第169話 御前試合を終えて


 御前試合が終わったあと、俺はマリアンヌ様とウルカ達に合流した。


 帰りはマリアンヌ様の馬車に乗って屋敷へ戻る事になったのだが、馬車の中では御前試合の感想が飛び交う。


「先輩、凄かったですね!」


 純粋に俺を称えてくれるのはウルカだ。何度も「凄い!」とか「かっこいい!」と言ってくれるのは嬉しいが、さすがにマリアンヌ様の前では……不敬にならないだろうか? だって対戦相手は彼女の夫だぞ。


 だが、心配は無用だったようだ。


 ウルカの感想を聞いたあと、マリアンヌ様も「アッシュさんは本当にお強いのねぇ」と褒めてくれた。


 そして、次に出た言葉は――


「あの人が本気になるなんて何年振りかしら? 本気になったあの人をぶちのめしてくれて良かったのよ?」


 後半部分は割と真剣に言われてしまった。彼女曰く、いい加減に負けを認めて次代の騎士に職を譲って欲しいと思っているらしい。


 当の本人は「まだ引退はできん」と言って引退する気はないようだ。今回の件が良いチャンスと思ったのかもしれない。


「いえ、さすがに無理ですよ。私なんてまだまだです」


 これは俺の本音だ。


 オラーノ侯爵にも直接お褒めの言葉を頂いたが、まだまだ勝てる気がしない。


 恐らく本気で戦ったら、オラーノ侯爵は俺の魔力切れを狙ってくるだろう。六十を越えたオラーノ侯爵が「そこまで体力的に粘れるか?」と他人が問うたとしても、俺は「確実に粘れる」と答えるだろう。


 歳を重ねて得た知識と経験、それに積み重ねてきた鍛錬と実戦による剣術と勝負勘。それらを駆使して翻弄されてしまうのは目に見えているように思えた。


 正直言って、俺がここまで戦えたのは御前試合という時間制の勝負だったところが大きい。


「確かに凄かったよな。私も上には上がいるんだって見ていて実感したよ」


「ああ。とんでもなく強かった。俺ももっと強くならなきゃな」


 ミレイの漏らした感想に同意して、俺は更に自分を高めようと決意した。手を握り締めて心に誓う――のだが、手を握り締めた瞬間に俺の腹から「グゥ」と音が鳴る。それも大ボリュームで。


 ……締まらない。完全にやらかした。俺は恥ずかしくて、真っ赤になった顔を伏せた。


「ふふふ。聞いているわ。戦うとお腹が減っちゃうのよね。家の者達に言って用意させているから、帰ったらたくさん食べなさい」


「……はい。ありがとうございます」


 何だろうな。オラーノ侯爵が親父ならマリアンヌ様はおふくろだろうか。


 俺の事を微笑ましく見る彼女の顔はとても穏やかで、やはり彼女にも懐かしさを覚えてしまった。



-----


 

 一方、その頃。王城に残ったロイは自分の執務室で一休みした後に、クラリスの執務室へと向かっていた。


 ドアをノックすると「入れ」と返答が返って来る。ロイは執務室の中に入り、ソファーに座っていたクラリスへ騎士礼をとった。


「まぁ、座れ」


「はい」


 対面に座ったロイに対し、クラリスはニヤニヤと笑う。いや、笑みを我慢できないといった感じか。


「さすがは騎士団長様だ。あの能力に対し、随分と頑張ったじゃないか」


 最初の一言目はロイを称える言葉だった。まぁ、言い方は置いといてと付け加えるべきだが。


「ええ。私にも意地がありますので。ですが……」


 ため息を吐きながらも頷くロイ。彼は言いながらも右手をクラリスへ見せるように持ち上げる。


 彼の右手は小刻みに震えていて「足もです」と付け加えた。どうやら相当無理をしたようで、ロイの体が悲鳴を上げているようだ。


「アッシュの力を御覧になったでしょう? どうでしたか?」


 正直な意見を聞きたい、とロイは願った。彼の願いに対し、クラリスは腕を組みながら真剣な表情で語り出す。


「前半戦は互角のように見えたが、お前がそうなるようセーブしたのか?」


「多少は。ですが、前半の終わり頃は手加減無しです。楽しすぎて忘れてしまいました」


「だろうな。お前、怖いくらいに笑っていたぞ」


 前半戦を頭の中で思い出したのか、クラリスはニヤッと笑いながら「若い頃の癖は抜けんらしいな」と言った。


 王国最強の騎士であるロイ。若い頃はかなりの戦闘狂だったのかもしれない。


「後半戦は……。正直、驚いたよ。まさか、ただの人間があのような能力を得るとはな」


 後半戦で見せたアッシュの能力に関してもクラリスは強い興味を抱いたようだ。


「あれは魔法だな。発動した瞬間が分かった。従来の魔法使い達のように遠距離攻撃に特化していたり、広範囲による殲滅力は無い。だが、一対一なら無類の強さを誇るだろう」


 それこそ対魔法使い戦であっても。


「はい。アッシュの能力は身体能力の向上というシンプルな力ですが、それ故に扱いやすくもあります。同時に身体能力が人間レベルであれば敵はいない。一瞬で勝負がつきます」


「そんな相手によく倒れなかったとお前を賞賛したいよ」


 またニヤニヤと笑うクラリスはロイを褒め称えるが、当の本人は首を振る。


「あれは事前に報告書で能力の概要を知っていましたし、試合ではアッシュが見せてくれおかげでしょう。完全な初見では反応すらできなかったと思います」


 事前情報も知らず、初見であれば何が起こったかすらも把握できないままにやられていただろう。そう言うロイだが、一度見ただけで対応し始めるのも流石と言うべきか。


「まぁ、確かにな。魔法発動の準備中に急接近されて一刺し……悪夢だな」  


 対魔法使い戦において、最大の対抗手段は「魔法を撃たせないこと」だろう。次点で撃たれた魔法を防ぐ手段を確立するとなる。


 アッシュの能力は魔法使いに対しての対抗手段になり得る。シンプルかつ最大の対抗手段を実現できる唯一の能力と言えるだろう。これだけでもアッシュの価値はかなり高い。


「加えて、腕の力を増幅させる事もできます。今回は木剣が耐えられないので控えましたが、超スピードによる接近に加えて人間離れした力で剣を振るのです。ただの人間が耐えられるわけがない」


 全力で剣を振れば合金製の鎧すら叩き潰せるのだ。同時に振った剣もオシャカになるが、壊れた剣は替えればいいだけ。


 これだけでも能力として優れているが、加えてアッシュには彼しか起動できない魔法剣まで存在する。


「対騎士戦と対魔法使い戦は勿論の事、対魔物戦においても魔法剣が絶大な効果を発揮します。素材は残りませんが、我々の切り札になり得ます」


「全てを灰に変える剣、か」


 クラリスは頭の中でアッシュが戦う姿を想像したのかもしれない。


 身体能力を向上させて急接近。間合いに入られた時点で灰燼剣が振られる。戦っている相手は灰となって、アッシュは次なる獲物を探してまた走り出すのだ。


「……帝国には感謝すべきだな」


 幸いにしてアッシュはこちら側。敵ではない。


 これが敵であれば、たとえクラリスでも頭を抱えた事だろう。


「国家防衛の要、そして対魔物戦における切り札。それに見合う対価か。その前に、こちらの申し出をあいつは飲むと思うか?」


 強者は束縛を嫌う者もいる。特にアッシュは帝国から脱出して来たハンターだ。巷で囁かれる「夢のような生活」に憧れを抱いているかもしれない。

 

 懸念を口にするクラリスだったが、ロイは首を振った。


「ヤツは馬鹿ではありませんよ。今の立ち位置と状況は理解しています。その上で国から保護と褒美を授けるとなれば、こちらの思惑も考えるでしょう」


 与えられた物に対し、アッシュはその意味を理解するだろう。同時に困惑するかもしれないが、ロイの見解としては「まず裏切らない」だろう、と。


「アッシュが何より大事にしているのは今の生活です。愛する者と仲間達との生活。それが脅かされない限りは味方でいてくれる。それを守った上で、ハンターとしてダンジョン探索を中心に活動してもらえばいい」


 彼は現状に満足しているように見える。ならば、現状を維持してやれば裏切らない。


 切り札としての扱いも国が非常時になった時に、と言っておけば納得もしてくれるはず。さすがのアッシュもローズベル王国が消滅の危機となれば動かざるを得ない。


 それを隠さず説明する事で誠意を示しつつ、これまで通りダンジョン調査を基本とした活動をしてほしいと願えば良い。


 ロイは今日まで組み立てた自身の考えを告げた。


「ただ、貴族位は止めといた方がよろしいでしょうね。元々は帝国貴族と揉めて国を飛び出した男です。ある程度の自由を与えてやらないといけないと思います」


 加えて、アッシュが貴族になれば周りの貴族が騒ぎ始めるだろう。


 彼の能力を見たクラリスが貴族位を授ければ、アッシュは女王から「認められた」となる。となれば、己の家を強くしたい者達がアッシュに殺到するのは明らかだ。


 過去の経験と以前聞き取りした情報から「アッシュは貴族によるゴタゴタに巻き込まれたくないと思っている」という情報をロイは明かした。


「まぁ、貴族共の権力争いを激化させるのも面倒だしな。ならば、答えは一つしかあるまい。お前と互角に戦った事も良い理由になる」


「では?」


「ああ。ヤツを王国十剣に加えるとしよう」


 王国十剣とは、ローズベル王国において最上の剣士と騎士に与えられる称号だ。女王クラリスより「強者」として認められた証であり、同時に伯爵位相当の権威を得る事になる。


 王家が称える程の強者であるという証拠になるのも重要だが、ミソなのは「伯爵位相当」という点である。王国十剣となった者は正式な貴族ではないにも拘らず、その尊敬と名誉を称えて権威を得るのだ。


 政治には直接影響を及ぼさないが、周囲からは相応の対応がなされるだろう。同時に権威を得たからには国家に尽くすという義務が発生する。


 ハンターになった事で国を出る事を許されない。その上、王国十剣と認められた事で国から与えられた任務も行わねばならない。要はアッシュの包囲網が完成するというわけである。


 ただ、デメリットばかりじゃない。


 王国からの保護と支援も受けられるし、貴族相当扱いなので貴族特有の面倒事に巻き込まれない。そもそも、王国十剣はの戦力であって、貴族家個人の戦力になる事は認められないからだ。


 他にも王国十剣と認められたハンターとなれば、各協会から手厚い支援も情報も得る事が可能となるだろう。


 今後はダンジョンでの活動内容は主に国からの任務に関する事ばかりになるかもしれないが、協会からの支援がある無しでは大きく違う。任務を達成しやすくなるし、達成し続ければ国に生活を保障してもらえるのだ。


 ただのハンターでいるよりも生活の安定感はぐっと上がる。


 他にも仕事や私生活に関わる様々な特典が盛りだくさんだ。まぁ、国内にいる騎士やハンターが最も憧れる称号なのだから当たり前かもしれないが。


「承知しました。いつにしますか?」


「早い方が良いだろう。第四ダンジョンの調査にも加えたい」


「分かりました。調整しておきます」


 これで話し合いはひと段落ついたようだ。クラリスはテーブルの上にあったカップを持ち上げて紅茶を一口飲んだ。


 そして、紅茶を飲んだ彼女は思い出すかのように笑い出した。


「しかし、本当に若い頃のお前にそっくりだ。戦いながら笑う馬鹿が他にもいたとはな」


 クラリスは昔を懐かしむように「くふ、くふふ」と笑う。その姿は心の底から楽しんでいるようだった。


「お前が気に入るのも分かる。私も直接話してみたくなった」


「…………」


 依然と「くふふ」と笑うクラリス。執務室の中には嫌な雰囲気が漂い始めた。いや、そう感じているのはロイだけなのだが。


 無言で顔を伏せるロイだったが、それに気付いたクラリスは「ニヤァ」と笑う。


「嫉妬したか?」


「まさか……」


 間髪入れずに答えるロイ。それに対し、クラリスは大きくため息を零した。どうやらロイの反応がお気に召さなかったようだ。


「あーあー。チョッカイ出しちゃおうかなー」


 だからか、更に煽るような事を言い出した。


「お止め下さい! 彼には愛する者がいると言ったでしょう!」 


 これはいかん、とばかりに立ち上がって止めに掛かるロイ。そんな彼の姿を見ながら、クラリスはまた「くふふ」と笑い出した。

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