第208話 東側地下十階 1


 地下十階に降りると、まずは何もないエントランスがあった。


 構造としては病院の受付や待合室に似ているが、奥に重厚な扉がある以外は何もない。


 重い扉を開けると中は真っ暗だったのだが、扉を開けた騎士が一歩中に足を踏み出すと――勝手に天井の照明がいくつか点灯し始めた。


 ただ、中が広すぎるせいかまだ周囲は薄暗い。しかし、それでも近くを把握するには十分な明るさだ。手持ちのランプも加えれば完璧であるが……。


「嘘だろ……」


 十分な明るさがあったからこそ、余計に衝撃的だったのかもしれない。


 階層の構造としては、昇降機で降りた先にある階層と似ていた。


 真ん中には通路があって、通路の左右には重厚そうな壁と台座の上に設置された大きなガラス管。ガラス管が設置された台座からは大量の太いケーブルが壁に向かって伸びている。


 ここまでは良い。


 だが、ずっと奥まで並べられたガラス管の中にモノが問題だ。


「こ、これ……。上で倒したキノコの魔物だよな?」


 謎の液体で満ちたガラス管の中に浮かんでいたのは、上層階で戦ったキノコの魔物達だ。


 ガラス管の下方からブクブクと泡が昇る中、キノコ型の魔物は目を閉じた状態で液体の中に浮かんでいたのだ。


 俺達が近くでガラス管を見上げていても魔物はぴくりとも動かない。


 眠っているのか、死んでいるのか。まるで瓶の中に保管された標本のようだ。


「これは地下四階のキノコか?」


 ガラス管の中に浮かぶキノコは傘が赤かった。形からしても地下四階に出現したキノコで間違いない。


 並べられている左右のガラス管を観察しながら少し進むと、今度は地下五階に出現した青い傘を持つキノコ戦士がガラス管の中で浮かんでいた。


 またしばらく歩くと、今度は黄色い傘を持ったキノコ。これは地下七階に出現した重装キノコだろうか。


 ただ、キノコ戦士も重装キノコも装備品は取り付けられていない。裸……と呼んで良いのかは分からないが、厄介な武器や防具を装備していない状態で液体の中に浮かんでいる。


「どう考えても、これは魔物を保存しているように思えるよな? それか標本だよな?」


 ロッソさんが目頭を指で揉み解しながら言った。心底目の前にある光景が信じられないといった心境なのだろうか。


「……そうとしか考えられませんね」


 ただ、俺も彼の考えに同意である。これはどう考えても人工的に作られた物だ。魔物が勝手にガラス管の中へ入った、なんて考えられない。


「ってことはだ……。魔物は古代人が作り出したってことか? 少なくとも、このキノコ型の魔物はそうとしか考えられないよな?」


 これはダンジョンにおける根本的な問題だ。 


『どうしてダンジョンには魔物がいるのか?』


 その答えのヒントがここにあるんじゃないだろうか?


 上層階に古代人が作ったと思われる兵器があった。キノコ型の魔物は戦場に似せた階層に出現する。そして、それらは各兵器の試験場として活用されていたのではないだろうか。


 これは、ここまで俺達が見てきた光景への推測だ。極めつけに古代人が標本化したと思われるキノコ型の魔物達。


「魔物は古代人が創造した生き物……?」


「否定はしない。否定はしないけどよ。どうやって? 粘土をこねたら作れるってモンじゃねえだろ!?」


 色々考えすぎて軽く混乱しているのか、ロッソさんはガラス管を指差しながら叫んだ。


 ただ、すぐに我に返って「すまない」と口にする。


「いや、分かりません。推測に過ぎませんよ。ただ、古代人は地下にこんな施設を作ったり、遺物を作り上げるような高度技術を持っているんですよ? 生き物の一つや二つを創造してもおかしくないと思いませんか?」


 これは所詮、素人の考えに過ぎない。専門家であるベイルーナ卿達は別の答えを見つけるかもしれないし、もっと別の「正解」に辿り着くかもしれない。


「……古代人が魔物を創造したのではなく、元からいたとしたら?」


 俺とロッソさんが話し合っていると、隣で別の推測を呟いたのはレンだった。俺とロッソさんが同時に顔を向けると、レンはガラス管を見上げながら言葉を続ける。


「古代人は滅んでしまったと言われていますよね? その滅んでしまったモノの中に魔物もいたとしたらどうでしょう?」


 今、俺達が生きている時代に「動物」と呼ばれる生物がいたように、これら魔物と呼ばれるモノは過去に生きていた「動物」だったのでは?


 古代人が滅んでしまった際、世界に生きていた魔物達も同時に滅んでしまっていたら?


 古代人にとって魔物とは、今を生きる俺達と動物の関係と同じようなものだったとしたら?


「要は僕達が牛や豚を繁殖させるのと同じです。何らかの目的があって、古代人も魔物を繁殖させていた。そう考えると違和感も減りませんか?」


 その目的は不明であるが、俺達が動物を繁殖させるのと同等の行為だったらどうだろうか。


「僕達が目的を知らないから恐ろしく感じるのであって、目的を持って行動していた古代人から常識的な行動だったのかもしれません」


 レンは俺達を見つめながら更に言葉を続ける。


「仮にですよ? 僕達が滅んでしまった後、別の人間が生まれたとしましょう。その時、僕達が生きていた時代の痕跡を見つけるんです。彼等にとっては動物を繁殖させる技術も概念も無かったとしたら、僕達が行う畜産業を知って驚くと思いませんか?」


 もっと身近な例で出すなら他国との食文化だろうか。


 俺の出身国である帝国、今暮らしている王国では魚卵を食べる文化がない。だが、もっと南の海に近い国だと魚卵を食べる文化があるようだ。


 これは食文化の違いであるが、内陸側に住む人間の一部は魚卵を食べることを「あり得ない」と思う人間もいるだろう。


 こういった感覚に近いのではないか、とレンは語る。


「もちろん、これも僕の推測に過ぎません」


 念押しするレンであるが、言いたい事は十分に分かる。確かにと納得もできる。


「過去の文明を紐解き、彼等の目的を知るのも重要ですけど……。所詮は僕等にとっては魔物ですからね。研究して如何に簡単に倒せるかを知る方が先だと思います」


 この階層がどんな目的で作られたのか、古代人にとって魔物とはどういう存在だったのか。それらを知ることも重要であるが、今を生きる俺達にとっては「脅威」でしかないのだ。


 だったら、どう排除するかを探る方が先だと言ってレンは自論を締めた。


「確かにそうだな。はぁ、混乱しすぎか。悪いな」


「いえ、混乱するのも当然でしょう。僕も同じですよ。回りくどく考えて平静を保っているだけです」


 これじゃ指揮官失格か、と言いながら後頭部を掻き毟るロッソさんに対し、レンは苦笑いを浮かべた。


「先に進もう。奥に階段があるかもしれないしな」


 一旦議論を中止して、俺達は再び奥へと歩き出す。


 左右に続くガラス管を観察しながら進んでいると、今度は割れたガラス管がいくつか登場し始める。


 そして、割れたガラス管の近くには無事な物も。割れていないガラス管の中に浮かぶキノコ型魔物は、傘が白と赤のマーブル模様になっていた。


「なぁ、これって……」


「上の階で見ましたね……」


 割れてしまっているガラス管と割れてないガラス管を見比べながら声を漏らす俺とロッソさん。


 どう考えても割れたガラス管の中にはマーブル模様のキノコが入っていたように思える。


「脱出した個体が上に行ったとか?」


「あり得なくはない話です」


 魔物は階層を移動しないというセオリーは、この第四ダンジョンだと通用しない気がする。特に今の状況を見れば猶更その想いは強くなった。


 他のダンジョンはどうなんだ、という考えは置いておくしかないが。


「他にも見たことがない個体がありますね。こっちは傘が波模様?」


「こっちはえらく細いな。顔が三つもありやがる」


 俺が最初に見たのは傘が緑色で波のような模様をした個体。ロッソさんが見ているのは、一つの体に三つの傘(頭)を持つ個体だ。


 どちらも上層階では目撃されていない。だが、それら個体が標本化されている中でいくつか割れているガラス管があった。


 ということは、マーブル模様のキノコ同様に上層階に生息しているのだろうか?


 これらを最後に一旦ガラス管が並んでいる状況が終わった。というのも、最奥だと思っていた壁にぶち当たったからだ。


 しかし、入り口からは確認できていなかっただけで、壁には扉のような物がついていた。どうやら壁と一体化しているようだ。


「これ、どうやって開けるんだ?」


 扉の形に沿って僅かな隙間はあるが開ける為の取っ手がない。しかも扉と思われる物が巨大すぎて人力では開けられそうにない。


 どこかに仕掛けがあるのか。俺達は手分けしながら壁や床を探し始めた。


 しばらく探していると、レンが壁に埋まった箱を見つけた。それは地下二階でベイルーナ卿が見つけたスイッチの箱と同じであり、中には大きなレバーが一つだけ隠されていた。

 

「これか?」


 レバーは上に上がっている。これを下ろせば扉が開くのか?


 ロッソさんと相談した後、レバーを下ろすことにした。


「アッシュさん、念のために構えていてくれ」


「了解」


 俺は仲間や騎士達と共に警戒態勢を取った。


 ロッソさんがレバーを下ろすと、扉がズズズと音を立て始めた。どうやら仕掛けとしては正解だったようだ。


 巨大な扉が開いていき、徐々に向こう側が見え始める。


 扉の先も通路の左右にガラス管が並んでいたが、今度は並び方が少し違った。手前側は等間隔で並んでいたが、こっちは二つのガラス管が隣接して並んでいる。


 他にも違う点は、ガラス管の上部がチューブのような物で接続されている点だろうか。


「こっちは……。狼? レッドウルフか?」


 すぐ近くにあったガラス管の中には第三ダンジョンで遭遇したレッドウルフに似た個体が液体の中に浮かんでいる。隣接したもう片方のガラス管には液体だけが入っていた。


「見てくれ。こっちはブルーエンプじゃないか?」


 隣にいたターニャが指差したのは通路反対側にあるガラス管だ。そちらには青い毛並みを持った猿の魔物が液体の中に浮かんでいた。


「これって、既存のダンジョンにいる魔物の標本でしょうか?」


「いや、向こうのカエルみたいな魔物は見た事が無いぞ?」


 ウルカが疑問を口にするが、ミレイが指差したガラス管には巨大なカエルの魔物が液体の中に浮かんでいる。あんなカエルの魔物は見た事も聞いた事もない。


「ちょ、ちょっと待って下さい! ターニャさん、あれ!」


 焦るような声を上げたのは第二ダンジョン都市騎士団に所属する騎士だった。彼はターニャを呼び、指差したガラス管を見るよう告げる。


「なっ!? ど、どうしてネームドが!?」


 騎士に続き、ガラス管の中に浮かぶ魔物を見たターニャが声を上げた。彼女だけじゃなく、第二都市から来た騎士達のほとんどが同じように驚愕の声を上げたのだ。


「あ、あれは我々がここへ来る前に討伐したネームドだ。虹色の羽が生えているし、間違いない……」


 彼女達が驚いた理由は、ガラス管の中にいた魔物の正体が最近になって第二ダンジョンに出現したネームドだったからだ。


 虹色の羽を持つ巨大鳥だと聞いていたが、まさしく聞いた通りの魔物だった。虹色の羽を持つ巨大鳥が羽を折り畳んだ状態で液体と共に浮かんでいる。


「でも……。これ、上半身だけですね」


 ウルカが指摘した通り、ガラス管の中に浮かぶネームドを観察すると上半身だけだった。胴の半ばから先は無く、頭部と胴の一部、それに両翼があるだけ。


 ネームドではない個体は完全な状態で保管されているのに、どうしてこのネームドは体の一部が欠損しているのだろうか?


 皆でネームドが浮かぶガラス管を見ていると、騎士の一人が何かに気付いたようで声を上げた。


「奥で何か光りました」


 そう言われて、奥を見つめた。すると、奥では緑色の小さな光が点灯しているようだ。


 点灯する光の正体は何なのか。それを確かめるべく先に進む。


 両脇にガラス管が並んでいる通路を進むと、緑色の光を点灯させているのはガラス管の一つだった。どうやら上部にある小さなライトが点灯しているようだが……。


「中の魔物は……。なんだ? 魚?」


「みたいですね」


 泡立つ液体が満ちたガラス管の中にいたのは、銀色の魚だ。まるでサーベルを連想させるような鋭利で細長い体を持つ銀の魚。


 ブクブクと泡立つガラス管の中にいる魔物を観察していると、ガラス管の中に紫色の光が満ちた。この光は上層階にあった水晶が放つ光と似ており、俺達は反射的に身構えてしまう。


 まさか、ガラス管の中にいる魔物が飛び出して来るんじゃないだろうな。


 光が強くなっていくと同時にガラス管の中に満ちる液体は激しく泡立っていく。遂には魔物の姿さえも見えなくなるくらい激しくなっていき――


「……消えた?」


 ブクブクと泡立っていた液体が落ち着きを取り戻すと、ガラス管の中に浮かんでいた魔物が消えていた。確かにいたはずなのに、俺達の前には液体だけが満ちるガラス管があった。


 消えた魔物はどうなったのか。答えは誰も分からない。恐らくは地下二階にいるベイルーナ卿や学者達でさえ答えられないだろう。


「はぁ、もう嫌だ」


 ロッソさんも意味不明な現象と光景の連続に参ってしまっているようだ。まぁ、それは俺もなのだが。


 考えても仕方がない。時間も少なくなってきたし、さっさと調査を進めてしまおうと、たった今目撃した光景を横にぶん投げて先に進んだ。


 奥まで進むと、再び巨大な扉があった。こちらもレバーを下ろして開けるタイプのようだ。


 仕組みは既に判明している事もあって、すぐに開ける準備は整った。


 こちら側に進入する際と同じく、警戒しながらも扉を開く。レバーを下ろすと、同じようにズズズと音を立てながら扉が開き始めた。


 扉が開いて行く中、俺は扉の向こう側にあったモノ、そして動いていたモノを視認した瞬間――


「戦闘態勢ッ!」


 そう叫びながら、手で触れていた灰燼剣を抜いて列から飛び出した。


「アァァ……」


 扉の向こう側にあったのは黒い粘液が固まった繭。そして、異形の化け物達。


 そう、第二ダンジョンにいた『キメラ』だ。


 それも何度目かの繭化を行った後のようで、下半身は牛のような四本足。上半身は人型という歪な形態だった。


 俺はキメラの存在を視認した瞬間に前へ飛び出した。同じ行動を取ったのは俺だけじゃなく、ジェイナス隊と女神の剣、それに第二ダンジョンを共に調査した騎士達も同じだった。


 俺達に共通するのはキメラの脅威を正しく認識していることだろう。これはすぐに殺さねばマズイと、誰もが同じ考えを抱いていた。


「右三つ!」


「左二つ!」


「フォローします!」


 俺はジェイナス隊に右の三体を殺すと宣言した。女神の剣のリーダーであるターニャは左の二体を殺すと宣言。騎士達は俺達をカバーするべく適切な位置に陣取った。


 灰燼剣を抜いた俺は一体の首を斬り飛ばして灰に変える。ミレイがもう一体の腹に槍の連続攻撃をお見舞いして、残り一体はウルカの合金矢とレンの雷を食らって爆散した。


 ターニャ達も右の二体に斬りかかり、彼女達がキメラを無効化させた後は騎士達によって腹の魔石を砕かれた。


「キメラだとッ!? 他にいるかッ!?」


 ロッソさんの真剣な声が響く。出遅れた騎士達も警戒しながら、周囲に目を向け始めた。


 奥が暗いせいで全ては見通せない。キメラ戦での視界不良はかなりマズイ。


 しかし、考えが過った直後にフラガさんが「ランプを奥に滑らせろ!」と他の騎士達に指示を出す。騎士達はランプを四方にスライドさせて、周囲を明るく照らす。


 壁の向こう側は広場のように広い大部屋だった。手前側のように割れたガラス管がいくつも配置されているが、通路に沿って配置されているわけではないようだ。


 見た感じ、ガラス管は大部屋の四方に固まって配置されている様子。四ヵ所グループ別で標本化されていたのだろうか?


 だが、もっと異様なのは大部屋の中央にあるガラスの箱だ。四方がガラスで囲まれているようだが、中に何が入っているかは暗くて分からない。もう少し奥までランプがスライドすれば見えそうなのだが。


 とにかく、ランプのおかげで多少は視界が確保された。


 全員で武器を構えながら警戒していると、左奥で何かが動く。直後、聞きたくない鳴き声が聞こえた。


「アアァァ……」


「まだいるか!」


 ランプの光に晒されたのは三体のキメラ。形態は先ほど殺したモノと同じのようだ。


 キメラ達はズ、ズ、ズ、と下半身を引き摺るようにして歩み寄って来るのであった。

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