第153話 目覚めの時
「では、サンプルの回収を始める」
エドガーはそう宣言した後、ベイル立ち合いの元でアッシュの腕に生えた魔石の欠片を採取し始めた。
王都研究所の元所長でもあった彼がわざわざ騎士団団長であるベイルを立ち会わせたのは、現在のアッシュが国に保護された状態だからだろう。
国家保護人物認定されたと通告が届いたのは二時間前。これは王都にいるロイが心変わりした女王クラリスによって正式に命令を受けた事で第二都市騎士団へと発信された。
第二騎士団には何人たりともアッシュを害させるな、と命令が届いたのである。故にたとえ王都研究所に所属しているエドガーであっても、勝手にサンプルを回収する事は禁じられる。女王命令である事の証明と第二騎士団の責任者による立ち合いが必要となった。
「魔石のサンプルを回収完了。確認してくれ」
「はい」
削り取った魔石の粉末と欠片を容器に入れたエドガーは、それらを立会人であるベイルに確認させる。こういったプロセスも命令によるものだった。
「次は血液と皮膚の回収を行う」
エドガーは注射器を取り出してアッシュの血液を採取。次にメスを用いて腕の皮膚を少しばかり切り取った。
患部に止血と手当を施すと、アッシュの腕を隠すように毛布の中へと仕舞い込む。
「回収完了。以上でサンプル回収任務を終了とする」
「任務完了を確認しました。問題なし」
正式な手順を踏んで回収されたサンプルは即座に王都へ運ばれるだろう。エドガーがサンプルの入った容器を仕舞いながら、器具を片付けていると――
「アッシュはこれからどうなりますか?」
ベイルが真剣な顔で問う。
「女王陛下は目覚めた後に王都へ寄越すよう命令したようだ。第二都市で生活に問題が無いと判断され次第、王都へ向かう事になるだろうな」
これもロイから得た情報だと彼は言う。
アッシュは目覚めて落ち着いたら、すぐに王都へ向かう事になるだろう。その後、第二都市に戻って来れるかの保証はない。
それを聞いて、ベイルは少し苦い表情を浮かべた。
「人体実験のような行為は――」
「させんよ。それは約束する」
間髪入れずにエドガーは否定した。
「しかし、女王陛下はアッシュに興味を抱いたのですか?」
「そのようだ。最初は王都研究所に閉じ込めておくような事を言っていたようだが、一晩経って心変わりしたらしい」
これについてはロイも不思議がっていたとエドガーは語る。
「まぁ、第二ダンジョンの調査は終わりが近い。あとは安定的な素材採取の場となろう。恐らく、来年には
第四ダンジョンについての話は、ベイルも最近知ったばかりだった。どういうわけか、国の北側でダンジョンらしき場所の痕跡を見つけたという報告が入って来たのだ。
「アッシュはそちらに回されますか」
「恐らくな」
まだ正式には第四ダンジョンは発見されていない。だが、発見されれば脅威度の確認を行うべく内部調査が行われるだろう。完全なる未知の場所を探るとなれば、ダンジョンに慣れた強者は必要不可欠だ。
仮に目覚めて体に問題が無ければ……。更には対巨大キメラ戦で垣間見せた驚異的な戦闘能力を己のモノとしていたら。アッシュという存在はうってつけの人物である。
「ところでお主は準備できているのか?」
「え? 準備と言いますと?」
話題が急に自分の事へと変わった。言われた本人も何のことか理解できなかったようだ。
「なんだ、聞いていないのか? お主の代でバローネ家は侯爵位に上がるぞ」
「まだ父から聞かされていませんね……」
まさか爵位が上がるとは思ってもみなかったようだ。
エドガー曰く、ここ最近の目覚ましい第二ダンジョンでの活躍と発見による功績なんだとか。
「侯爵位に上がれば王都へ招聘されるだろう。まずは王都騎士団の副団長に就任して、後に団長だろうな」
ロイの後釜はお前だと言われて、ベイルは驚きの表情を浮かべる。
「そろそろ世代交代だよ。ロイも良い歳だしな。まぁ、少なくともあと二年くらいは第二都市の指揮を執ってもらうだろうが」
「そうですか」
自分の将来を語られて、ベイルは眠っているアッシュの顔を見た。
彼がここまで功績を挙げたと認められたのは、アッシュのおかげでもあるからだろう。
「猶更、アッシュには不義理は働けませんね」
「まぁ、その辺はジジイ共に任せておけ。お膳立てはちゃんとしてやる」
持ち込んだ鞄を脇に抱えると、エドガーはニヤリと笑いながら病室を出て行った。去って行く彼の背中を見送ったのち、ベイルは再びアッシュの顔を見た。
「……すまないが、まだまだ付き合ってもらう事になりそうだ」
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アッシュが眠り続けて二ヵ月経過した。未だに彼は目覚めない。
ローズベル王国では夏が終わって、緩やかに気温が下がり始めた。同時に第二ダンジョンでは二十二階までの調査が完全完了となる。
騎士団とハンター協会は二十一階までを完全解放。一般的なハンター達が立ち入る事も許可されて、月ノ大熊を中心としたハンター達によるゴーレムの素材採取が活発となる。
月ノ大熊はヤドカリ型ゴーレムを中心とした討伐を行い、他のハンター達は蜘蛛型ゴーレムを狩るといった図式が出来上がった。
これは先行していたジェイナス隊、ターニャ率いる女神の剣による戦闘経験が反映されて、餌で蜘蛛型ゴーレムを釣る狩り方が一般化したせいもあるだろう。
二十二階に関しては依然として立ち入り禁止だ。というよりも、二十二階へ続く階段は半分封印状態となっていた。特製シャッターを取り付けて、シャッター解放用の鍵を持った者達しか立ち入れない状態となっている。
二十二階以降は王都研究所の学者や騎士団しか立ち入れない。あとは調査隊として経験のある女神の剣だろうか。
そのターニャ達は学者や騎士達と共に二十三階の調査を行う日々を過ごしている。
キメラが他にも存在していないか確認せよ、と王都から命令が来たのもあるが、ガイド役として活躍しているようだ。本人達は狩りをしないと腕が鈍ると言いつつも、指名依頼による実入りが良くて断れないといった感じ。
騎士団による別動隊として、二十四階についても本格的な調査が始まったのがこの頃である。
騎士団本部で指揮を行うベイル曰く、二十四階の調査には今年いっぱい掛かるだろうと予想されていた。
それから更に二ヵ月後。
第二都市で生活する人々の恰好はすっかり冬服に変わって、防寒着を手放せない生活が始まった。まだ雪などは降っていないものの、吹き込む風はかなり冷たい。
「先輩、今日は爪を切りましょうね」
ただ、相変わらずアッシュは眠ったままだった。
ウルカは体を拭いたり、ヒゲを剃ったりはしているものの、髪だけは切らずに放置していた。すっかり彼の髪は伸びてしまって、眠る前と印象がガラっと変わってみえるほど。
といっても、ここまで伸びた髪は逆に生きている証拠とも言える。
アッシュが目覚めたあと「こんなに伸びるくらい眠っていたんだよ」なんて言いながら髪を切るのも、後の楽しみとしてアリかもしれないが。
彼が眠って以降、ウルカは相変わらず毎日のように付き添っているが、以前のような暗さは無くなっていた。
それは毎日のように誰かがウルカと共にいるからだろう。
「昨日ね、オーロラさんとお酒を飲んだ時――」
ミレイとレンのコンビとは毎晩のように夕食を共にしているし、たまにオーロラに誘われて女子会も行っている。
「そういえば、タロンさんが新人教育で――」
第二ダンジョン都市協会所属の教官となったタロンからは時より弓師の指導員として招かれる事もあって、それもちょっとした気分転換になっているようだ。
そういった、日々に起きた事を眠っているアッシュへ語り聞かせるのが日課となっていた。
だから今日も同じだと思っていた。アッシュの伸びた爪を切りながら、昨日の事を聞かせていた。
「でね、ミレイ先輩に言ったの。レン君と結婚するなら貴族になるよって。先輩が騎士団辞めた時に騙しちゃったから、お詫びも兼ねて貴族の作法について教えようかって言ったんです。そしたら、ふふ。ミレイ先輩慌て出しちゃって――」
アッシュの指を持ち上げながら爪を切っていると、彼の指がぴくんと動いた。
最初はウルカも気のせいかと思っただろう。
「先輩?」
彼女がアッシュを呼ぶと、アッシュは弱々しくもウルカの手を握り始めた。
間違いじゃない。そう気づいたウルカは椅子から飛び上がった。
「せ、先輩!? 先輩!!」
アッシュが眠ってから初めて起こしたリアクション。それに縋るように、ウルカはアッシュを何度も呼び掛けた。
その甲斐があってか、アッシュの瞼がゆっくりと開いていく。まだぼんやりとしていそうではあったが、アッシュは首を動かしてウルカの顔を捉えたのだ。
「ウルカ……」
「せん、ぱい……」
彼の声を聞いたのは何か月振りだろうか。ウルカは大粒の涙を流しながらアッシュに抱き着く。
「せんぱい、せんぱい……! ずっと、ずっと、声が聴きたかったよぅ……」
涙を流し続ける彼女に対し、アッシュはゆっくりと震える左手を彼女の背中に添えた。
「温かい……」
弱々しくも片手で抱きしめて、ようやく彼女の体温を感じ取ったのだった。
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