第173話 女王陛下の執務室にて


 授与式は無事に終了。


 滅茶苦茶緊張したが、今は乗り切れたことに安堵したい。


 ただ、授与式が終わって陛下が退室したあとも大変だった。見守っていた貴族達から挨拶を求められ、ドギマギしているとオラーノ侯爵とベイルーナ卿が間に入ってくれた。


 恐らくは「我々と懇意にしている」とアピールして、俺を王城内の派閥争いから守るためだろう。


 騎士団団長であり、軍務省の重鎮であるオラーノ侯爵。同時に王都研究所の元所長であるベイルーナ卿が傍に居るとなると下心を持って接しようとしてくる相手は下手な事が言えないようだ。


 逆に二人と関係が良好な貴族は非常にフレンドリー。


 軍務省関係者と王都研究所関係者、あとは二人と学生時代からの付き合いがある貴族家だろうか。後者はサビオラ家が代表的である。


「アッシュ殿。おめでとうございます!」


「ありがとうございます。サビオラ様」


 特にサビオラ家現当主のハロルド様からは熱烈な祝福を頂いた。俺としてもサビオラ家には厚くお礼申し上げたい。俺を救ってくれたのは、間違いなく偉大な騎士との出会いが関係しているのだから。


 貴族達との挨拶が終わったあと、俺はオラーノ侯爵に連れ出された。


 向かう先は陛下の執務室だ。


 階段を登り、誰もいない廊下を歩いている最中にオラーノ侯爵が語り始めた。


「王城内でお前の事を灰の騎士と呼ぶ者が出始めたが、エドガーの懸念もあって急遽対策を打つ事になった」


 アルフレート氏がオラーノ侯爵に伝えに行った時、彼は陛下と打ち合わせ中だったらしい。その最中に「他国への懸念」が伝えられたのもあって、貴族達の囁く異名の方向性を変える事になった。


 その結果が陛下の発言である「灰色のアッシュ」だ。なるべく魔法剣から意識を遠ざける目的として急遽考えられた異名らしい。敢えて陛下が口にする事で「灰の騎士」よりも「灰色のアッシュ」という異名が正しいのだと貴族達の意識を逸らさせたのだとか。


 つまり、今日から俺の異名は「灰色のアッシュ」という事になったわけだ。


「陛下も懸念を考慮して髪色に集中させようとしたのだろう」


 異名を考え付いたのは陛下だったらしい。


「次に魔法剣であるが、それはお前が所持する事になった。使い方は任せるが、切り札として運用して欲しいところだな。魔物の素材が全て灰に変わってしまうのもあるが、先ほど言った他国からのスパイによる懸念もある」


 灰燼剣を所持できるようになったのは、結局のところ俺以外に使用できないかららしい。起動できない剣を保管庫に置いといてもしょうがない。だったら少しでも使ってデータ収集を行ってくれ、という事に決まったようだ。


 オラーノ侯爵が言うように「切り札」としての運用が正解か。第二ダンジョンのキメラみたいに凶悪な魔物が出現して、騎士団やハンター達の手に負えなくなった際に使う――みたいに。


 灰燼剣を振るえば全てが灰に変わってしまって、研究用の素材が収集できないという問題点もあるしな。


 同時に他国からのスパイが灰燼剣に気付けば俺自身、もしくは周囲の人間が狙われる可能性もあるだろう。使用に関しては慎重になってくれ、と注意された。


 まぁ、これに関しては「切り札」として俺に預けてくれただけでも感謝したい。それに灰燼剣は強力であるが使用には制限もあるし、好きなだけ使えるというわけじゃない。これまで通り、通常の剣をメインに使いながらハンター活動を送るべきだろう。


 と、ここまで話し終えたタイミングで――オラーノ侯爵の歩く速度が明らかに遅くなった。


「もうすぐ陛下の執務室に到着する」


 その理由は陛下の執務室が近いからのようだ。彼は大きなため息を零して、心底連れて行きたくないといった感じの雰囲気を醸し出す。


 だが、女王陛下が俺との会話を望んでいるからには連れて行かなければいけない。これは仕方のない事なんだ、と自分に言い聞かせているようにも見えた。


「いいか? 陛下は……。美しい外見と有能であるという噂に騙されるな」


「え、ええ……?」


 女王陛下は美人だ。それも、とびきりの美人。


 しかも、政治に関してはかなり有能だと聞く。国内で囁かれる噂を総合して一言で表すならば「欠点の無い超有能美人女王」といった感じ。これに魔法使いとしても国内最高だという話まで乗っかる。


 それに騙されるな、とはどういった事なのだろうか。


「良いか? 陛下と接する際は……。ワガママの盛りな女児と会うような心構えでいけ」


 そんな馬鹿な、と思った。大げさに言っているんだろう、とも思った。


 しかし、それから二分後。俺は痛感する事になる。


「陛下。アッシュを連れて参りました」


「入れ」


 執務室前に到着して、オラーノ侯爵がドアをノックした。中から返事が聞こえて来て、オラーノ侯爵がドアを開ける。


 彼の後ろについて中へ入ると――


「…………」


「…………」


 俺は目を疑った。


 何故ながら女王陛下が「おしゃぶり」を口に咥えていたからだ。更には首元に可愛らしいデザインの涎掛けまで装着していたのだ。


 俺とオラーノ侯爵は入り口で固まった。ソファーに座りながら足を組む女王陛下の口から聞こえる「ちゅぱちゅぱ」という音がやけに耳へ響く。


 あまりにも衝撃的な姿に固まっていると、女王陛下は口に咥えていたおしゃぶりをちゅぽんと外して――


「早く座れ」


 そう告げたのだ。


「…………」


「…………」


 俺達は無言のままソファーに座った。すると、陛下は再びおしゃぶりを咥えて「ちゅぱちゅぱ」と音を鳴らした。


 両陣営、共に無言。


 たっぷり五分ほど無言が続いた。


 なんだこれは。


 嫌な汗が流れ始める中、俺は横目でオラーノ侯爵の様子を窺った。


「…………」


 だめだ。もう完全に現実逃避しているような顔だ。目が死んだ魚みたいじゃないか。


 俺はそっと視線を陛下に戻した。


「…………」


 こっちはこっちで、おしゃぶりを咥えながら俺をジッと見つめてきやがる。


 何だよこれ。誰か助けてくれよ。


 俺をジッと見つめていた女王陛下はようやくおしゃぶりを外して、こう言ったのだ。


「興奮したか?」


「…………」


 一体、俺は何を問われているんだ。


 不敬ながらも心の中で「何言ってんだ、コイツ」と思ってしまった。


「……陛下、これは何の冗談でしょうか?」


 ようやく現実逃避から復帰したオラーノ侯爵が問う。すると、女王陛下は表情も変えぬまま答え始めた。


「なんだ? 貴様は赤ちゃんプレイで興奮するんじゃなかったのか? 資料にそう書かれていたが?」


 言われて嫌な記憶が蘇った。


 まさか、帝国騎士団で起きたアレか? あの噂が上層部に伝わっているのか? そう考えたら、俺はもう窓から身を投げ出したくなるくらい恥ずかしかった。


 いや、まずは否定しなければ。誤解されたままとかどんな拷問だ。

 

「ち、違います。あれは根も葉もない噂……。私を騎士団から追い出そうとしていた者の捏造です」


 必死に否定したら逆に怪しまれそうだと思い、俺は冷静さを装いながら否定する。


「なんだ。そうなのか。英雄色を好むと言うからな。それに私は帝国のクソ野郎共と違って、良識のある優しい女だ。お前がどんな性癖を持っていようが実力で判断を下す」


 一部「どこが」とツッコミたかった。だけど、ぐっと耐えた。


「灰色のアッシュという異名もお前の人生に掛けたんだ。赤ちゃんプレイを強要して帝国騎士団から追い出された。一時は灰色の人生を歩んだお前にぴったりじゃないか! と、私自身のネーミングセンスに心底脱帽したんだがな?」


 そういう事かよ!? と叫びたくなったが、改めて言おう。


 俺は耐えた。でも、俺の目は死んだ魚みたいになってたと思う。


 どうか、異名を聞いた人達が「髪の色から」と認識してくれる事を祈る。いや、そうなってくれ!


「陛下、一応聞いておきますがどうしてこのような事を?」


 心底呆れたと言わんばかりの表情を浮かべたオラーノ侯爵が問う。すると、陛下は涎掛けを装着したまま真剣な表情を浮かべて告げる。


「前にも言ったろう。こいつの種をもらうかもしれんと。抱くならば好みに寄せてやろうという私の配慮だ。どうだ? 私はとても優しくて美人な女だろう?」


 意味が分からなかった。完全に意味が分からない。全くもって意味不明だ。


 しかし、陛下本人が語る事で次第に状況が明らかになっていく。


「こいつの能力は貴重だ。しかも、まだ国内に一人しかおらん。治癒魔法使いと同じように数を増やす必要があると判断した」


 全ては俺の能力が原因だと女王陛下は語る。


 身体能力向上はシンプルながらも強力な武器になると判断したようだ。対人戦、対魔法使い戦、対魔物戦……その全てで使える汎用性が高い魔法だと。


 既に王都研究所では他の魔法使い達が俺と同じ「身体能力向上」を再現できないか試しているようだが、報告では「未だ再現できず」と伝えられたらしい。となると、独自性の高い魔法であるとも考えられる。


「他人には再現できない独自性の高い魔法であった場合、再現に至る可能性の一つとして遺伝という要素が挙げられる」


 要するに、俺の能力は子供に遺伝するかもしれないという仮定だ。


 魔法使いの才能は魔法使い同士が子を成す事で確実性が上がると言われている。もちろん、これは「絶対」じゃないようだ。だが、魔法使いと非魔法使いの間に生まれた子供よりも確率は高くなるというデータがあるようだ。


 まだ俺の能力が遺伝するかも分からない。だが、試さないと真実は見えない。研究とはそういうものだ。


「アッシュ。貴様は心に決めた女がいるそうだな。その女と子を作るのは構わない。だが、国の為に魔法使いとも子を作れ」


 つまりは、ウルカ以外とも子供を作れということ。身体能力向上の能力が遺伝するかどうかの確認を含めて。


 そして、その相手が女王陛下……というわけになるのか?


「…………」


 突然の通告に言葉が出なかった。俺が黙ったまま女王陛下を見つめていると、彼女はニヤリと笑う。


 直後、陛下はチラッとオラーノ侯爵へ視線を向けて、すぐに視線を俺へと戻してから言葉を続けた。


「この私を抱けるんだぞ? 子供が出来たら待遇は保証しよう。それにお前にも見返りは与える。どうだ?」


 女王陛下は「フフン」と自信たっぷりに笑いながら赤い髪をかき上げた。


 確かに女王陛下はとびきりの美人だ。彼女の方から「自分を抱け」と言ってきて、断る男はこの世に何人いるだろうか。


 だが……。それでも俺は首を縦には振れなかった。脳裏にウルカの泣き顔が浮かんでしまったから。


「……お断りします」


 自然と俺の口からは拒否の言葉が出た。命令に背き、更には不敬にもあたるだろう。授かったばかりの王国十剣は返上。もしかしたら、この場で罪に問われるかもしれない。


 それを覚悟した上で、俺は拒否した。


 俺はウルカを裏切れない。彼女を裏切るくらいならば――そう覚悟を決めた時、女王陛下の顔には「不機嫌」といった感情が現れる。


「チッ。憎たらしいほどそっくりだ」


 舌打ちして、女王陛下はオラーノ侯爵に顔を向けた。向けられたオラーノ侯爵は大きなため息を零す。


「ロイ、本当にお前の隠し子じゃないんだな?」


 戦い方も考え方もお前にそっくりだ。女王陛下はそう言いながら二度目の舌打ちを鳴らす。


「そんな訳ないでしょう……。そもそも、無理だと私は事前に申し上げましたよね?」


「言われたが、本人に聞かぬと分からんだろう」


「そういう問題じゃありません!」


 徐々に怒りが芽生え始めたのか、オラーノ侯爵が遂に大噴火を起こした。ガミガミと説教するオラーノ侯爵に対し、飄々と言い訳を続ける女王陛下。二人はいつもこんな感じなのだろうか。


「まったく、いつもいつも! どうしてそう馬鹿みたいな事をするのですか!?」


「はぁ~? 馬鹿じゃないですぅ~。国家のためですぅ~。そもそも、誰かさんが私と結婚してたらこうなってません~」


「ぐぅ……!」


 言い合いで負けたのはオラーノ侯爵だった。最後の一言がトドメとなったのか、彼は言葉に詰まりながら轟沈した。


 一体、どういうことだ? 二人の間に何かあったのか?


「ふむ。まぁ、茶番はここまでにしよう」


 オラーノ侯爵を打ちのめした女王陛下はクルッと顔の向きを変えて俺を見た。


「アッシュ。貴様の力は貴重だという話自体は変わらん。同じ魔法を使える人間を増やしたいという考えも変わらん。だから早く意中の女と子供を作れ。まずはその結果を見てからとする」


「は、はぁ……?」


 先ほどまでの発言は何だったのだろうか。結局のところ、早く子供を作れって事なのか?


「国に貢献してくれれば悪いようにはしない。貴様の働きには期待しているぞ、アッシュ」


 女王陛下は最後にまたニヤッと笑って、俺とオラーノ侯爵に退室を促した。

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