第163話 オラーノ侯爵家


 アルフレート氏に案内され、俺達はオラーノ侯爵の執務室に通された。


「皆、よく来たな。アッシュ、体はどうだ?」


「はい。おかげさまで何事もございません」


 王都へ招かれた事への挨拶を終えて、俺達はさっそく打ち合わせとなった。


「まずは御前試合の日程だが、予定では一週間後になっている。今日は私の屋敷に泊まって、明日は朝から王都研究所に連れて行く」


 本日の宿泊先がオラーノ侯爵の屋敷である理由は、明日の朝一番で王都研究所へ向かうかららしい。王都研究所は国の重要施設なので出入りするには認められた者に同行しないと門前払い――どころか、最悪逮捕されてしまう。そして、スパイ容疑からの処刑コース間違いなしだ。


 翌日に朝から合流する手間を省いて、侯爵家の馬車で共に向かうというわけだな。


 王都研究所では身体検査や聞き取り調査が行われるようだ。


 既に俺の身に起きた事に関してベイルーナ卿が研究を進めているが、王都研究所を離れられない学者達からも「一度見てみたい」と申し出が殺到したんだとか。


 明日は希望者の前で能力の披露と剣の起動等を行い、その後は自身の体についていくつか質疑応答が行われる予定だと明かされた。


「まぁ……。軽い健康診断だとでも思っておいてくれれば良い」


 本当に『軽い』健康診断で済むのだろうか。正直、ベイルーナ卿やダンジョン内で大興奮する学者達を見ているから心配だ……。


「御前試合に関してだが、場所は王城内にある施設で行う。試合は制限時間制で三十分。前半十五分は身体能力向上の使用は不可。後半は能力使用を許可する」


 陛下のご要望通り、最初は素の能力を見せる。後半は能力ありきの戦いを見せる事になったようだ。といっても、オラーノ侯爵相手に十五分も持つだろうか……。


「陛下は勿論であるが、王都にいる貴族が見学にやって来るそうだ」


 元々陛下のみが「見たい」と言っていたそうだが、噂を聞きつけた貴族が「私も私も」と面白そうに言い出したらしい。


 これに関してはオラーノ侯爵の人気もあるのだろう。彼は王都騎士団団長であり、王国十剣という名誉ある称号の持ち主である。そんな人物と戦う無謀な挑戦者は誰なのかと気になるのも分からんでもない。


「試合前に調整も行いたいであろう。王都騎士団の運動場を自由に使ってくれていい。当日使う木剣も用意するので確認しておいてくれ」


「ありがとうございます」


 トレーニング用に場所を借りられるのはありがたい。それに関して感謝を告げると、オラーノ侯爵は「ああ、そうだ」と言葉を付け加えた。


「恐らくアルフレートあたりが模擬戦を申し込んでくるだろう。遠慮なく揉んでやってくれ」


「いえ、揉まれるのは私の方では……」


 揉んでやってくれ、なんて簡単に言うが、相手は王都騎士団の副団長だ。相当な実力者に違いないと思うのだが。


「あとは……。そうだな……。王都観光を行う際は誰かを付き添わせてくれ。特に五日後の春祭りは地方からも人がやって来て、王都中が人でごった返すのでな」


 付き添い人はオラーノ侯爵家から手配してくれるようだ。特に観光目的として同行したミレイ達は世話になるだろう。


「他に行きたいところは決まっているか?」


「王都大劇場で公演している演劇が見たいのですが」


 ウルカやミレイが見たいと言っていた演劇について聞いてみた。すると、彼は「ああ、最近流行っている」と口にする。王都で人気の演劇は既に侯爵の耳にまで届いているようだ。


「チケットを手配しておこう」


 そして、こうも簡単に言えるのだから侯爵家ってのは凄い。


「すいません、図々しく……」


「いや。迷惑を掛けているのはこちらだからな」


 そう言って、オラーノ侯爵はため息を吐いた。恐らく陛下絡みの心労かと思われるが、それほどまでの人物なのだろうか。あと一週間後に陛下の前に出るのだが……。ちょっと心配になってきたな。


「まぁ、とにかく王都滞在中は全て任せてくれ。何も心配はいらない」


「ありがとうございます」


 皆で礼をしつつ、オラーノ侯爵との打ち合わせはこれで終了となった。


 窓の外を見ればいつの間にかオレンジ色の空が広がっている。移動するには良い時間だろう。俺達はそのままオラーノ侯爵と共に屋敷へ向かう事になった。


 


-----




 オラーノ侯爵の屋敷は西区の奥側にあった。


 地方ではお目に掛かれないようなレベルのデカい屋敷をいくつも通り過ぎて行って、最奥に見える一際大きな屋敷がオラーノ侯爵家である。


 ちょっと離れたところに同レベルの屋敷が見えるが、そちらはベイルーナ卿の屋敷だそうだ。


 巨大な格子状の門を潜ると、噴水まで完備された広い庭。庭の芝生はよく手入れされていて、屋敷の脇には奥様が熱心に世話をしている庭園まであるようだ。


 玄関前に馬車が停止すると、丁度良いタイミングで玄関ドアが開けられた。


 中からドアを開けたのは侯爵家が雇う執事とメイド達である。馬車から玄関までズラっと並ぶ使用人達の真ん中に立つのは、オラーノ侯爵と同年代に見える栗色の髪を持つ女性だった。


「ただいま帰ったぞ、マリアンヌ」


「おかえりなさいませ」


 オラーノ侯爵は女性に帰宅を告げると、彼女の隣に立って俺達に紹介してくれた。


「私の妻であるマリアンヌだ。何か困った事があったら遠慮なく頼ってくれ。特に女性陣は私よりもマリアンヌの方が良かろう」


「妻のマリアンヌです。どうぞ、よろしくお願いしますね。さぁ、どうぞ中へ」


 奥様であるマリアンヌ様へ挨拶をして、俺達は誘われるまま中へと入った。


「エドガーもどうぞ」


「邪魔するぞ、マリー」


「ところで、今回は何日帰ってないのかしら? 見かけたら縄で縛って連れ帰るよう言われているわ」


「そ、そうか……。今夜は帰るから安心してくれ……」


 どうやらマリアンヌ様はベイルーナ卿とも大変仲が良いらしい。まぁ、ベイルーナ卿はオラーノ侯爵と幼馴染だしな。昔から交流があるのかもしれない。ちょっと不穏な事を告げていたが、それは聞かなかった事にしよう。


 屋敷の中に招かれた俺達だったが、中に入るともう一人男性が立っていた。俺よりも年上で、恐らくは三十代後半だろうか。顔つきがオラーノ侯爵によく似ているが髪の色は母親譲りらしい。


「父上、こちらの方が?」


「うむ」


 オラーノ侯爵を「父上」と呼んだという事は、彼の息子なのだろう。確か家の事に関しては息子が執り行っていると言っていたな。


 そんな事を考えていると、息子である彼は俺に歩み寄って来た。そして、俺の手をガシっと握り締めて目をキラキラと輝かせるのだ。


「父から話は伺っておりますよ! 第二都市の英雄! 巨人殺しのアッシュ殿!」


「え? ええ……?」


 随分とフレンドリーな方だった。


 いや、何というか……。言動は父親であるオラーノ侯爵に似ているというよりもベイルーナ卿の雰囲気にそっくりだ。


「息子のロウだ。こやつは無類の英雄マニアでな……」


 彼は子供の頃、王国中に販売されている英雄譚を切っ掛けに『英雄』になりたいと夢抱いたようだ。父親が王国最強の騎士ともあって、彼自身も騎士としての才能と力を期待されていた。


 最強の騎士たるオラーノ侯爵の血を紛れもなく受け継いだ彼は優秀な騎士として実力も十分であったが、過去に行われたダンジョン調査で足を負傷。騎士を続けられないほどの重傷を負ってしまった。


 自身の夢を諦める結果になってしまったが、それでも『英雄』への熱は冷めなかったようだ。自分では目指せぬ代わりに、英雄を目指す他人を見たり聞いたりする事が生き甲斐になったんだとか。


「ロウは貴族として勤める傍ら、王国剣術の研究と騎士達への指導も行っておる。過去に存在した王国の英雄達も研究しているし、彼の論文は見事なものだった」


 そう褒めるのはベイルーナ卿だった。騎士として優秀だったロウ氏であるが、現在は優秀な学者へと変身したようだ。


 彼の転身を支えたのがベイルーナ卿だったらしく、師弟と呼べるような間柄なのだろう。きっと言動が似ているのはそのせいだ。


「御前試合は絶対に見に行きます。本部で事前にトレーニングも行うでしょう!? それも必ず見に行きますから!」


「え、ええ。ご期待に応えられればよろしいのですが……」


 もう、なんだ。王都に来てから色々な事に圧倒されっぱなしだ。


「はいはい。そこまで。まずは皆さんに旅の疲れを癒してもらいましょう」


 場を収めたのはマリアンヌ様だった。


 まずは彼女に男性陣は風呂を勧められた。湯に浸かりながらリラックスしてきてくれと。その間、女性陣はマリアンヌ様の衣装室へ連れて行かれるようだ。


 お言葉に甘えたわけであるが、これまたビックリポイント。侯爵家にはシャワールームだけじゃなく、超広い風呂場があった。ライオンみたいな銅像から水がジョバジョバ流れ出てる巨大浴槽付きだ。


「他人の家で入る風呂は格別じゃの~。特に風呂の中で飲むワインは最高だ」


「こぼすなよ」


 男性陣は揃って裸の付き合いとなったわけだが、ベイルーナ卿は完全に実家レベルでリラックスしていた。まぁ、肩を並べて湯に浸かるオラーノ侯爵と息子であるロウ氏も一緒にワインを飲んでいるし、いつもの事なのかもしれない。


「王都では家に浴槽を持つのが普通なのか?」


「貴族の大体が屋敷に浴槽を完備しているんじゃないですか? 給湯器が開発されてから手軽になりましたしね」


 レン曰く、手軽と言っても貴族レベルでの財力がないと難しいらしいが。


 俺自身、湯に浸かる経験は初めてであるが、確かにこれは良いものだ。非常にリラックスできる。もし、家を建てるなら浴槽が欲しいと思ってしまった。


 風呂から上がると、脱衣所には新しい服が用意されていた。新しい下着にズボンとシャツ。着ていた服は全て洗濯してくれるらしい。


 サイズもぴったりだった。どうして俺のサイズを把握済みなのか……。


 風呂上りは侯爵方と談笑しつつ、風呂へ入った女性陣を待った。彼女達も風呂から上がって、マリアンヌ様と選んだという服に身を包みながら登場すると夕食の時間となる。


「お口に合えば良いのだけど」


 本日の夕食はマリアンヌ様の手料理だ。


 王国貴族と聞けば家で料理人を抱えているイメージだが、料理人を雇う貴族は少ないらしい。まぁ、王城暮らしの王家は専門の料理人を抱えているようだが、これは例外となるって話だ。


 王国貴族が料理人を雇わない理由として、ローズベル民族時代から続く「一族の味」というのを大切にしている文化がある。故に歴史が長い貴族であればあるほど、代々伝えられてきた料理法や味付けを受け継いでいくらしい。


 オラーノ家に嫁いできたマリアンヌ様も、嫁いでから初めての仕事は「家の味」を知り、再現する事だったようだ。


「美味しいですね」


 これは素直な感想だ。


 並べられた料理は「男ウケする料理」といった感じ。特にメインとなっている肉料理は格別だ。味付けが濃い目になっていて、男であれば大歓迎といったガツンとした料理だった。


 第二都市では何度か高級レストランの味も味わったが、むしろマリアンヌ様の料理の方が美味しく思える。


「オラーノ家は代々騎士を輩出する家ですからね。家の味も戦って帰って来た男達が満足する味となっているのよ」


 なるほど。そういった家の歴史も味に反映されているのか。


 面白い文化だな、と思ってしまった。


 そして、食事のシメはチーズとビール。食事中に出されたのはワインだったが、最後の最後でビールに変わった。


「オラーノ家の伝統だ。昔は贅沢品であったチーズと初代当主が好きだったビールを合わせる。これでまた戦に勝つという当家の習わしだ」


 オラーノ家初代当主は過去の戦争で名を上げた。戦で多くの敵を討ち取って帰って来ると、大好きなビールで勝利を祝ったそうだ。その際、当時は裕福とは言えなかったが、勝利を祝って贅沢品であるチーズを食べた。


 ちょっとした贅沢と好きな酒を楽しんで英気を養い、また戦場に行って武功を立てる。いつしかオラーノ家では伝統となって、大事な出来事の前には必ず行うようにしているらしい。


 食事を終えたあと、俺は改めてオラーノ侯爵方に礼を告げた。


 すると、マリアンヌ様はニッコリと笑った。


「いいえ。実家だと思ってリラックスして下さいね。変にマナーにも気を付けなくて結構よ。好きなようにして構わないから」


 マリアンヌ様は「その代わり、こちらも遠慮せずに楽しませて頂く」と言ってくれた。本当にありがたい話だ。


「それに宿泊先で緊張していてはこの人をぶっ飛ばせないでしょう? 随分と偉くなってしまったから、ここらで一発お見舞いしてあげて下さいね」


 隣でワインを楽しんでいたオラーノ侯爵を「ぶっ飛ばせ」と言うのは良いのだろうか。本当に面白い方だ。


「あ、あはは……」


 といっても、俺は苦笑いしかできなかったが。


 その後、俺達はこれまで体験して来た事を話のタネに盛り上がってしまった。


 帝国時代の話や第二ダンジョンでの体験など、特にロウ氏が滅茶苦茶興奮しながら話を聞いていた。そういえば、彼の奥様もいるようだが、今は地方の実家に帰省しているらしい。


 実家の姉君が子供を出産するらしく、子供が生まれたら帰って来るようだ。今後どこかのタイミングでお会いして、ご挨拶する機会に恵まれるだろう。 


 すっかり話が盛り上がって、気付けば深夜になってしまった。


「がー! ぐがー!」


 ワインをガブガブ飲んでいたベイルーナ卿は寝落ちしてしまい、結局オラーノ家に泊まる事となったようだ。執事達が慣れた手つきでベイルーナ卿を客室へ運んでいく。


 もうマジで実家じゃないか。


 そして、俺達も用意して頂いた客室へ。宿の最上級クラスとも言えるような内装と広さを持つ部屋を与えられ、王都滞在中はこの部屋を好きに使ってくれと言われてしまった。


 超巨大なふかふかベッドでウルカと一緒に横になると、これまで第二都市で契約していた宿とは別次元のベッドだった。まるで雲の上で寝転がっているようだ。


「侯爵ってマジですごい」


「本当ですね」


 ちょっと緊張する、なんてお互いに言い合っていたのだが――どうやら揃ってすぐに寝てしまったらしい。


 気付けば朝を迎えていて、起きた瞬間から二人で笑ってしまった。 

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