第190話 骨とキノコ


 下層から昇って来たであろう昇降機に乗っていたのは人の白骨化死体だった。


 死体は昇降機の壁を背に崩れ落ちていて、骨になった頭部は体の脇にコロリと転がっている状態。なにより目を惹くのは骨の胴体に白いキノコが生えている事だろう。


 目の前にある物を正しく認識するまで、目撃者全員がシンと静まり返っていた。しかし、状況を理解し始めると我に返ったかのようにザワつき始める。


「白骨化死体か」


 ただ、ベイルーナ卿だけは冷静だった。


 こんな時、一番興奮して落ち着きが無くなりそうなものだが、彼はゆっくりと昇降機に近付いて行く。その姿を見て、俺は慌てて彼の前に飛び出した。


「そう慌てるな」


「いえ、何があるか分かりませんから」


 死体を直視する俺の背中に向かって告げるベイルーナ卿だったが、万が一に備えておくべきだろう。俺は彼が前に出る事を譲らなかった。


 昇降機の中は丸見えだ。魔物が潜んでいる事もないだろう。だが、俺が気になるのは死体から生えるキノコである。


 普通、人の死体――それも骨にキノコが生えるなんてあり得るか? あり得るわけがない。


 という事は、目の前にある死体は普通じゃないって事だ。


 遅れてロッソさんも横について、三人揃って昇降機に近付いて行く。


 まず最初に中へと入ったのはロッソさんだ。昇降機の中に立ち、少しだけジッと待った。罠かどうかを確認しているのだろう。


 特に何も起きない事を確認してから、ベイルーナ卿を中へと誘う。


 ベイルーナ卿はポケットに入れていた手袋をはめて白骨化死体を観察し始めた。


 俺も彼の後ろから死体を覗き込む。死体は完全に白骨化しているが、所々骨が欠けている。割れている、という意味じゃなく、その場に無いという意味だ。


 右腕の骨が無く、左足の骨も無い。他にも肋骨が何本か欠けていた。


 そして、一番注目すべき点であるキノコ。ある程度近寄って見てみると、どうにも本物のキノコとは違うようだ。


 実際に触ってはいないので分からないが、質感は硬そうに見える。


 何だろうな。骨がキノコの形に変形したって感じだろうか? 石膏で作ったキノコを骨に付着させたような見た目だ。 


「どうして人の骨が? というか、骨にキノコ……?」


 何度も言うが、ロッソさんが呟いた疑問は尤もだ。


 どうして人骨がダンジョンの中にあるのか、という点も気になるが……。こちらはある程度の予想がつく。


「これは我々人間の骨ではない。間違いなく、第二ダンジョンで見つけた物と同じだ」


 やはり第二ダンジョンで見つかった骨と同じか。


 俺はキメラと戦った後でリタイアしてしまったが、その後どうなったかは仲間達から聞いている。二十四階で見つかった古代人らしき者達の大量白骨化死体の件も。


 起きてからそれを聞いた時は「まさか」と感想が出たな。信じられなかったが、ターニャ達や学者達まで揃って同じ事を言うのだから本当なのだろうと思っていたが、第四ダンジョンで現物を見る事が出来るとは。


 骨の状態を確認していたベイルーナ卿は大胆にも頭蓋骨を持ち上げて俺達に見せて来た。


「この骨は古代人の物だ。見てみろ、後頭部の形状が我々とは違う。それに少しだけ大きいのだ」


 言われて後頭部を注視して見ると、ちょっとだけ膨らんでいるだろうか? ただ、専門家とは言えない俺にとってはあまり違いが分からなかった。


 ベイルーナ卿曰く、第二ダンジョンで見つかった白骨化死体と現代人の骨を比較しながら調査を進めていると、この数ヵ月で様々な違いが浮かび上がって来たようだ。


 その一つとして、古代人は我々人間よりも脳が大きかったと推測される。そのため、俺達よりも頭蓋骨が少しだけ大きいらしい。


「で、問題はこのキノコだな」


 骨は第二ダンジョンで発見された物と同じ。唯一の相違点は骨から生えたキノコ。


 ベイルーナ卿が手袋越しにキノコへ触れると、キノコは簡単に「パキッ」と音を立てて折れてしまう。折れたキノコは砂粒よりも細かくサラサラになって、空気中に舞うように散った。


「ヘックショッ!」


 サラサラになったキノコを吸い込んでしまったのか、ベイルーナ卿はくしゃみを連発。


「大丈夫ですか!? 体に異常は!?」


「無い、無い。大丈夫だ。鼻がムズムズするだけだ」


 ベイルーナ卿はポケットからハンカチを取り出して、自分の口と鼻を覆うように当てた。そのまま片手でもう一本のキノコに触れる。今度は指で押し潰すようにして、キノコの材質を確かめ始めた。


「うーん。触った感触は……。固まった砂の塊を潰したような感触だ」


 ベイルーナ卿の指には白い粉が付着していた。どうにも見た目はキノコだが、本物のキノコとは言い難いようだ。まぁ、砕けてサラサラになる時点でキノコとは言い難いのかもしれないが。


 一通り調べたところで、ベイルーナ卿が立ち上がる。そして、他の学者達にこの死体を回収するよう命じた。


「さて、ワシの所感を述べようか」


 昇降機から離れながらベイルーナ卿は語り始める。


「まず、あの死体は古代人のモノで間違いないだろう。骨の形状からして、第二ダンジョンで見つかったものと同じだ。ただし、骨の一部に欠損が見られる」


 彼はまず右腕や左足の骨が無かったり、肋骨の一部が失われている件を指摘する。


「これは魔物に食われたのだと推測される。つまり、下には人を襲う魔物がいるってことじゃな」


 もしくは、存在していた可能性がある。現状どうなっているかは、行ってみないと分からない。


「次に骨に生えていたキノコだが……。正直に言おう。全く分からん」


 本命となるキノコについてだが、ベイルーナ卿は首を振った。 


 見た事も聞いた事もない。過去のダンジョン調査で同じような現象に遭遇した事は一度もない、と。


「ただ、あれは骨の一部がキノコ状に変形したように思える」


「骨がキノコに変形って……」


 骨がキノコ状に変形するなど意味不明だ。俺が馬鹿みたいな声を出して反芻すると、ベイルーナ卿は真顔で頷いた。


「意味不明じゃろ? だが、ダンジョンだからな」


 何が起きても不思議じゃない。彼はそう言いたいのだろう。


 確かにこれまで意味不明な現象や状況をこの目で見て来たし、自分の体に魔石が生えるなんて事も体験したが……。何度経験しても慣れないものだとつくづく思う。


「とにかく、まだ下層がある事は分かった。だが、調査を始める前に足場を固めるべきだろう。ここが使えるようになれば良いキャンプ地となるだろうからな」


 下層も気になるが、まずは準備を整えるべきだ。それ故にまだ調査が終わっていない二階部分を整備しようとベイルーナ卿は提案した。


「そうですね。昇降機だけじゃなく、階段があるかどうかも探ってみます」


「ああ、頼んだぞ」

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