第167話 御前試合 1


 御前試合当日。


 俺はオラーノ家の屋敷から馬車で王城へと向かった。もちろん、キャビンの向かい側には対戦相手であるオラーノ侯爵が乗っている。


「王城に到着したら別行動になるが、アルフレートが案内役として付いてくれるから安心してくれ」


「はい、ありがとうございます」


 オラーノ侯爵は普段よりも口数が少ない。まぁ、それは俺もだが。


 何と言うか……。あとで戦う人と一緒に移動するってのはなかなかに緊張するな。


 王城に到着すると、王城玄関前で馬車が停止。俺とオラーノ侯爵は共に馬車を降りた。


「団長、アッシュ殿。お待ちしていました」


 玄関前で迎えてくれたのはアルフレート氏だった。先ほどオラーノ侯爵が言っていた通り、ここからは彼の指示に従えば良いのだろう。


「アルフレート。アッシュの案内を頼む。私は陛下とお会いしてから向かう」


「かしこまりました」


 オラーノ侯爵に「後でな」と言われて、俺は王城内へ向かう彼の背中を見送った。


「会場は王城敷地内にある闘技場となります。行きましょうか」


「ええ」


 御前試合の会場は王城の裏側にある小さな闘技場のようだ。


 アルフレート氏曰く、観客席も用意された場所らしい。


 普段は年一回に行われる騎士団入団試験の最終審査会場として使われたり、騎士団内で新しい騎士団長が決まった際に貴族達へのお披露目会場としても使用されているんだとか。


「まぁ、騎士団の運動場では華がありませんからね。陛下をお招きするわけにもいきませんし」


 あんまり使われない場所であるが、必要かどうか問われたら「必要」と言わざるを得ない場所である。主に王族や貴族の品格を誇示する為に。


 まぁ、王族や貴族が運動場に現れて即席椅子に座ってたりしたら恰好がつかないからな。これぞ神聖な戦いの場! というような華々しさも必要だろう。


「さぁ、ここです。控室に行きましょうか」


 裏庭を通って闘技場に到着すると、既に多数の騎士が警備を開始していた。王城敷地内だというのに警備が厳重なのは、王都に住む貴族や陛下が戦いをご覧になるからだろう。


 アルフレート氏に控室へ案内されると、中にはウルカ達が待っていた。


「先輩、大丈夫ですか?」


「ああ。うん。いつも通り戦うだけさ」


 と、言いつつも心臓の鼓動はいつもより早い。ウルカ達の前で見栄を張りたい一心でそう言ったが、顔に出ていないか心配だ。


「私達はマリアンヌ様達と見ていますから」


「頑張れよ、アッシュ」


「お、応援してます!」


「ああ、ありがとう」


 ウルカ達に激励をもらって、彼女達が退室していくのを見送った。


「これが使用する木剣です」


「はい」


 見送った後は使用する木剣の確認だ。不正行為などありはしないだろうが、一応確認してくれと言われたからには確認しなければ。


 何度か素振りを繰り返したり、直接触って不備がないかを確認した。


「大丈夫です」


「わかりました。では、始まる前にまた来ますね」


 控室で待機しててくれ、と言ってアルフレート氏は出て行った。恐らくは気を遣ってくれたのだろう。


「フー……」


 ヤバイ。すごい緊張してきた。


 だが、緊張に飲まれて下手な戦いを見せればオラーノ侯爵の顔に泥を塗りかねない。俺は準備運動をしながら心を鎮めようと試みる……が、ダメ!


 そりゃそうだ。だって陛下だぞ。女王陛下の前で戦うんだぞ。緊張しない方がおかしいだろうが!


「はぁ~……」


 今更ながらどうしてこうなっちまったんだか。


 いや、でもオラーノ侯爵とベイルーナ卿の話によれば、身体能力向上の力を見せれば良いだけって話だし。陛下や貴族達に披露すればまたハンター生活に戻れるのかな?


「でもな……」


 緊張はする。だが、正直言えばオラーノ侯爵と戦うのは楽しみでもある。


 何度も戦って引き分けたベイルよりも強いとされる王国最強騎士。


 王都騎士団長ロイ・オラーノ。


 彼と戦ってどこまで通じるのか試してみたい。むしろ、能力使用を許可された後半戦が余計とも思えるくらいだ。


「どうなるかな」


 オラーノ侯爵はこの戦いをどう思っているのだろうか。ただ単に披露の場だと思っているのか、それとも……。


 考えていると、控室のドアが開いた。入って来たのはアルフレート氏だ。


「そろそろ開始します。移動しましょうか」


「はい」


 俺は彼の指示に従って控室を出た。そのまま通路を通って、会場一歩手前まで進む。すると、既にオラーノ侯爵が待っていた。


「アッシュ、いよいよだな」


「はい」


 ニヤッと笑うオラーノ侯爵はいつも通りといった感じ。俺の緊張を解そうとしているのか、彼は俺の肩を少し強めに叩く。


「まずは私と一緒に闘技場中央まで向かう。そこで陛下へ礼をするのだ。陛下からお言葉は無いと事前に聞いているので、そのまま定位置について試合開始となる」


 礼は王国式の騎士礼を、と説明された。オラーノ侯爵に正しい礼の手順を教わり、何度か練習した後に合格を頂いた。


「それと、アッシュ」


 最後にオラーノ侯爵は俺の顔を真剣に見つめながら告げる。


「遠慮は無用。私も本気でいく。お前も本気を出して戦うのだ」


「――ッ! はい!」


 俺を本気にさせたかったのか、オラーノ侯爵の声音には威圧感たっぷりだった。思わず圧倒されかけてしまったが、ぐっと耐える。


 俺の反応に満足したのか、オラーノ侯爵は「フッ」と笑いながら一歩前へ踏み出した。


「では、行くぞ」


「はい」


 共に闘技場の中央へと歩み出す。


 観客席には数十人の貴族達が座っていて、中にはマリアンヌ様と共に座っているウルカ達の姿を見つけた。他にも王都騎士団の騎士が数名座っており、王都研究所よりやって来た学者達も多数いるようだ。


 そして、他の者達よりも高い位置にある特等席に座るのは赤い髪の美女。


 女王陛下は椅子の肘掛けに肘を立て、手で顔を支えながら俺とオラーノ侯爵を見下ろしていた。


 見下ろす陛下の表情からは真意が読めない。真剣な眼差しを向けているが……。俺をチラリと見た後、陛下の視線はオラーノ侯爵へと向けられた。


 俺とオラーノ侯爵が無言で騎士礼を行い、互いに定位置へと向かう。


「前半終了はこちらで鐘の音を鳴らして合図します。合図が鳴ったら一旦終了して仕切り直しとなります」


 注意事項を告げたのは審判役であるアルフレート氏だ。彼の言葉に頷きを返すと、彼は続けて「では、構えて」と言った。


「フー……ッ」

 

 俺は深く深呼吸しながら木剣を中段に構える。対するオラーノ侯爵も中段に構えた。


「では、始め!」


 開始の宣言が行われた直後、俺は様子見しようと考えた。 


「時間も短い。積極的にいかなくてはな」


 だが、オラーノ侯爵は違うようだ。彼は飛ぶようにして間合いを一気に詰めてくる。


 距離を詰めて来た、と俺の脳が認識してからの行動が早い。


 流れるように横からの一撃が視界端に映った。慌てて防御すると、俺の木剣を絡め取るように手首を動かし始めた。

 

 そうはさせるものか、と俺は少しだけ後ろに下がって距離を取る。だが、直後にやって来たのはオラーノ侯爵の放った突きだ。


 木剣の先端が一瞬で俺の顔へと到達する。なんとか首を傾けて躱すも、俺の頬に鋭い突きが掠った。チッと風を切る音が恐ろしくてたまらない。


「さすがだな」


 褒め言葉を言われるも、褒められた気にはなれなかった。


 オラーノ侯爵は間合いを詰めて以降、大きく動いていない。一気に距離を詰めた後、俺がバックステップするように誘導して鋭い突きを見舞う。最小限の動きと手数で一気に追い詰めて来たのだ。


 しかも突きの鋭さが恐ろしくてたまらない。六十を越えた老騎士が放つ突きの速度とは到底思えず、共に訓練したアルフレート氏の勢いよりも上に思えた。


「私はもう若くないのでな。経験と知恵で戦うしかない」


「嘘にしか聞こえませんよ……」


 正直引いた。あの鋭さで「全盛期よりも劣っている」と示しているのだ。じゃあ、若い頃はどれだけの化け物だったのか。


 王国最強は伊達じゃない。  


 いや、だからこそ――


「どこまでやれるか試したくなる」


 俺は薄く切れた頬を拭い、オラーノ侯爵を睨みつけた。


 やられっぱなしではいられない。俺にだってこれまで生き残ってきたプライドくらいはあるさ。少なくとも、服に土くらいは付けてみせよう。


「いきますよッ!」


 このまま気圧されてはいけない。オラーノ侯爵の圧倒的な威圧感に呑み込まれたら負ける。


 その上で俺がオラーノ侯爵に勝っている部分は年齢による体力差だ。これくらいしか勝てていると思える部分が無いのは虚しいが、唯一の武器を活かさないわけにはいかない。


 だからこそ、俺は真正面から一気に間合いを詰めた。上段からの振り下ろしは全力で。振り下ろすスピードも威力も申し分ないと自分でも思った。


「それでこそだ」


 だが、オラーノ侯爵は俺の一撃を簡単にあしらう。打ち合いすらせず、半歩下がりながら体の向きを斜めにしただけで剣を躱した。


 しかし、避けられるのは想定内。むしろ、自分でも当たるはずもないと思ってしまっていたのだから笑える。そう思ってしまったのは、俺の中にあるオラーノ侯爵への憧れと尊敬の念があるからか。


「フッ!」


 振り下ろした剣を横にして、そのまま横薙ぎに振るった。オラーノ侯爵は剣を盾にしながら俺の剣を受け止める。


「ぬう!」


 やはり、純粋なパワーでは俺の方が上だ。オラーノ侯爵は足を開いて剣を受け止め、歪な形で鍔迫り合いが始まる。


「やはり、若さとは良いものだな! 切実に取り戻したくなるッ!」


 叫んだオラーノ侯爵は俺の腹を蹴飛ばそうとした。だが、俺はそれを躱すように後ろへ飛ぶ。距離が開いた直後、今度は互いに距離を詰めた。


 俺は上段から。向こうは中段から。縦に振るわれた剣と横に振るわれた剣が交わって、俺達は再び鍔迫り合いを開始する。


 ただ、長くは続かない。オラーノ侯爵が俺を押し返し、僅かなスペースを作って下段からの斬り上げ。それを躱すと今度は突きが飛んで来る。


 ここで注意すべきは上体へ意識を集中させる事だろう。足元がお留守になったところで――やはり、オラーノ侯爵は距離を詰めて俺の足の間に足先を潜り込ませた。このまま転ばそうというつもりだろうが、そうはさせない。


「やはり引っ掛からんか。お前もアルフレート相手にやって見せたしな」


 ニヤッと笑うオラーノ侯爵はまだまだ余裕そうだ。どうにか体力を奪えないものか。


 勝機は体力差。これしかない。


 だからこそ、俺はオラーノ侯爵に足を使わせ、腕を振るわせて防御させようと試みる。一つ一つ積み重ねて、相手の体力を消耗させるしかない。


「真っ直ぐで基本に忠実。そして不意を突くように一つ二つとフェイントを織り交ぜる。そうして私の体力と集中力を奪うつもりか? 憎たらしいほど出来た男だ!」


 オラーノ侯爵の判断力はさすがとしか言いようがない。避けられる攻撃は最小限の動きのみで。防御すべきタイミングは完全に見極めて、かつ常にカウンターを狙える位置で受け止める。


「くっ!」


 たった今放たれたカウンターの突きを躱すのも間一髪といったところ。また俺の頬に小さく傷が出来た。


 この鋭い突きが俺の心にブレーキを掛け、両足から積極性を削ごうとしてくる。迂闊に手数を増やせば相手のカウンターで仕留められてしまうぞ、という恐怖心が生まれそうになる。


 もっとも、これがオラーノ侯爵の狙いだろうが。頭で分かっていても一度生まれた恐怖心に抗うのは至難の業だ。


「フー……」


 故にそういう時こそ落ち着くべきだ。足を止めて相手に余裕を与えたとしても、思惑に飲み込まれるよりはマシである。


 俺の考えは読まれているだろう。だが、それは彼の目に適ったようだ。


「ククク……。良い考えだ。やはり、私は間違ってなかった。歳を重ねた今、お前と出会えた運命に感謝したい!」


 べろりと口を舐めたあと、笑いながら叫ぶオラーノ侯爵。彼は中段に構えながら言葉を続けた。


「飽いていた私の闘争心に火を点けてくれる若者は久々だ! アッシュ! 私は今、楽しいよ!」


「ええ、自分もですよッ!」


 笑いながら構えるオラーノ侯爵に突撃して、若輩者らしく全力の連撃を行う。その全てが避けられるか、防御されるかの二択。当たらない。馬鹿みたいに当たらない。


 だが、彼も言ったように楽しかった。恐らくは俺とオラーノ侯爵にしか感じられない独特の感覚。


 一歩間違えれば致命傷。スリル満点の戦い。強者を全力で追いかけるような――


「うおおおおッ!」


「ぬうううッ!」


 互いに避けて、防御して、遂には同時に全力で振った一撃が交わった。ガゴン、と今にも木剣が折れそうな音が鳴って、俺達は力比べの鍔迫り合いが始まる。


 お互い、胸に秘めた熱は最高潮。もはや陛下が見ているという事さえ忘れていた。


 ここからどう巻き返すか。冷静な考えが脳裏を過った時、鐘の音がゴンゴンゴンと連続で鳴った。


「前半戦は終了! 終了です!」


 アルフレート氏の声が聞こえて来て、俺達は互いに力を弱めた。視線は外さないまま、ゆっくりと離れて定位置へと戻る。


「フゥー……」


「フフ……」


 この一時中断は互いの熱を冷ますか。


 否だ。


 中断されようが俺の胸にある熱は冷めなかった。目の前で笑うオラーノ侯爵も同じだろう。


「さぁ、アッシュ。お前の力を見せてみろ。ここにいる全員に見せつけてやれ!」


「ええ。存分に見せつけてやりますよ」


 俺達は再び木剣を中段に構えあった。再びアルフレート氏による試合再開の合図が出されて――


「行きますッ!」


 俺は体の中にある魔力を感じ取って、それを己の足に流し込むイメージを作り上げた。

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