第175話 欲に溺れた男の最後
年が明けた頃、ローズベル王国の南にある帝国にも進展があった。
帝国貴族達が夢中になっているローズベル王国産魔導具であるが、稼働に消費する魔石を自国で採取する動きが遂に本格化。
帝国騎士団は部隊編成を終えて、ダンジョンへ内部へと向かう事になった。
今回の部隊派遣はその第一弾となっていて、帝国騎士団はダンジョン内部の安全確保を目的としている。安全が確保され次第、ローズベル王国より招集した学者達を内部へ連れて行く予定となっていた。
「では、頼んだぞ」
帝国国内にあるダンジョンの入り口で指揮官を鼓舞したのは帝国騎士団副団長であるリュードリヒであった。
今回は初回という事もあって、彼も現場へ赴いたらしい。
対する、彼の命令を受けたのは――
「ええ。お任せ下さい」
ダンジョン調査隊の指揮官に抜擢されたのは『マイク・リーヴラウ』という男。
そう、彼はアッシュを騎士団から追い出した張本人である。
現在、マイク・リーヴラウは家の跡取りとして継承を終えて、正式にマイク・リーヴラウ伯爵という立場になった。アッシュから奪い取った婚約者「ラフィ・ラガン」との結婚を二ヵ月後に控えている。
以前、彼は騎士団本部に留まるだけで現場には出ない貴族のお坊ちゃんと語った事があるのを覚えているだろうか。
実家である伯爵家の権威を振りかざしながら安全地帯から出ないクソ野郎が、どうしてダンジョン内部へ突入する部隊の指揮官となったのか。
その理由は帝国帝都で将来開始される魔石産業にリーヴラウ家が食い込むためだった。
自らが魔石採取の第一線を指揮すれば状況も把握しやすい。それら情報を使って実家を産業に関わらせる。そうして実家の力を更に高めよう――と、前当主である父親から命令が下った。
最初、本人はあまり乗り気ではなかったものの、今後は魔導具が貴族生活の中心に食い込むと考えた彼の父親の熱弁を聞かされた。父親の考え、そして将来に向けた「旨み」に本人も目が眩んで意見を変えたようだ。
人事部に圧力を掛けて指揮官候補へ名を割り込ませ、実力のあるライバルは家とその派閥の力で排除した。そうして、彼は計画通り指揮官の座を手に入れたのである。
副団長リュードリヒとしては、汚い手で割り込んで来た彼に対してはあまり気にしていないようだ。彼を指揮官にするよう命じたのは現騎士団長であるし、これが失敗してもリュードリヒ的には痛くも痒くもない。
むしろ、失敗すれば団長の席が更に近付くと期待しているのもあるのだろう。
「全軍、ダンジョン内へ突入!」
意気揚々と騎士達をダンジョン内へ突入させるリーヴラウ伯爵。現場経験も無ければ指揮官の才能なんて皆無な彼の快進撃が今始ま――るわけない。
「魔物だ!」
「数が多いぞ!?」
帝国にあるダンジョンの一階層は洞窟である。ほぼ一本道で、最奥に下層へ続く階段か何かが存在するのだろう。ローズベル王国の騎士団やハンター達なら「楽勝」と喜びそうなものである。
ただ、両国の違いはダンジョン攻略に対して「ノウハウがあるかどうか」だ。
ローズベル王国はかなり昔からダンジョンを制御しようと努力してきた。ダンジョン攻略に対して知識もあるし、専用の道具や武器まで開発した。
だが、帝国は近年までダンジョンに対して無関心だった。
ダンジョン内部から魔物が氾濫するまで無視――いや、氾濫しても無視していた。
魔物が外に溢れ出てもどうせ勝手に死ぬ。魔物が外で暴れ回ってもせいぜい近隣の村が被害に遭うだけ。
労働力である下等な平民が死ぬだけだと、被害を受けたとすら認識していなかった。だからこそ、帝国騎士団内で魔物の恐怖を知るのは帝都外警邏と魔物の駆除を任命されたごく一部の者だけ。
その恐怖を知る者達も、一年ほど前に解散となっている。部隊に配置された騎士の中でアッシュ達から話を聞いていた者も数名いるが、彼等だけでどうにかなる問題じゃない。
そりゃそうだ。だって長年放置していて間引きしていないんだもの。
氾濫が起きる寸前まで放置していたダンジョン内部は魔物の巣窟だ。一階の奥には尋常じゃないほどの数が溢れ返っていた。
「殺せ! 殺せ!」
「うわ、うわあああ!?」
一階に生息していた魔物の形は『狼型』だった。ローズベル王国で例えるならば、第三ダンジョンに出現するような動物型の魔物達。強さのレベルで言えば「慣れた新人なら対処できる」「経験豊富な中堅ならば楽勝」といった具合。
しかし、帝国騎士達の多くは今日初めて魔物と対峙する。しかも、対魔物戦闘の経験なんて皆無な者がほとんどだ。
総勢三百人いた帝国騎士の数は二百七十まで減った。
負傷者多数。死亡者数名。一階でドロップアウトした騎士達は、リーヴラウ伯爵に「軟弱者」と罵られながらも死体を担いで入り口に戻って行った。
だが、ここで入り口に戻った彼等は幸運だ。本当の地獄はこれからである。
一階層目の最奥にあったのは二階層へと続くハッチだ。地面にあったハッチを開けると、下は暗くて何も見えない。金属製の梯子が設置されていたが、経年劣化からかだいぶ脆くなっているように見えた。
「どうしますか?」
「どうしますか、じゃない! 行くんだ! 馬鹿者めッ!」
指揮官の指示を仰ぐ騎士に対し、リーヴラウ伯爵は怒声を上げて「下に向かえ」と命じた。
数人の騎士達が慎重に梯子を降りていき、ローズベル王国産の魔導ランプで下層を照らす。
ランプで照らされた壁と地面は石を削って作られたような状態だった。どうやら、二階層目も洞窟のような構造らしい。更に先をランプで照らすも魔物の姿は見えない。それに音もしなかった。
「問題なし!」
故に騎士は仲間を呼んだ。続々と騎士達が下に降りて行き、最後にリーヴラウ伯爵も降りて行った。臆病な彼が下に降りたのは、欲に目が眩んだからか。それとも誰かが魔石をちょろまかすかもと心配になったからか。
もしくは、魔物なんぞ部下達がどうにかしてくれると思ったのかもしれない。
自分が怪我をするわけない、死ぬわけがない、などと思っているのかもしれない。
どちらにせよ、ダンジョンの危険性を正しく認識していないのは確かだろう。
「さぁ、前進だ! 行け! 進め!」
指揮官の命令を受けて、騎士団は二階層目を進み始めた。先頭にいる騎士達がランプで道を照らし、暗い中を進んで行く。
先行偵察による警戒なんて無し。常識的な騎士がそれを提案しても無能な指揮官に却下されてしまっては仕方がない。
十五分ほど歩いた地点で遂に地獄の序章が始まった。
「……あれは?」
ランプを持っていた騎士が奥にいる何かに気付いた。壁に張り付いていた小さな影が動いたように見えたのだ。
先頭が止まった事で騎士達は全員が停止する。後ろから「早く進め」だの「何をしているんだ」と文句を言われたが、構わず足を止めて動く影の正体を掴もうと壁を睨みつける。
すると、ようやく灯りの範囲内に入り込んで来た。動いていたのは小さな蜘蛛だ。
ただ、小さなと言っても普通の蜘蛛に比べてかなり大きい。大人が手を広げた時と同じくらいの大きさだろうか。魔物サイズで言えば子蜘蛛と言えなくもないが、魔物に慣れていない帝国騎士が驚くには十分な大きさである。
「で、でかい蜘蛛だ!」
驚愕する騎士に向かって、子蜘蛛は地面を歩きながら近寄ってきた。速度はそう早くない。
「ビビってんじゃねえ! どいてろ!」
脇にいた騎士が剣を抜き、問答無用で子蜘蛛の胴体に剣を突き刺す。子蜘蛛から「キーッ!」と断末魔が放たれるも、剣で突き刺された事によって死亡する。
「こんな弱い魔物にビビってんじゃねえよ」
「す、すいません……」
子蜘蛛を殺した騎士は「フン」と鼻を鳴らして、新人であるランプ持ちを叱った。王都に戻ったら徹底的な訓練を課す、と脅しに似た可愛がりも忘れない。
ビクビクと怯えたランプ持ちの騎士は謝罪したのち、再び歩き出す。先ほどと同じようにランプで壁と地面を照らしながら進んで行くが――
「え……?」
今度は視界の先、まだ暗闇が満ちている空間に緑色の点が浮かんだ。それも一つや二つじゃなく、複数だ。
「なにかい――」
何かいる。そう告げようとした瞬間、彼の足に白い糸が絡み付いた。
「う、うわああああッ!?」
奥から伸びて来た粘着質な糸の塊は騎士の足をガッチリ掴んで、そのまま暗闇の中に引き摺り込んだのだ。途中で手放したランプが地面に落ちて、騎士隊と暗闇の間で灯りが固定される。
だが、騎士達の目には落ちたランプなんて映っていなかった。今、彼等は暗闇の奥から聞こえる「グチャ、バキ、グジャッ」と鳴るグロテスクな音に気を取られてそれどころではないからだ。
音が止むと、洞窟の中はシンと静かになった。怯えた騎士達が腰の剣に手を添える。だが、手が震えているせいで金具が「カタカタカタ」と鳴り続けていた。
ゴクリ、と誰かが唾を飲み込む。騎士隊は全員で奥を警戒し始めるが――
「ま、魔物だ! 群れだッ!」
もう警戒なんて意味がない。静かに近付いて来ていた魔物の群れが、地面に落ちたランプの近くまで接近していたのだ。
騎士達を喰らおうと襲い掛かって来たのは巨大な蜘蛛。まだら模様の体を持った、体長一メートルを越える巨大蜘蛛である。
キィキィと声を出す巨大蜘蛛は地面を這い、壁を歩き、天井まで歩く。巨大蜘蛛の群れは騎士達に糸を吐き、身動きを取れないようにしていった。
身動きが取れなくなったら最後。蜘蛛の前足にある鋭利な爪で肉をズタズタにされる。
鋼鉄製の防具なんて役に立たない。最低でもローズベル王国が開発した合金くらいの強度が無ければ無力に等しい。
「いや、いやああああッ!?」
「ああああッ!? ぎゃ、ぎっ!?」
先頭付近にいた騎士達から次々に殺されていく。巨大蜘蛛達は糸を吐きまくって、動けなくなった人間を確実に殺していくのだ。
もっと最悪なのは、奥に潜んでいた魔物達が人間達の断末魔に引き寄せられることだろう。続々と巨大蜘蛛が集結して来るも、肝心の騎士達は味方と敵が入り混じってしまって満足に応戦できていない。
そもそも、狭い洞窟内で大人数が団子状態のまま進んでいる時点で彼等の命運は尽きていた。いや、無能な指揮官と共にダンジョンへ入った時点でと言うべきか。
もはや、騎士隊が全滅するのは時間の問題だ。
「に、逃げろッ!」
「ひぃぃ~!」
利口な者はすぐさま入り口の梯子へと走り出した。仲間を見捨てて、仲間の肩を掻き分けながら走り出す。
「お、おい! 貴様等、戻れッ!」
逃げ出す騎士達にリーヴラウ伯爵は「敵前逃亡は死刑だぞ!」と叫ぶが、そんな事は誰も聞いちゃいない。逃げ出す騎士達の頭には、もう「上司と部下」の関係性どころか「騎士と貴族」の関係性すらも失われているのだから。
「うるせえ、どけッ!」
「いたっ!?」
逃げ出そうとした騎士が伯爵を突き飛ばし、後方の暗闇に消えて行った。体の大きな騎士に突き飛ばされた「もやし指揮官」は尻餅を着いて、まだぎゃあぎゃあと喚き散らすが――
「キキキ」
「………」
一人で勝手に騒ぐ彼の後ろから死神の声が聞こえた。ゆっくりと振り返ると、目の前には緑色に光る蜘蛛の複眼があった。
「あああああッ!」
リーヴラウ伯爵は慌てて立ち上がり逃げ出す。だが、すぐに足がもつれて転んでしまった。いや、違う。糸で足が捕まったのだ。
「い、いやだああああ!! いやだああああ!!」
動かない足の代わりに腕を使って必死に這いずった。
貴族令嬢から評判の良い白い肌と整った顔は土塗れ。両目両鼻から出た液体でぐしゃぐしゃに濡れて、口からは必死に命乞いの言葉が漏れる。
だが、命乞いなんてダンジョンで通用するはずもない。
「ひ、ひぃ、ひぃ、ぎゃあああ!?」
巨大蜘蛛はリーヴラウ伯爵の体を仰向けにすると、鋭利な爪を彼の腹に突き刺した。そのまま下方向に腹を掻っ捌いて、大量の返り血を頭部に浴びる。
「キキキ」
腹を掻っ捌いた巨大蜘蛛が鳴くと、どこからともなく大量の子蜘蛛が現れた。子蜘蛛はまだ意識が残るリーヴラウ伯爵の体に群がっていき――血の滴る内臓を喰らい始めたのだ。
こうして、アッシュを騎士団から追い出した男は剣も抜かずに惨たらしく死んだ。人としての人生を全うするのではなく、ただただ魔物の餌となって死亡した。
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後日、副団長リュードリヒは被害総数を記載した報告書を騎士団長に提出。
生き残った騎士の数は全部で三十数名。二階層目に続くハッチは一時封印とされた。
リュードリヒはローズベル王国の協力を得るべきだと騎士団長に進言するも却下される。現騎士団長は再度部隊を編制して、次こそは攻略すると息巻いているようだ。
「……以上、潜り込ませた人員からの報告です」
ローズベル王国大使館にて、部下から報告を聞いたキーラ伯爵はゆっくりと首を振った。
「可哀想にね」
キーラ伯爵はそう言った直後、吊り上がった口元を隠すように紅茶の入ったカップを口に運ぶ。
「帝城内部への内偵も順調に進んでいます。平民を使った暴動工作も順調に進んでいますし、あとは王都の判断次第ですかね」
部下の告げた追加報告を聞いて、キーラ伯爵はニコリと笑う。
「バレないよう慎重にね」
「はい」
キーラ伯爵は自分の執務室から出て行った部下の背中を見送り、再びカップを持ち上げた。紅茶の香りを楽しんだあと、彼は小さく呟く。
「さて、次は帝国の魔法使いをどうするか……」
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