八章 灰の力と王都
第155話 身体検査開始 1
目が覚めてから二週間後。俺は予定通り退院となった。
「先輩、体は大丈夫ですか?」
「ああ。問題無いよ」
二週間も入院しているのは正直苦痛だった。いや、目が覚める前に四ヵ月も寝たきりだったじゃないかってのは置いといて。
とにかく、ようやく外に出れた喜びを噛み締めたい。
もはや、我が家と言っても良いくらい継続契約している宿の個室に一旦戻った後、俺はウルカと共に行きつけの食堂に向かった。
食堂にいたハンター達から退院祝いの祝福をされつつ、席に着いて肉マシマシのメニューを頼む。
それと酒だ。ビールだ。
「これこれぇ!」
ウエイトレスが持って来てくれた肉に喰らいつき、キンキンに冷えたビールで流し込む。これがたまらない! これぞ生きている証だ! これが人生においての楽しみなんだ! と再確認してしまった。
「やっぱり病院食は物足りなかったですか?」
「そうだな。味も薄いし……」
別に病院食がマズイってわけじゃないんだが、やはり普段食べていた料理とは違う。
特にショックだったのが最初の三日間だ。どれだけ体調は良好だ、これだけ動けると証明しても医者は「無理は禁物」だと繰り返した。
その結果、最初の三日間はミルクに柔らかいパンを浸したものが出るだけ。あとはサラダとリンゴジュース。正直言って地獄だった。何度「肉が食いたい」と泣きそうになったことか。
四日目からは普通の食事になったが、やはり味は薄くて野菜中心の献立である。これまでの食生活からすると物足りない。どれも健康志向なメニューばかりで苦痛だった。
「だからこそ、普通だと思っていた事が幸せに思える……」
「そんな泣きそうにならなくても」
馬鹿みたいに味が濃くて、馬鹿みたいにでかい肉がたまらなく美味い。ビールも冷えているというだけでこの世が生んだ最高の飲み物に感じてしまう。
こんな当たり前の日常が有難く思えてしまって、目頭が熱くなってしまった。
食事の楽しさを噛み締め、酒の美味さをも噛み締めた俺は、食後の一服を楽しもうとした。これが俺にとっての日常だったから。
いざ、煙草に火を点けて吸い込むと……。
「ゴホッ! ゴホッ!」
四ヵ月ぶりに吸ったせいか、吸い込んだ煙に咽てしまう。しかも、何だか煙草の味が変だ。鉄っぽいというか、血を舐めたような味がする。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ……。何だかおかしくて」
火を点けた煙草を見つめても異常はない。煙草の入った紙袋を見てもいつもの銘柄だし……。試しにもう一口吸ってみるが、やはり味がおかしい。
「味覚が変になったのかな?」
「でも、肉を食べた時は変わらないんですよね?」
「うん」
どうしてだろうか。食事類は特に変な味はしなかった。ビールもそうだ。試しにウルカが飲んでいたワインを一口だけもらったが、こちらも味に変化はない。
煙草の原料である煙草の葉に対しておかしいのだろうか。俺はジッと火の点いた煙草を見つめたあと、灰皿で火を揉み消す。
「禁煙しよう」
一つの銘柄しか試していないが、ここまでマズく感じるならばどれも同じ味を感じそうだ。
血を舐めたような味が口の中に広がると、何だか痛々しい記憶が蘇る。無理をしながら吸うもんじゃないし、死にかけた事を考えると自分の体を見つめ直す良い機会にも思えた。
これを機に禁煙しよう。むしろ、不味いと感じた今じゃないと「禁煙」なんて考えすら浮かばないかもしれない。
「なぁ、これ貰ってくれないか?」
「え? 良いのか?」
隣の席で煙草を吸っていた男性客に残っていた煙草を全部譲る事にした。困惑する男性客に「禁煙する事にしたんだ」と告げて、押し付けるようにテーブルへ置いた。
なんだか楽しみが一つ減ってしまった気分で残念に思うが、これからまた楽しみを探せば良いか。
そんな一幕がありながら、俺達は食堂を後にした。
「次はどうする? 買い物でも行くか?」
四ヵ月も眠っていたせいで寂しい想いをさせてしまった。今日からは彼女と思いっきり楽しもうと思っていたのだが……。
彼女は俺の腕に抱き着いて首を振る。そして、頬を赤らめながら俺の耳に顔を寄せてきた。
「ずっと寂しかったんで、いっぱい可愛がって欲しいです」
なるほど。それは魅力的なお誘いだ。俺は間髪入れずに頷き、寄り道せずに宿へと戻った。
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退院した日の翌日、俺とウルカはミレイとレンと一緒に騎士団本部へと向かっていた。
今日の予定は俺の身体検査だ。改めて右腕の様子をベイルーナ卿に見てもらいつつ、軽い運動をして体全体に異常が無いかを調べる事になっていた。
退院前から身体検査を行う際は一緒に行くと宣言していたミレイとレンを誘ったのだが……。
「どうした?」
何だか二人の様子が朝からおかしい。二人揃って顔を赤らめながらチラチラと俺とウルカを見て来るのだ。
「き、昨日の夜に……。い、いや、何でもない」
「…………」
一体、二人はどうしたんだろうか。二人の様子についてウルカに問うも、彼女は「さぁ?」と言いながら笑うだけ。
俺は首を傾げつつ、騎士団本部へと向かって行った。
騎士団本部に到着すると、早速とばかりにベイルーナ卿のいる部屋へ通された。
「おお、よく来た。待っていたぞ」
第二ダンジョン都市騎士団が用意した部屋の中は既に荷物や書類でゴチャゴチャになっており、間借りしている感はゼロである。
足の踏み場もない部屋の中を慎重に進んで、俺達は辛うじて座れる状態だったソファーに腰掛けた。
「まずは右腕の観察と採血から頼む。運動は午後からにしよう」
「了解しました」
そう言われた俺は、着ていたジャケットを脱いでシャツの袖を捲った。魔石の生えた腕が外部の人間に見つからないよう巻いていた包帯も解いていく。
解き終えると右腕に生えた魔石が晒される。それを見たレンが痛々しい表情を浮かべながら「痛くないのですか?」と問うてくるが、俺は首を振って否定した。
全く痛みは感じない。日常生活でも普通に右腕は使えているし、特に何も問題ないのが現状だ。
ベイルーナ卿に採血されたあと、何度目かの調査が始まった。
魔石を引っ張られたり叩かれたり、腕の肉を突かれたり。ただ、答えは毎回「問題なし」なのだが。
「日常生活において支障は見られないのだな?」
「そうですね。この二週間も右腕を使っていて不意に痛みを感じたり、変な疲労感を感じる事はありませんでした」
これらについては退院前からベイルーナ卿に意識しておくよう言われていた点だ。だが、やはり日常生活では違和感を感じない。
「もし、違和感を感じるとしたら剣を振るう時でしょうか?」
「かもしれんな」
日常生活で右腕の筋肉を酷使するシーンなどあまりない。もし、異常が起きるとしたら戦闘中だろう。
「昼を食べたら運動場へ向かうとしよう」
調査協力のお礼? として、俺達はベイルーナ卿に昼飯をごちそうになった。
連れて行かれたのは都市一番の高級レストランだ。本来であればドレスコードもあって、正装じゃなければ入店できない超高級店である。
対し、俺達の服装は完全に平民向けの私服。ベイルーナ卿に至ってはフィールドワーク用の作業着に似た全身茶色の作業服の上に白衣といった格好だ。
だというのに、ベイルーナ卿の一言で入店が許可された。許可されたというか、服装を問われる事すらなかった。完全個室に案内されて、料理長が挨拶に来るなんて事も。
普段はダンジョンに対して好奇心旺盛な少年みたいにはしゃぐベイルーナ卿であるが、確かに侯爵位を持つ貴族なのだと再確認してしまった。
その後、騎士団本部の運動場に移動。午前中の問診や採血も重要であるが、ベイルーナ卿にとっては午後の運動に関する方が「今日の目玉」だったのだろう。見るからにワクワクしている。
「レン、お前もアッシュと一緒に運動しろ。体が鈍るぞ」
「う、はい……」
ミレイに言われて、レンと一緒に運動開始。最初はランニングから始めて、次は腕立て伏せ等の筋トレを行っていく。
ここまでは何も問題が無かった。腕に負荷を掛けても痛みは出ないし、違和感も感じない。ただ俺と一緒にトレーニングを行うレンが死にそうな顔をしていただけだ。
しかし、本当の問題が起きたのは次のトレーニングだった。
次は反射神経を鍛えるトレーニング。柔らかいボールを投げてもらって、ボールを躱すという内容だ。
ウルカとミレイにボールを投げてもらって、それを素早く躱し続けていた。ただ、最初は普通にやっていたのだが……。
「へへっ。どこまで躱せるかな?」
「おっ。いいぞ、来い!」
俺もミレイも面白がって、どんどんと難易度が上がっていった。
投げる速度を上げたり、変則的に投げてみたり。それでも俺がボールを躱していると、訓練終わりに見学していた騎士まで巻き込み始めた。
最終的には五人からボールを投げられる状況になってしまって、俺の反射神経を越えつつあった。
――余談であるが、レンはミレイの剛速球が額に当たって失格となった。
「これが躱せるかぁ!?」
ミレイの投げたボールが俺の顔面に向かって飛んで来る。だが、俺は別のボールを躱したばかりで体勢を崩していた。
遂にボールが当たってしまうか。そう感じた時である。
「―――!」
瞬間、俺の世界から音が消えた。加えて、迫り来るボールがスローモーションになったのだ。
自分の見ている視界が「そうなった」と自覚した瞬間、体が勝手に反応してしまう。崩れていた体勢を整えて、顔面に迫って来ていたボールを躱す。次にウルカが投げたボールまで躱したところで、徐々に俺の世界に音が戻った。
「…………」
「…………」
すると、ボールを構えていた五人が口を半開きにしたまま固まっているではないか。離れて見守っていたベイルーナ卿まで驚きの表情のまま固まっていた。
「どうした?」
「いや、どうしたって……」
「先輩、すごい動きしてましたよ」
俺が問うと、ミレイとウルカは「あり得ない」と返す。自分自身ではどのような動きをしたか分からず、首を傾げていると――
「な、なんじゃ、それは!?」
猛ダッシュで駆け寄って来たベイルーナ卿が俺の右腕を掴んで持ち上げた。俺の右腕に生えた魔石を見つめる彼にどうしかのかと問うと、彼は鼻息を荒くしながら告げる。
「い、今! お主がボールを避けた瞬間に魔石が光っておった! まさか、お主!」
「ちょ、ちょっと、アッシュさん! 今、魔法使いませんでしたか!?」
興奮気味にベイルーナ卿が言葉を発すると同時に、額に丸く赤い跡を残したレンまでもが駆け寄って来てそう告げるのだ。
レンの告げた内容にベイルーナ卿も「お主も感じたか!?」と慌てて問う。すると、レンは何度も頷きを返した。
「ま、魔法?」
いやいや、何を言っているんだ。俺は二人のように魔法使いじゃないんだから。
使えるはずがない、と俺が否定するも、二人は「絶対に間違いない!」と繰り返す。
「絶対に魔法を使っているはずだ! 徹底的に調べるぞ!」
「え、ええ……?」
火の点いたベイルーナ卿を止められるはずもなく、俺は困惑しながらも自分自身についての検証を始める事となった。
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