第168話 御前試合 2


 前半戦が終了し、再び定位置に戻った俺とオラーノ侯爵。アルフレート氏の合図によって後半戦が開始された。


「行きますッ!」


 俺は敢えて宣言した。


 俺が得た「身体能力向上」は、まだオラーノ侯爵に一度も見せた事がない。ベイルーナ卿から報告は受けているかもしれないが、実際に見ているのとそうでないのではだいぶ違う。


 能力を使うと宣言したのは、少しでもフェアに戦いたかったから。


 後半戦は能力を使用すること、と事前に通告を受けていたからしょうがない。使わなければ陛下の指示に背いてしまう。


 だけど、俺はどうしてもオラーノ侯爵と対等に戦いたかった。能力無しでずっと戦いたいと思ってしまった。


 前半戦の熱が残っていたのもある。でも、頭の中に「命令に背くな」という冷静さもあった。だから、俺は妥協策としてオラーノ侯爵に見せる事にした。


 彼に見せる事でどう対処するのか。その期待もあったからだ。


 改めて考えると、とんでもなく不敬だと思う。


 でも、どうしても――


「―――ッ!」


 脚に集中して魔力を送り出し、目にも止まらぬ速さでオラーノ侯爵まで急接近。オラーノ侯爵の目が俺の姿を捉え、驚きの表情を見せた瞬間に急ブレーキ。からの再び急加速。


 一気に背後へと回り込み、俺は突きの構えを取った。だが、すぐには突きを放たない。オラーノ侯爵が振り返るのを待ち、彼が防御したのを確認してから突きを放つ。


 カツン、と木剣同士がぶつかった。


 オラーノ侯爵が木剣の腹で俺の突きを受け止めると、真剣な顔で俺を見てきた。


 ただ、すぐに口角を吊り上げて――


「そのまま背中を穿てば良いものを」


「大変失礼な事だとは自覚しております。お叱りも後で受けます。ですが、俺は貴方と心行くまで戦いたい。陛下の命令にも背きたくない。どうか、俺の優柔不断な決断をお許し下さい」


「……別の機会もあったろうに。だが、気持ちは理解できる」


 そう言って、オラーノ侯爵はニヤッと笑った。ゆっくりと木剣を正し、中段に構えて俺を睨みつける。


「ならば、私の意地も見せてやらんとな」


 瞬間、オラーノ侯爵から強烈な殺気が放たれた。


 まるで猛吹雪が吹く雪山の中に立っているような。体の芯が急激に冷えたような感覚が体に走る。


「はっ、はっ、はっ……」


 殺気を当てられた瞬間、俺の心臓は勝手にドクドクと大きく鳴り始める。徐々に手が汗ばんでいき、呼吸も狂い始めた。


 同じ人間を見ているはずなのに、オラーノ侯爵の姿が巨人に見える。これは幻覚だと頭の中で叫んでも体が制御できない。


 これが王都騎士団長ロイ・オラーノの本気。


 俺は王国最強と呼ばれる男から、本気の殺意を向けられている。  


「……ぐっ」


 飲まれるな。飲まれたら負ける。身体能力向上という優れた能力があったとしても、このままでは確実に負けてしまうという確信が生まれた。


 俺は下唇を噛み締めて、そのまま歯で噛み切った。痛覚を感じる事で目の前から放たれる殺気から注意を反らす。


「良い判断だ」


 声は聞き覚えのある声だ。だが、目の前にいるのは俺の知るオラーノ侯爵ではない。


 目の前にいるのは、剣を振り続けて極地へと至った悪魔だ。そう思えてならない。


「さぁ、来い。アッシュ、お前の力を示せ」


「―――ッ!」


 俺は再び足に魔力を注ぎ込んだ。オラーノ侯爵の側面に向かって一気に急接近。恐らく、オラーノ侯爵からは俺が瞬間移動して来たように見えただろう。


 俺はそのまま剣を横に振った。


「くっ」


 オラーノ侯爵から苦悶の声が漏れる。だが、急接近からタイミングを合わせて俺の剣を防御してきた。


 なんて人だ。


 ガツン、と木剣が当たった瞬間に俺は再び動き出す。今度は飛ぶように背後へ回って、下から掬い上げるように斬り上げた。


 俺の剣は彼の背中を捉え――きれなかった。オラーノ侯爵は飛び込むように前へと転がって回避したのだ。俺の剣からはチッと掠る音が鳴って、装備していた鎧に僅かな傷をつけただけ。


 ただ、最強の騎士に文字通り土は付けられた。頬が土で汚れたオラーノ侯爵はそれでもニヤッと笑う。


「まだまだ」


「フッ!」


 ただ、この二発で仕留めきれなかった事を俺は悔やむべきだった。


 たった二発――いや、最初に見せたのも含めて三発か。たった三発の加速攻撃を見ただけでオラーノ侯爵は確実に対応し始めた。


 加速して回り込んでも攻撃を防がれてしまう。側面に回り込んだあと、フェイントを掛けて別の位置に移動してもダメ。


 オラーノ侯爵は俺の動きを見て……。いや、恐らくは読んでいる。俺がどう動くのか、どう動いたら隙を突けるのかという俺の思考を逆算しながら立ち回っているように思えた。


 終いには俺の攻撃に合わせて半歩動いただけで木剣を躱す。一撃喰らえば終わりという状況で、笑いながらスリルを楽しんでいるように見えた。


 化け物か。


 この人は腕に魔石を生やす俺なんかよりよっぽど化け物だ。


 だが、俺が想像する以上に神経を使わせているようだ。開始十分程度経つと、オラーノ侯爵の顔には玉のような汗が浮かび始めた。


 スリル満点の回避、加えて年齢差による体力もあるだろう。ここへ来て勝機が見え始めるも……。俺の方も魔力を使い過ぎて少し余裕が無くなってきた。


 第二都市で検証とトレーニングをしていた頃より魔力使用のペース配分に狂いが出ている。過剰に動き、無駄な動きをしすぎてしまった。


 これは俺もオラーノ侯爵に対して焦っているからだろう。


「そろそろ締めとするか」


 お互い距離を取って相手の動きを探っていた時、オラーノ侯爵がそう告げた。


 彼は「フゥー」と大きく息を吐いて呼吸を整える。整えたあと、俺を睨みつけながら最初よりも濃い殺気を放ち始めたのだ。


 俺は内心で「ようやく慣れてきたのに」と舌打ちをする。チリチリと刺してくるような殺気を喰らって、心臓を掴まれたかのように苦しくなった。


「私もな。必殺の一撃というものはある」


 恐らくは最も得意とする剣の振りだろうか。オラーノ侯爵は上段に木剣を構えた。剣と体が一直線となった構えは美しい芸術品にも思えた。


「ローズベル王国剣術の神髄は一撃による両断。私は偉大な先人よりそう教わった。だからこそ、私の人生全てをこの一撃に込めよう」


 上段に構えられた木剣の剣先が霞む。殺気の纏わりついた木剣がそうさせているのか、それとも俺自身が無意識に現実逃避しているのか。幻だと思っていても何故か見えない。


「フー……ッ」


 俺は首を振って、何度目かの深呼吸を行う。


 あの剣から逃げてはいけない。逃げたら全てが台無しだ。これからの人生を歩んで行くためにも、俺自身がもっと強くなるためにも、俺はあの一撃から逃げちゃいけない。


 だからこそ、真向勝負。


 俺は得意とする突きの構えを取った。子供の頃、父親から何度も怒られながらも習得した突きの構え。


 睨み合う俺とオラーノ侯爵。


 ドクドクと鳴る心臓の音が徐々に小さくなっていって、周囲の音さえも消えた瞬間に俺は奥歯を噛み締めながら駆け出した。


「―――ッ!」


「フッ――!」


 到達は一瞬。俺は理想的な形で突きを見舞う。だが、完全に俺のタイミングを読んだオラーノ侯爵の振り下ろしも絶妙。 

 

 互いに繰り出した攻撃は相打ちだった。木剣と木剣が当たった瞬間、俺達の持っていた木剣は折れて弾け飛ぶ。


 ただ、俺の攻撃は突きだ。折れたとしても、このまま進めばオラーノ侯爵の体に届く。


 届くのだ。


「終了! 終了ですッ!!」


 だが、あと少しというところでアルフレート氏が終了を告げる。同時に鐘の音が鳴って、俺の意識が引き戻された。伸ばしていた手はオラーノ侯爵には届かずピタリと止まる。

 

「フッ。惜しいところであった」


「いえ、俺の負けでしょう」


 俺のワガママから始まった勝負だったが、結局のところは三発目で仕留められなかった時点で負けだったと思う。


「何を言うか。まだ腕の強化も残しているんだろう? 木剣だと折れるから封印したか?」


「まぁ、それは……。はい……」


 それは確かにある。腕の強化を使うと木剣が耐えられない。しかし、技量でも読み合いでも完全にオラーノ侯爵の方が上。力任せに勝てても……なんだか勝った気にはなれないと思った。


「くくく。だとしたら、負けは私だな」


 しかし、オラーノ侯爵はニカッと笑って俺の髪をぐしゃぐしゃと撫でた。


「久しぶりに楽しかった。心から存分に剣を振ったのは本当に久しぶりだ。またやろう」


「はい」


 なんだか、一瞬だけオラーノ侯爵が親父に見えてしまった。親父が生きていたら彼くらいの年齢だろうか。


 こんな歳になって頭を撫でられるなんて、と思われるかもしれないが、自分でも不思議なほど嬉しいという気持ちが湧いて出た。


 俺の髪をぐしゃぐしゃにしたオラーノ侯爵は、女王陛下を見上げて叫ぶ。


「陛下! ご満足頂けましたか!」


 彼の問いに対し、女王陛下は立ち上がる。腕を組みながら俺達を見下ろして、ニヤッと笑った。


「ああ。ロイ、あとで私の部屋に来い」


「承知しました」


 オラーノ侯爵が騎士礼を行い、俺も慌てて礼をする。それを見届けた女王陛下は護衛の騎士と共に闘技場を後にしようと歩き出した。


 陛下が退出すると、観戦していた貴族達や騎士達が騒がしくなる。耳を傾けるに「あの王国最強とやり合っていた」とか「あの動きは魔法か」などと感想が聞こえる。


 観戦者達への感触はまずまずといったところだろうか。


「アッシュ。今日はこれで終わりだ。屋敷に戻って休むといい。腹も減っているだろう?」


「はい。お言葉に甘えさせて頂きます」


 俺は「存分に食え」と背中を叩かれて、去って行くオラーノ侯爵の背中を見送る。


「本当に強かった」


 彼の背中が通路に消えたあと、俺は小さく呟いた。


 俺もあの人のように、あの人のいる位置まで登れるだろうか。能力だけじゃなく、自分自身も更に磨かなければ。


 そう強く思える最高の経験だった。

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