悪ではないし、同等の力を持っているとは思えない。
ただ、何だろうな……。
あの凶悪な能力の劣化版。完全再生はしないものの、生命力や生存能力といった方向性をより強化したような……。
何とも言えないが、共通点が多いとも思えてしまうのは確かだった。
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