第154話 先にある未来も彼女と共に
気が付いた時、俺は暗闇の中を走っていた。周りが暗い事も気にせず、ただひたすら「ここから出たい」と焦りながら走っていた。
痛みも感じなければ疲れも感じない。ただただ、内から溢れ出る焦燥感だけが俺を突き動かしていた。
行く宛ても無く、道標もない。焦りを募らせながら走り続けていると、たまに声がした。
懐かしく、愛しい声だ。それと微かな温かさ。それを頼りにして走り続けた事だけは覚えている。
「ウルカ……」
いつしか俺の目の前には光が溢れ――目を覚ました。目の前には愛する人の泣き顔があって、たまらなく愛おしかった。
抱きしめようとしても腕が動かなかった。それでも抱きしめたいという気持ちが溢れて、無理矢理動かして彼女の背中に触れると……暗闇の中で感じた温かさの正体は彼女の体温だったと理解できた。
――これが、昨日までの自分。
いや、自分の身に起きていた状況を医者から聞かされた後、改めて思い出した事だろうか。とにかく、俺は眠りながら夢を見ていたらしい。
目覚めた当初は頭がぼーっとしていたが、すぐに思考力を取り戻した。大泣きするウルカをなだめると、彼女は病室を飛び出して医者を連れて戻って来た。
それからは大変な騒ぎになってしまって……。
「おい、アッシュ! 起きたのか!?」
「アッシュ、目が覚めたか!?」
医者から連絡を受けたのか、病室に飛び込んで来たのはミレイとレン、それにベイルだった。
三人に「体は異常ないか、大丈夫か」と慌て気味に問われるが、何と答えていいか分からなかった。むしろ、三人の慌てっぷりに笑ってしまいそうになったのは秘密だ。
過剰なほど心配してくれる三人と未だ大泣きするウルカ。見兼ねた医者が四人を退室させて、事情を俺に話してくれた。
どうやら俺は巨大キメラとの戦いで怪我を負ったらしい。瀕死の重体であったようだが、治癒魔法によって体の傷は癒された。だが、その副作用で四ヵ月半も眠っていたという。
最初は上手く状況が理解できなかったが……。
新聞に書かれた日付や外の様子を見て納得した。一番新しい記憶では、都市の人々は夏服で過ごしていたのに今ではすっかり冬服だ。看護師が開けた窓から吹き込む風も冷たくて、風を受ける肌がチクチクと痛いくらいだった。
違和感のように感じていた齟齬が埋まって、ようやく現実を受け入れられたって感じだろうか。
で、だ。
目覚めてから一番のビックリポイントを発表しようと思う。それは俺の自身の右腕を見た時である。
「な、なんじゃこりゃ!?」
まさに、なんじゃこりゃだ。だって右腕がおかしい。肉を突き破って灰色の水晶みたいなモンが生えている。
だというのに、痛みは感じない。生えている水晶がまるで自分の体の一部のように感じられるのだ。
「先生、これは?」
「それは……。ベイルーナ侯爵閣下にお聞きした方がよろしいでしょうな」
医者に問うても答えはくれなかった。いや、答えようがないといったところか。答えを知るのはベイルーナ卿であるとだけ教えてくれる。
しかし、こりゃ一体何なんだ。俺の身に何が起きたのか。俺が左手の指で右腕に生えた水晶をツンツンと触っていると、病室の扉が勢いよく開かれた。
「アッシュ、目覚めたかァァ!?」
病室に飛び込んで来たのは、顔中汗まみれになったベイルーナ卿。なんとタイムリーな登場だろうか。
「アッシュ、腕だ! 腕について色々質問が――」
「閣下。申し訳ありませんが、患者は目覚めたばかりです。質問に関しては明日にして下さいますか?」
鼻息を荒くして、目を血走らせながら俺に顔を近づけるベイルーナ卿であったが、彼の顔と俺の顔の間に手を差し込んで制止したのは医者だった。
「何を言うか!? これは女王陛下による――」
「だとしてもです! 急な状況の変化で患者の精神状態に悪影響を及ぼす可能性もあります!」
医者は「あとでまた来ます」と言いながら、ベイルーナ卿を連れて退室していく。
ベイルーナ卿は「明日また来る!」と叫んでいたが、本当に大丈夫なのだろうか。あと、女王陛下という単語も聞こえてしまったのだが……。
「先輩」
俺が彼等を見送ったあと、代わりに入室して来たのはウルカだった。泣いていたせいか目が真っ赤だ。目には涙を拭いた跡が残っているが、それでも彼女は笑顔を浮かべていた。
「ウルカ」
俺が彼女に手を伸ばすと、彼女はベッドの上に座って俺の手を取った。両手で手を握られて、彼女は俺の手にキスをすると自分の頬にもっていく。
俺は彼女の頬を撫でながら、四ヵ月ぶりになるらしい感触を楽しむ。
「先輩、ずっと待ってました」
「ああ。何だか……。あまり実感はないが、長く眠っていたらしいな」
「はい」
愛しい彼女を見つめながら、彼女の体温を感じていると――ドアの隙間から声が聞こえて来た。
「お前が眠ってからずっと傍にいたんだぞ。ウルカに感謝しろ」
「お邪魔だろうから明日にまた来るよ」
ミレイが揶揄うように言ってきて、ベイルは遠慮がちに言ってきた。二人は言いたい事を言うと、ぴしゃりとドアを閉めて立ち去っていく。
「……ずっと傍にいてくれたのか?」
「当たり前です」
頷く彼女がたまらなく愛おしくなった。俺は彼女を抱きしめて、ベッドに寝転ぶ。横になりながら彼女を抱きしめて、彼女の重みさえ愛おしくてたまらない。
そうして彼女を感じている間、徐々に記憶が蘇ってきた。
こうなったのは抗った結果なのだと。だが、それで正解だったと改めて思う。
何か月も眠ってしまったし、右腕は何だかおかしなことになっているが、彼女を守れたなら本望だ。
「ウルカ、愛してる」
「私もです」
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翌日の朝になって、ウルカは改めて病室を訪れてくれた。
昨日は抱き合ったくらいで何もしていない。神に誓って何もしていない。
「髪、いつ切りましょうか?」
「退院してからだな。医者の話だと、検査をしてから退院日を決めるらしいが……」
俺は昨晩の事を想い出す。昨晩、ウルカが宿に戻ってから医者による簡単な問診が行われた。
体に違和感はないか、右腕に痛みはないか等聞かれるが、今のところ自覚症状はない。これも全て治癒魔法のおかげなのだろうか。
加えて、四ヵ月も寝たきりだったので筋力の低下が疑われた。ゆっくりで良いので足を動かせるかと問われ、俺はさっそくとばかりに自身の体を動かし始める。
目覚めた当初は体の自由が利かない感覚があったのだが、思考が明瞭となった今ではそれも感じない。
ベッドの上で足全体を動かし、足の指まで動かした。すると、医者は「動きますね……」と驚いた様子を見せた。
通常であれば、寝たきりだった患者は本来の生活を取り戻すまでリハビリを行うらしい。手摺を使って歩く事から始めたり、初期の移動には車椅子を用いたりする事もあるらしいが――
「完全に動けてますね」
「これも治癒魔法のおかげでしょうか?」
「いえ、普通はあり得ませんよ。治癒魔法はあくまでも外傷を治したにすぎません。寝たきりになった後の体には作用しないと言われていますし」
俺はベッドの上から降りて、補助無しで歩く事ができた。これは驚くべきことだと再度言われてしまう。医者の出した答えは「理由は不明であるが、とにかく動ける」だった。
よって、経過観察は必要であるがリハビリは必要無しだと判断される。
……と、昨晩の事を語るとウルカは笑顔を浮かべた。
「良い事じゃないですか」
「かもな。あとは、この腕についてなんだが……」
恐らく、医者の言う「検査」とは俺の右腕についてだろう。俺の右腕がどうしてこうなったのか、ウルカに問うてみると巨大キメラ戦での一幕を教えてくれた。
彼女が教えてくれたのは、俺が覚えていない事実である。
確かに俺はあの時、彼に出会った。彼が俺に「抗え」と言ってくれて、方法を教えてくれた。だが、その裏で俺の腕が光に包まれながら変異していったという事実は覚えていない。
右腕と同時に人工魔法剣までもが変異して、敵を斬ると灰に変えた事もだ。
「俺の体が動くのもこの右腕のせいなのかな?」
「関係はありそうですよね」
二人で推測し合うも正確な答えは出せない。答えを教えてくれそうな人物と言えば――
「アッシュ、来たぞ」
たった今、病室に現れたベイルーナ卿だろう。
「昨日はすみません」
「いや、構わない。代わりに今日は色々と質問させてもらうからな」
そう言いながら、もう目が爛々と輝いている。未知なるモノを前にしてドキドキワクワクしている少年のようだ。
「私は退室しますね」
「いや、君も聞いておけ。アッシュの今後に関わる話もするからな」
ベイルーナ卿が訪れた事で、ウルカは邪魔にならないよう退室しようとするが止められた。その理由が「俺の今後について」だと言うのだから……正直、不安になる。
「まずは簡単な問診と触診を始める」
気になる事を言い放しにしておきながら、ベイルーナ卿はさっそく調査に取り掛かった。
まずは俺の右腕の状態について問う。
「痛みはないか? 腕を動かす際に違和感はないか?」
これについては「いいえ」だろう。痛みもなければ違和感もない。こんな状態でありながら、日常生活を送るには支障がないように思える。鉛筆を握って文字も書けるし、カップを掴んでお茶も飲める。全くもって異常は感じない。
「次は……。これはどうだ? 痛みは? 感覚はあるか?」
ベイルーナ卿は俺の腕を片手で持つと、腕の肉を指で押した。これも特に痛みはない。次にペンの先で優しく刺されるが、チクリとするだけで異常という異常は感じられなかった。
「では、これはどうだ?」
次に肉から飛び出す灰色の水晶を指で軽く押し込む。これも痛みは感じなかった。逆に引っ張られても同様だ。
「ふーむ。腕の感覚が消えたというわけじゃないのだな?」
「ええ。温度も感じられますし、強く抓ると痛みは感じますね。この水晶部分に関しては……。正直、怖くて試せていませんが」
通常の肉体部分に関してはこれまで通りの感覚だ。だが、さすがに自らの手で腕に生えた水晶を「抜いてみよう」とか「刺激してみよう」といった試みは怖くてできない。
「その生えた水晶についてだが。これは魔石であると判明した」
「魔石、ですか?」
「うむ。お主が眠っている間にサンプルを回収させてもらってな。王都で調査してみたが、魔石と同様の材質であると判明した」
どうやら俺の腕に生えたのは魔石だったらしい。どうして魔石なんかが生えたのか……。いや、原因はアレしかない。
ベイルーナ卿にも「どうしてこのような状況になったか心当たりはあるか?」と問われて、巨大キメラ戦の時に見た光景を説明する。
すると、彼の表情はみるみる驚きに変わって、最終的には眉間に皺を作って唸り始めてしまった。
「完全に意味不明であるな……。サビオラ卿が現れて会話をしたなど……。正直、お主の見た幻覚だと思いたいが」
人工魔法剣を初めて起動させた際、俺はサビオラ卿の最後を見た。それについても既に知っているベイルーナ卿は「俺の見た幻覚」だと思いたくとも思えないといった感じ。
「……その件については追々究明していこう。まずはお主の体にどう影響を及ぼしたのかを知る必要がある」
俺の体がどう変化したのか。これについては、国も俺自身も知る必要があるとベイルーナ卿は言う。
「担当医と打ち合わせを行ったが、何事も起きなければ二週間後に退院となる予定だ。その後、年末まで軽い運動を始めとする検査を行い、問題無ければ年明けから模擬戦などを含めた検証と経過観察を行おうと思う」
「はい、分かりました」
四ヵ月も眠っていたせいでもうすっかり年末だ。ウルカの話では都市内も年末や年明けに向けて人々が慌ただしく動き回っているらしい。
ベイルーナ卿の告げた予定通りとなれば、年末まではランニング等の軽い運動。年明けからは剣を振るといった感じだろうか。
「大まかな事が分かったら、お主は王都へ行ってもらう」
「王都ですか?」
そう言われて、最初に思い浮かんだのは「王都研究所」だ。俺の右腕について、王都研究所で詳しい調査でもするのかと思った。
しかし――
「女王陛下がお前とお会いしたいらしい。お主の体がどうなったかの判断次第なところもあるが、王都でロイと御前試合をしてもらう予定だ」
「は?」
予想外の答えに俺の口からアホみたいな声が出た。だが、ベイルーナ卿も「驚いて当然だろう」と言ってくれる。
「キメラ戦での一幕を聞いた女王陛下が興味を抱いたようでな。お主の力を直接見たいと仰っているようだ。王都にいるロイからそう連絡があったんだが……」
ベイルーナ卿曰く、オラーノ侯爵自身も理由が分からないといった感じらしい。ため息を吐きながら首を振っては「また陛下のワガママだろう」などと感想を零す。
「女王陛下の件についてはまだ考えなくともよい。まずは自身の体について知る事を最優先させるべきだ。御前試合を行うかどうかも、それ次第であるしな」
「そう、ですね。分かりました」
俺が頷くと、ベイルーナ卿は「今日の分はこれで終わりだ」と告げる。また明日来ると言って、病室を出て行った。
「……何だかとんでもない事になりそうで不安だ」
「ですね……。でも、私が傍にいますから」
予測できない未来に不安を覚えながら言葉を漏らすと、ウルカがベッドに座りながら手を握ってくれた。
「この先どうなろうとも、私はずっと傍にいますよ。嫌って言っても離れませんから」
「嫌なんて言うもんか」
俺達はお互いに見つめ合って、徐々に顔を近づけていく。彼女と何度もキスをして、最後は彼女の体を強く抱きしめた。
「先輩、愛してます」
……ああ、早く宿に帰りたい!
※ あとがき ※
ここまで読んで下さりありがとうございます。
今日の投稿で七章は終了となります。
実のところ、連載開始当初の予定ではとっくに完結している予定でした。
考えた設定は全て出さない予定でしたし、ラストはキメラ戦でアッシュが覚醒するも死亡。ウルカは生き残って子供と一緒に暮らす。残った世界の様子を少しだけ書いて終わり。
ちょっとバッドエンディングっぽい終わり方を予定していました。
というのも、連載当初はガチの作家さん達が多く投稿する中、私のような素人の書いた物語なんて誰も読まないだろうみたいな考えがあったので…。
しかしながら、途中で全て書き切ろうと考え直したのは応援して下さった皆さんのおかげです。本当に読んで下さってありがとうございます。
長々と前置きを書いてしまいましたが、この後も物語は続きます。
ここで第一部完! みたいなところです。
次章はアッシュの能力を詳しく描きつつ、王都編に入ります。
一時は人生灰色になってしまった主人公がどうなっていくのか、これからも読んで下さると嬉しいです。
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